ぐるっとまわって

思いがけない冒険 - 4

 翌日、ドワーフ十三人に魔法使いが一人と異世界人が一人という組み合わせの一行はホビット村の袋小路屋敷を出立した。ここに、魔法使いが同行者としてドワーフに推挙したホビット、ビルボ・バギンズがいないのは、彼が冒険を望まなかったからだ。
 慣れない客人の相手や降って湧いた冒険の誘いに疲れてしまったであろう彼はぐっすりと寝入っており、皆が家を後にする音にも気付かなかった。当然、別れも告げぬままである。目を覚ましたとき、静まり返った家の中で彼は何を思うのだろうか。

 そんなことを考え、イツハは緩やかに口角を持ち上げた。それを偶然目にしたらしいドワーフが、なにか面白いものでも見つけたのかと首を傾げる。
 かけられた声に彼女は別の思考を巡らせる羽目になった。彼は誰だったか。昨日の今日ではまだまだ顔と名前ーーーーその名前すら若干あやふやであるーーーーが一致しない。

「ええっと…、きみはビフール?」
「ボフールだよ。ビフールならあそこだ」

 どうやらまたもや間違えたらしい。
 ボフールの声を聞きつけてか、示された先の馬に乗っていたドワーフが振り返って寡黙に頷く。どう見ても頭部に何か金属製のものが刺さっているドワーフである。ファッションなのか、そうじゃないのなら身体的に大丈夫なのかと疑問に思いつつも他のドワーフたちの自己紹介に流され、結局聞けなかった彼だとイツハは思い出した。
 あとで尋ねてみようと頭の隅で決めつつ、彼女も頷き返しながら間違ったことを詫びる。

「ごめん。まだ全員を覚えきれていなくて」
「昨日、俺たちがちゃんと教えたろー?」
「だから私の目にはみんな似ているんだよ、キーリ。名前のほうもね!」

 後方から黒髪の青年ドワーフが笑いを含んだ声音で横槍を入れると、女もまたわざとらしくため息をついてそう返した。
 おい、どうやら俺たちの顔と名前は覚えたようだぞ、とか。みんなそんなに似ているか、とか。兄弟のやりとりを耳にしながらイツハはボフールの問いかけに応える。

「ビルボのことを考えていた。彼が目覚めたときどうするかな、って」
「ふむ、丁度わしも考えておったところじゃよ」

 今度はガンダルフが会話に参加してきた。はてさて、おぬしはどう思うと聞かれて即座に来るほうに賭けるとイツハが言った直後、魔法使いはきらりと目を光らせる。それを目撃してしまった彼女は何をするつもりだろうと、反射的に眉をひそめかけた。
 けれどもガンダルフが、来るか来ないか賭けてみるのも一興じゃのうとなんとはなしを装った呟きを聞けば、一瞬きょとりとしたあとこみ上げる笑いに口を引き結ぶ。ガンダルフに合わせようとしたからなのだが、結果、苦笑のようなちょっと不格好な笑みがうっすら浮かんだ。
 幸いにしてドワーフらの意識はすぐさまそりゃあいいと賛同の声を上げた仲間に向けられたので、彼女のそれを目にしたのはガンダルフと彼女の中ではリン三人組とひとまとめにされてしまっている者たちにとどまった。その三人組は魔法使いの表情も見やって三様の面持ちで納得する。

 賭けと聞いて身を乗り出すように反応したドワーフが取り仕切り、参加者を募っていく。
 当然ながら、ほとんどが来ないほうにベットした。来るほうに賭けたのは僅か三人だけ。ガンダルフはもちろんとしてーーーー彼のしたたかさと茶目っ気をイツハは再認識したーーーー他には予兆が予感がと口にした年配のドワーフと、悩む風もなく元気に来ると言い切ったキーリのみである。
 あとはことごとく来ないと断言し、またトーリンと白のドワーフ、それに中つ国の金を持たぬイツハも賭け自体には参加しなかった。

「ーーで、お前はどっちに賭けるんだ?」
「イツハもボギンズ殿が来るほうに賭けるだろう?」

 連なる列の後方へと移動して青年ドワーフに挟まれる形で馬を歩かせていたイツハは、左右からそう問いを投げられ、この二人は何を聞いていたんだと呆れ返る。

「私は参加しないってば。お金ないもの」

 ひょいと肩をすくめてきっぱり言ってから、キーリの名前間違いにもしっかりと訂正を入れた。大勢のドワーフと違って一人のホビットの名前くらいちゃんと覚えてあげなよと、暗に自分のことは仕方ないとしてもというような意味合いを含ませつつ指摘する。すると青年はがしがしと頭をかいてあれそうだったっけと首をひねった。
 弟の姿を見て兄が苦笑気味に笑う。どうやらあまり真剣に覚える気がないらしいとフィーリのそれが物語っており、からからと笑ってイツハは言った。

「じゃあ、ビルボと呼べばいいんじゃないかな」
「…そうだな。彼が来たら聞いてみよう」

 一応断りを入れてから、ということらしい。頓着しないような性格に思えたが、そういったところは律儀なようだと少し認識を改めつつ、イツハは思い浮かんだ疑問を口にする。

「ね、キーリはなんで来るほうに賭けたの?全然迷わず即答!って感じだったけど」
「なんだ、もしかして来ないと思ってる?」
「そういうわけじゃないけど。フィーリは来ないほうに賭けてたしさ」
「当然だろう。スマウグのことを聞いて気絶していたし、魔法使いの誘いにも応じなかったんだぞ?」

 彼は彼女と違って至極まっとうな感覚の持ち主なんだ。そうフィーリが言えば、それはたしかにそうだろうなとの肯定を吐き出すキーリ。二人とも大真面目なものだから余計にたちが悪いと比較対象になっている女はやれやれとばかりに嘆息した。イツハにしてみれば、むしろ彼らにこそ同じようなことを思うわけだが、絶対的少数派であるため仕方あるまい。と口を挟むことはやめる。
 キーリの賭けの理由は単純明快だった。無論、大穴狙いというわけではなく、ビルボが仲間にいたほうが面白そうだし飽きないだろうから、というものだ。絶対からかいがいがあるはずとの言葉には賛同しかできないため、イツハとフィーリは揃って苦笑をこぼす。

「それにその魔法使いが来るほうに賭けてるし。ーーで、お前結局どっちなんだ?」
「そりゃあ来ると思ってるよ」
「…お前もか。理由は?」

 肩をすくめるように言ったフィーリにイツハはにっと口の端を持ち上げてみせた。
 ビルボの目に、イツハは確かな好奇心を見ていた。簡単には消えてくれない類の好奇心を、である。そして如何にホビットという種族が平穏を愛し、戦いを知らぬとしても、ビルボというホビットが臆病でないこともまた彼女は感じ取っていた。

「ーー何より彼の母方の血は筋金入りの冒険好きらしいからね」

 出立の前にガンダルフから聞きかじっていたことをしれっとして付け加えれば、フィーリが一瞬眉間に皺を寄せ、失敗したかとぼやきながら小さな嘆息を一つ。
 やがて魔法使いの思惑通り、好奇心の勝ったビルボ・バギンズがしっかりサインした契約書片手に合流すると、魔法使い含め三人の人物に賭け金が配当されたのだった。



 +++



 総勢十六名となった一行の旅は初っ端から強行軍というわけでは決してなかったし、想定していたよりも随分とペースは遅かった。しかしそれでも、ビルボにとってはなかなかに難儀であった。
 というのも、馬での行軍を余儀なくされたのだが彼は馬アレルギーの持ち主なのである。そのため村でも馬に乗ることなどほとんどなく、ただ歩かせているだけとはいえ慣れない馬上。鼻はむず痒いし緊張で体は強張るしさらにそのせいで段々お尻は痛くなってくる。

 ただビルボにとって幸運だったことはこの旅の仲間にイツハがいたことだ。女だてらに強面のドワーフにも臆することのない彼女の胆力が相当なものであることをビルボは知っているし、また朗らかな笑みと性格には心を和ませてくれるものがある。

 よく気の付く人でもあった。
 ハンカチを忘れた際にドワーフの一人から腰布か何かを引きちぎってハンカチ代わりにと布を貰ったのだが、正直アレルギーを引き起こしている鼻にそれをあてがうのは躊躇われた。そこへ、少しだけ苦笑を交えながら明るく笑って綺麗な布を彼女は差し出してくれたのだ。貰った布は別のことに使うといい、との言葉にありがたく頷いてビルボはそれを受け取った。
 今もビルボの隣に馬を並べ、色々と話しかけてくれる。旅慣れも馬慣れもドワーフ慣れもしていないのを気遣ってのことだというのは明白で、ビルボよりも年若く見える彼女に申し訳なくも思うのだが、これもありがたく好意を受け取っている。それで随分と気が紛れているからだ。

 無論だとしても疲労はたまるもので、少し休むとの指示が下り一行の歩が止められ緑の絨毯が敷き詰められている大地へ足をつけたところで、ほっとした息を長々吐いた。こうして地を踏みしめるのが、だいぶ久しぶりな気がしてしまう。

「お疲れ様、ビルボ。やっぱりちょっとしんどい?」
「いや、イツハのおかげで大丈夫だよ。ただ、馬アレルギーが……」
「あはは。うーん、こればっかりはねぇ」

 言ってイツハは励ますようにビルボの背中を軽く叩いた。そして食事するみたいだよと告げた途端、疲れを見せていたホビットがぱっと顔を輝かせたので思わず彼女は噴き出す。
 昨夜一緒に食事をとったとき、ホビットは食べることが好きで日に三度以上食事をするのだと聞いてはいたが、一瞬で疲れを忘れるほどらしい。

「僕、手伝いに行ってくるよ」
「え?…体、休めなくていいの?」
「食べることが好きなホビットは料理するのも好きなんだ!」

 ドワーフの料理にも興味があると、素早く行ってしまった後ろ姿を見てなるほどと頷くイツハであった。興味がある事柄に対しては垣根など目に入らぬ様子で飛び越えていくのがビルボ・バギンズの長所のようである。
 最初から彼に好意的な者たちもいないわけではないし、ビルボの人柄も考えればその垣根がなくなるのも時間はかかるまい。そんなことを考え安心にも似た小さな呼気をイツハは吐く。

 無論、約一名を除いてという但し書きがつくけれども。

 18.01.22 » OP病弱主をのんびり修正中。


since 2011.10.16 ぐるっとまわって