悪果



子供を身篭った。それも海賊の……いや、ただの海賊ではない。いまや海賊王などと畏怖されるゴールド・ロジャーの右腕、生ける伝説となったシルバーズ・レイリーの子供だ。
自分とレイリーは恋人などではない。偶然相見えた際にちょっかいはかけられるものの、二人の間にそういった色っぽい感情は存在しなかった。
ならば何故レイリーの子供が腹の中にいるのかと問われと、事故だった、としか説明がつかない。不幸な偶然、最悪のタイミング……それらが重なった結果がこれだ。我ながら馬鹿すぎて涙が出てくる。
自分は妊娠をしても普通の妊婦のようにわかりやすく腹が大きくなるタイプではなかった。だから妊娠をしていると気づくのが遅れたのだ。いや、それでも中絶を選択することはギリギリで可能だった。
ボルサリーノには想いを寄せる男がいた。いつかその男と好い仲になれたらなどと、自分らしくもない乙女じみた妄想を何度もした。海兵としても順調に出世を重ね、想い人と肩を並べて海の治安を守る生活はそれなりに順風満帆だった。
それなのに、たとえそれら捨ててでも子供を諦めたくないと思ってしまったのだ。親に捨てられる悲しみをボルサリーノは幼い頃に経験したことがある。もしかしたら、お腹の子供にあの頃の自分を投影しているのかもしれない。父親が誰かなどどうでもいい、この子は海賊の子供でもレイリーの子供でもない、たったひとりのボルサリーノの子供だから。
子供を産むと決めてからのボルサリーノの行動は早かった。幸いにも誰にも妊娠は気づかれていない。普段通りを装って、最低限の荷物だけ持ち出して行方を眩ませてしまえばいい。
何事にも執着しない質ではあったが、想い人のことを考えると後ろ髪を引かれる思いだった。きっと彼はボルサリーノを許しはしないだろう。彼と離れるのは胸が張り裂けそうなほどつらいが、こんな馬鹿なことをしていると知られて軽蔑され嫌われるくらいなら、無二の親友といううつくしい思い出のまま消えてしまいたい。
だから、決行は彼の……サカズキが任務でマリンフォードを空ける日を選んだ。それなのに、どうして…………

「ボルサリーノ」

まるで地響きのように低く怒りの込められた声がボルサリーノを現実へと引き戻す。
敢えて人気の多い通りを選び、人波に紛れてマリンフォードを出るつもりだった。しかし、こっそりと小船を停泊していた先にサカズキが待ち構えていたのだ。船は見るも無惨に破壊され、慌てた踵を返したが既に退路は煮え滾るマグマによって塞がれていた。サカズキは逃げ惑うボルサリーノの長い三つ編みを掴み、一切の迷いもなく力任せに地面に叩きつける。咄嗟に腹を庇ったせいでろくに受け身もとれず、衝撃で脳が揺れた。なんとかして逃げ出そうと試みるも、ただでさえ体格差があるうえにマウントを取られた身重のボルサリーノの抵抗など、サカズキにとってみれば無いに等しいものだろう。
冷たく硬い地面に押し倒され意識を飛ばしているボルサリーノにのしかかり、その大きな手で生かさず殺さず、苦しみが長引くよう的確に首を締め上げる。

「覇気は込めとらん。おどれなら光になっていくらでも逃げられるはずじゃ……何故そうしない?…………腹のガキのためか?」

「ッ、サカ……ズキィ……!」

図星だった。確かに、光人間であるボルサリーノなら覇気の込められていない拘束など抜け出すのは容易い。しかし、自分が光になることでお腹の子供に影響がないとは言いきれない。妊娠を知った日からボルサリーノは戦闘において敵から距離をとり、主にビームを使って肉体を光に変えるのを抑えていたが、まさか気づかれていたとは思わなかった。

「…………そんなに、あの屑とのガキが大切なんか。わしを裏切って、海軍を抜けて、あの男のとこに行こうっちゅう腹積もりか」

「ち、」

違うと叫びたかった。結果としてサカズキのことを裏切ってしまったし海軍も辞めるつもりだったが、それは決してレイリーの為ではない。二度と会うつもりもないし、何よりもボルサリーノは今でもサカズキのことを愛していた。不可抗力とはいえ海賊などと子供を成したボルサリーノをサカズキが愛してくれるわけもない。だが、たとえ叶わなくとも生まれて初めて人を愛したのだ。その気持ちだけは本当だったし、誤解されたくなかった。
はくはくと唇を動かして言葉を紡ごうとするが、サカズキはボルサリーノの言葉など聞きたくないと言わんばかり首にかけた両の手の力を強める。

「そんなに孕みたかったなら、わしにしとけばよかったんじゃ……どうせ誰でもよかったんだろう?」

耳元で囁かれたサカズキのあんまりな言葉に、カッと目の前が赤く染まり、沈んでいた闘争心に火がつく。火事場の馬鹿力で脚を大きく振りかぶってサカズキの首を狙う。しかし、ボルサリーノの蹴りは片腕で簡単に受け止められてしまった。
片手が離れたことで僅かながら肺に酸素が流れ込み、ゲホゲホと激しく咳き込むボルサリーノをサカズキは冷たい双眸で見下ろしたかと思うと、脚を掴んでいた方の手をゆっくりと、まるで愛撫するかのように肌を滑らせて移動し、やがて微かに膨らんだ腹部に到達する。
ゴツゴツと節くれだった男らしいサカズキの熱い手のひらとは裏腹に、ボルサリーノは心臓に直接冷水をかけられたかのような底冷えする恐怖が全身を支配するのを感じた。払い除けたいのに、身体が硬直して指一本すら動かせない。
サカズキはボルサリーノの前髪を乱暴に掴んで引き上げて瞳を合わせる。縋るようにサカズキ、と唇を震わせる。聞こえていないのか、それとも聞こえていて無視をしているのか。サカズキは顔色一つ変えずにボルサリーノを鋭い視線で射抜く。
仏頂面で強面のサカズキが、ボルサリーノにだけ柔らかな顔を見せてくれるのがたまらなく好きだった。もう、あの表情が自分に向けられることはないのだろう。

「ボルサリーノ、今ここで腹を潰してわしと帰るか、それともガキと一緒に死ぬか……選べ」

無慈悲な選択を突きつけられる。いっそ、有無も言わさずに殺してくれたらいいのに、この男は"悪"に対して冷酷だ。

「は……サカ、ズキ……子供、だけは……助けてあげてよォ……」

「それは聞けんのぉ……腹のガキは悪果じゃ。悪党の血を引く子供はいつか必ず同じ道を辿る。放っておけば周囲のすべてを腐らせて破滅させるのが関の山。今ここで摘んでおくのが世の中の……おどれのためでもあるんじゃ」

「んなの……わかんねぇだろォ……、」

サカズキの言わんとすることは理解できないでもない。ボルサリーノとて、海軍に従事してきた身だ。家族ぐるみの海賊など珍しくもない。奴らは他者を傷つけ略奪することを疑問にすら思わずに生きている屑だ。
だけど、まだ産声すらあげていない赤子に罪はあるのだろうか?サカズキの言う通り、腹の子が将来あの海賊のような世間を揺るがす悪党になる可能性は捨てきれない。しかし、それはこの子に限った話ではない。ボルサリーノも、サカズキも、たまたま賊に身を堕とさずに済んだだけで、生まれながらに潔白ではなかったはずだ。

「ボルサリーノ」

サカズキが返事を迫っている。と言っても、赤ん坊を殺すという答え以外はきっと認めてもらえないだろう。
未来のことはわからない。ただ、もしこの子が道を踏み外してしまったのなら、その時に落とし前をつけるのが親なのではないか。少なくとも、今目の前にいるサカズキの役目ではない。
いつの間にか身体の震えは止まっていた。スゥ、と深呼吸をして心を落ち着かせて、しっかりとサカズキの瞳を見つめ返す。

「わっしは――――……」

怒号と共にサカズキが右腕を振り上げた瞬間、赤ん坊が生きたい、と叫ぶように腹を蹴ったような気がした。

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