そしてぼくにできること



コンコン、と控えめなノックが消灯時間を過ぎて静まり返っているヘルメッポの自室に響く。
海軍第一五三支部で雑用をしていた頃に早寝早起きが染み付いてるヘルメッポは普段ならとっくに眠りについているのだが、今日は厭に目が冴えてしまい、シーツの上でごろごろとしたまま無為に時間が経っていた。
どうせ眠れないのならククリ刀の手入れでもしようかと思案していたところに、冒頭のノック音。
それだけなら何か緊急の呼び出しかもしれないとも思うのだが、何せそのノックはドアからではなく窓の外から聞こえてくるのだ。

ここは五階建ての寮の三階なのに。

草木も眠る丑三つ時……ではないものの、夜中に窓の外から訪ねてくるなんて幽霊か命知らずな侵入者かの二択のように思えるが、見聞色の覇気などなくともヘルメッポはガラス一枚隔てた先にいるのが誰なのかすぐにわかった。
慌てて駆け寄って鍵に手をかけ窓を開け放つと、冷たい夜風が潮の香りと共にカーテンと月明かりに照らされた桃色の髪を揺らす。

「コビー、」

何してんだ、と言い切る前にコビーの身体が倒れ込むようにヘルメッポの胸に飛びついてきた。
突然のことととはいえ、これでも日々鍛えている軍人。グッと両脚を踏ん張り、青年と少年の狭間を彷徨う小柄な身体を受け止めてやる。
寝巻き代わりにしている簡素なTシャツ越しに感じるぬくもりはいつものポカポカとした子供体温ではなく、冬の海風に晒されたかのように冷たく無機質だ。

「おい、なにかあったのか?」

一言も発さず、縋るように己の胸に頬を寄せるコビーに無意味な質問を投げかける。なにせ朝起きた時から職務中、そして仕事が終わってそれぞれの部屋に戻るまでずっとコビーと一緒にいたのだ。一緒にいた時間にこれほどまでコビーが追い詰められるようななにかがあったとしたら、自分が気づかないはずがない。
軟な身体でないことは重々承知していながら、万が一身体に障ってはことなので、ヘルメッポはコビーを抱えたまま数歩先にあるベッドまで移動し、冷たい肢体をあたためてやろうとシーツの上に下ろして毛布をかけようとしたが、コビーは弱々しく首を振ってヘルメッポから離れようとしなかった。
コビーがこんなふうになるのは、見聞色の覇気を覚醒させて間もない頃以来だ。
あの時はまだ覇気を使いこなせず、寝ても醒めても世界中の誰かの声が聴こえてきて眠れないと精神的にも肉体的にも参っていた。
今ではガープの指導もあり上手くオンオフを切り替えられるようになったのだが、また何かの拍子にコントロールが効かなくなったのかもしれない。

「…………眠れねぇの?」

ヘルメッポの問いに、やや遅れてコビーがこくんと小さく頷く。

「覇気のせいか?」

「…………」

数秒の沈黙の後、ふる、とコビーは首を横に振る。当てが外れてしまい、いよいよ原因の究明は困難かに思えたところ、ここに来てから初めてコビーが口を開いた。

「眠るのがこわいんです」

ヘルメッポのパジャマを掴むコビーの指に力がこもる。中々に値段の張るお気に入りの逸品だからあまり引っ張ってくれるな、とは思わなかった。ただ、力を入れすぎるあまりに白く血の気を失っていく掌を痛々しく思う。
ヘルメッポはそっとコビーの掌に自分のものを重ね、ゆっくりと指を開いてやる。すると、恐る恐るという言葉がぴったりの緩慢な動きでコビーが顔を上げ、まるい瞳とようやく目が合う。目元や鼻は無理やり擦ったのか少し擦りむけて赤くなっていた。
それは今日、大佐に昇格したことに伴い夢にまで見た正義のコートを賜った時に感極まったコビーが号泣した際にできたものだったが、あの時の緊張しつつも嬉しそうにしていたコビーとは明らかに様子が違う。血色のいい肌は蒼白く染まり、迷子のような頼りない表情でヘルメッポのことを見上げていた。

「僕は、海軍将校になるのが夢でした。ずっとずっと、昔から」

知っている。出会った頃から今まで、コビーが夢に向かってひたむきに進んでいくのを誰よりもそばで見ていたのは自分なのだから。

「まだまだはじまりに過ぎないけど、それでも一度は諦めた夢が叶って、憧れの人がいて、沢山の人に良くしてもらって、隣にヘルメッポさんがいてくれて……すごく嬉しくてしあわせだって思ったのに……しあわせすぎて、うまくいきすぎて、全部夢なんじゃないかって……」

まるい瞳が徐々に潤みを帯び、嗚咽を我慢しているせいか言葉はつっかえて途切れ途切れになっている。それでもコビーは胸に抱えるものをヘルメッポに伝えようと、必死にもがいていた。

「信じられないくらいしあわせだから……もしかしたら僕は長い夢を見ていて、本当はアルビダの船の狭くて暗くて汚い船倉で縮こまって眠っていて、目が醒めてしまったら……ぼくは弱虫でダメでひとりぼっちなコビーのままで、ヘルメッポさんもルフィさんもリカちゃんもガープ中将も夢の中の人で本当はいないんじゃないかって……そう思ったらねむるのがすごくこわくて、」

気づいたらあなたの部屋まで来ていました、と。コビーはか細い声で、まるで懺悔するかのように呟く。
瞳を覆っていた涙の膜はとうとう決壊し、ぼろぼろと大きな水粒が少年らしさの残るやわらかな曲線を描く頬を滑り落ち、シーツへと吸い込まれていく。
たかだか十八の子供が、己の努力で掴み取った夢も幸せも信じられずにこわいこわいと全身を震わせて泣き咽ぶ姿はただただ不憫だった。
憎まれ口ならいくらでも叩けるが、人を慰めるのは苦手だ。それが大切な人ならば、尚のこと。
しかし、コビーは他の誰でもなく自分を頼ってここまで来たのだ。一人で突っ走って、抱え込んで、何かあっても僕は大丈夫ですからと言い張る、周りが思うよりはるかに頑固で強情な、あのコビーが。
その信頼に応えなければ、ここまでこの男を追いかけた意味がない。

「……せりゃっ!隙あり!」

「わっ……!」

コビーの背中に両腕を巻つけるようにまわし、そのまま横に倒れて自分ごとシーツにダイブする。眠りたくないコビーは腕の中でジタバタともがくが、自慢の長い手脚を存分に駆使して拘束すればそう簡単には逃げられまい。
小さな後頭部に手を添え、己の肩口に押しつけるようにして緩く固定する。そのまま幼子にするみたいに頭や背中をやさしく撫でてやると、コビーは一瞬小さく震えたあと、観念したように力を抜いてこちらに身体を預けてきた。

「もしも」

「……うん?」

「もしもこっちが夢で現実の世界でお前がひとりぼっちだったとしも、お前がどこにいようと俺が助けにいってやるから、絶対に」

「……夢の世界から?」

「お前そりゃ、あたりめぇだろ」

「……見聞色の覇気もないのに?」

「おい、覇気でマウントとってくるのやめろ!言っとくけど絶対に俺も覚醒してやるからな?!ヘルメッポ様のポテンシャルなめんなよ!」

「ふ、ふふ……」

「……俺はまだ覇気とか使えねぇし、お前みたいに夢のために死んでもいいって覚悟も持ってねぇし、麦わらの野郎みたいに強くて頼れるヒーローじゃねぇけど……でも、お前が泣いてたら……いや泣いてなくても絶対に助けにいく。そんで、絶対にひとりにさせねぇから……!」

慰めの言葉の割にはなんとも情けなくて、だから安心しろとは言えずに言葉尻が段々と萎んでいく。しかし、コビーはそれでも胸がいっぱいだと言わんばかりに、まるで名も知らぬ子どもたちに花を手渡された時のようにうれしそうに微笑む。

「ありがとう……やっぱり、ぼくにはヘルメッポさんがいないとダメだね……」

ヘルメッポさんがいてくれてよかった、と。それだけ言うとコビーはぜんまいが切れたオモチャみたいにすとんと寝入ってしまった。すぅすぅとあどけない顔で寝息をたてるコビーを起こさぬよう、しかして彼の夢にわるいものが寄ってこれないように己の腕の中にぎゅっとしまい込む。

強くならねば。世界中の秩序でも、海軍の掲げる正義でも、罪なき民衆でもなく、腕の中で眠る少年ただ一人を守り抜くために。


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