卒業祝い
綺麗に包装された細長い箱を手の中で持て余す。
つい先程、ショーウィンドウに飾られたそれを目に入れた瞬間、何故か教え子の顔が頭に浮かび、気づいたら店に入って会計を済ませていた。
(こんなものを買って、どうしろと言うんだ)
買ったのは美しい光沢を放つ上品な紫色のネクタイだった。対応してくれた女性店員が言うにはジェンダーフリーというやつで、女性が着けても様になるらしいが、心配するべきはそこではない。
(あいつはネクタイなんてつけないだろう)
頭に浮かんだ教え子がサカズキであったらまだマシだったが、ゼファーの脳裏を過ぎったのはもう一人の問題児であるボルサリーノだった。彼女はいつもタンクトップにシャツを羽織っているだけのラフな格好をしていたから、ああいう服装が好きなのだろう。とてもネクタイが似合うようなかっちりとしたスーツを着るとは思えない。
いや、それ以前に教官である自分が教え子……それも女性に個人的になにかを贈るのがそもそも駄目な気がする。たとえあと数日でボルサリーノが海軍学校を卒業して巣立っていくのだとしても。
(…………仕方ない、明日店に行って返品してこよう)
色々と親切に教えてくれたあの店員には悪いが、このまま箪笥の肥やしにするよりはいいだろう。
忘れないように鞄に入れておこうと腰を上げた瞬間、コンコン、と扉を叩く音が部屋に響く。
窓の外は日が暮れてすっかりと暗くなっている。海軍学校の生徒は基本的に十八時以降は寮棟内以外の外出や行き来は制限されているので、きっと同僚の誰かだろうと考えて扉を開ける。
しかし、ドアの先にいたのは同僚ではなく、いつも通り何を考えているのかわからない笑みを浮かべたボルサリーノだった。
「なっ……ボルサリーノ?!」
「はーい、わっしですよォー、ゼファー先生ェ」
たれ目を更に細めてニコニコと人好きのする笑みを浮かべるボルサリーノは、規則を破ってここにいることを少しも悪びれていないようで、卒業間近だというのに相変わらずの態度に怒りより先に呆れてしまう。
「……何をしている。お前また規則を破って……卒業取り消しにしてやろうか」
「おやァ〜?ゼファー先生はわっしみたいな即戦力をいつまでも海軍学校なんかで燻らせておくつもりで?」
「……あまり調子に乗るなよ」
「おォ〜、こわいこわい」
なんて口では言いつつ、どう見ても何処吹く風なボルサリーノ。普段なら説教をしてから首根っこ捕まえて寮の部屋に投げ込むのだが……
「ボルサリーノ、少し中に入っていかないか?」
「えっ?」
返品すると決めたはずなのに、あれを渡すなら今しかないと思ってしまった。
突然の誘いにボルサリーノはキョトンとしてゼファーの真意を探ろうとこちらを見つめてくる。
(いつもこういう素直な表情をしていれば可愛いんだがな……)
なんて、ボルサリーノが知れば案外短気な彼女の怒りを買うようなことを考えながら見つめ返すと、ボルサリーノはふい、と視線を外してから「別に、いいですけどォ」と小さく呟いた。
「悪いな、時間は取らせないから安心してくれ」
「いえ……わっしは何時間でも大丈夫ですよー」
「そんな補習じゃあるまい」
何故か動きがぎこちないボルサリーノを部屋の中に招き入れてソファに座らせる。そわそわと部屋の中を眺めている姿を微笑ましく思いつつ、鞄からネクタイの入った箱を取り出す。
「少し早いが、卒業祝いだと思って貰ってくれないか?…………他のみんなには内緒だぞ?」
そう言ってプレゼントを手渡すと、ボルサリーノは無言のままリボンを取って包装紙を剥がして中を検める。
「…………なんでネクタイ?」
「いや……出先で見つけて、なんとなくお前の顔が浮かんでな。まぁ、結構いい品だからいらなかったら質屋にでも流せばそれなりの金に、」
「売りませんよォ、絶対に」
ぎゅう、と、誰にも取られまいとするようにボルサリーノは箱ごとネクタイを抱きしめる。
どうやら気に入ってもらえたようで、悟られないようホッと胸を撫で下ろす。
「ん〜、でもこれに似合うスーツとか持ってないし、当分は買えそうにないしィ〜……そうだ、わっしが大将になった時に着けさせてもらいますよォ」
「ふっ……まだ新兵のくせに大将になるつもりか?」
「まぁ、わっしとサカズキならなれますよォー…………ゼファー先生の最初の教え子……なんで」
自分で言って恥ずかしかったのか、ボルサリーノの頬や耳はほんのりと紅く染まっていた。
一期生の中では年長とはいえ、まだうら若い彼女を海兵として危険な海賊ののさばる海に送り出すことを、少しだけ後悔する。きっとこの気持ちをボルサリーノは余計なお世話だと憤るだろうし、自身の強さにプライドを持つ彼女に失礼だ。
己の中に生まれた感情を振り払うように、ニット帽を被ったボルサリーノの頭を乱暴に撫でる。
「楽しみにしてるから、俺が生きているうちに大将になってくれよ!」
「はっ、上等ですよォ〜。一番に見せに行ってあげますんで、先生こそくたばらないでくださいねェ〜」
照れているのを誤魔化すように憎まれ口を叩く大事な教え子であるボルサリーノが身も心も傷つくことがないように、しあわせであるように、立派な海兵になれるように、ゼファーは心の中で祈った。