トップページへ
目次選択へ
投稿日:2021年02月23日





 ファフリの頭に手を置き、さらりと優しく撫でる。
自分は何をしているんだろうと思いつつも、トワリスは、その手を止めるつもりはなかった。

「……気持ち悪いだなんて、思わないよ……」

 ファフリは、再びトワリスを見て、微笑んだ。
その陰のある笑顔は、無邪気な少女というよりは、どこか大人びた笑顔だった。

「ありがとう……。トワリスは、優しいのね」

「……優しく、なんか……」

 複雑な表情を浮かべて、トワリスは黙り込んだ。
ファフリは俯いて、静かに目を閉じた。

「──どうして、わたしが……」

「…………」

 ファフリは、それ以上は何も言わなかった。
しかし、その先に続く言葉を、トワリスは予測できた。

──どうして、わたしが召喚師なんだろう?

 どこかで、聞いたことがある言葉だった。

 どうして自分が召喚師なのか。
召喚師にならなければならなかったのか。
何故、自分ばかりこんな目に遭わなければならないのか。

 きっと、幾度となく問い続けてきたのだろう。
まるで己を召喚師とした運命を呪うように、責め立てるように。

 彼女たちのこういった殺伐とした苦しみを、完全に理解することはできないだろうと、トワリスは思う。
それでも、こうして見ているだけで──ファフリの心情を想像するだけで、身の内が焼けるようだった。

 父王に命を狙われ、国を追われ、もうどこにも逃げる場所はない。
すがれる希望もなく、自身を巣食う力に怯えて、“死”以外の選択肢を夢見ることさえ許されない状況のように思えた。

「……こんなの、おかしいじゃないか」

 唐突に突き上げてきた思いが、トワリスの口をついて出る。

 決して長い時間を過ごしたわけではないけれど、ファフリやユーリッドを追い詰めた多くの者達に、胸の底から怒りが湧いてきた。
何の罪もなく、ただ健気に生きてきた子ども達が、何故こんなにも苦しまなければならないのか。
手を差し伸べようとする者も、誰一人としていないのか。

 一度、強く息を吸い込むと、トワリスは視線を落とした。
ファフリは、膝を抱え、目を閉じたまま、すうっと寝息を立てている。
どうやら、再び眠りに落ちてしまったらしい。

 トワリスは、そっとファフリの肩を抱くと、そのまま横に倒して寝かせた。
そして、出来るだけ物音を立てぬように立ち上がり、岩屋の壁にもたれるようにして座り込むと、ちら、と茂みのほうに視線を向けた。

「……ユーリッド」

 トワリスがそう声をかけると、がさっと茂みが揺れて、薪を抱えたユーリッドが木の陰から現れた。
その表情は気まずそうで、唇は真一文字に引き結ばれている。

「聞いてたんだろ」

「…………」

 トワリスの問いかけに、ユーリッドは返事をしなかった。
ただ黙ったまま、前に出て屈むと、火を起こす準備を始めた。

 しかし、薪を並べ終わったところで、ユーリッドはふと口を開いた。

「……ファフリが……聞いてほしくなかったんなら、聞かなかったことにする」

「…………」

 次いで、ユーリッドは燧石を打ち付けながら、下を向いたまま言った。

「トワリスは、後悔してるか?」

「何を」

「……俺達に、ついてきたこと」

 ユーリッドは、トワリスの返事を待つことなく、続けた。

「ファフリとの会話を聞いてて、思ったんだ。トワリスが一人旅に戻りたいっていうなら、俺達に止める権利はないんだって。むしろ、もしまた兵団に襲われたら、今度こそ命が危ないかもしれないから、もう別れた方がいいんだと思う。トワリスは、俺達とは何の関係もないんだし……」

 トワリスは、俯くユーリッドを見て、嘆息した。

「正直に言えば、割と後悔だらけだよ。初めて会ったときから、何か訳ありな子ども達だろうとは思ってたけど、まさか追放された次期召喚師様だったとはね。察しろなんて無理だ」

「……うん、ごめん」

 申し訳なさそうに首をすくめたユーリッドに、トワリスは一息置いてから、小さく笑った。

「でもね、なんか……運命的なものも感じてる」

「……運命?」

「だって、次期召喚師なんて、私みたいな部外者がそう簡単に会えるものじゃないでしょう。しかもあんな闇市のど真ん中で、通りすがりに」

「はは、まあ……すごい偶然っちゃ、偶然だよな」

 微かに顔をあげて言ったユーリッドに対して、トワリスは首を左右に振った。

「……いや、きっと偶然じゃないんだ。こういうこと、一回じゃないんだもの。だから、運命的だなってね。私は、何か不思議な縁を持ってるのかもしれないな」

 少し表情を和らげて言ったトワリスに、ユーリッドは首を傾げた。
一回じゃない、とはどういう意味なのか、よく理解できなかったからである。

 トワリスは、藍色の空を見上げた。

「……自分に過信している訳じゃないけれど、貴方達、私が抜けたらどうするわけ?」

 多少低くなったトワリスの声に、ユーリッドは口ごもって答えた。

「どうするって……トルアノに向かって、それから南大陸に渡るつもりだけど……」

「そのあとは? 行く宛はあるの? それに、渡るつもりって言ったって、南大陸は危険なところなんでしょう。たった二人で、生きていけると思うの?」

「…………」

 ユーリッドは、一瞬ぎゅっと表情を歪めて、再び下を向いた。
視線の先にある薪の輪郭が、わずかにぼやける。

 ユーリッドは、はあっと息を吐いた。

「……想像、できないよ、未来なんて。今、この一瞬を生きることしか、俺には考えられない……」

「…………」

 そう言って肩を震わせたユーリッドを、トワリスは無言で見つめた。
ユーリッドは、表情を必死に固くしているようだった。

 この先のトワリスの言葉次第で、ユーリッドはきっと涙を流すだろう。
起きていたら、ファフリも同じはずである。

 努めて明るく装っていても、結局彼らの頭にあるのは未来への絶望のみだ。
想像しただけで打ちひしがれてしまうような、深い深い絶望。

 それを考えまいとして、笑っていたユーリッドを思うと、先程まで全く余裕のなかった自分が、トワリスはひどく滑稽に思えた。
己にはまだ、サーフェリアに帰るという未来を、思い描くことができるというのに。

 トワリスは、腰の革袋から緋色の耳飾りを取り出すと、それを眠ったままのファフリの左耳につけた。
深紅のそれは、まるで自己主張するように、きらりと光って揺れる。

「……これね、私も詳しいことは分からないんだけど、魔力を抑える耳飾りなんだって」

 トワリスの行動に、ユーリッドは怪訝そうに数回瞬いた。

「魔力を抑えるって……なんで」

「抑えるっていっても、制御するだけ。必要以上の魔力の暴走を止めると言った方が、正しいのかな。悪魔は宿主の魔力を喰って増長するから、これをつけていると身体が楽になるらしくて……どれくらい効くかは知らないけど、もしかしたらファフリに起きていることも、これを身に付けることで多少軽減されるかもしれない」

 ユーリッドが、驚いたように目を見開いた。

「い、いいのか……? そんな、すごいもの」

 トワリスは、大きく頷いた。

「大事なものだから譲れはしないけど、ファフリに貸してあげる」

 全くの偶然か、あるいは必然か。
そんなことは分からないが、ここまで来ると、ルーフェンにこの耳飾りを渡されたことも、何か重大な意味があるような気がした。
もちろん、このミストリアという地で、ユーリッドとファフリに出会ったことにも。

 これから行うのは、国の命運を揺さぶることにもなりうる、大きな選択だ。
この子供達を、殺すか否か。
今ならまだ、どちらも選択できる。

 そして、サーフェリアの宮廷魔導師であるトワリスにとっての正解は、おそらく前者。
だが、心が後者に傾き始めた途端、どんどんと溶けて無くなっていくわだかまりを、見て見ぬふりをすることも出来なくなっていた。

「……トワリス?」

 突然話さなくなったトワリスを心配したのか、ユーリッドが顔を覗きこむ。
トワリスは、強い意思を瞳に宿して、視線をあげた。

「……決めた」

「え?」

 何を、といった様子で不思議そうな顔をしている少年に、トワリスははっきりとした声音で言った。

「私は、南大陸に行って色々と調べたいことがあるの。ただ生憎、道順も何もかも、私は知らない。だから、今更単独行動に戻ろうったって、こっちも困る」

「でも、それは……俺達じゃなくても、トルアノで地図を入手するなり、誰かを雇うなりすれば──」

「ユーリッド」

 言葉を遮られ、思わず口を閉ざしたユーリッドに、トワリスはいたずらっぽく笑った。

「あんたが、案内してくれるって約束だっただろう? 忘れたの?」

 ユーリッドは、ふるふると首を振った。

「い、いや、覚えてるよ。トワリスがいてくれたら、すごく助かるし……でも、やっぱり俺達の事情に巻き込むのは……」

「当人の私が良いって言ってるんだ。ごちゃごちゃ悩むのはやめなさい」

 きっぱりと言い切って、トワリスはぱんっと右の拳を左の掌に打った。

「生き延びなよ、貴方達は何も悪くないんだから。……生き延びて、いつか、ファフリのお父さんをぶん殴ってやりな。何発も殴ったら、正気に戻るかもしれないでしょう?」

 冗談混じりではあったが、その言葉を聞くと、ユーリッドは呆けた様子でトワリスを見た。
そして、やがて困ったようにはにかむと、僅かに頷いた。

「ああ……そう、だな」

 ユーリッドの瞳が、微かに揺れる。

「ありがとう、トワリス。これからも、よろしく頼むよ」

「……任せろ」

 二人の声音に、不穏の色はもう微塵もなく。

 人知れず流れたファフリの涙は、こめかみを通って落ち、冷たい大気の中、白濁した息がふわりと舞って、暁に消えていった。


To be continued....


- 33 -


🔖しおりを挟む

 👏拍手を送る

前ページへ  次ページへ

目次選択へ


(総ページ数100)