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投稿日:2021年02月23日






 水流に流されぬよう注意しながら、トワリスは岩壁に手を這わせて進んだ。
初めは入り口から射し込んでいた日光も、今は一切なかった。

(……暗い……)

 冷気の漂う洞窟で、ぶるりと身を震わせる。
洞窟内の生物を刺激すべきではないと思い、明かりは持ち込まなかった。
しかし、やはり松明は必要だっただろうかという後悔が、トワリスの中に沸々とわいていた。
視覚に頼らずとも、聴覚と嗅覚が効けば問題はなかったが、トワリス自身、暗闇はあまり得意ではないのだ。

 トワリスは、すっと目を閉じると、耳と鼻に神経を集中させた。
そして、鼻がつんと痛むほどの冷気の中に、ふと異質な臭いが混じっていることに気づいた。
わずかだが、煙と油の臭いしたのだ。

(これは……松明の臭い。私以外に誰かいるのか……?)

 周囲を一層警戒しながら、水流から抜けて脇の岩場に足をつけると、一気に水音が小さくなった。
足跡も臭いも残らない水流中を進もうと思っていたが、自分以外の何者かがいる可能性が高まった今、動きやすい岩場を歩く方が良いだろう。

 微かな水流の音と、自分の呼吸音しか聞こえない静寂の中、異変が起こったのは、一本の岐路に差し掛かった時だった。

 うめき声に近いような男の悲鳴が、洞窟中に響き渡り、トワリスはその悲鳴がした方向に走り出した。
そうして、少し広くなった場所に出るのと同時に、一気に視界が明るくなった。

 暗闇から急に明るみに出たため、トワリスは眩しげに目を細めた。
だが、松明を抱えて岩壁のそばでうずくまる男の姿を見つけると、すぐに男の元に駆け寄った。

 男は、息切れと嗚咽が混ざったような喘ぎ声をあげながら、がたがたと震えていた。
微かに血の臭いがしたが、大した怪我ではないだろう。

 近づいて、多少乱暴に肩の辺りを掴むと、男がびくりと跳ね上がって上擦った声を出した。
少し白いものが混じったその髪に、羽毛が入っていることから鳥人だと思われる男は、トワリスを見たまま混乱したように硬直した。

「静かに! 何があったんです?」

 鋭い声で問うと、鳥人の男は咳き込むように言った。

「あ、あっちに……っ!」

 男の視線が向けられた方へ目をやると、松明の明かりが届かない暗がりで、何かが蠢いているように見えた。
そして目を凝らそうとした瞬間、大気を切り裂くような鋭い音が迫ってきた。

 トワリスは、本能的に腕に仕込んでいた短剣を引き出すと、その方向へ投げつけた。
すると、ギャッという耳障りな断末魔が聞こえて、短剣と共にぼたりと何かが落下する音が響いた。

(何かいる……!)

 トワリスは、蠢く影をきつく睨んだ。
暗闇では、襲いかかる機会を窺うように、青白い目がいくつも光っている。
おそらくは洞窟生物だろうが、この数が相手では逃げ切れない。
それも、トワリスだけならともかく、こちらにはもう一人、怪我をした鳥人の男がいるのだ。

 トワリスは、傍らで怯える男を一瞥した。
彼が召喚師でないのは一目瞭然であり、状況を考えれば多少の魔術の行使は仕方がない。
よほど可視できて分かりやすい魔術でなければ、問題ないだろう。

 そう自分に言い聞かせると、トワリスはもう一本の腕に仕込まれた短剣を、素早く引き出した。
それから、纏っていた外套の一部を切り裂いて短剣の先に巻くと、男の抱える松明にそれを押し付けた。

 じりじりと外套の焦げる臭いがして、短剣の先に火が燃え移る。
それを確認すると、トワリスは即座に短剣を暗闇に投げつけた。

 外套に移っただけの小さな炎は、投げられた衝撃で危なげに揺れたが、それが消える寸前に、トワリスは魔力を練り上げた。

「爆ぜろ……!」

 小声で唱えたその言葉に呼応して、消えかけた炎がぼっと燃え上がった。
もともと魔力量の少ないトワリスには、存在していた炎の勢いを増すくらいのことしか出来なかったが、今回はそれが好都合だった。
この程度なら、混乱している男には、炎が何かに燃え移って広がったようにしか見えないはずだ。

 蠢くものの輪郭を縁取るように、炎はばっと広がり、収束した。

蝙蝠こうもり——!)

 一瞬明るくなった視界に、通常の五倍はあろうかという巨大な蝙蝠の群れを捕らえると、トワリスは素早く腰にあった双剣を抜いた。
同時に、炎によって刺激された蝙蝠の群れが、一斉に牙を剥き出して襲いかかってくる。

 情けない悲鳴を上げ、腰を抜かした男に「動かないで」と声をかけると、トワリスは双剣を握る手に力を込めた。
そして、旋風のごとく双剣を回転させると、地を蹴って一気に蝙蝠の群れに突っ込んだ。
トワリス目掛けて押し寄せた蝙蝠達が、次々と双剣の渦に飲み込まれ、切り刻まれていく。

 突進した先の岩壁を、体を回転させることで蹴りつけて、再び群れを掻き回そうとしたとき。
視界の端で、錯乱した男が自分の荷から取り出した剣を、群れに向かって投げたのが見えた。

 無茶苦茶に投げられたそれは、勢いを無くして、放物線を描きながら群れの中に落ちる。
その内の一本が頭上に降ってきて、トワリスは小さく舌打ちをすると、岩壁を蹴った足を地面に擦るようにつけた。
そして降ってきた剣を、右手の剣で弾いた。

 しかし、次の瞬間、弾いた右手から一気に魔力が抜けて、トワリスは双剣を取り落とした。
それと同時に全身がふらつき、動きに乱れが生じる。

「……っ!」

 何が起こったか分からなかったが、慌てて体制を整えようとすると、その隙を狙って一匹の蝙蝠が、トワリスの喉笛に飛びかかった。

 トワリスは、反射的に右の拳を蝙蝠の口に突っ込むと、そのまま地面に叩き落として頭蓋骨を粉砕した。
牙が刺さり、右手からは血が滴ったが、構わず落とした双剣の片割れを拾い上げる。
そうしている間に、自分の周りに残った蝙蝠が四方から集まってきていた。

 トワリスは、全身を縮めると、両足で地面を蹴って高く上に跳躍した。
そして一時的に群れから抜け出ると、重力で落下する勢いをそのままに、体ごと回転させて再び蝙蝠の中で双剣を振り回した。

 最小限の動きで、的確に蝙蝠を切り刻むと、ばらばらと散っていく死骸を見ながらトワリスは息を吐いた。

 血のついた双剣を振って、軽く血を飛ばすと、最後に残った数匹を切りつけて、とどめを刺す。

 すっと双剣を腰の鞘に納めると、トワリスは、蝙蝠の死骸が散らばる周囲を再度見回した。
そして先程、男が投げた剣の一つを拾い上げた。
弾いた瞬間から、この剣の存在がずっと気になっていたのだ。

 薄暗い洞窟内ではいまいち分からなかったが、この剣は、普通の鉄よりも少し黒光りしているように見える。
トワリスは、それをまじまじと見つめ、顔をしかめた。

(……この剣を弾いたとき、私の体から魔力が一気に抜けた。どういうこと……?)

 まるで全身から、力が一瞬で抜き取られたような、なんともいえない感覚だった。
魔力を発していない今は、剣を握ってもなにも起こらなかったが、あの奇妙な感覚は、確実にこの剣によって引き起こされたものだ。

 その時、背後で微かに声が聞こえた。
トワリスが我に返って振り向くと、鳥人の男が怯えたようにこちらを見ていた。

「……大丈夫ですか? お怪我は?」

 そう言って、他にも落ちていた男の剣を三本拾いながら、トワリスは男の元に向かった。
しかしそれに対して、男は焦ったようにトワリスから剣を奪い取った。
そしてそれらを鞘に納めると、はち切れんばかりに膨らんだ自分の荷に突っ込んだ。

 トワリスが、少し不審そうな視線を男に送ると、男は慌てて土下座をした。

「た、助けて頂きありがとうございました! 貴女は命の恩人です……!」

 言いながら、いつまでも頭を上げない男の側に、トワリスは屈んだ。

「構いませんから、頭を上げてください。あまり大きな声を出すと、また蝙蝠達が集まってくるかもしれません」

 囁くように言うと、男ははっと口をつぐんで、顔を上げた。
トワリスは、男の腕を掴んで立ち上がらせると、言った。

「とにかく、ここを出ましょう。微かにですが、風が吹いてくる……出口は近いと思いますから」

「は、はい……」

 男は、怪我をしている左足をかばいながら、よたよたと歩き出した。
しかしその間も、男は先ほど剣を突っ込んでいた自分の荷を、絶対に離すまいとしているようだった。

 二人が外に出たのは、朝陽が山々を縁取り始めた頃だった。



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