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投稿日:2021年02月23日






 その光景を、ユーリッドは目を見開いたまま、見つめていた。
視界の端で、隠れていたファフリが、木の陰から思わず出てくるのが見える。

 二人の身体は、互いの体に剣を突き立てたまま、ゆらりと川の中に崩れた。
しばらくは川の浅い部分に引っ掛かっていたが、少しずつ深い部分に引きずられて、飲み込まれていく。
そのまま死体は、下流の方に流されて、やがて見えなくなった。

 ユーリッドは、放心したまま立ち上がると、 何気なく側にあったヤスラの死体を見た。
それから、木のそばで震えるファフリを見つめた。

「……ユ、リッド……だい、じょうぶ?」

 声を出したのは、ファフリだった。
ユーリッドはその問いかけに頷くと、ゆっくりとファフリの元に歩み寄った。

「……ファフリ、は?」

「私は、平気、だけど……ア、アドラさんが……っ!」

 ファフリが、先程アドラとリルドの死体が流されていった、下流を見つめた。
ユーリッドも同じ方向を見つめながら、あの恐ろしい光景を思い出して、身震いした。
兵団に入っていた頃から、こういった戦場には慣れていたつもりだったが、仲間が目の前で殺されるのを見るのは、初めてだった。

「ねえ、ユーリッド! た、助けにいかないと……っ!」

 泣きそうな顔で袖を掴んでくるファフリを見て、ユーリッドは唇を噛んだ。
そして黙ったまま、首を横に振った。
ファフリの目が、絶望の色を滲ませて、見開かれる。

「な、なんで……?」

 ユーリッドはしゃがみこんで、そのままのファフリの肩に手を置いた。

「ファフリ、団長は……もう……」

 冷静なつもりだったが、声を出してみて、ユーリッドは自分の声も震えていることに気づいた。

「そんなの、見てみなきゃ分からないよ……っ。もしかしたら、まだ——」

「ファフリ……」

 ファフリの身体から、力が抜けていくのが分かった。

 沈黙もつかの間、不意に辺りから、腹の底に響く、呻き声のようなものが聞こえてきた。

 ユーリッドとファフリは、身を凍らせた。

 咆哮が響いてきて、それに答えるように、所々から咆哮が重なっていく。

——狼。
血の臭いにひかれて、集まってきたのかもしれない。
そう気づいた時には、もう遅かった。

 ユーリッドが再び剣を構えたのを見て、ファフリも思わず立ち上がった。

「ユ、ユーリッド……駄目、だよ。怪我してるのに……」

 右腕と背中から血を流すユーリッドを見て、ファフリがそう言った。
実際、ユーリッドももう限界を感じていた。
普段ならともかく、こんな状態で狼の群れに襲われたら、おそらく助からない。
そもそも、利き腕がやられているのだ。
まともに戦えるかすら分からなかった。

 二人は、木々の間を蠢く無数の黒い影を見て、体を震わせた。
ユーリッドは、狼の群れに囲まれていることに、既に気づいていた。

 白い光が、闇の中で動いて、ゆっくりと近づいてくる。
狼の目だ。

「絶対、ここから動くな」

 ユーリッドが、ファフリを木に押し付けて、そう言った瞬間。
黒い影が二つ、滑るように駆けてきた。

 ユーリッドが、慣れない左手で剣を振るうと、それは狼にぶち当たり、狼は情けない鳴き声を残して後退した。
それからユーリッドは勢いよく、もう一匹の狼に回し蹴りを喰らわした。

 それをきっかけに、一斉に狼の群れが四方から襲いかかってくる。
ユーリッドは、必死に剣を振り回して応戦したが、体力はとうに限界を越していた。

 ユーリッドの動きが、ついに乱れ始めた時、一匹の狼がその左腕に思いきり噛みついた。
呻(うめ)いて、ユーリッドはその狼を殴り飛ばしたが、両腕をやられた今、もう剣が振るえないことを悟った。

 ユーリッドの左腕が血を滴らせ、剣を落とした。
ユーリッドはもう戦えない。
けれど狼は、まだ何匹も周囲に蔓延っている。

 ファフリは、何度も魔術を放とうと手をかざしたが、動き回る狼を前に、狙いを定めることができなかった。
何より、ユーリッドに万が一当たったらと考えると、恐ろしくて出来なかった。

(死にたくない……!)

 全身が震えた。
アドラは死んでしまった。
そしてこのままでは、ユーリッドも自分も死んでしまう。

(誰か、誰か、助けて——!)

 その時ファフリは、胸から何かが込み上げてくるような、不思議な感覚に襲われた。
ぞくりと全身がざわめいて、自分の身体から、何かが這い出てくるようだった。

 意図的だったのか、無意識だったのか、ファフリは口を開いて、唱えた。

「汝、窃盗と悪行を司る地獄の総統よ。従順として求めに応じ、我が身に宿れ。——カイム……!」

 身体が、炎に包まれたかのように熱くなった。
ファフリは、自分の周りから、光の刃がいくつもいくつも噴き上がったのを見た。

 光の刃が、流れ星のようにきらめきながら、狼達を切り裂いていく。
先程まであんなにも恐ろしかった狼達が、まるで熟れた果実の如く、一瞬でぐちゃぐちゃになった。

 刃は、闇を切り裂きながら縦横無尽に飛び回り、ファフリとユーリッド以外の全てのものを刻んだ。

 ついに、辺りが静かになった時、ファフリはふぅっと息を吸って、その場に倒れこんだ。
それと同時に、飛び回っていた光の刃も、闇に溶けるようにして消えた。

 ユーリッドは、倒れたファフリを見つめながら、動けずにいた。
しばらくしてから、地面に転がる狼の死骸を見回して、そして再び、ファフリに目を移した。

 倒れこんだファフリの顔は、実に幸せそうな、満ち足りた笑みを浮かべている。
それは、ファフリが普段浮かべるような、明るい笑顔とは程遠いものだった。

 それを見た途端、ユーリッドはこれまで感じたことのないほどの、恐怖を感じた。

 真っ赤に染まった川の、せせらぎの音だけが聞こえる。
ユーリッドは、ファフリを見つめて、呆然と立ち尽くした。


To be continued....


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