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投稿日:2021年02月23日





 なんとか踏みとどまると、ユーリッドは臨戦態勢に入った。
彼らが襲いかかってきた理由など、簡単に想像できる。
捕まれば、所持金全てをとられるか、どこかに売り飛ばされるか。
どちらにせよ、話し合いでどうこうできる問題ではないだろう。

(こうなったら、力ずくで……!)

 一応一般市民である彼らに対し、剣を抜くのはまずいと思い止まって、ユーリッドはまず先程殴りかかってきた男に狙いを定めた。
 
 地面を蹴って、一気に間合いを詰めると、右足を軸にして男の両足をなぎ払った。
そして、バランスを崩して倒れ込んできた男の鳩尾に、とどめとばかりに拳を叩き込んだ。

「がはぁ……!」

 苦しげに呻いて動かなくなった男に、周囲の獣人たちがどよめいた。

「お、おい、あのガキ戦えるぞ!」

 どっと湧いたどよめきを無視して、ユーリッドは次に右隣にいた男を見た。

(騒ぎになる前に、こいつら全員倒して逃げるしかない……!)

 目があった瞬間、蹴りを放ってきた男の足を避けると、ユーリッドは男の懐に深く潜り込んだ。
そして腹部を右拳で殴り付けると、男は腹を抱えて蹲った。

 その時、またしても上がったどよめきと同時に、ファフリの短い悲鳴が聞こえてきた。
慌てて振り向くと、先程の虎の獣人が小刀を片手に、もう一方の腕をファフリの首に回していた。

「抵抗するな、ガキ!」

 虎の獣人はそう叫んで、ファフリの頬に小刀を当てて見せる。

 仕方なく押し黙ると、好機とばかりに残っていた男二人が、ユーリッドの両脇を抱えて、動きを封じた。

 虎の獣人は、ファフリの頭巾を乱暴に剥ぎ取ると、彼女の顔を見て嫌らしく笑った。

「おい! こいつ高値で売れそうだ。行くぞ!」

「こっちのガキも売れるぞ!」

 形勢逆転を確信したのか、男たちはさっきまでの動揺が嘘だったかのように、喜々として話している。
そうして歩き出した男たちに引きずられるように進みながら、ユーリッドはぎりりと奥歯を噛み締めた。

(くっ、しまった……逃げられそうだったのに!)

 少しでも、ファフリから離れてしまったのがいけなかったのだ。
彼女が狙われるのは分かりきっていたというのに、つい戦闘に没頭してしまった。

 どう逃げ出すかを思案していると、ふと前を歩いていた虎の獣人が立ち止まった。
それに伴い、ユーリッドの両脇を固めた二人の獣人も止まる。

 どうしたのかと首を傾けて見ると、虎の獣人の前に一人、小柄な女が立っていた。

 女は、ユーリッド達と同じように外套を纏い、深く頭巾を被っていた。
だが、その外套の縁に入っている模様や、革靴の皮革が独特なもので、格好が同じと言えどこか変わった風貌をしていた。

「なんだ、お前?」

 行く手を塞がれたことに苛立ったのか、虎の獣人は威圧的に女に顔を近づけた。
しかし、彼女はそれに動じる様子もなく、自分より二回り以上大きい相手を、見上げるようにして顔を上げた。

「……この子たち、離してもらえませんか? 私の連れなんです」
 
 連れ、という言葉に、ファフリもユーリッドも頭の中に疑問符を浮かべた。
当然、この旅に連れなどいない。

 虎の獣人は、女を値踏みするかのように眺めた後、ふんっと鼻で笑うと、女を手で押しのけて歩を進めた。

「あの、話聞いてます?」

「どけ、邪魔だ」

 虎の獣人は、眼光鋭く女を睨み付けると、突きつけていた小刀をファフリから離して、脅しのように女の目の前にちらつかせた。
すると、その次の瞬間。

 突然、なにかがバンッと弾けるような音がして、獣人の顎が跳ね上がった。
彼は、勢いそのままに仰け反ると、バランスを崩して後ろに尻餅をついた。

 一瞬、何が起きたのか分からなかったが、女が空に向かって手を突き上げている。
どうやら、彼女がすれ違う際に虎の獣人の顎を叩き上げたようだ。

(今だ!)

 ファフリが解放されたことを確認すると、ユーリッドは即座に、脇を抱えた二人の獣人のうち、一人の脛を蹴り上げた。
そして、激痛で力を緩めた男を振り払い、それによって怯んだもう一人の男の顔面を殴り付けると、急いでファフリの元に走った。

「ユーリッド!」

 そう叫んで、同じく駆け寄ってきたファフリを受け止めると、ユーリッドは周囲を見渡した。
虎の獣人と、ユーリッドを抱えていた二人の獣人、計三人。
先程の打撃から回復してはいないようだが、この分ではすぐにまた襲いかかってくるだろう。

 ユーリッドが再び構えようとすると、小柄な女がずいと前に出た。

「さっきから聞いていれば……大の男が揃いも揃ってみっともない。そんなに体力が有り余ってるなら、まともな仕事でも探しなさい」

 説教じみたことを言い放った女に、虎の獣人は怒り心頭といった様子で立ち上がった。
そして、びきびきと丸太のような腕に血管や筋を浮き上がらせると、女の左腕に掴みかかった。

 女の細腕は、先程獣人の顎を叩き上げたものとは思えないほど、簡単に掴み上げられた。
その時、頭巾で隠れた女の顔が、わずかに苦痛に歪んだ気がして、ユーリッドは加勢すべく身を乗り出した。

 そもそも彼女は、ユーリッドどころかファフリともほとんど身長差がないように見える。
この巨漢たちに勝てるとは、到底思えなかった。

 しかし、そう思ったのもつかの間。
女は、ユーリッドが乗り出したのを片手で制すると、ふっと息を吸った。
それからほんの一瞬、身を縮ませると、自分の腕を掴んでいる虎の獣人の肘に目掛けて、下から手刀を叩き込んだ。

 ごきっと鈍い音を立てて、男の肘が不自然な方向に曲がる。

「うぎゃあっ……!」

悲痛な叫びをあげながら後ずさった獣人の脇腹を、女が更に蹴り飛ばす。

 蹴り飛ばされた獣人は、派手な音を立て、椅子や机を巻き込みながら出店に突っ込んだ。
ぴくりとも動かなくなった彼は、舌を口からだらりと出して、完全に気絶しているようだ。

「あいつ、急に力が強くなったぞ……!」

「化け物か!?」

 残った二人の獣人は、悔しげにそう言いながら、ユーリッド達と女の間をすり抜けて走り去っていく。

 女は、彼らが逃げ去った方向を一瞥してから、ユーリッド達の方に近づいてきた。

「……大丈夫?」

 そう言って、女は自分よりも背の高いユーリッドを見上げると、深くかぶっていた頭巾を外した。
女は、多少癖のついた褐色の髪をしており、埃を払うためか軽く首を左右に振ると、頭巾に隠れていた三編みが一つ、後ろに垂れた。

 小柄ではあるが童顔というわけではなく、歳は二十代前半といったところだろう。
また、ちょうどこめかみの下辺りから生えている狼の耳を見て、彼女が自分と同じ人狼であることにユーリッドは気づいた。

「俺は、大丈夫です。ファフリも怪我とかないよな?」

「う、うん」

 二人でそれぞれ返事をすると、女は微かに微笑んで、出店の木箱が並んでいるところへ歩いていった。
ユーリッドがそれに着いていこうとすると、くいくいとファフリがユーリッドの手を引っ張った。

「ん?」

 振り向いてから、ファフリが信じられないといったような表情をしているのを見て、ユーリッドは目を見開いた。

「え、どうしたんだ? どこか痛いのか?」

 ファフリは首を横に振ると、木箱の方に向かった女に視線を向けた。

「……あの獣人、さっき魔術を使ったわ」

「え!?」

 思わず大声を出しそうになって、ユーリッドは口元を押さえた。

 獣人には、魔術を使える者はいない。
唯一使えるのは、召喚師の一族だけだ。
つまり、ミストリアにおいて、リークス王とファフリ以外の獣人は魔術を使えないはずなのだ。

「か、勘違いじゃなくて?」

「うん……。可視できるようなものじゃなかったし、所々だったけど、彼女が虎の獣人と戦ってたとき、微かに魔力を感じたの」

 ファフリは、困惑したような表情を浮かべて言った。

 正直なところ、信じられないというのが本音だ。
しかし、ファフリが嘘などつくようにも思えないし、魔術を使ったとすれば、女の力が急に強くなったのも頷ける。

 加えて、考えてみれば、同じ人狼としてもあの女は少し不思議な点が多かった。
まず、人狼にしては小柄すぎるし、耳の位置も、こめかみより下にあるなんて聞いたことがない。

 当然、人狼と一括りにするにしても、棲む地域や種族によって異なる箇所が多いため、断言は出来ない。
ただ、現れたときから異様に深くかぶった頭巾や、独特な匂いや風貌。
気にしようと思えば、気になる点は多くあるのだ。

 魔力を感知できるのが魔術を使える者——召喚師の一族だけである以上、魔術を使っただろうと問い詰めることはできなかった。
もしそんなことをしたら、ファフリが次期召喚師であると女にばれてしまうからだ。

 だが、どうしても彼女の正体が気になった。
そう考えながら、ごくりと息を飲んで、女に視線を移そうとしたとき。
目の前に何かが迫ってきて、ユーリッドは慌てて手を出した。

 ばさりと滑り込むよう落ちてきたそれを受け止めると、ユーリッドとファフリは同時に声をあげた。

「許可証!」

 ユーリッドがはっと顔をあげると、女が自分の手にも許可証を持って、こちらに戻ってきた。
木箱から、ユーリッドとファフリ、そして自分の分の通行許可証をとってきたようだ。

「貴方たちもこれが欲しかったんでしょう?」

「あ、ああ……」

 柔らかく笑って問うてきた女に対し、ユーリッドは緊張した面持ちで頷いた。

 女は、次いで懐から巾着を取り出すと、その中から青玉のついた指輪をころりと掌に出す。
そして、未だ気絶したままの虎の獣人の手に、それを握らせた。

「……まあ、彼らも生活がかかってるんだろうしね」

 そうぽつりと呟いた女に、ユーリッドも思わず、さっき彼に渡し損ねた金貨を出した。
すると、女はそれを見て、くすくすと笑った。

「貴方たちは、出さなくていいよ。不当に売買されかけたんだから」

 彼女につられるようにして、ユーリッドとファフリも微かに笑った。

 正体が気になるのは本当だったが、この女が悪者のようには全く見えなかった。
それ以前に、彼女はユーリッドたちの恩人なのである。
まだ感謝の言葉を述べていなかったことに気づいて、ユーリッドは急いで手を差し出した。

「助けてくれて、ありがとう。俺、ユーリッドって言うんだ。こっちはファフリ。よろしくな」

 女は、一瞬戸惑うような仕草を見せたが、軽くユーリッドの手を握ると、二人を真っ直ぐに見た。

「——私はトワリス。こちらこそ、よろしく」

 凛とした通る声で言うと、トワリスはすぐに手を離した。

「ゆっくり挨拶したいところだけど、万が一さっきの奴らが戻ってきたら困る。とにかくここを出よう」

 トワリスの言葉に、ユーリッドとファフリもこくりと頷くと、三人は足早に間宿の大通りへと向かった。



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