酷白、もしくは告薄
「ベガパンクは会う度に頭が大きくなってるし、エッグヘッドに妙ちくりんな発明が溢れてて本当に面白いんだよねェ」
「この前久し振りに戦桃丸くんを抱っこしたらまた重くなってたよォ。子供は成長が早いねェ〜」
その昔、まだサカズキとボルサリーノが少将だった頃。ボルサリーノは天才科学者Dr.ベガパンクたっての希望によりピカピカの実のレーザーを兵器として実用化するための実験に協力していた。元々知的好奇心の旺盛なボルサリーノは、ベガパンクの生み出す最新技術に目を輝かせ、またベガパンク本人のことも慕っているようだった。そして任務中にベガパンクが戦桃丸という孤児を拾ってからは、休暇の度にエッグヘッドに足を運ぶ始末。
一度だけ、ボルサリーノの誘われて共にエッグヘッドに行ったことがある。だが、ベガパンクとボルサリーノと戦桃丸。まるで家族のような三人を、サカズキの知らない顔を二人に向けるボルサリーノを目の当たりにして、心底来なければよかったと思ったのを未だによく憶えていた。
カタン、と。庭先から物音が聞こえる。一人暮らしの屋敷にこんな夜半に物音など常人なれば賊か暴漢かと危惧するところだが、ここが海軍本部の置かれたニュー・マリンフォードであり、更には海軍元帥であるサカズキの住居であることを考慮すれば暴漢や泥棒ではなく自殺志願者の方が可能性は高いかもしれない。等という冗談はさておき、サカズキの家に無断で入ってくるような人間はこの世で一人しかいない。
「ボルサリーノ」
「やぁ、サカズキ。こんばんはァ」
暗闇からぬらりと見慣れた長身痩躯が現れる。以前サカズキが贈った浴衣を乱雑に纏わせただけのボルサリーノの表情は一見していつもと変わらないように見えたが、長い付き合いであるサカズキにはボルサリーノが纏う空気が普段のそれとは違うことは一目瞭然だった。
「おどれ、明日は早くから出立じゃろうが、こんなところで油を売っとらんではよ休まんと……」
サカズキが言い終わる前にボルサリーノは目にもとまらぬ速さで間合いを詰め、あっという間に二人の距離はゼロになっていた。殆ど突進のように抱き着かれ、相手がボルサリーノということもあって勢いそのままに後ろに倒れ込むと、サカズキに覆い被さったボルサリーノが肌蹴た寝巻の襟首から手を差し入れ、サカズキの硬い肌に触れてくる。
「サカズキ……ね、シよォ?」
爪が綺麗に整えられた指先で桜吹雪をなぞりながら、内緒話をするかのように密やかに、甘ったるい声音でボルサリーノはサカズキを誘う。明日、これまでにない規模の軍艦を率いて重要な作戦に挑むというのに。
普段のボルサリーノは仕事に対して一片の抜かりも許さない。コンディションを整え、万全の状態でいることが完璧に任務を遂行するのに必要不可欠だからだ。故に、作戦前日ーーーー既に日付が変わっているから当日ーーーーに身体を重ねようとするなど、本来の彼ならば考えられない愚行である。
しかし、ボルサリーノを愚行に走らせているのは他でもないサカズキのせいだ。
サカズキが命じたベガパンクの暗殺。ベガパンクの身に危険が及べば彼のボディガードである戦桃丸とも衝突は避けられないのは明らかだった。ボルサリーノが心を許し情を傾ける相手はごく僅かで、ボルサリーノはその数少ない者を自身の出来うる限り大事にする男だった。そんな彼が古い付き合いの、家族のようにすら思っていたであろう二人を己の手にかけなければならないのは精神的に相当な負担だろう。
だからといって、ボルサリーノは与えられた命には絶対に背かない。仕事は基本的に完璧に遂行し、合理的で情にも流されない。彼の仕事人としての実力はあの理不尽極まりない天竜人たちや五老星からも信頼を置かれているほどだ。たとえ討伐対象があの二人とはいえ、いざ相まみえた際にボルサリーノがヘマを踏むことも、ましてや寝返る等ということも心配はしていない。むしろ、信頼が置けるからこそこの作戦の指揮を任せたのだ。
そう、ボルサリーノがどういう人間であるかはサカズキが一番よく理解している。こういう時彼が何を望んでいるのか、どうしてやればいいのかも。
サカズキは己のものより細いボルサリーノの手首を掴んで引き倒し、落ちてきた長躯ごとごろりと回転して今度は自分がボルサリーノに覆い被さった。
「わしは見下ろされるのは好かん」
「ふ……きみの好きにしていいよォ」
薄闇の中、ボルサリーノの声が吐息となって唇を擽る。声色は笑っているように聞こえるが、本当はどんな表情を浮かべているのかわからないまま、サカズキはいっそ投げやりなほどに無防備に差し出されたその身体を暴いた。口に出されずとも、ボルサリーノが望むように乱暴に、何も考えられないように、考えずに済むように。
元帥の位置に収まったサカズキは必要とあらば友も家族も殺せと命じることしかできない。共に戦場に立ち、ボルサリーノが咎を負う様を隣で見届けてやることもできない。だからせめて、ボルサリーノの一時の迷いや弱さを己の手で灼き尽くしてやりたかった。
「ボルサリーノ、大丈夫か」
「それは身体がってことかい?それとも……」
「…………」
「心配しなくても任務はきっちりやり遂げるよォ……先生の時だって、わっしはちゃんとできてただろ?
サカズキの腕の中でボルサリーノが呟く。いつもなら首が痛くなるからと嫌がるサカズキの硬い腕を枕にして、自分自身に言い聞かせるように「大丈夫」と繰り返す。サカズキが言いたいのはそういうことではないと分かっていてこの期に及んではぐらかすのは、もう彼の癖なのだろう。
「サカズキが元帥になってくれて、本当によかったよ」
「……どういう意味じゃ」
「だって、サカズキが元帥ならわっしがきみを殺せと命じられたりしないだろォ?」
まぁ、今の世情いつどうなるかなんてわかんねェけど、とボルサリーノは続ける。
「命じられたら、わっしはサカズキでも殺すよ。わっしは薄情な人間だからね」
一旦口を噤んだ後、はっきりとした口調で零れた言葉は、閑靜とした部屋の中でよく響いた。
「先生もいなくなって、クザンもいなくなって、ベガパンクと戦桃丸くんもいなくなったら……もうサカズキだけになっちまうねェ」
サカズキの胸に顔を埋めたまま、ボルサリーノは独り言ちる。現実と夢の狭間を彷徨う朧気なボルサリーノの顔を掌で覆ってやる。
「わしは海でのさばる海賊どもを根絶やしにするまで死なん……わかったら、もう寝とき」
サカズキの言葉にどこか強ばっていたボルサリーノの身体から力が抜けていき、やがて静かな寝息が聞こえてくる。
サカズキは明日からしばらくの間触れることができなくなるボルサリーノの体温を噛み締めながら、その温もりが消えぬうちに自らも眠りについた。