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投稿日:2021年02月23日






 幸い、兵士たちが追ってくる様子はなかったが、念のため三人は森の中に入った。
木々に囲まれていれば、見つかる可能性が低くなるからだ。

 本来ならば、夜通し歩いてでも南大陸への関所に向かうべきなのだろうが、渓流に流され体力の消耗が激しい今、それをするのは自殺行為だ。
そのため、ユーリッドとトワリスで話し合い、今日のところは休むことにしたのである。

 日の沈みかけた群青の空を、木々の間から見上げて、ユーリッドは白い息を吐いた。

 相変わらず眠ったままのファフリは、まるで人形のように自分に背負われており、荷をもって前を歩くトワリスも、何か考えているのか、先程から一言も発さない。
三人の間には、ひどく重苦しい空気が流れていた。

 自然に作られたであろう、小さな岩屋に入ると、ユーリッドはそこに自分の上着を敷いて、ファフリを横たわらせた。
まだ濡れたままの上着を使用しても暖かくはならないだろうが、岩の上にそのまま寝かせるよりはましだろう。

「だいぶ、冷えてきたな……」

 そう言うと、トワリスがはっと顔を上げて、そうだねと頷いた。
自分達が逃亡の旅に出た理由を話してから、トワリスはどこか上の空だ。

「……トワリス、大丈夫か? さっき落ちたときに、怪我とかしたんじゃ……」

 心配になってユーリッドが尋ねると、トワリスは少し複雑そうな顔をした。

「……いや、なんともないよ」

「そうか……?」

 彼女の態度に、どこかよそよそしさを感じながらも、きっと疲れてるんだろうと理由付けると、ユーリッドはトワリスの持っていた自分達の荷物を指差した。

「間宿で買った干肉が入ってるはずなんだけど、食えるかな?」

 努めて明るい声音で言うと、トワリスがふっと表情を和らげた。

「食べられると思うけど、相当ふやけてるだろうね。私が持ってた食料も水浸しだったし。夕飯にするなら、一回火で炙った方がいい」

「はは、そうだよな……。じゃあ俺、焚き火用に薪をとってくるよ。トワリスは、ファフリを見ててくれ」

「ああ……分かった」

 岩屋を飛び出していったユーリッドを見送ってから、トワリスは座り込んだ。
衣服が濡れているせいや、疲労のせいもあるだろうが、全身が妙に重く感じた。

(ファフリを見ててくれ、ね……)

 心の中で呟いて、膝を抱える。
きっとユーリッドは、完全に私を信頼しているのだろうと、トワリスは思った。

 わざわざ明るい笑顔を作って、怪我をしたんじゃないかと心配までして。
あんな風にこちらに気を使っていたけれど、ユーリッドはまだ子供である。
元々警戒心の少ない性格も手伝っているのだろうが、辛い状況下でやっと出会えた大人──トワリスに、無条件で心を許してしまっているのかもしれない。

 そのトワリスも、ファフリの命を狙っているというのに。

 トワリスは、ぐっと唇を噛んだ。

 売国奴と蔑まれ、半ば追い出されるようにミストリアへと送られて、もう三月は経つ。
おそらくサーフェリアでは、既に自分は死んだことになっているだろう。
当然だ、異国に単身渡って帰ってくるだなんて、普通は誰も思わない。

 それなのに、行けと命じられたということは、やはりそういうことだ。
分かっていた。
元々、サーフェリアの教会がトワリスに望んでいるのは、任務の遂行ではなく、死なのだから。
 
 近くで、獣の遠吠えが聞こえる。
その音を聞きながら、ふと、今敵に襲われたらどうなるのだろうと思った。
例えば、今朝魔術を行使したことがミストリアの召喚師に伝わって、自分がサーフェリアの者だと気づかれていたとしたら──。
可能性としては、十分あり得る話だ

 そうしたら、自分は死ぬのだろうか。
この異国の土地で、誰かに悲しまれることもなく、たった一人。
獣人の血を引く、サーフェリアの愚かな売国奴として。

 そう考えた途端、言葉では言い表せないほどの悲しみと、虚無感が心を覆った。
これまでなるべく意識しないようにしてたのに、一度考えてしまえば、その絶望感はどこまでも広がっていく。

(……サーフェリア、か……)

 引き寄せた膝に額を押し付けて、嘆息する。

 獣人の血が混じる自分のことも受け入れてくれた、大切な故郷。
今回の獣人の襲撃が原因で、居場所はなくなってしまったけれど、やはり自分が帰る場所は、サーフェリアしかない。

 目を閉じれば、不思議とサーフェリアでのことが頭に浮かんだ。

 自分がミストリアに渡ることを反対していた、ハインツや宮廷魔導師の仲間たち。
自分が渡らなければ、代わりにルーフェンがミストリアへ送られることになっていただろうし、何より、無謀な作戦とはいえ、任務の遂行がサーフェリアのためになるのは事実だったから、結局自分は渡ることを決意したわけだが、最後まで身を案じてくれる彼らの存在は、とても嬉しかった。

 トワリスは、絶対に落とさないように腰の革袋に入れておいた、緋色の耳飾りを取り出した。

 それを強く握りしめると、掌にじわりと暖かいものが流れ込んでくるような気がした。

「……ルーフェンさん……」

 ぽつり、とその名を呟く。

 「何もするな」と大見得きって告げてきたのに、こんな風に弱気になっているところを見られたら、彼に何を言われるだろう。
また、馬鹿だね、と笑われるだろうか。
それとも、いつも通りおどけて、有り難みの薄い慰めでもしてくるだろうか。

 どちらにせよ、表向きではいまいち繊細さの欠ける行動ばかりとる男だから、こちらが望むような言葉をかけてくるなんてことはないだろう。

 けれど、別にそれでも良い。
自分は、労られたいわけではないのだから。

 ただ、もし無事にサーフェリアに帰れたら、己を対等に見てほしいと思った。

 召喚師に並ぶ強力な存在はないから、ルーフェンはいつだって一人である。
そんな彼に追いつきたくて、宮廷魔導師にまで上り詰めたのに、ルーフェンと同じ立場に立てたことなどない。
いや、正確には、立たせてもらえないのだ。
だから、ちゃんとこの耳飾りを返せたら、頼りになるのだと認めてほしい。

 膝につけていた顔を上げて、トワリスは耳飾りをそっとしまった。

(……絶対、帰ってやる……)

 自分に今できることは、サーフェリアのために動くことである。
たとえ期待されていなかったとしても、サーフェリアを有利な方向に導けば、自分が売国奴ではないという確固たる証拠にも繋がるはずだ。

 そのためならば、なんだってする。
そう強く心に決めて、トワリスは拳に力を込めた。

 辺りにユーリッドの気配がないことを再度確かめると、トワリスはちらりとファフリを見た。

 ファフリは、まだ湿ったままのユーリッドの上着の上で、横たわっている。
深く眠っているようだ。

 その姿を確認してから、トワリスはわざと音をたてて立ち上がった。
それでも、ぴくりとも動かないファフリに、トワリスは微かに目を細める。

(起きる様子はなし、と……)

 ファフリの元に静かに歩み寄りながら、腰の双剣を、一本だけそっと引き抜く。
すると、木々のざわめきが一層強まった。

 ファフリに怨みなどないし、むしろ助けてやりたかった。
ユーリッドの話からも伺えるが、召喚師がいかに残酷な運命のもと生きているのか、自分は普通よりも理解できているつもりだ。
だからこそ、この子供たちに手を差し伸べてやりたいという気持ちは、確かにある。

 しかし、その気持ちは捨てなければならない。
自分はサーフェリアのためにこのミストリアに渡ったのだから、それ以外のことに尽くす余裕も、理由もないのだ。
ましてそれが、自国を陥れることに繋がりかねないというなら、尚更力を貸すわけにはいかない。


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