チョコ食えよ
「いよいよ明日、だな」
「ああ、俺はこの日のために酒場のあの子に猛アピールしてきたんだ!絶対にもらえるはず!」
「お前はまだワンチャンあるからまだいいよ……ボルサリーノさん相手じゃ望み薄いぜ……」
「そりゃ高望みしすぎだろ。まぁ貰えるなら俺もボルサリーノさんから欲しいけど」
若者が大半を占める海軍学校だ、人が集まれば騒々しくもなるし私語が飛び交うのは仕方がないが、今日はいつにも増して喧しいというか、殆どの同期たちが訓練にも講義にもうわの空だった。その理由というのが、明日の二月十四日。誰が定めたのか、好意のある相手に菓子を贈るいわゆる愛の日だ。同期たちは意中の女性から贈り物が貰えるかどうかを気にして浮足立っているのだ。
最近では義理だ友達だと贈り物にも色々あるようだが、菓子を貰う=相手が自分に好意を持っているという証明に他ならない、らしい。なのでこのイベントをきっかけに恋人になるという例は少なくない。だからどいつもこいつも浮足立っているのだろう。
午後の講義が始まるのを黙して待つサカズキは、鼻の下を伸ばしている同期たちの様子を朝から見せられてうんざりしていた。前日でこの有様では、当日には緩んだ顔の同期を全員しばき倒してしまうやもしれない。
サカズキが海兵を目指している理由は、偏に悪を根絶やしにするというサカズキという人間にとって最も重要な目的を果たすために一番の近道だからだ。安定した給料やなんとなくでここにやってきた者を否定することはないが、正義を追い求めるサカズキにとってはここでの全てが遊びではないのだ。愛の日だかなんだか知らないが、浮ついたイベントに現を抜かす連中に苛立ちを覚えてしまい、話題を振られた際につい言ってしまったのだ。
「何がバレンタインじゃ、くだらん。わしはそういう浮かれたもんは好かんし、菓子なんぞ貰っても迷惑じゃけぇ」
これは噓偽りない本心だった。が、どんなことにおいても例外というものは必ず存在する。
翌日、バレンタインだろうと海兵には関係ない。今日は朝から講義のために同期たちは眠い目を擦りながら講堂へと集まる。いつもと変わらない光景……ではなかった。
「ハッピーバレンタイン〜、お菓子が欲しいやつは並びなァ」
教官であるゼファーの定位置である教壇に立っているボルサリーノは、紙袋いっぱいに詰めた市販の個包装されたクッキーを広げて満面の笑みで同期たちに配っていた。明らかに義理とわかるし手作りですらないが、配っているのがサカズキと並ぶ怪物並びに高嶺の花であるあのボルサリーノだ。本来こういったイベントを積極的にやるタイプでない彼女が何故今日に限ってこんなことをしているのかわからない。しかし、普段恐れ多いだとか隣にいるサカズキを恐れてボルサリーノに近づけない男どもにとっては、彼女に近づく絶好のチャンス。同期たちはボルサリーノからお菓子を貰おうと我先にと群がっている。
「一応人数分用意してるから慌てなさんなって」
苦笑いを浮かべながら流れるような手さばきで一人一人に菓子を渡していくボルサリーノ。いつもなら隣に座って座学が始まるまで静かに本を読んでいるか自分と雑談をしているのに、今日はサカズキの方などちらりとも見ずに他の男に囲まれている。その様子はサカズキにとって非常に好ましくない。しかし、今ボルサリーノの元に行けば自分も菓子が目当てに思われてしまう、それはそれで嫌だ。いや、ボルサリーノから渡してくる分には友人のよしみで受け取ろうとは思っているが、昨日同期たちにああ言った手前自分から行くわけにはいかなかった。
(まぁ、席に戻ってきたら渡されるじゃろう……)
苛立ちを覚えながらもそう思い直し、なるべく教壇の方は見ないよう教本を開いて気を紛らわせる。そのうち、担当教官であるゼファーが講堂へと入ってきたため、さすがの同期たちもそそくさと各々の席へと戻っていった。
…………ボルサリーノを除いて。
「ボルサリーノ、教壇に物を置いて散らかすんじゃない。あと席に戻れ」
「オォ〜、ゼファー先生。はい、これは先生にあげます」
「……なんだ、これは?」
「マドレーヌですけどォ?大丈夫、これお店で買ったやつなんで」
「いや、そういう問題じゃ……まぁいい、貰っとくから早く席に戻りなさい」
「はぁ〜い」
てっきりゼファーは突っぱねるかと思いきや、ボルサリーノに手渡されたマドレーヌをあっさりと受け取り、何事もなかったかのように授業を始めていた。ピカリと光ったかと思えば一瞬で隣まで飛んできたボルサリーノを横目で盗み見る。相変わらず何を考えているのかわからない飄々とした表情でボルサリーノはゼファーの授業を聞いていて、サカズキと視線が交わることはなかった。
■■■
「何故じゃ……!」
すべての授業を終え夕食を食べて風呂にも入り、後は明日に備えて休むだけだというのにサカズキは……いや、サカズキ『だけ』がボルサリーノからバレンタインの菓子を貰っていないまま今日が終わろうとしていた。
あの後、普段と同じように一日中共に行動していたにもかかわらず、ボルサリーノはサカズキに菓子を渡してくるそぶりすら見せなかった。同期たちをはじめゼファーや他の教官たち、後輩はさすがに顔見知りのクザンだけだったが、たまたまゼファーを訪ねて鉢合わせしたガープ、センゴク、つるにすら渡していたのに。
サカズキは悪を滅ぼすために海兵を目指している。そうでなくとも己の性分からして惚れた腫れただの騒ぎ立てるイベントが嫌いだ。甘い菓子も好きではない。そこに噓偽りはないが、親しい間柄であるはずのボルサリーノから自分だけ何も貰えないのは少し……いや、この際はっきり言ってしまうが、物凄くショックだった。
何を隠そう、サカズキはボルサリーノに惚れている。初めて彼女を目にした時、目の前に星が散ったような衝撃を感じたのを今でも憶えていた。色恋に現を抜かすなどくだらない、一目惚れなどありえないと思っていた二十三年の人生で、初めて経験した恋。態度にこそ出さないものの、もし所帯を持つとしたらボルサリーノしか考えられない。というより、ボルサリーノが自分以外の人間のものになるなんて、考えただけで腸が煮えくり返り、腹いせに海に繰り出してその辺にいる海賊共を皆殺しにしたくなる。端的に言って無理である。
「クソッ……!」
反吐が出るくらい女々しい考えが頭の中を堂々巡りして、我ながら苛立ちと自己嫌悪が抑えられない。ゼファーに許可をもらって外で訓練でもしようかと思案しテイルと、コンコンと扉をノックする音が部屋に響いた。もう点呼の時間かと返事もせずにドアを開けると、そこには当番の同期ではなくどこか緊張した面持ちのボルサリーノが立っていた。
「……なんじゃ、何か用でもあるんか?」
ボルサリーノのことを考えていたところに本人が訪ねてきたせいか、自分の思考が読まれているような居心地の悪さを感じてついぶっきらぼうな物言いをしてしまう。ボルサリーノもボルサリーノで、普段は強面で無愛想なサカズキに臆することなく接してくるのに、今は何故か俯いたまま口を噤んでしまっている。今まで彼女とこんなふうに気まずい雰囲気になったことがなかったため、人付き合いどうしたらいいのかわからなかった。
「……これ」
ようやく口を開いたかと思うと、ボルサリーノは後ろに隠していたものをサカズキの眼前へと突きつけた。ボルサリーノの手の中に収まる小さな箱は白の包装紙に包まれ、華やかな赤いリボンで飾られている。多分、恐らく、絶対にバレンタインの贈り物だ。しかも、昼間同期たちに渡していた既製品とは違う、明らかに気合いが入った……きっと本命用というやつだろう。
ここにきてまさかの逆転満塁サヨナラホームラン。なんという激アツ展開。心の中では完全に宴がドンドットと開催されている状態だったが、なんとか顔に出さないようにして無言でチョコレートを受け取る。
「いらないってわかってるけど、せっかく作ったしわっしがどうしても渡したかっただけだから……捨てるならわっしに見えないように捨ててねェ」
「あぁ……?おい、ボルサリーノ、」
「じゃ、じゃあ!それだけだから!わっしもう部屋に戻るねェ、おやすみィ〜」
これはもう両思いということで確定と言える。自分も同じ気持ちだと伝えようとサカズキが口を開きかけたその時、遮るようにボルサリーノが早口で捲し立てると、徐々に彼女の身体が光に溶けていく。ここでボルサリーノを逃してあならないと本能的に感じ取り、咄嗟に己の腕にありったけの覇気を込めてボルサリーノの細い手首を掴み部屋の中へと引き摺り込む。それでもなお逃げようともがくボルサリーノをドアに押しつけて動きを封じる。
「ッ、待て!ちゃんとわしの話を聞かんかい!」
「フラれるってわかってんだから聞きたくねぇんだよォ!それぐらい察しろ!」
「だから、何故そうなるんじゃ!わしはまだなんも言っとらんじゃろうが!!」
「だって、菓子なんて貰っても迷惑だって言ってたじゃねぇかよォ……」
あの場にボルサリーノはいないと思っていたが、どうやら聞いていたらしい。薄らと涙を浮かべて下を向くボルサリーノの姿に、今までつまらないプライドのために意地を張って強がっていた自分が不甲斐ない。サカズキは掴んでいたボルサリーノの手を引いて自身の胸で受け止め、しっかりと抱きしめる。
「……悪かった。あんなことを言ったが、わしは他の誰でもない、好いた女から貰えるもんなら何でも嬉しい。それがわしを思って用意したのなら、なおさら」
ボルサリーノはしばらく黙っていたが、サカズキの言葉の意味を理解したのか、みるみるうちに顔が上気していく。ボルサリーノはそれを隠すようにぐりぐりと顔をサカズキの胸に顔を埋めると、小さく呟いた。
「…………遠回しにじゃなくて、ちゃんと言えよォ」
紅潮した首筋や耳に、ボルサリーノの気持ちが伝わってくる。普段は人を食ったような彼女のいじらしい姿に愛おしさが胸に広がる。
「好きじゃ、ボルサリーノ。本当は、ずっと前からおどれに惚れちょった」
「うん……わっしも、サカズキのこと好きだよォ」
サカズキの告白にボルサリーノはふわりと微笑む。サカズキはボルサリーノの目尻に溜まっていた雫を指先で拭い、唇を重ねた。
「ん……ぅ、」
ちゅく、と舌を絡ませると、腕の中のボルサリーノが身じろぎして甘い吐息を漏らす。サカズキはボルサリーノの腰に手を回してさらに密着させると、口づけを深くする。ゴツゴツとした己の身体とは違う、どこもかしこもやわらかなボルサリーノの感触に夢中になっていると、ドンドンと胸の辺りを叩かれた。名残惜しく思いながら唇を離すと、銀色の糸が二人を繋ぎ、やがてぷつりと途切れた。
「は……頑張って作ったんだから、わっしじゃなくてチョコ、食べてほしいんだけどォ?」
自分のペースを崩されたのが悔しいのか、ボルサリーノは憎まれ口を叩くが、すっかりと赤くなった顔や涙目で言われても、ただただこちらを煽るだけである。サカズキは再びボルサリーノの顎を掴むと、その口に齧り付いた。
結局、サカズキがボルサリーノから貰ったチョコレートを食べたのは次の日の朝だった。