酒は災いの元



「局長、今日はちゃんと家に帰ってくださいよ」

「明日間違えて出勤してきちゃ駄目ですからね」

 口を揃えて何度も言い聞かせてくる部下たちに

「わかっとるわい」と苦笑いを浮かべながら答えて帰り支度を急ぐ。

 大航海時代、海賊の蛮行ばかりが目立ちがちではあるが、陸の上なら平和というわけではない。故に、犯罪捜査局の局長であるテンセイも多忙を極めていた。局長であるテンセイが直接動く必要は余程の重大事件でもない限り本来必要はないのだが、根っからの現場人間である自分は、捜査を部下に任せてふんぞり返って待っているのは性に合わない。それでなくとも、海軍はいつだって人手不足なのだ。使えるのなら局長でもなんでも使うべきだ。
 しかし、仕事に忙殺されるあまりにここ数ヶ月ほとんど家にも帰らずに職場で寝泊まりをしているテンセイに、部下たちがこぞって「たまには帰ってください、休んでください!!」と直談判してきたのが今日の昼過ぎのこと。テンセイとしては根を上げるほどでもないのだが、長である自分が休みを取らないと部下たちも遠慮してしまうだろう。
 こうして、テンセイは久方ぶりの定時退勤となった。こんなに明るい――――と言ってももう夕方だが――――うちに家路につくのは本当に久しぶりだ。正直残してきた仕事や部下たちのことが気がかりだが、彼らも立派な海兵。たまにはこうやって仕事を任せるのもいいだろうと自身を納得させる。
 さて、このまま真っ直ぐ家に帰ってゆっくりするのもいいが、どこかで美味い飯を食べながら酒を飲むのもいい。どちらにしようか迷いながら歩いていると、突然すぐ隣に人の気配を感じて慌てて顔を上げる。

「オォ〜、テンセイ。今帰りかぁい?」

 仕事柄人の恨みを買いやすいせいで警戒していたが、気配の主が顔見知り――――海軍大将であるボルサリーノ――――であることを認識した途端、張り詰めていた緊張の糸が一気に緩んだ。
 ボルサリーノとは元帥であるサカズキと並んで付き合いの長い友人だった。お互いなにかと忙しく、こうして仕事以外で会うのは珍しい。

「ああ、長い間詰めとったんだが、部下たちに休めとせがまれてのう……そういうお前さんも随分と早いお帰りじゃないか」

「まぁ、こっちも似たようなもんだよォ。やっぱ歳取ったからかな、みんな過保護だよねェー」

 そう言ってボルサリーノはニコニコと柔和な笑みを浮かべる。何だかんだ言って、心配されるのは満更でもないのだろう。自分も同じ気持ちなのでよくわかる。
 ふと、自分たち以上に忙殺されている友人の顔が浮かんできた。目の前にいるボルサリーノの亭主でもある男はどうしているだろうか。

「サカズキとは一緒じゃないのか?」

「ン〜……一応、あいつにも声掛けたんだけどねェ……ちっとも聞きやしねぇんだよ」

 最近は全然家にも帰ってこねぇしと、とボルサリーノは肩を竦めてみせる。この激動の時代に海軍のトップに立つのはさぞかし気苦労が多く、精神的にも肉体的にも余裕がなくなるのは仕方がないのかもしれないが、仕事にかまけて家内のことを疎かにすると熟年離婚まっしぐらだぞ、と心の中で独り言ちる。
 ボルサリーノは過度な干渉は嫌うが、懐に入れた一握りの人間相手には甘えたがるところがある。その一握りの筆頭であるサカズキにほったらかしにされて寂しいのだろう。普段が何を考えているのかわからないだけに、こうして垣間見える人間らしさに微笑ましさを感じてしまう。

「ボルサリーノ、もし時間があるならどこかで飲まんか?」

「おっ、いいねェ〜。じゃあうちに来なよォ、いい酒買ってあるんだけど、晩酌相手がいなくてねェ」

「俺は構わんが、後でサカズキに何か言われるんじゃないか?」

「いいんだよォ、どうせ今日も帰ってこないんだしィー……家にいない奴に文句言われる筋合いねぇよ」

 どうやら寂しさを通り越して怒りを感じているらしい。表情は変わらずとも、纏う空気に僅かに険しさが混じっている。仕事も忙しく私生活もままならなくて相当ストレスが溜まっているのだろう。今日はとことん飲んでガス抜きをさせた方がいい。

「そうか、なら遠慮せずに邪魔するとするかのう」

気を逸らせるためにボルサリーノの肩を抱き、そのまま並んで歩き出した。

■■■

ぷるぷるぷる、と。近くで電伝虫の鳴く声がする。目を覚ましたテンセイは、上体を起こして寝ぼけ眼を擦りながら辺りを見回す。
自分の家ではない、かと言ってまったく見覚えのないというわけでもない部屋。畳の上に放り投げられた己のものである黒色のスーツと、派手な黄色のストライプのスーツ、二本のネクタイ。

「ン〜〜……」

未だに鳴り続ける電伝虫の鳴き声に混じり、微かな寝息が鼓膜に届く。気配のする方へと視線を落とすと、自分のすぐそばでボルサリーノがその長駆を猫のように丸めて眠っていた。
その滅多に見ることのない寝顔を見て、ようやく昨夜のことを思い出す。

――――まったく、いい歳して酒盛りして寝落ちとは、俺たちもまだまだ若いな。

あの後ボルサリーノに誘われるまま家に上がり込み、珍しい酒や「簡単なものしか作れねぇけど」とボルサリーノが作ってくれたつまみで大いに飲み食いしながら他愛のない話で盛り上がった。特に、ボルサリーノのサカズキへの愚痴と惚気を肴に大変酒が進み、想定したよりもかなり深酒をしてしまったようで、到底家に帰れそうにないテンセイにボルサリーノが泊まっていけと提案してくれたのだ。
帰宅の憂いがなくなったテンセイとまだまだ話し足りないボルサリーノは更に飲酒を重ね、日頃の疲れが溜まっていたのもあいあまり酷い眠気に襲われた。歩くどころか指一本動かすのも億劫だったが、さすがに畳の上で雑魚寝してもピンピンしているほど若くはないことを二人とも理解していた。
二人してなんとか布団を一枚敷き、スーツとネクタイを放って布団にダイブすると、あとは夢の世界まで直行コース。そして現在に至るというわけだ。

「うっ……さすがに羽目を外しすぎたか……」

ズキズキと痛む頭を抱えて独り言ちるテンセイの声は、深酒のせいかひどく掠れている。今日は休みだし、もう一度寝ようかと考えるテンセイを電伝虫が遮る。
時計を見るにまだ朝早いというのに、どこのどいつだと自分のスーツをまさぐって電伝虫を探す。しかし、胸ポケットに入れてあったテンセイの小電伝虫は大人しく目を閉じていた。ということは……、

「……ボルサリーノ、起きんかい。お前の電伝虫が鳴っとりるぞ」

隣で眠るボルサリーノの肩を揺すって起こそうと試みるが、ボルサリーノは小さく声をあげるだけでまったく覚醒の気配がない。海軍最大戦力がそんなんでいいのかと自分のことを棚に上げて考えつつ、耳障りな鳴き声を止めたくてダブルスーツのジャケットに手を突っ込むみ、ガチャリと受話器を取る。

「もしもし、あー、ボルサリーノなんだが……」

『…………何故おどれが出るんじゃ、テンセイ?』

まるで地獄の底から這い出たような、低い声が受話器越しに届く。どうやら電話の相手はサカズキのようだ。
強面が多い海軍の中でも、殊更に強面なサカズキは普通にしていても怒っているとよく勘違いされているが、今日は正真正銘……しかも本気の怒り状態のようだった。

『ボルサリーノはどうしたんじゃ。どこにいる、何故電話に出ない?』

またイッショウかアラマキのどちらかが――――いや、両方かもしれない――――何かやらかしたのだろうかと心配していると、サカズキはこちらの返答も聞かずに更に質問を寄越してくる。
まだ昨夜の酒と眠気がテンセイは、ありのままの事実を、そのままサカズキに説明した。

「お前さんらの家で、ボルサリーノなら俺の隣で寝ているが……」

『――――……』

爽やかな朝に似つかわしくない、重苦しい沈黙が流れる。せっかく質問に端的に答えたというのき、何故無言なのか。

『おどれ……わしのもんに手ぇ出しといてぬけぬけと……すぐに行くけぇ、そこで首洗って待っちょれ』

ようやく口を開いたかと思うと、サカズキはそう吐き捨てると一方的に通話を切ってしまった。
ツー、ツーと鳴く電伝虫の受話器を握ったまま暫くボーッとしていたテンセイだったが、徐々に脳が本格的に覚醒していくにつれて、サカズキがとんでもない勘違いをしていることに気づいて青ざめる。

「……まずい」

慌てて起き上がり、隣のボルサリーノを激しく揺する。

「おい! ボルサリーノ!! 起きるんだ!!」

しかし、自慢の光速はどこへいったのやら。ボルサリーノは瞼を閉じたまま寝こけ、更には寒いのかテンセイの胸に擦り寄って気持ちよさそうにしている。あまりにも穏やかな寝顔に、起こすのは可哀想だと一瞬罪悪感を感じたが、彼が起きてくれないと今日がテンセイの命日となるだろう。

「頼む!起きろ!起きてくれボルサリーノーー!!」

サカズキが到着するまであと十数分。こんなことならば仕事をしていれば心底後悔しつつ、テンセイはボルサリーノの名を叫び続けるのだった。

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