ままならない



※共闘√生存if
※モブレ、自傷行為描写あり。



――――怪物と戦う者は、その際自分が怪物にならぬように気をつけるがいい。 長い間、深淵をのぞきこんでいると、深淵もまた、君をのぞきこむ ニーチェ

「じゃあ行ってくる。仕事を片付けたら途中で買い出ししてくるから、帰りは少し遅くなる」

「ああ。いいか、くれぐれも……」

「トラブルは起こすな、だろ?ったく、もう聞き飽きたっつーの。今まで問題なかったんだ、心配すんなよパパ」

「……そう、だな。悪い、どうしても神経質になるんだ……昔、ミアにも言われたよ。気をつけて行ってこい」

「おう」

 なんか美味いもん買ってきてやるよ、と冗談めかしく言うとハイゼンベルクは自身の大作であるトラックに乗り込んで家の敷地から出ていった。トラックが見えなくなるまで見送ると、イーサンは玄関のドアを閉めて鍵をかける。ここはとある国の田舎町の、更に郊外に位置する。若者はより選択しの多い進学や就職のため都会へと出て行ってしまい、子供より老人の方が多い寂れた町が今のイーサンとハイゼンベルクの住処だ。
 一年前のあの日。イーサンはルーマニアの山奥の忌まわしき村で娘を攫った妄執の魔女を打ち倒した。しかし、悪い魔女を倒してもおとぎ話のようにめでたしめでたしとはいかないのが現実だ。ミランダを倒してこの世のなによりも愛しい娘を取り戻しても、殺されたと思っていた妻のミアが実は生きていているという奇跡が起きても、イーサンは二人と共に元の生活に戻ることはできない。
 何故なら、自分は人間ではないからだ。三年前、行方不明のミアを探しに訪れたベイカー邸で、イーサンはとっくに死んでいたのだ。ジャック・ベイカーに殺されたはずのイーサンはE型特異菌に適合し、カビ人間として生き返ったのだと死にかけて片足を突っ込んだ菌根の世界でエヴリンにより真実を突き付けられた。信じたくはなかったが今までの出来事で思い当たる節がいくつもあったし、心臓を抉り取られてなお動き続ける己の身体を目の当たりにすれば認めざるを得なかった。
 今まで散々人狼だの竜だの勝手に動く人形だの巨大魚だの機械仕掛けの巨人だのと戦ってきたのに、他ならぬ自分自身も化け物だったのだから笑えない話だ。
 生物兵器として強力な力を持つE型特異菌。四貴族やミランダとの死闘でその生命力を殆ど使い果たし大した力が残っていないとはいえ、その完全適合者ともなればエヴリンを創り出したような犯罪組織が放っておくわけがない。自分のせいでミアとローズがこれ以上危険な目に遭うのだけは何としてでも避けたかった。特にローズは、ミランダの言う通り特殊な力を持っている。きっとこの先色々な困難が彼女を待ち受けることだろう。本当はそばで守ってやりたい、何も心配しなくていいんだよと抱きしめてあげたい。だが、そんな資格はない。自分はあの村で出会った悍ましい化け物と同じなのだから。
 しかし、ローズをクリスに託し、どさくさに紛れて奪い取ったN2爆弾を起爆して菌根もろともあの村と心中するつもりだったのに、イーサンはこうして生きてここに立っている。それは偏に、共闘関係を結んでいた四貴族の一人、カール・ハイゼンベルクのせいだった。ミランダを倒し長年の復讐を完遂したのだからさっさと逃げておけばよかったのに、ハイゼンベルクは何故か爆発の瞬間に自身の金属を操る能力を駆使してイーサンを庇ったのだ。もう二度と目覚めるはずがなかったのに、気が付けば跡形もなく吹き飛んだ瓦礫の下でハイゼンベルクと倒れていた。
 そんなこんなで生き残ってしまったイーサンは、ハイゼンベルクと共に各地を転々とする根無し草の生活を送っている。イーサンは異形の存在であることを隠すため、ハイゼンベルクはBSAAなどのバイオテロを取り締まる組織を出し抜き自由に生きるため。ミランダを倒すという共通の目的を失ったにもかかわらずズルズルと行動を共にしていた。
 最初はこの男との生活が上手くとは露ほども思っていなかった。あの村ならともかく、現代の社会であんな粗野で残忍で自分勝手な男が馴染めるはずがない、どうせすぐに問題を起こして厄介なことになる。イーサンは二度と家族とは会えない消化試合のような人生をひっそりと過ごすつもりなのだ。
 傷が癒え生活の見通しが立つまで仕方なくと思っていたはずなのに、ミランダの呪縛から解放されたハイゼンベルクは村にいた頃よりはるかに理性的だった。暇さえあればどこからかかき集めてきたジャンクパーツで黙々と本人曰く『最高にイカす』モノを作り、褒めて欲しそうに得意気な顔をしてこちらを見てくるような、そんな男。
 それなりに喧嘩もするけど、想像よりもはるかに穏やかで、豊かではないが不足のない生活を送っている。正直、しあわせ、とも感じていた。心に空いた二人分の穴は到底埋まらなくとも、ハイゼンベルクとのささやかな日常が少しずつイーサンの寂しがりな心を癒していった。
 いつか自分の命が尽きるまで、この安らかな日々が続けばいいのに。そう思えば思うほど、イーサンは恐れた。突然ミアが失踪したように、ローズが攫われたように、いつかハイゼンベルクもイーサンの前から居なくなってしまうのではないか。永遠に思える幸せが一瞬で崩れ去っていく様を、イーサンは二度も体験している。ハイゼンベルクはよくイーサンのことを鋼の精神などと揶揄するが、本当は不安で仕方がないのだ。
 特に今日みたいにハイゼンベルクが一人で仕事に行ってしまい時なんかは、行かないでくれとみっともなく縋りついてしまいそうになるくらい。だが、なるべく人と関わらずに生きるというイーサンの望みに寄り添い人間関係が希薄な生活を送るハイゼンベルクが、唯一外界と接触できるのが仕事をしている時間だというのも理解している。本当はもっと自由に行きたいはずなのに、自分のせいでハイゼンベルクを縛り付けているのではないかと思うと、イーサンは自分が酷く薄情で我儘な人間に思えた。だから、叫び出したくなるような不安を必死に押し殺して、ハイゼンベルクが帰ってくるのを一人待つのだった。
 ハイゼンベルクを見送ったあと、後ろ向きになりがちな心を誤魔化すようにイ家の掃除や洗濯といった家事に没頭する。それが終わると今度は在宅でできる仕事に、それが終わると次に住む場所の候補をネットで探したりと、とにかくなにかしていないと自分を保てなかった。
忙しなく頭や体を使っていたせいか、いつの間にか外はすっかり日が暮れていた。
 そろそろ夕食の準備をしなくては。ハイゼンベルクもあと一、二時間したら帰ってくるだろう。イーサンはパソコンを閉じ、今日の献立はどうしようかと思案していると、不意に玄関のベルが鳴らされ、ビクリと肩が跳ねる。
 ハイゼンベルクは鍵を持っているからベルを鳴らしたりしない。この町には知り合いもおらず、近所付き合いもない。この家にはもう三ヶ月住んでいるが、今まで一度だって誰かが訪ねてきたことなんてない。
 息を殺してじっとドアを見つめていると、今度はドンドンと勢いよくドアを叩く音がした。次いで「すみません、誰かいませんか!?助けてください!」と若い男の声。
 本当ならこのまま居留守をしていたかったが、根はお人好しなイーサンはドアの向こうの緊迫した様子の男が放っておけず、念の為ポケットナイフとハンドガンを忍ばせてからゆっくりとドアを少しだけ開けた。
 そこにいたのは大学生くらいの若い男が二人。なにかスポーツを嗜んでいるのか二人とも体格がいいが、一人はぐったりとしていて肩を貸してまらって何とか立っているといっ感じだった。二人ともこんな田舎には似つかわしくない華やかで都会的な雰囲気をしているのが少し引っかかった。
 イーサンが顔を出すと男は安心したのか「よかった、人がいた」と胸を撫で下ろしていた。

「あの、どうかしたのか……?」

「すみません、僕たち長期休みを利用して車で旅をしていたんですが、こいつが突然体調を崩してしまって……運悪くスマホも充電が切れちゃってて……厚かましいのは承知だけど電話を貸してもらえないかな」

「そうか……それは災難だったな。なら俺のスマホを貸そう」

「あ、あとできたら少しこいつを横にしてやりたいんだけど……ずっと車のシートだと休めなくて」

「あ、ああ……どうぞ」

 電話を貸すくらいなら、とスマートフォンを渡そうとすると、男は矢継ぎ早に捲し立ててくるため、イーサンも押されて思わず中に入れてしまった。
 男たちは家の中に入ると、カチャンと手馴れた手つきで内鍵を閉めた。まるでイーサンの逃げ場を塞ぐように。
感じていた違和感が強まり、やっぱり外に出るように言おうと振り返った瞬間、後頭部に鈍い衝撃が走った。

「う゛ッ……!」

 殴られたと気付いた時にはもう遅く、体の力がフッと抜け、床に倒れ込む。グラグラと不安定に揺れる視界に映るのは、警棒のようなものを手にしている男と、先程まで具合が悪そうだった男がピンピンした様子で下卑た笑みを浮かべてイーサンを見下ろす姿だった。

「な、にを……っ!」

「ははっ、ジジイとババアしかいないしけた田舎かと思って萎えてたけど、あんたみたいな美人がいてラッキー」

「ちょっと歳いってるけど、まぁいいや。突っ込んじまえば一緒だし」

 ケラケラと笑いながら悪びれもせずに言う男たちの醜悪な姿にイーサンは吐き気を覚えた。どうにか体勢を立て直そうと藻掻くが、おそらくこれが初犯ではないのだろう。的確に急所を狙って打ち込まれた一撃に未だ力が入らず、起き上がることもままならない。

「はな、せ!この……クソッタレッ!」

「おっと暴れんなよ。あんたも痛い思いしたくないだろ?」

「そうそう。俺たちとちょっと気持ちいいことするだけだって。こんな田舎に一人でさぁ、溜まってんだろ?」

「ふざっ、けるな……!」

「あっ、もしかしてこういうのハジメテ?じゃあ優しくしてあげる」

 言うや否や、男の手がイーサンのシャツにかけられる。ボタンが弾け飛びそうな勢いで前を開かれ、下肢に纏っていたズボンも下着ごと一気にずり下ろされた。外気に触れた肌がぞわりと粟立つ。

「な……っ!?や、めろっ!」

「あはは、真っ赤になっちゃってかーわいいー。ほら、ちゃんと撮れよ」

「わかってるって」

 前髪を掴まれ、いつの間にか構えていたハンディカメラのレンズの方へ顔を向けさせられる。どうにか逃れようと首を振れば今度は頰に平手打ちが飛んできた。じんわりと鈍い痛みに生理的な反応で涙が滲んだが、卑劣な連中に屈したくなくてキッと睨みつけると、軽薄だった男たちの表情に興奮の色が混じり始める。

「あんたのその生意気そうな表情、そそる……めちゃくちゃに泣かせてやりたくなるよ」

「ひっ……」

 我慢できないとばかりに男が覆い被さってくる。肌蹴た首筋に顔を埋め、白い膚を生暖かい舌が這い回る。ねっとりと舐め上げられ、ズボン越しでもわかる男の勃起したペニスを太腿に押し当てられ、イーサンはヒュっと血の気が引き、心臓が底冷えするのを感じた。ぐにゃりと視界がねじ曲がり、胃がせり上がってくる。それと同時に、あの村での記憶がフラッシュバックする。

 ────あの村でも、何度もライカンに襲われて噛みつかれたっけ。その度に俺は奴らの頭を吹っ飛ばしてやったんだ。だってそうだろ、あいつらは化け物なんだ。殺さなきゃ、俺が殺されてた。殺さなきゃ、殺さなきゃ、化け物は……殺さないと。

 痛みと恐怖で固まっていた身体が嘘のように思い通りに動いた。イーサンは隠し持っていたポケットナイフを素早く取り出すと、馬鹿みたいに自身の肌を舐めしゃぶっている男の頸動脈目掛けて躊躇いなく刃を突き立てる。

「ギャアッ!?」

 ぶちぶちと肉の繊維を断ち、刃が皮膚を裂く手応え。陳腐なスプラッター映画のように吹き出す鮮血のあたたかさ、皮膚を切り裂き肉を穿つ感触にイーサンは瞳を虚ろにさせて笑う。
 そうだ、これだ。こうすれば奴らは何もできないんだ。
声を出すこともできず、ゴポゴポと血泡を吹きながらイーサンの上で男が痙攣する。重たいし汚いので両手で押し返すと、べしゃりと無様に床に転がった男は二度、三度床を掻き毟ったあと動かなくなった。
 イーサンはゆっくりと立ち上がると、絶句したまま未だにカメラを構えて震えているもう一人の男に銃口を向ける。

「ひ、ひぃっ!た、助けて……ッ」

 男は涙ながらに命乞いをしてくるが、イーサンは無表情のまま躊躇いなく引き金を引いた。男の額に穴が空き、どさりとその場に倒れ込む。
イーサンは荒い息をしながら、糸が切れたようにその場に座り込んだ。

「はぁ、はぁ……っ、はぁ……!」

 殺した。化け物はみんな殺した。これでいいんだ、だってこいつらは人間じゃない、人間じゃない、人間じゃ────……。

「ぁ……、うぁ……っ」

 違う。人間なんだ。たとえイーサンをレイプしようとするような連中とはいえ、あの村でイーサンに襲いかかってきた人狼とはわけが違う。
ただの人間を、殺した。躊躇いなんてなかった。殺されて当然、死んで当然とさえ思っていた。違う、そんなはずはない。いくらこの身が人間ではないとはいえ、心まで化け物になったつもりはない!頭の中でガンガンと警鐘が鳴り響き、イーサンは頭を掻きむしった。しかしいくら否定しようとも、この手で確かに人間の命を奪ったのだ。その事実は変わらないし変えようがない。
 
「は、はは……化け物は……俺じゃないか」

 血溜まりに映るイーサンの姿は、自分が倒してきたどの化け物より醜く思えた。
 イーサンの心の最後の防波堤がガラガラと音を立てて崩れていく。血にまみれた我が家に、乾いた笑い声だけが響く。
 床に転がったハンドガンを拾い上げると、こめかみに銃口を当てる。引き金にかけた指先がカタカタと震える。平気で人を殺すくせに、死ぬのが怖いなんて滑稽だ。

「ーーーー化け物は、ころさないと」

 もう二度と会えない両親や祖母、友人たち、そしてローズとミアの顔が次々と浮かんでくる。最期にあの陽だまりみたいなぬくもりをこの手に抱きたかったと願ってしまうが、この手は既に穢れてしまった。もう、ローズを、ミアを愛してるなんて言う資格もない。むしろ、ここで一人静かに死ねば二人の中では『娘を守って死んだ勇敢な父親』でいられるのだ。それだけで十分じゃないか。
 そう必死に自分に言い聞かせ、イーサンはギュッと目蓋を強く閉じて大きく息を吐く。そして躊躇いを振り払うかのように一気に引き金を引いた瞬間、あの時イーサンを庇ったハイゼンベルクのやけに必死な表情が過った。

 ーーーー悪いな、夕飯も作ってないし、せっかく助けてくれたのに……ごめん。

 何度も聞いた渇いた銃声と命の終わる音が自分の中で聞こえる。まるでパソコンを強制終了したみたいにブツリと意識は途切れ、やがて何も感じなくなったーーーー……。


***

「ハイ、ゼンベルク……ハイゼンベルクッ……も、っと……あ、あぁっ、う……」

 元々細身だったが、この一年ですっかりと窶れてしまったイーサンの白い腕が、脚が、ハイゼンベルクの身体へと絡みつく。どこまでも諦めが悪く生命の煌めきを湛えていた青い瞳はがらんどうのようで、ただハイゼンベルクが与える暴力的な刺激だけを求めてもっと苦しめてくれと、もっと酷くしてと強請ってくる。

「おねがい、だから……っ」

「……ッ!くそ……!」

 もう何度目になるだろうか。ハイゼンベルクはイーサンの身体を乱暴に揺さぶって、その胎の中に精を放つ。するとイーサンも声もなく絶頂を迎え、ビクビクと身体を痙攣させた後まるで事切れたかのように意識を飛ばした。

「ッ、はぁ……クソっ……」

 ぐったりとして動かなくなったイーサンの中からずるりと自身を抜き出すと、何度も注いだ白濁がこぽりと溢れて褐色の肌を汚す。途端に何ともいえない罪悪感と自己嫌悪にまみれながら手早く後始末をすると、ハイゼンベルクはベッドに腰掛けて頭を抱えた。
 一体なぜこうなってしまったのか。なんて、言うまでもない。一か月ほど前、仕事を終え仮住まいの家に帰ってきたハイゼンベルクを待っていたのは、見知らぬ男の死体が二つ。そして血溜まりに蹲る血の気のないイーサンの姿。
 嫌な予感はしていた。このところどこか元気のないイーサンのためにと思い、仕事終わりに少し遠くまで足を延ばしてそれなりに値の張るワインとチーズなんかを買いにいったのがよくなかった。
 普段より遅い時間に帰宅すると、まず家のそばに見覚えのないバンが停まっていた。ハイゼンベルクたちはわざわざ人目を避けて辺鄙な場所に住んでいる。この辺は大きな街へと向かう通り道でしかなく、わざわざ車を停める人間など、この三ヶ月間見たこともない。
 ハイゼンベルクは気配を殺して不審なバンに近づく。聞き耳を立てても中から特に音は聞こえず、人の気配もない。ただ、スモークガラスで中が見えにくいようになっているのは引っかかった。一応窓を叩いて声もかけてみたが、やはり中には誰もいないようだ。
 再三言うが、ここは片田舎の辺鄙な場所だ。あるのは街へと続く道と、ハイゼンベルクとイーサンの住む家だけ。
 ハイゼンベルクの感じていた胸騒ぎが強くなっていく。ハイゼンベルクは持っているワインボトルがガチャガチャと音を立てるのも気にせず玄関まで走る。鍵は……かかっていた。その事実に僅かに安堵し、ポケットから鍵を取り出して開錠する。

「悪ぃ、遅くなっちまった。帰ったぞ、イーサ……、」

 噎せ返る死の臭い。嗅ぎなれたはずのそれは、たった一年のイーサンとの生活で平和ボケしたハイゼンベルクをあの忌まわしい村にいた頃の記憶へと引き摺り戻した。ハイゼンベルクはただ自由になりたかった。ミランダを倒す力を得るためにやれることは全てやった、それが結果的に冒涜的で残虐な行為なのは理解している。許されようとも思っていない。ただ、村を出てからは一度だって人を手にかけていない。ようやく手に入れた自由を、イーサンとの生活を守るため。トラブルは極力避けて慎重に行動していたのに、何故……。
 呆然としていると、視界の端で白いものが映り込んだ……イーサンだ。

「イーサン……!」

 ハッとしてイーサンに駆け寄る。蹲っているのを抱き起すと、衣服は乱され頬には打たれた痕があった。そしてなにより、頭や首、胸、手首に至るまでありとあらゆる場所に血がこびりついていて、ハイゼンベルクの心臓が氷の刃で刺されたように冷たくなる。

「おいっ、イーサン!しっかりしろ!」

 咄嗟に首に指を当てて脈拍を確認すれば、トクトクと脈を刻み彼が生きていることを教えてくれる。体の血は返り血なのだろう。イーサンが生きてさえいればなんだってよかった。
 ハイゼンベルクはイーサンの肩を揺らして何度も呼びかける。すると、ゆっくりとイーサンの瞼が開き、虚ろな瞳にハイゼンベルクが映る。

「ぅ……ぁ……」

「イーサン、大丈夫か、怪我はねぇか?何があった」

「…………」

 ハイゼンベルクが何を聞いても、イーサンは人形のようにぼんやりとした表情をするだけで答えない。どう見ても様子のおかしいイーサンにハイゼンベルクの不安は募っていく。

「……あいつらは、お前がやったのか?」

 玄関に転がる死体を指差すと、それまで無反応だったイーサンがビクリと肩を跳ねさせた。茫洋としていた瞳が揺れ、ガタガタと体を震わせて頭を抱える。

「ぁ……あぁぁ……だって、あいつらは化け物だから……だから殺さなきゃって……違う!違う違う違う!!俺が、俺が殺した!!ただの人間を!俺が、この手で……っ」

「おい!落ち着け!」

「俺は……こんな化け物みたいな身体でも、心は人間だと信じてた。でも……違ったんだ……もうとっくに、俺は化け物になってた……っ!最低だ……ミアとローズに合わせる顔がない!生きている価値なんてないって、化け物は殺さなきゃって……だから、ちゃんと、ちゃんと撃ったんだ!本当なんだよ、ハイゼンベルク……俺は……ちゃんと頭をぶち抜いたはずなんだ……なのに、俺は死ななかった。次は首を切り裂いた、てダメだった。心臓にナイフを突き立てても、手首を切っても……どうして俺は生きてるんだ……?」

「お前……」

「なぁ、ハイゼンベルク……俺、どうなっちまったんだ?俺は、このままずっと死ねないのか……?」

 自分とてイーサンの身に起きたことに内心動揺しているのだ。そんなハイゼンベルクがイーサンを救ってやれる答えなど持ち合わせているはずもなく、ただ縋りついてくるイーサンの冷えた身体を抱き留めてやることしかできなかった。
 きっと、それは彼にとって死刑宣告と同じだったのだろう。イーサンはなにもできない無力なハイゼンベルクの腕から藻掻くようにして抜け出すと、ふらふらと覚束ない足取りでキッチンに向かい、引き出しから調理用の大振りなナイフを取り出す。そして己の腹目掛けて大きく振りかぶったのと同時に、ハイゼンベルクも駆けだしてイーサンを羽交い絞めにする。

「っ、馬鹿野郎!何考えてんだ、やめろ!」

「離せよ!!一回で死ねないなら死ぬまでやるしかないだろっ……!!」

「そもそもお前が死ぬ必要なんてねぇだろ!一回落ち着け!」

 ハイゼンベルクに抑えられたイーサンは、それでもなおじたばたと暴れてナイフを奪おうとしてくる。体格では自分の方が勝っているためどうにか抑え込めてはいるものの、本気で暴れられればハイゼンベルクとて無事では済まない。
 そうやって長いことめちゃくちゃに暴れて、やがて体力の尽きたイーサンがガクリとその場に崩れ落ち、ようやくハイゼンベルクも安堵の息を吐いた。
 しかし悠長にはしていられない。もうここに留まるわけにはいかないだろう。あの死体を片付けて、誰の手も届かない場所に逃げなくては。
ハイゼンベルクはぐったりとしたイーサンを抱き上げると、寝室へと向かいベッドの上に彼を横たわらせる。

「大丈夫だ、俺がなんとかしてやる」

 死んだように眠るイーサンの額にそっと口付け、ハイゼンベルクが背中を向けると、くんっとコートが引っ張られる感覚がした。
振り返れば、イーサンの白い指先がハイゼンベルクのコートの裾を掴んでいる。

「いかないで……」

「イーサン……下を片付けてくるだけだ。すぐに戻る」

 ハイゼンベルクはその手を離させようとしたが、その青い瞳には溢れそうなほどの涙の膜が張っていて。まるで親を見失った幼子のように不安げな表情と声に、ハイゼンベルクは胸が締め付けられる思いだった。

「一人にしないでくれ……」

 そう言って縋りついてくるイーサンを拒むことなんてできるはずもなく、ハイゼンベルクは再びベッドに腰掛けると彼の身体を抱き寄せた。耳元で囁かれた「ころして」という懇願を聞こえないふりをして、夜が明けるまでただその身体を強く抱きしめた。

***

 皮肉なことに、イーサンの身体はかつてのミランダのように……いや、より完璧な不死身の肉体へと変貌していた。刃物や銃、果ては身投げなどでどれだけ致命傷となる傷を受けても傷ついた肉体は特異菌によりたちどころに修復され、それならばと猛毒の類を飲んでみても悶え苦しむだけでイーサンを死に至らしめることはできなかった。
 まるで呪いだと思った。百年にも及ぶ大願を潰された妄執の魔女の悍ましい呪い。
 誰にも悟られることなく死体を処理し、あの二人の痕跡はすべて消した後ハイゼンベルクはイーサンを連れてあの町を出た。あれ以来、イーサンはひたすら死ぬ方法を探して自傷行為を繰り返すようになってしまった。彼がそう簡単に死ぬことはないとわかっていても、ハイゼンベルクはまるで罰するかのように己を傷つけるイーサンを黙って見ていることなどできなかった。

「ハイゼンベルク……」

 物思いに耽っていると、意識を取り戻したイーサンがハイゼンベルクの名を呼んだ。イーサンはハイゼンベルクの手を取ると、爪の短い角張った指先を口に含む。

「ん……ちゅ、ふ……」

 まるで飴玉でもしゃぶるようにハイゼンベルクの指を舐るイーサンは、やはり表情の抜け落ちた人形のようだった。

「もっと……」

「もうやめとけ、これ以上はお前がもたない」

「いやだ……もっと、壊れるくらい酷くしてくれ……お願いだ、ハイゼンベルク……もう、お前しか頼れないんだ」

「クソッ……」

 ハイゼンベルクは懇願するイーサンを抱き寄せ、その唇を塞いでやる。舌を絡ませて口内を蹂躙すれば、イーサンの瞳は次第に蕩けていき、やがてゆっくりと閉じられる。

「はぁ……ぁ、ん……っ」

 肉厚な舌に上顎を擦られるのが好きなようで、くちゅくちゅといやらしい水音を立てて舌先で擽ってやると、イーサンの腰がもどかしげに揺れる。キスだけですっかりとろとろになったイーサンを押し倒し、散々抱き潰したせいでグズグズに蕩けた後孔にペニスを突き刺した。お望み通り最奥まで一気に突き入れてやると、イーサンの喉からヒュッと掠れた呼吸音が漏れる。

「大丈夫か」

「はぁ……ぁ、ん……へい、きだから……もっと……」

「あぁ、わかってる」

 イーサンの言葉が嘘とわかっていながらも、ハイゼンベルクは容赦なく腰を打ちつける。ごちゅごちゅと奥を抉るように突き上げてやれば、イーサンの爪先がピンと伸びてビクビクと痙攣する。

「あがっ……!あ゙っ、ひぅぅ……っ」

 イーサンの背中が大きく仰け反り、喉元が無防備に晒される。誘われるように柔らかいそこにかぶりついてきつく歯を立てれば、イーサンは目に見えて悦んだ。

「う、あぁっ!い、だい……いたいぃ……もっと、もっと噛んでぇ……ッ」

「は、この変態が……ッ!」

 ハイゼンベルクの鋭い犬歯に皮膚を食い破られる痛みすらも快楽として拾い上げてしまうイーサンは、もはや完全に狂ってしまっていた。

「あぐっ!あっ、あぁっ!イく……イッちゃ……!ひぎっ、ぃ……!」

 ハイゼンベルクがピストンの速度を上げて奥を抉ってやると、イーサンは喉元を反らして絶頂に達した。それと同時にハイゼンベルクも最奥に精を放ち、その刺激でまた軽く達してしまったらしいイーサンはビクビクと身体を跳ねさせる。
 身体を重ねている間だけ、イーサンが自傷行為をやめると気づいたのは偶然だった。いや、そもそもこの行為自体がイーサンにとっては自傷も同然なのだろう。
 後始末をする際あの男たちの乗っていた車を調べたが、中から二人が今までレイプしたであろう女子供を映した映像や写真が戦利品のように山ほど出てきた。
 ハイゼンベルクはこの世には死んだ方がいい人間はいると思っている。自分がそちら側であることも、わかっている。あの二人は人間だが、死んで当然のことをしてきた。イーサンが心を痛める必要などないのだ。
 そう慰めてやったところで、イーサンは止まらない。元々どこにでもいる普通の男だった。人並みにに善良で、人並みにに正義感があって、人並みに優しい。だからイーサンは自分で自分が許せないのだ。彼のそういうところが愛おしく、そして哀れだ。
 ハイゼンベルクはイーサンに生きてほしかった。彼を、愛していた。多分。今までの人生で他人を愛したことがないので断言しかねるが、失いたくないと思うということは、つまりそうなんだろう。
 どうすればイーサンを繋ぎ止めることができるのか、ハイゼンベルクは考えた。以前のイーサンならば妻と娘の名前を出せばよかったが、今の彼には逆効果だろう。
 朝起きたらドアノブに縄をかけて首を吊ろうとしていたイーサンを力ずくで引き離してベッドに放り込み、動けないように抱きすくめる。
 昨日までは彼が疲れて眠るまで辛抱強く宥めてやっていたが、ハイゼンベルクも限界だった。譫言のように殺して、と繰り返すイーサンに、ハイゼンベルクは苛立ちを覚え、少しの間でいいから黙ってくれと思った瞬間、衝動的に唇を塞いでいた。

「ん、ぅ……!?」

 さすがのイーサンもハイゼンベルクの行動が予想外だったのか、能面のような貌に久方ぶりに人間らしい表情が戻った。ハイゼンベルクはそれに僅かな希望を見出し、角度を変えて何度もイーサンの唇を貪った。
 薄っすらと開いた唇の隙間から舌を捩じ込んでイーサンの舌に絡みつく。唾液を流し込むと、苦しそうに呻きながらもコクリと喉仏が上下する。拒まれないのをいいことに、ハイゼンベルクは更に深く口付けていく。
 あとはなし崩しだった。
 本能のまま、獣が獲物を喰らうようにイーサンの身体を暴いた。気絶しても叩き起し、何度も何度もその体を蹂躙する。それでもイーサンはハイゼンベルクを拒まなかった。むしろ、乱暴な愛撫で無理矢理絶頂に追いやられる度、恍惚とした表情でハイゼンベルクの首に腕をまわしてもっともっとと強請ってきた。

 ────きっと、絶頂が死に似ているからだろう。

 イーサンはハイゼンベルクが与える擬似的な死の快楽に魅入られ、それを求めるが故にハイゼンベルクに抱かれるのだ。彼の身体を傷つけるナイフがハイゼンベルクに代わっただけで、決してハイゼンベルクを愛しているわけでない。
 それでも構わなかった。元より、彼には妻と娘という絶対的な愛すべき存在がいる。それは絶対に揺らぐことはない、イーサンをイーサンたらしめる核だ。妻と娘と同じように愛してくれとは言わない。セックスもキスもできなくてよかった。残りの人生を共に過ごしてくれるなら、ハイゼンベルクはただそれだけでよかったのだ。

「こんなことがしたかったわけじゃねぇのにな」

 今度こそ完全に意識を飛ばしたイーサンの隈が色濃く浮き出た目元を優しく指でなぞりながら、ハイゼンベルクは力なくそう呟いた。
ほんの数ヶ月前まではイーサンと二人で慎ましく穏やかに暮らしていたのに。そんな毎日が続けば他になにもいらなかったのに。

 ――――結局、化け物が幸せになろうなんて、土台無理な話だったのだろうか。

「……いや、俺は諦めねぇぞ。イーサン、次は南の方に行こう。あったかくて、海の見えるところがいい。お前、前に話してよな。ミアとローズの三人で夕暮れの浜辺を歩いたって。俺はなぁ、実は海に行ったことがねぇんだよ。だから……な、二人で行こうぜ」

 ハイゼンベルクは眠るイーサンにそっと口付けると、自分たちを咎める世界から隠すようにその身体を掻き抱いて眠りについた。

 人の世で生きられない二匹の哀れな怪物を、窓の外に浮かぶ月は見逃さないと言わんばかりに冷たく照らしていた。

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