好奇心は雉を殺す
「もし人為的に覇気、もしくはそれに準ずる力を誰でも簡単に使えるようになったらどうだろうか。覇気の習得にはそれなりの歳月と鍛錬という手間がかかるし、個人差もある。ならば、科学の力で末端の海兵たちでも覇気が使えるようになれば、大幅な戦力増強が見込めることだろう」
何やら複雑な機械を物凄いスピードで弄りまわしている壮年の男の声は、クザンに話しかけているというよりも独り言のように独りよがりで、こちらの返答などまるで気にしていないようだった。
「そこで、だ。わしは覇気の中でも特に見分色の覇気に注目してみることにした。見分色一つ取ってみても、その能力も様々だ。いくらわしが世界一の天才科学者だとしても、いきなり全てを兼ね備えた装置を造るのは難しい。科学者は最初から完璧を目指すのではなく、トライアンドエラーを繰り返し、追求し続ける者だ……話が逸れたな。見分色の中でも少し先の未来を見る者、広大な空間認識能力に長ける者、そして……人の心が読める者がいるそうだが、とりあえず一番着手しやすそうな人の心を読む装置を発明してみた。ので、お前今日一日これを装着して使い心地をわしに報告しろ」
いつものように執務室で寝転がってサボっていると、滅多に来ないセンゴクが突然訪ねてきて「お前はまたサボりおって!大将がそんなでは周りに示しがつかないだろう!!」と説教を食らう羽目になった。
それだけならまだよかった。長々と説教をされるのには慣れているので特に苦にならないのだが、センゴクはクザンのナメた態度を見透かしたのか「ちょうどいい、暇そうなお前に任務をやろう」と首根っこを掴んで連れてきたのが、このDr.ベガパンクの研究所だ。
Dr.ベガパンク。会ったことがないわけではないが普段はまったくと言っていいほどに接点がない、世界一の頭脳を持つ天才科学者。
実のところ、クザンはあまりこの人物が得意ではなかった。先述のとおり、彼とは接点がないから好きにも嫌いにもなりようがないはずなのだが、目的の為なら平然と人として超えてはならない領域に手を出してしまうところがどことなくあの男を連想させるからかもしれない。
そんなクザンの心の内など知らないセンゴクは、一心不乱に手を動かすベガパンクの元にクザンをポイっと投げて、
「私の代わりに彼がモルモッ……モニターになってくれるそうだ」
と、一言だけ残して足早にその場を後にしてしまった。いや、モルモットって言いかけたの聞こえてるから。まさかとは思うが腹を搔っ捌いて人体実験でもされるのだろうか、これでも最大戦力の一翼を担っているのに。
戦々恐々としながらベガパンクの出方を窺っているところで、冒頭に戻る。
ベガパンクは何の変哲もない手袋が一組と手のひらに収まってしまう小さな箱をクザンの方へと差し出す。断れない雰囲気に流されて箱を受け取り開けてみると、中には軸の短いしめじのような奇妙な形の物体が二つ収まっていた。
「なによこれ、キノコ?」
「んなわけあるか。この手袋を装着した状態で接触した人間の考えていることが耳につけた端末から聞こえてくるという装置じゃ。ちなみにこれは動物や無機物の心は読めん。もし読み取ろうとしてもエラーになる仕様にしてあるからそこは報告しなくていいことを先に言っておくぞ」
「マジかよ!……でも触らなきゃ読めないのって、実戦で使うことを考えると微妙じゃない……?」
「そんなことわかっとるわ!この試作機でデータを取ってから改良していくんじゃ、素人は黙っとれ」
煩わしそうに一喝すると、ベガパンクはクザンの耳にぞんざいな手つきで装置をつけ「さっさと行け」とパシフィスタを使ってクザンを研究所の外へと追い出した。
それが人にものを頼む態度か?と文句の一つも言いたかったが、パシフィスタの口径が明らかにこっちを向いているのでやめた。別に負ける気など微塵もないが、海軍本部の敷地内で騒ぎを起こしたら更に面倒なことになるのは目に見えているからだ。
「はぁ……仕方ねぇ、適当に人がいそうなとこに行って試してみますか……」
気乗りしねぇなぁ、と。ボリボリと頭をかきながら踏み出した一歩は重い。自分がわりかし助平であることは自覚しているが、さすがに積極的に人の心を読みたいと思うほど下世話ではなかった。
ふと、クザンの視線の先で猫が大きな口を開けて欠伸をしていた。毛のツヤツヤとした茶トラで、おそらくは飼い猫だろう。
先程ベガパンクが言っていたことを思い出し、猫に警戒されないよう明後日の方向を向いたままゆっくりと近寄り、やさしく背中を撫でる。すると、ビーッという警告音と共に「感情の発露が確認できません」と、男とも女ともつかない合成音声が流れてきた。
次いで、そばに落ちていた小さな石ころを手に取ると、またしても警告音と共に「感情の発露が確認できません」の音声。
「なるほどね〜、こうなるわけか……どうせならネコちゃんの気持ちがわかる装着を作ってくれりゃいいのになー?」
お前もそう思うだろ?と話しかけても、猫はクザンに一瞥もくれることもなく毛繕いに勤しんでいた。
「ハァ〜〜……なんなの?今日はみんな揃いも揃って俺に冷たくねぇか?俺大将よ?もっと大事にしてくれてもバチは当たんねぇのによぉ」
「…………クザン、お前何をしているんだ?」
返事がないのをいいことに、猫に向かって愚痴を垂れていると、背後から低い声と見知った気配を感じる。振り返ると、G-5支部にいるはずの友人のスモーカーが冷ややかな目でこちらを見下ろしていた。
「スモーカーじゃねぇの!どうした、本部に来るなんて珍しいな」
立ち上がっていつものようにスモーカーの肩に手を置くと、装置から「億超えの海賊を捕縛したんでな、護送のためだ」と聞こえてきた。装置のことを忘れていた、と一瞬申し訳ない気持ちになったものの、まぁスモーカーが相手なら何だかんだ許してくれだろうと開き直る。
「次にお前は、『億超えの海賊を捕縛したんでな、護送のためだ』……と言う!」
「億超えの海賊を捕縛したんでな、護送のためだ……ハッ?!って、なんなんだテメェは!?」
「いやぁ、ちょっと野暮用を押しつけられててな……まぁ気にするな!ゆっくりしてけよ!」
「なっ!クザン、お前絶対にろくなことしてねぇだろ!おい!」
追及されて本当のことを白状すればスモーカー愛用の海楼石の入った十手でぶん殴られそうなので、適当に誤魔化してその場を退散する。
その後、大量の食材を運ぶのに難儀していた食堂のおばちゃんやら仕事に悩んでいる部下で試してみたが、的中率はほぼ百パーセントと言って過言はなかった。
それにしても、ベガパンクに対して半信半疑であったが、試作機でこの精度ならゆくゆくは本当に見聞色の覇気と同等の力を誰でも手軽に会得することが可能だろう。
(さて、こんだけ試せばまぁ、ベガパンクも満足でしょうよ)
何人以上に試せとノルマが課せられていたわけでもなし。さっさと終わらせてまた執務室でダラダラしようと廊下を歩いていると、とある部屋の手前まで差し掛かっていることに気づく。
――――もしかして、ボルサリーノの心も読めたりして……。
自分と同じ大将である同僚のボルサリーノは、クザンの恋人でもあった。海軍学校時代からサカズキと共に頭一つも二つも抜きん出ていた彼は、二期下とはいえ実年齢はひと回りも離れているクザンからしてみればまさに高嶺の花。
しかし、そんなことで諦めるクザンではない。何十年も地道にアプローチを続け、ボルサリーノに相応しい人間になるべく海兵として成果をあげて大将にまで昇りつめ、口説きに口説いた末に結ばれたのはつい最近のこと。
お互いいい歳なので恋人がやるようなことは一通りやったし、今日も仕事が終わったらクザンの家に泊りにくる約束もした。片思い期間の長さから見ればこれ以上ないくらいしあわせなのだが、人間の欲とは際限がない。ひとつ手に入れれば、もっともっとと求めてしまう。
ボルサリーノは飄々としていて底が読めない人物であったが、それは恋人になった今も変わらないように思う。クザンに対しても、恋人同士の触れ合いはするものの、向けられる感情に自分と同じような熱量を感じられなかった。
彼の方が年上だし、プライドも高いから若い恋人たちのように感情をむき出しにした付き合いをするのを躊躇っているのかもしれないし、他に理由があるのかもしれない。
クザンはもっとボルサリーノの深い部分まで知りたかった。誰にも見せたことのない心の内を、クザンにだけは曝けだして、愛させてほしい。
こんな方法をとるのは卑怯であることは理解していたが、多少強引にいかなければ彼の分厚い心の壁を壊すのは困難だろう。誰に咎められたんけでもないのに都合のいい御託を並べながら、逸る鼓動を隠して執務室のドアを叩く。
「どうぞォ、開いてるよォー」
聞きなれた間延びした声が入室を許可する。きっとノックをしたのがクザンだとわかったのだろう、どこか笑みを含んだ声色に少しだけ緊張が解れた。
「ボルサリーノ」
「オ〜、クザァン……またサボりに来たのかい?」
しょうがない子だねェ、とボルサリーノは細いタレ目を更に細めてクザンを見据える。五十手前の男をまるで幼子のように扱う態度に、クザンの胸中には擽ったさと焦れったさが綯い交ぜになる。
「サボりじゃねぇって、俺これでもひと仕事終えた後よ?」
「へェ〜……?」
サングラス越しに疑わしげな視線をひしひしと感じる。確かに、この部屋を訪れる時はほとんどが仕事をサボってる時だが、ここまで信用がないとは……。
「まぁ、そう言いなさんなって、長居はしないからさ。ほら、ボルサリーノも少し休憩したほうがいいんじゃないの?」
勝手知ったるとばかりに革張りのソファに座り、ポンポンと座面を軽く叩いて「こっちに来てよ」とボルサリーノを誘う。すると、丁度仕事に一区切りつけたところだったのか、ボルサリーノはペンを置くとゆったりとした足取りでクザンの元まで歩み寄り、長い脚を畳んですぐ隣に腰をおろす。
彼が愛用している香水と体臭に混じって、微かにバナナの甘い香りが鼻をくすぐる。職務の合間におやつとして食べていたのかな、なんて考え、可愛らしくて思わずニヤけてしまう。
(ボルサリーノってめちゃくちゃいい匂いするんだよなぁ、ずっと嗅いでたい……)
なんて、思っている場合ではない。自分の本懐は別のところにあるのだ。
クザンは不自然に見えないよう注意を払いながら、そっとボルサリーノの手を握る。氷を操る能力に反して体温の高いクザンよりもひんやりとした骨ばった手の甲に熱を分け与えるように包み込む。
普段はほんの僅かばかり見上げる位置にあるボルサリーノの顔が、今はすぐ隣に並んでいる。しっかりと視線を合わせる。
「……好きだよ、ボルサリーノ」
何百回告げたかわからない愛の言葉を紡ぐ。大抵ボルサリーノは「わっしもだよ」と笑って答えるのだが、本心ではどう思っているのだろうか。
期待で胸を躍らせながら、耳に装着した端末から聴こえてくるであろうボルサリーノの心の声に耳をすませる。
しかし、聴こえてきたのはクザンがまったく予想だにしないものだった。
「はいはい、わっしのことが好きなのは十分知ってるよォ〜」
『感情の発露が確認できません』
ビーッと耳障りなエラー音と共に、合成音声が流れる。それは先刻、猫や小石の心を読もうとした時と、同じ反応だった。
嫌な汗が背中を伝う。きっとやり方が悪かったのだろう、もう一度やり直せば……、
「俺は、ボルサリーノのこと、愛してるよ。ずっとずっと昔から、あんただけ見てたんだ」
「オォー、ありがとねェー」
『感情の発露が確認できません』
「…………ボルサリーノは?俺のこと、どう思ってる?」
「なんだい、今日は随分と欲しがりだねェ……なにか嫌なことでもあったのかい?」
ボルサリーノは目をキョトンとさせて不思議そうにクザンを心配する、素振りを見せる。
『感情の発露が確認できません』
「いいから、ちゃんと答えてよ」
鳴り止まないエラー、無慈悲な合成音声。それらを振り払うかのように、彼のお気に入りである最高級品のツーピーススーツに皺がつくのも気にせず胸ぐらを掴んで、縋りつく。
ビームのひとつやふたつ飛んできてもおかしくない狼藉を咎めることなく、ボルサリーノはクザンの癖のある髪を撫でつけて、先程クザンがしたように視線がしっかりと絡ませる。
幼い子供の癇癪を微笑ましく見守るような、穏やかな笑み。いつもボルサリーノがクザンに向けるものと、二十八年前、クザンがボルサリーノに心を撃ち落とされた時と、同じ――――……。
「そりゃあ勿論……」
「あいしてるよォ」
『感情の発露が確認できません』
◾︎◾︎◾︎
ベガパンクには悪いと思ったが、あの装置はクザンの独断で破壊した。
神であれ、世界一の天才科学者であれ、人の心など覗くべきではない。
後日、勝手なことをしてさぞお叱りを受けることだろうと思いきや、ベガパンクは顔色ひとつ変えずに横目でクザンを一瞥し「そうか、ご苦労」とだけ言うと、また次の何某かの開発へと戻っていった。
忙しなく動き回る白衣の背中に小さく頭を下げ、クザンは研究所を後にする。
空はすっかりと日が沈み、星々がクザンに語りかけるかのように大小様々に瞬いている。
――――馬鹿馬鹿しい。星がなにかを考えたり、感じたりするわけなどないのに。
どれほど焦がれ欲しようとも、頭上で輝く星はただ悠然と輝くのみ。手を伸ばしたところで、永遠に届きはしない。
「ただいまー、帰ったよ……ボルサリーノ」
「クザン、おかえりィ〜」
自宅に帰れば、リビングでボルサリーノが読書をしていた。今日は冷えるからか、暖炉に火を焚べただけでなく、細長い体をすっぽりとブランケットで包んでいた。
普段は身嗜みに気を遣い、スタイリッシュにキメているボルサリーノの芋虫のような姿に思わず笑みが漏れ、後ろから抱きしめる。外から帰ったばかりのクザンの体は冷たい外気を纏っているためか、ボルサリーノは「さむゥい」と体を捩って嫌がっていたが、クザンは構うことなくあたたかな布の固まりと化したボルサリーノを腕の中に閉じ込めて堪能する。
あの日、クザンはボルサリーノの心が空っぽであると知った。嫌われてはいないが、愛されてもいない。その事実にショックを受けなかったとは言わないが、それでもボルサリーノと別れるという考えには至らなかった。
ボルサリーノがクザンを愛していなかったとしても、クザンがボルサリーノを愛していることは揺るぎない真実だ。
たとえこのぬくもりがまやかしで、中身など在りやしない空虚だとしとも構わなかった。どうせクザンの人生の半分以上、この男に懸想して生きてきたのだから。
この命が尽きるまで、クザンは星に手を伸ばし続けるのだ。