よふかしモノローグ



「……んがっ!」

唐突に高い所から落ちた時のような浮遊感が身体を支配し、落ちる!と思った瞬間に意識が一気に覚醒した。飛び起きて寝ぼけまなこのまま周囲を見渡したが、そこには非常に不本意ながらも見慣れてしまった一等兵から雑用までの下士官たちの寝床となっている大部屋だった。ベッドはおろか間仕切りなどといった気の利いたものはなく、上はハンモックから下は床に雑魚寝をして筋骨隆々のむさ苦しい男たちがぎゅうぎゅうに詰め込まれた空間は、この支部のトップに君臨していた父親の権力の下で長いこと悠々自適に生活していた自分には到底耐えられるものではない。
何十人もの人間が奏でる鼾の不協和音や汗のムワっとした湿っぽい臭いに顔を顰めつつ壁に掛けられた時計を見やると、起床時間まであと二時間というなんとも微妙なラインだった。起きるには早いが、もうひと眠りするには物足りなさを感じる。そもそも、雑用なんて誰よりも遅く就寝するというのに誰よりも早く起床しなければならないなんて理不尽すぎるうえに、こんな劣悪な環境では身体も心も休まりやしない。

「くそっ……せめて時間いっぱい寝かせろよコノヤロー……!」

中途半端な時間に目覚めてしまったことへのやり場のない不満を零してみたものの、もちろん誰もペコペコして機嫌とりなんてしてくれない。俺の人生、どこで間違ったんだろうと虚しさを覚えながら横になろうとしたその時、夜明け目前とはいえやけに視界が明るいことにようやく気が付いた。
光源を辿って視線を動かすとまず目に入ったのはボロボロの小さな木箱で、その次が小さな桜色のかたまり。

「……コビーのやつ、また遅くまで勉強してやがったな」

くぅくぅと子犬のようなか細い寝息をたてているのは、同じ雑用係のコビーだった。あの忌々しい麦わらとロロノア・ゾロが親父を倒したせいで、俺は何故かこいつと一緒にこの海軍支部で働かされるはめになったのだ。
コビーは俺と違って本気で海兵になりたいらしく、朝早くから日が暮れるまでこき使われた後もこうしてお古で貰った海軍兵学校の教科書だとか船の専門書だとか兵法書だとか、とにかく役に立ちそうな本を寝る間も惜しんで片っ端から読み漁って知識を得ようとしていた。そのくせ、俺よりも早く起きて元気に雑用に励むのだから、どんくさいわりに意外と体力はあるのかもしれない。
なんとなく立ち上がりコビーのそばまで歩み寄る。机代わりの木箱に向かったまま眠るコビーは、寝息に合わせて微かに上下する頭も身体も、鉛筆を持ったままの手も丸まった背中も何もかもが小さくて、いい意味でも悪い意味でもあどけなくて垢抜けないせいかとても十六歳には見えない。
つけたままになっていた眼鏡を外してやると、目の下にうっすらと隈ができていることに気づく。
「疲れてんだったらさっさと寝りゃぁいいのに」
馬鹿じゃねーの、と一人毒づく。目の下の隈も、勉強のし過ぎで真っ黒になっている小さな手も、付箋だらけの教科書も、すべてが俺を苛立たせる。

「お前、陰でなんて言われてるか知ってんのか?いくら勉強したところで雑用係から海兵になるだけでも十年以上かかるのに、将校なんて何十年経っても無理だって笑われてんだぞ。俺とお前があと何か月で逃げ出すか賭けて遊んでるやつらもいるし、お前にいちゃもんつけてストレス発散しようとしてるやつも何人も見たぜ。誰も期待してねーんだよ、お前の……俺らのことなんて」

だからそんなに頑張ったって無駄なんだよ、わざわざこんなしんどくてつらい思いをする必要ないんだ。……もし、お前も来たいって言うなら俺様の付き人にしてやるよ。今なら全員寝てるから二人で逃げ出しちまおうぜ、こんなところ。

(…………なんて、言ったところでお前の答えなんて分かりきってんな)

「ぼく、もう逃げたくないんです。戦うって決めたから」

だからヘルメッポさんも一緒に頑張りましょう。そう言って、コビーはあのきらきらしい瞳をこちらに向けて手を差し伸べるだろう。たとえ俺とお前を一緒にするなと、何度その手を叩き返したとしても。

「あ゛ーー!クソッ!」

俺はおそらくコビーが使っていたであろう床に落ちていた毛布をおざなりに肩に掛けてやると、そのまま踵を返して自分の寝床へ倒れ込む。
別に、絆されたわけではない。ただ、今ここから逃げ出したところで俺には当座を凌ぐ金も行く宛てもない。逃亡先や資金の目処がたつまでは最低ラインとはいえ衣食住と給金の確保されているこの支部に残るのが最善策であると合理的に判断しただけだ。
誰が咎めているわけでもないのに言い訳のように心の中で言葉を連ねているうちに二度寝の機会を逃してしまっていた。
モップを片手に止まない欠伸を噛み殺しているのを見たコビーの「ヘルメッポさん、夜更かしはダメですよ」鼻にかかった高い声や、少し離れた場所でこちらを見ている海兵たちの「あいつらまだ続いてたのか」という声を聞き流しながら、やっぱこいつらみんなムカつくぜと俺は密かに悪態をつくのだった。

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