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投稿日:2021年02月23日





  *  *  *


 無数の剣に身体を貫かれているような、そんな鋭い水流に、身動きをとることさえ出来なかった。
幸い、持っていた荷が浮き袋の役割を果たしていたので、深くに沈むようなことはなかったが、いずれ荷の中に水が浸透してしまえば、それも望めないだろう。

 流されていく途中で、すれ違った岩に咄嗟に掴まると、濡れてまとわりつく髪をかきあげて、トワリスは水面から顔を出した。

 辺りを見回すと、前方に同じく荷を浮き袋にして、必死に水をかいているユーリッドの姿が見えた。
しかし、見えたのと同時に、踏ん張りがきかなくなって、トワリスは再び激流にのまれた。

 身を切るような冷たい水に、だんだんと全身の感覚がなくなってくるのが分かる。
息が詰まって、意識が遠くなり始めたのを感じて、もう駄目かもしれないと思った。

 その瞬間、ごほごぼっと水音が聞こえて、水が糊のように重くなった。
荒れ狂っていた渓流の流れも動きを止め、なにかどろどろとしたものに全身を包まれているような感覚に陥る。

 何が起きたのか分からぬまま目を開くと、漂う水の中、ファフリの姿だけがはっきりと見えた。

 ファフリの方に手を伸ばしたとき、突然見えない力にぐっと背中を押されて、水面まで浮上した頃には、目の前に岸が迫っていた。
かじかんだ手を岸に向かって出すと、その手をユーリッドが掴んで、トワリスは岸に引き上げられた。

 げほげほと咳き込んで、全身の筋肉がばらばらになりそうなほどの疲労感と戦いながら顔を上げると、ユーリッドがほっとしたようにこちらを見ていた。
その傍らには、ファフリが放心したように立っている。

 ユーリッドですらまだ立てずにいるのに、ファフリは息一つ乱さずにいて、その姿には、一種恐怖を覚えた。

 ある程度息が整ってから、トワリスは立ち上がると、半ば睨むようにしてファフリを見た。

「……ファフリ、貴女、何をしたの?」

 ファフリは、無表情のまま、渓流を指差した。

「……深く、暗い闇が広がっている。苦しいと喘ぐ水が、助けを求めてきた。それに応じたから、水も我々を助けた」

 トワリスとユーリッドは、同じように顔を歪めた。
声はファフリのものだが、口調が明らかに彼女のものではない。

 同時にトワリスは、先程の崖での戦いで、ファフリが唱えようとした呪文を思い出して、身震いした。
聞き覚えがあったのだ。

 脳裏に、銀髪の男の姿が過って、そうして浮かんだ一つの可能性に、トワリスの手が自然と腰の剣に伸びた。

「ファフリ……まさか、行方不明の次期召喚師って……」

「…………」

 なにも言わないファフリに苛立って、トワリスは詰め寄ろうとしたが、それは前に出たユーリッドによって止められた。
トワリスは強くユーリッドを睨んだが、ユーリッドは少し悲しそうな顔をしている。

 ユーリッドの行動で、ファフリが次期召喚師であることを確信すると、トワリスは再び口を開いた。

「……どういうこと? なんで兵団に命を狙われてるの?」

 問うと、ユーリッドは困惑した様子で顔を強張らせた。
何か耐えるように、ぐっと口を引き結ぶその姿は、やはりまだ大人になりきれていない、少年のそれだった。

 その時、立ったままだったファフリが、急に崩れ落ちて、ユーリッドが咄嗟にその身体を受け止めた。

 しばらく沈黙が流れたが、やがてユーリッドは、目を閉じて眠ってしまったようなファフリを見ながら、呟いた。

「……話すよ、全部」

 弱々しく吐かれた言葉を聞いて、トワリスは立ったままユーリッドを見つめた。

 後方を見れば、崖はもう見えない。
随分と遠くまで流されてきたようだ。

 全身が濡れているせいもあり、そよそよと吹く微風さえも、とても冷たく感じた。



 ユーリッドは、これまでの経緯を全て話した。
十六にもなって、召喚術の才が見出だせないファフリを、父王である現召喚師リークスが殺そうとしていること。
ファフリの母である王妃の頼みで、アドラと共に逃亡の旅に出たこと。
しかし、アドラは殺され、その時に初めてファフリが召喚術を使ったこと。
それ以降、少しファフリの様子がおかしいこと。
感じたこと、思ったことまで、一切包み隠すことなく話した。

 途中、話すつもりのないことまで口からぽろぽろとこぼれ出たが、話終えた後、少しだけ気分が楽になった。
ずっと、誰かにこの苦しみを吐き出したかったのかもしれない。

 トワリスは、ユーリッドの話をただ黙ったまま聞いていた。
黙っていたと言うよりは、想像以上に残酷で悲劇的な話だったため、何を言えば良いか分からなかったというほうが正しいだろう。
それでも、話終えた時のユーリッドの表情は、少しだけ晴れ晴れとしていて、トワリスは心の片隅で安堵した。

 一方、心の奥に湧き上がってきた狂暴な思いに、ふと表情を曇らせる。

(……もし、私が今ここで、ファフリを殺したら……?)

 そう考えて、ぞわっと冷たいものが身体を巡った。

 ファフリがいなくなったら、ミストリアには次期召喚師がいなくなり、残るは国王リークス一人だ。
それも、ファフリが召喚術を使えるようになっている今、リークスは多少なりとも力を失っている。

 ファフリを殺せば、当然リークスの思惑通り召喚師としての力は彼に戻るだろう。
だが、それも瞬時に戻るわけではないはずである。
とすれば、今ここでファフリを亡きものとして、その直後に自分がその旨をサーフェリアに伝えたなら、敵対するのは力が不完全な召喚師のみ。

 サーフェリアへの獣人の襲撃の原因を突き止めようが、突き止めまいが、どちらにせよサーフェリアとミストリアは争うことになる可能性が高い。
その時に、リークスの力が衰えているなら、サーフェリアは圧倒的優位に立てる。
しかも、上手くミストリアが敗北を認め、退いてくれた場合、被害をほとんど出さずに事態を治められるだろう。

 たとえ任務を放棄してでも、ファフリを殺すことは、サーフェリアにとって有益のように思えた。

 また、そういった背景がなかったとしても、いつ完全に覚醒するか分からない次期召喚師を、他国の人間としてみすみす見逃すわけにはいかなかった。
リークスも、まだトワリスの存在には気づいていないはずだし、何よりファフリは、簡単に殺せる立ち位置に在る。

──殺すなら、近々動かなければならない。

 恐ろしいほど冷静に、トワリスの頭は働いた。
こうなれば、いつ、どう動くのが最もサーフェリアにとって良いのか、それだけを考えるのだ。
感情など、持ってはいけない。
これは、トワリスの宮廷魔導師としての経験から来る判断だった。

「トワリス……?」

 ふと聞こえてきたユーリッドの声に、トワリスは我に返って顔を上げた。

「大丈夫か? なんか、顔真っ青だけど……」

「あ、いや……ごめん、なんでもないよ」

 慌てて首を振って、トワリスは先程までの考えをひとまず脳内から追いやった。
元々嘘が得意な方ではないし、下手に思考を巡らせていると何かしら相手に勘づかれるかもしれないからだ。

 ユーリッドの意識を反らすためにも、トワリスは言った。

「……話は、分かったよ。でも、ファフリは既に召喚術を使えるんでしょう? それなら、召喚師だってもう殺そうとはしないんじゃないか?」

 そう尋ねると、ユーリッドは不安げに俯いた。

「それは、どうだろう。ファフリだって、まだ完全に召喚術を使えるようになった訳じゃないし、召喚師様は厳格なお方だから、ファフリに才能がないと判断した時点で、意見は変えない気がするんだ。早くファフリを殺して、新しく才能のある召喚師を生み出したいと考えてるのかも……」

 ユーリッドは、眠ったままのファフリを見て、続けた。

「仮に召喚師様がファフリを受け入れたとしても、だ。ファフリに、自分を殺そうとした奴と今後一緒に暮らせなんて、言えないよ……」

 ユーリッドの意見は、もっともだとトワリスも思った。
しかし、このまま逃げ続けても解決する問題ではないことくらい、火を見るより明らかである。
南大陸に渡って、兵団の手から逃れたとしても、そもそも南大陸は危険だから兵団が来ないのだ。
その危険な土地で、子供二人が生き延びられるとも思えなかった。

 ユーリッドが、再び口を開いた。

「……それに、本当は俺、ファフリには召喚術をあまり使ってほしくないんだ。見ただろう? ファフリが笑って、悪魔を召喚しようとしたところ。ファフリは、あんな風に笑って生き物を殺せるようなやつじゃないのに……。狼に襲われたときも、さっきこの渓流に何か起きたのも、助かったのは事実だけど、このままファフリが召喚師になったら、ファフリがファフリでなくなる気がしてならないんだ。今もそうだったけど、なんかぶつぶつ呟いてたりすることが多いし……」

 ユーリッドの言っていることは、言い得て妙だとトワリスは思った。
トワリスも、サーフェリアの召喚師に対して、同じようなことを感じたことが多々ある。

 重苦しく息を吐き出すと、トワリスもファフリに視線を移した。

「……私も、詳しいことは分からないけど、その呟いてたって言うのは、悪魔のせいなんじゃないかと思うよ」

 ユーリッドが、はっとしたように頷いた。

「おそらく、ファフリはまだ悪魔を制御する術を持ってないんだよ。悪魔は、隙あらば主に取って変わろうとするらしいし、さっきファフリが言っていたことも、ファフリじゃなくて悪魔の言葉だったのかもしれない」

 トワリスがそう言うと、ユーリッドも納得したように、なるほどと呟いた。

「それにしても、トワリスって召喚師と何か関わりのある血筋なのか? なんかやたら詳しいし、魔術も使えるみたいだし……」

 トワリスは、しまったと一瞬焦った。
しかし、ファフリが次期召喚師である以上、自分が魔力を持っていることなど隠すだけ無駄である。
少し明かしたくらいで、サーフェリアから来たとユーリッド達が予想できるはずもないし、今更誤魔化すのも妙だろうと思って、トワリスは言った。

「別に、そんなんじゃないよ。私は、父親が人間だからね。魔力のある人間の血が入ってるから、私も魔術が使える。それだけ」

 若干棘を含んだ言い方に、暗にそれ以上は聞くなと言われているようで、ユーリッドは他には何も聞かなかった。


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