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投稿日:2021年02月23日




†第一章†——安寧の終わり
第三話『策動さくどう


 教会、及び国王の意向で、ミストリアの調査にトワリスが送られたのは、半年ほど前のことだった。

 獣人の襲撃に対する計画——実際にミストリアに赴き、襲撃の理由を調査するという計画に、売国奴の疑いをかけられていた彼女が、抜擢されたのだ。

 しかし、彼女たった一人に危険な土地の調査を命じるなど、あまりにも無謀すぎる。
どう考えても、正気の沙汰ではなかった。

——そう、正気ではない。
調査というのは、表向きの理由に過ぎない。
この計画は、はなから成功など望まれていないのだ。

「死んで、もう二度と帰ってくるな」
 これこそが、計画に隠された本当の目的である。



 この計画の存在に気づいた時、ルーフェンは、なんて稚拙で浅はかなのかと、怒りを通り越して呆れすら覚えた。

 ことに便乗して、サーフェリアから邪魔者を消そうと打ち出された計画。
召喚師を忌み嫌う教会が考えそうな、なんとも馬鹿らしいものだった。

 しかしそれを聞かされたトワリスは、何の迷いもなく、こう言ったのだ。
「何もするな」と。

 ルーフェンは、その時自分がどのような表情を浮かべていたか、覚えていなかった。
けれど、もし感情をそのまま顔に出していたのだとしたら、自分の表情は激しく歪んでいただろうと思う。

 そもそも、教会が本当にミストリアに送りたかったのは、ルーフェンなのだ。
トワリスも、そのことは分かっていたはずである。

 それなのに彼女は、「何もするな」と言った。
自分は、理不尽な揉め事に巻き込まれたのだと、理解していたのにも拘わらずだ。

 トワリスが、なぜここまで頑なになっていたのか。
傷だらけのくせに、どうして助けを求めないのか。
分からないことは多かったが、ただ一つ、ルーフェンが思ったのは、彼女は自分に並ぶ愚か者だということだった。


   *   *   *


 夜空が、徐々に朝の明るみを帯び始めた頃。
それを合図に、次々と起き出したヘンリ村の人々を、山上から見つめる人影があった。

 周辺の景色に似合わぬ、異色の雰囲気を放つ銀色の髪と瞳。
先端に紅色の魔石をはめこんだだけの簡単な杖を持ち、質素な黄白色の衣を纏う彼は、身なりからして一介の魔導師のようだった。
しかし、この青年こそ、『アーベリトの死神』とも囁かれるサーフェリアの召喚師、ルーフェン・シェイルハートである。

(さて、そろそろ戻らないとまずいかな)

 眼下のヘンリ村から目をはずし、ルーフェンは下山すべく身を翻した。
だが、その時ふと、背後の木立から視線を感じて、立ち止まった。

(……流石、嗅ぎ付けるのが速い)

 思ったのと同時に、木上から襲いかかってきたそれを、振り向き様に杖で弾く。
その反動を利用して、ルーフェンは後方にくるりと反転すると、同じく後退したらしいそれと向き合った。

 人の形をしたそれは、鋭い眼光を携えてこちらを睨み、低く唸り声をあげている。
襲いかかってきた時から、それが獣人だとルーフェンは分かっていたが、その表情はまるで生き物の表情ではないようだった。

 獣人は、目でとらえるのも難しいほどの速さで、再び襲いかかってくる。
ルーフェンは咄嗟に杖を半転させると、石突で獣人の鳩尾を突いた。
しかし、突いた瞬間に獣人は杖を掴み、一気に間合いを詰めてもう片方の手でルーフェンに掴みかかった。

 即座に杖を手放し、後退することでかろうじてその手を避ける。
しかし前方を見たときには、既に獣人の鋭い爪が、喉元目掛けて伸びてきていた。

 ルーフェンはその両手首を掴むと、懐に飛び込むように身を翻し、掴んだ腕を捻って獣人を地面に叩きつけた。
受け身をとる暇を与えず、ルーフェンは手首を捻ったまま、うつ伏せになった獣人の背中を足で押さえた。
こうすれば、もう動くどころか、声すらあげられなくなる。

 ルーフェンは、獣人の側に転がっている杖を、腕を伸ばして取った。
そしてそれを掲げると、言い放った。

「汝、獲得と地位を司る地獄の侯爵よ。従順として求めに応じ、可視の姿となれ。──フォルネウス!」

 ルーフェンの立つ地面が、水面のように揺れた。
ぼこぼこと沸騰するように泡立ち、水のようにしぶきをあげたかと思うと、次の瞬間、轟音と共に巨大な銀鮫が地面から飛び出した。

 ルーフェンの五倍はあろうかという銀鮫は、その頭上を回るように遊泳する。
そして、やがてルーフェンに寄り添うように動きを止めると、ひれを震わせ、低く鳴いた。

 抑揚の強いその声は、まるで歌のように周囲に響き渡った。
大気に作られた波紋が、銀鮫を中心に広がっていく。

 しばらくして、銀鮫の声が止んでから、ルーフェンは獣人に目を落とした。

 獣人を押さえつけている足の力を、僅かに抜く。
すると、獣人はすぐに起き上がろうともがいた。

(やはり、効かないか……)

 ルーフェンが掲げていた杖を下ろすと、控えていた銀鮫はふっと、溶けるようにして消えた。
水面のように揺れていた地面も、何事もなかったかのように土に戻る。

 ルーフェンは、今にでも飛びかかってきそうな獣人の背中を、再び足に力を込めて押さえつけた。
しかし今度は、獣人は動きを止めなかった。
考え事に集中しかけたルーフェンの意識が、一瞬で獣人へと向かう。

 足の下で、獣人が暴れる。
それと同時に、ルーフェンの捻っていた獣人の腕の骨が、ぎしぎしと嫌な音をたて始めた。
うつ伏せで、かつ腕の関節をとられたこの状態で無理に動こうとすれば、骨に負担がかかるのは当然である。

「やめろ、腕が折れるぞ」

 獣人の虚ろな目が、こちらを睨んだ。
ルーフェンは舌打ちすると、捻っていた腕の関節を、更にひねった。
しかし獣人は、自分の骨が悲鳴をあげるのも構わず、身を起こそうとしてくる。

 やがて、ぼきりと嫌な音がして、獣人の右腕の骨が折れた。
それでもなお起き上がろうとする獣人に、ルーフェンは瞠目した。

(痛みすら感じてないのか……?)

 瞬間、骨の折れた部分——関節ではなく二の腕の部分を折り曲げて、獣人が飛び上がった。
そして勢いをそのままに、折れたはずの右腕でルーフェンに殴りかかる。

 ルーフェンは身体を反らし攻撃を避けると、慌てて後ろに跳んだ。
あの一撃をまともに食らっていたら、確実に頭蓋骨が粉砕されていただろう。

 獣人が、ゆらりと起き上がった。
折れた腕はだらんと力なく下がっているが、痛みなどまるで感じていないようだった。

 ルーフェンは、杖を持っていない左手をすっと前に出した。
それから「悪いね」と呟くと、左手を大気を切るように下ろした。

 途端、獣人の身体から、炎が上がった。
獣人は、ぎゃっと耳障りな悲鳴をあげ、倒れこんで地面にのたうった。

「炎よ、紅き炎、猛き炎よ……」

 低い声音で、呪文が紡がれる。
それに呼応するかのように、更に激しく火の手が上がり、あっという間に獣人の身体は炭になった。

 ぼっと音を立てて、炎が消える。
さらさらと灰が風に流されていくのを見つめながら、ふうっとルーフェンは息を吐いた。


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