狗巻棘の場合




※棘くん視点のため口調や一人称など全て捏造








 可愛くて大切な恋人が、Wそういう雰囲気Wになった(と自分が感じた)今、こちらを制止して言った。

「棘。ちょっとだけ禁欲、してほしい」

 きんよく、という言葉がうまく認識できず、首を傾げる。自分が、なぜ? という問いかけをしたと思ったのだろう。似た角度で首を傾げて、「……だめか?」と言う恋人がかわいくて、言われたことを暫し忘れてしまった。ああ、そう、きんよく──禁欲か。どうして? 

 正直なところ、もうその気になってしまっているのでこうして押し倒しているのだ。組み敷いて見下ろすナマエはいつも通りとてもそそる光景だし、お互い任務続きですれ違っていたから一週間以上ぶりなので、ある意味では禁欲していたと言えるのでは? と都合の良い解釈をする。

 そもそも、今日は絶対に抱いてやるという意気込みで部屋に来た。申し訳ないがヤる気しかない。言い訳するなら、ナマエにも原因があるという点に尽きる。
 ナマエはジャンクフードだったりクレープやタピオカなんかの食べ歩き系、あとはお洒落なカフェだったりが好きでそういう店にも詳しい。そのため、よく休日に真希や野薔薇に渋谷なんかに連れ回されている。今回も例に漏れず、原宿に行ってきたという話や自撮りの写真の数々を真希から見せられるこちらの身にもなってほしい。信じてはいるし同期や後輩の女子達にそんなつもりはないのも分かっているが、嫉妬しないでいられるほど心は広くない。

「こんぶ?」

 とりあえず訳を聞こうと、優しく頬を撫でて問いかけてみる。体勢をそのままにして話を促すのは、単なる下心だ。もしこの後の話の展開次第でその気にさせられたら、このまま流されてくれないだろうかという、強くまっすぐな下心。

「……深い意味とかは、ないんだけど」
「………」

 ナマエの言葉に間髪入れず反論したりということを自分はできないので思わず黙っただけにとどまったが、そんな訳はない。むしろ、つい一週間ほど前にはナマエの方からこの身に乗り上げて誘ってくれたほどだった。自分の名前を呼んで、切羽詰まった声で「棘、したい」と言ってくれていたのだ。それが一週間会わないうちに「禁欲してほしい」になったのだから、何もないわけがない。

 自分は何かしただろうか。喧嘩らしきものをした覚えはなく、嫌がることをした記憶もない。

どうにか話してもらいたくて、だけど自分は言葉をすらすらと述べられる人間ではない。今更それをどうとも思わないしナマエもそんなことは気にしてないと思うけど、それでも今、どうしても聞きたくて。

「……っ、と、げ」
「高菜ぁ……?」

 耳が弱いナマエはいつも、素直になれない時に舌で耳を擽ると、負けてくれることが多い。「わかった、言う、から、耳やめろ……!」と今日も今日とてびくびくと身体を震わせながら、ついでに自分の腕あたりの服をぎゅっと掴んで健気にもそう言うナマエに、どうしてもまたムラムラし始める。それをどうにか我慢して、優しく頭を撫でて言葉を促す。

「……棘いつも、シてるときずっと黙ってる、から、気持ちよくないのかと、思って……」
「……明太子?」
「俺はおにぎりの具で言われても、棘の言葉なら分かるし、何か言ってくれた方が嬉しい」
「………」
「棘と一緒に気持ちよくなりたいから」

 恥ずかしそうにそう言うナマエに、禁欲させる気は本当にあるのかと純粋な疑問が浮かんだ。いや絶対ないだろう。あるとしてもその行動のせいでまったく効果を成していないので無駄なことはやめたほうがいいと思う。




 そもそも自分は何かを言葉にすれば、それこそW好きWなんて言葉に呪力が篭ってしまえばいくらナマエでもどんな影響があるか分からないし、もっともっと強い欲望なんかもそのまま声にしてしまいそうで必死に堪えているのだ。それをそんな風に言われたら際限なく溺れたいと思ってしまうのに、それを分かってのことだろうか? 
 そんな風に葛藤していると無言になってしまっていたようで、見上げるナマエの瞳が揺れた。

「俺やっぱり、エッチ、下手……?」
「!? おかか!」
「や、ほんとのこと、知りたくて……。もし下手だったら、その、真希が……」

 ……真希が???
 この流れで他の人間の名前が出てくるのはものすごく嫌だししかも真希の名前となるとより嫌な予感しかないけど、とりあえず聞かないわけにいかず無言で先を促していると、顔を真っ赤にしたナマエが下を向いたままぽそぽそと言う。

「真希、が、練習として抱いてやろうか? って……言ってくれてて……」
「………」
「ほんとは棘と練習、したいんだけど。でも気持ちよくなかったらアレだし……。知らない人とするよりいいかなって……」

 嫌な予感が的中し、おにぎりの具の語彙すらも喉でつっかえる。いや真希は女だけど? 抱けないけど? え、あのAVとかで見るやつで掘る気なの? いやそれかオモチャで開発するとか? だめだ混乱してきた。

 真希は明らかにナマエを気に入ってるから絶対に半分は面白がってる。弟を可愛がるみたいな感覚なんだろう。その気がないのは分かってて煽られる自分は幼稚なのかもしれない。

 ただ分かることは、どれも許す訳ないしナマエとヤるのは全部大事な本番だから練習なんて軽い気持ちで抱く訳もないし、そもそも頭が茹るほど気持ちよくなってるから練習なんか必要ないんだけど。

「……棘? あの」
「『動くな』」
「……ッ!?」

 目を合わせないまま呪言を使うと、押し倒されたままのナマエはぴたりと動きを止めた。それほど強く呪力を込めてはいない。ただ、まさかここで自分に呪言を使われるとは思っていなかったんだろう。耳を呪力で守るなんてことはもちろんしていなくて、見下ろすと戸惑った表情のナマエと目が合って加虐心を煽られる自分に気付く。

 にっこりと笑って見せれば、ナマエはほんの少しホッとした顔をした。その頬に手を添えて唇を塞ぐ。触れるだけのキスを終えて「耳、呪力で、守ってて」と優しく耳元で囁いてナマエがこくりと頷いたのを確認してから、言葉に呪力を込めないように細心の注意をはらってゆっくりと話す。

「いつも、本当に気持ちいいよ」
「……ほんとに?」
「うん。呪っちゃうのが怖くて喋らないけど」
「……そ、か。ごめん、変なこと言って……」
「ううん。おれもごめんね」

 心底安心した表情のナマエは肩の力を抜いた。いまだ呪言が解けないことに気付いているのかいないのか、まあ気付いたところでどうしようもないけど。
 ナマエのベルトに手をかける。ズボンを下ろそうとしたところでようやく動けないことに気付いたのか、ナマエに焦りの色が見えたけどもう遅い。

「『動くな』」
「っあ、なに、待って、棘……!」
「もう二度と、他の人で練習しようとか思ったら駄目だよ」

 ナマエとおれとではそれなりに実力差がある。加えて、ナマエは呪力のコントロールが苦手な方だ。おれが呪力を込めすぎなければ暴発は防げるだろうが、逆にこちらがその気になって呪言として発動させればまあまず防げない。
 そんなことにも気付かずみすみすと呪言を使わせるような状況にしておれに嫉妬までさせたのはナマエだから、その責任は取ってもらわないとね?

「おれがどれだけ気持ちよくなってるか、ちゃんと教えてあげる」

 そう言って俺の制服のボタンにも手をかけた棘は、怒ってはいないけど辞める気がないことは明らかで、とはいえ動かない体を動かそうとするのは嫌な予感がするからだ。
 行為の最中、ただでさえ気持ちよくて訳が分からないのに、呪力で耳から脳にかけてを守るなんて絶対できない。もともと呪力のコントロールは下手だし、こんな至近距離で自分に向けて放たれた棘の呪言を完璧に防ぐことなんかできないから無駄な足掻きかもしれないけど。

 嫌じゃないから抵抗したいわけじゃない。だけど口も抑えられないし顔も隠せないとなると恥ずかしいものは恥ずかしい。

 この時の俺は分かっていなかった。棘に耳元で『気持ちいい? ちゃんと教えて』『腰、もっと揺らして気持ちいいとこ当ててみて』『ねえ、舐めて』『ナマエ、イって?』とその声で言われることがどれだけとんでもないことか。
 棘にただおにぎりの具だとかで意思表示を望んでいただけのこの時の俺には分かるはずもなく、ただただその暴力的な欲と嫉妬とを思い知らされるだけだった。



2022.01.23