いたずら
パタパタ、と控えめな物音を鼓膜が拾い上げる。職業柄、睡眠中であっても少しの物音に反応して意識が覚醒してしまう。たとえ、ここが自分の部屋で音の正体が恋人とわかっていてもだ。
シーツと戯れていた身体を上半身だけ起こすと、すっかりいつもの支給品のジャージを着込み、マリンブルーのストールを巻き付けているコビーと鏡越しに目が合った。
「あ、おはようございます……ごめん、起こしちゃった?」
「いや……つーか、早くね?もう行くのかよ」
「うん。朝イチで会議が入ってるって言い忘れてたや」
「マジか。十五分……いや十分待っててくれ、俺も速攻で準備して……」
まるで展開を呼んでいたかのように、コビーはくすくすと小さく笑みを零しながら勢いよくベッドから抜け出そうとする俺の肩を押さえてまだ暖かいシーツの中へと押し戻す。
「いつも一緒に出席してくれるのは嬉しいけど、絶対じゃないんだしたまにはヘルメッポさんもゆっくり出勤しなよ」
確かに会議への副官の帯同は本来義務付けられておらず、そこら辺の判断は将校に一任されているので自分は出ても出なくてもどちらでもいいのだが、今まで意地でも一緒に出席してきたのは偏に相棒に遅れを取りたくないというヘルメッポの意地と、お人好しで変なところで鈍い恋人がちょっかいを出されないように守りたいというエゴだ。
「もう、またそんなこと言って……ぼく相手に変な気を起こす人なんて、世界中でヘルメッポさんくらいなものだよ」
「ちっ……勝手に人の気持ち読み取ってんじゃねぇよ」
「御言葉ですがヘルメッポ少佐、読み取ったんじゃなくて勝手に流れてきたんですよ。心の声がダダ漏れなんて、寝起きとはいえまだまだ修行が足りないようですね?」
わざとらしく丁寧な物言いをするコビーの勝ち誇った表情に「このクソガキ」と煽られた苛立ちと「かわいい顔しやがって」と惚れた弱みがいっぺんに襲ってきて二の句を継げずにいると、コビーは「じゃあ先に行くね」と言い残しヘルメッポを置いてさっさと部屋を出て行ってしまった。置いて行かれたことにムッとしないでもないが、あいつもきっと大人ぶりたいお年頃なのだろうと自らを納得させ、上司のお言葉に甘えるべく優雅にシャワーでも浴びようとシャワールームへと向かう。
パジャマを脱いで籠に入れ、ふと鏡を見ると自分の姿にわずかな違和感を覚える。いや、普段と変わらない男前であることには間違いないが……と、鏡の前で己の姿をまじまじと観察する。
「……あっ!」
■■■
「ヘルメッポ少佐、今日の隊員の配置について確認をお願いしたく……あれ、今日はいつもと髪型が違うんですね」
「おう。ちょっと色々あってな……配置については巡回の船にもう少し人を割いてやれと大佐殿が御所望だそうだから、俺の班から持ってけ」
「了解です、そのように伝達いたします!あと、その髪型とてもよくお似合いです。イメチェンですか?」
書類を持ってやってきたのはコビー隊に所属している部下で、自分よりも三つほど年上にも関わらずコビー共々とても慕ってくれる、ヘルメッポ同様におしゃべり好きのお調子者の青年海兵だ。ここはコビーの執務室だが、今はヘルメッポしかいないというのもあって、青年は居住いを少し崩して雑談を続けてくる。
「イメチェンっつーか、朝起きたら勝手に結ばれてたんだよ」
「えっ、それって……遠回しに彼女と朝からイチャイチャした自慢ですか?!」
羨ましい!と叫ぶ青年に声がでけぇよ、と諫める己の声に喜色が混じっていた。慣れていないせいか所々緩んで歪な形に三つ編みされている髪に触れる。
「悪戯のつもりでやったんだろうけど、あいつ朝早くて忙しいくせにコレやってたのかと思うとなんつーか、いじらしいというか愛おしいというか……もう可愛すぎて涙出てくるわー。ほんと、今日もあいつのために仕事頑張ろうって思っちまうよなぁ」
「めっちゃ惚気てくるじゃないですか……くぅ!いいなぁ、かわいい彼女がいて!!てか、今度少佐の彼女紹介してくださいよ!」
「なんなら今でもいいぞ?ほら、ドア開けてみろよ」
「えっ?」
顎で執務室のドアを指し示すと、青年は最初は訝しげな表情をしつつも好奇心には勝てなかったのか、見るからにワクワクしながら取っ手を掴み、そーっとドアを開けた。すると、そこには海兵にしては小柄な背丈に桃色の髪。将校の証である正義のコートを羽織った我らが上司が立っているではないか。
「コ、コビー大佐!?」
「はい、コビーですよ。ヘルメッポさん、部下を拘束しておしゃべりに興じるのはよくないんじゃないですか?」
「ひぇひぇひぇ、大佐の言う通りですねェ。悪かったな、行っていいぞ」
「は、はい!失礼しました〜!!」
青年は「騙しましたね」と視線だけでヘルメッポを非難すると、蜘蛛の子を散らすように執務室から出ていってしまった。入れ替わるようにコビーが足を踏み入れ、パタンと静かに扉が閉められる。
「まったく……部下を揶揄うなんて悪趣味ですよ」
「へぇ?外で盗み聞きするのは良い趣味ってか?」
「そっ……!それは……って、僕がいるって気づいていてわざとあんなこと言ったんですね!?」
「あんなことって?」
「ッ、だから!愛おしいとか、かわいいとか……」
わざと聞き返すと、コビーは頬を赤らめながら先ほど俺が口にした言葉をなぞる。これくらいならこれまで何百回も言ってるし、なんなら昨夜はもっとすごいこともしたのに、未だに初心な反応を見せる恋人の姿にとうとう俺は耐えきれなくなって相好を崩すと、コビーは「なににやけてるんですか」ジロリと睨みつけてくる。が、頬はもちろんのこと、耳や首筋までほんのりと上気している状態でそんな顔をされてもそそるだけだった。
「俺は本心から言ったんだぜ?あんな可愛い悪戯ならいつでも大歓迎よ、ひぇひぇひぇ!」
「…………もう二度としないので安心してください!ほら、あなたもいつまでここでサボってるんですか?さっさと仕事してきてください!!」
コビーに背中を押され、俺は執務室から追い出されてしまった。好きな子ほど意地悪をしたいという七光りのバカ息子時代から抜け切らない悪い癖だと自覚はあるが、コビーが可愛すぎるのにも責任の一端がある。0.1ミリくらい。
「さて、愛想尽かされねぇように仕事するかぁ」
昼までに仕事をひと段落させてからコビーと仲直りをして昼食を一緒に食べて、夜はまたイチャイチャして朝まで隣で眠る、を目標に掲げ、俺は逃げていった部下を追いかけて歩き出した。