抱き枕



薄暗い部屋にカリカリとペン先が紙の上を滑る音が響く。先日、師であるボガードが譲ってくれた戦術書に目を通し、重要な部分をノートに書き写して脳内にインプットしていく。自分は勉強も人並みにしかできないので、効率が悪くともこうして板書をしながら覚えるのが一番身につくのだ。
区切りのいいところまで書き終え、ペンを置いて机に齧り付いていた丸い背中を伸ばすと、ポキポキと背骨が小さな悲鳴をあげる。椅子の背もたれに寄りかかって凝った筋肉を伸ばしつつ、壁に掛かった時計に目をやると、いつの間にか日付が変わっているような時刻になっていた。

「もうこんな時間かぁ」

明日も朝早くから仕事なので、早く寝た方がいいのは分かっている。
しかし、最近は色々と考えることが多すぎて以前のように眠れな聞きなってしまったのだ。
有難いことに若輩で大した実績もないのに大佐に昇格し、死にものぐるいで任務をこなし少しでも世界が平和に、人々が穏やかに暮らせるように奔走していたお陰か、沢山の人たちから応援されるようになった。誰にも見つけてもらえない、海賊船の雑用だった自分が、誰かの希望になれるなんて思ってもいなかった。まだまだ弱くて未熟だけど、出来うる限りその期待に応えたい。困っている人を助けたい。ひとりぼっちで泣いている人に手を差し伸べたい。
その為には、もっともっと強くならなければ。はるか遠く、太陽のように海に繰り出すあの人みたいに、強く、優しく……なれるのだろうか?自分なんかが。あんなに期待してもらってるのに、裏切ってしまったらどうしよう。自分が嫌われるだけなら、いい。ただ、己の力不足で傷つく人がいたら……そう考えると怖くて、眠れなくて。良くないと思いつつこうして睡眠時間を削って勉強をしたり鍛錬をして、吐き出せない不安を振り払おうとした。しかし、不安の影はピッタリとコビーの背中に張りついて離れてはくれない。

「……外でも走ってこようかな」

今日も、眠れそうにはない。

「ちわーっす、抱き枕屋でーす」

「ひゃわっ?!」

机の上を軽く片付け、畳んでおいた支給のジャージを手に取ろうとしたその時、突然部屋のドアが開かれた。
ノックもせずにコビーの部屋に入ってくる人物などヘルメッポのしかいないが、普段のヘルメッポはきちんとノックしてから入ってくるので、完全に不意を突かれた形となった。

「ヘルメッポさん!……え、抱き……なに?」

こだわりのシルクのパジャマとナイトキャップを被って仁王立ちしていたヘルメッポは数秒ほどコビーの顔をじっと見つめた後、遠慮なく部屋の中に入りコビーの手を掴んでベッドへと誘導する。

「お前、また遅くまで鍛錬するつもりだったろ」

「う……だって、眠れないから……」

一瞬、そんなことはないと取り繕おうかとも思ったが、ヘルメッポに嘘は通用しないのはコビーが一番よく分かっていた。ヘルメッポはコビーの嘘をすぐに見抜いてしまうのだ。

「はぁ……だからって毎日毎日そんなんじゃ、お前いつかぶっ倒れるぞ」

「それはそうだけど……でも、」

それくらいしないと、ダメなんだ。自分なんて、人の百倍頑張らないと強くなれないんだ……とは言えなかった。これ以上ヘルメッポに心配を掛けたくなかった。
罰が悪そうに口を噤むコビーにヘルメッポは深い溜息をつくと、コビーの手を引いてベッドに座るよう促した。

「ちょっとここに座れ」

「えっと……?」

「いいから」

「う、うん……」

有無を言わさないヘルメッポの圧に押され、言われた通りベッドに座る。てっきり説教でもされるのかと身構えたが、ヘルメッポはコビーの隣に自分も腰を掛けると、ぎゅう、とコビーの身体を抱きしめた。

「へ?へ、ヘルメッポさん!?」

「いいから、体の力抜いてろ」

ぎゅむ、と密着する身体の熱に、心臓が跳ねる。言われた通りになるべく体の力を抜いて身を任せると、頭上でヘルメッポが「いい子だな」と笑った。
ヘルメッポはコビーを抱いたままゴロリとベッドに横たわる。

「抱き枕屋だって言ったろ?開店記念、初回のお客様には無料でサービスしてやるよ、なんてな。ひぇひぇひぇっ」

冗談めかして笑うヘルメッポの腕の中で、コビーはぽかん、と口を開いたまま固まっていた。ヘルメッポはポンポンとコビーの背中を優しく叩くと、胸に抱き寄せたままリズム良く背中を撫でてくれる。

「お前が頑張ってんのは知ってるし、こうして一人きりで突っ走っちまうやつだってことも知ってるからな。その努力はコビーの夢のためだから、やめろとは言わねぇが……でも、俺もいるからよ」

「……」

「だから、その……あんま抱え込むな。一人で無理するんじゃねぇよ」

胸に染み入る優しい声に心臓がきゅうと締め付けられる。
じわり、と視界が歪むのを誤魔化すようにヘルメッポの胸板に顔を押しつけた。
正直言って、まだ自分に自信は持てない。それでも、ヘルメッポがコビーの夢を信じてくれて、どんなことがあっても隣にいてくれるから、自分は折れずにここまでこれたのだ。
胸の奥底に溜まっていた不安がヘルメッポの暖かな体温に溶けていく。

「…………これ、ヘルメッポさんじゃなくてぼくの方が抱き枕になってない?」

「お、生意気言えるようになったじゃねぇの。細けえことはいいんだよ、寝るぞ」

「うん……」

ありがとう、と呟く前にヘルメッポの唇がコビーの上から重ねられた。優しいキスに心がゆるゆると解かれていく。
瞼を閉じて、全身を包むヘルメッポのぬくもりに身を委ねた。

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