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投稿日:2021年02月23日




†第三章†──永遠たる塵滓じんし
第一話『禍根かこん


 ファフリは、夢を見ていた。
ここのところ、頻繁に見る嫌な夢だ。

 夢に繰り返し現れるのは、空から舞い降りてくる、小さな薄茶色の鳥であった。
鳥は、ファフリの傍に降り立つと、何をするわけでもなく、じっとこちらを見つめている。

 ファフリは、その鳥を見返して、口を開いた。

「カイム……?」

 鳥は、何も答えない。

 ファフリは、きゅっと唇を引き結ぶと、眉を寄せた。

「ずっと私の中にいるの、貴方なんでしょう? どうしてこんなことするの……? 私の身体を、乗っ取ろうとしないで!」

 身を乗り出して怒鳴ったが、やはり鳥は、何の反応も示さない。

 それに苛立って、再び口を開こうとしたとき。
どこからか、ごうごうと流れる水の音が聞こえてきた。

 途端、足元から一気に水が湧き上がってきて、あっという間に全身が水に飲まれる。
ファフリは、驚いて咄嗟に目を閉じたが、不思議と息ができることに気がつくと、恐る恐る、目を開けた。

 そして、その異様な光景に、瞠目する。

(なに、これ……!)

 ファフリの周囲に満ちた水は、おぞましいほどに、真っ黒であった。
それも、黒よりも深い、暗い暗い闇の色である。

 訳もわからず、一体なんなのだと問うように、ファフリは鳥の方を見る。
すると、鳥が一声、クィックィッ、と鳴いた。
その時だった。

 黒い水が、無数の顔を形成して、苦悶の声を上げ始めたのだ。
苦しい、助けてくれと口々に喘ぎながら、その目はファフリを凝視している。

 ファフリは、あまりの恐ろしさに、涙目になって、再び鳥に視線をやった。

「やめて、やめてよ……! こんなもの見せて、なにがしたいの!」

 耳を塞ぎ、何度も首を振りながら、その場にへたりこむ。
苦しい、助けてなんて言われても、自分には何もできない。
どうすればいいかなんて、分からなかった。

 ファフリは、そうしてしばらく、何も見ないように、聞かないようにと身を縮こませていたが、やがて、辺りが静かになると、ゆっくりと顔を上げた。

 いつの間にか、周囲に充満していた黒い水は、跡形もなく消え去っている。

 鳥は、こちらに歩いてくると、ファフリをじっと見ながら、再度クィックィッと鳴いた。
ちょうどその時、ファフリは初めて、その鳥の瞳に、うっすらと涙が浮かんでいることに気づいた。

「泣いてるの……?」

 微かに目を見開いて、躊躇いがちに手を伸ばす。

 鳥は、ファフリの手を一瞥してから、ぱちぱちと瞬きした。
そして、鳥の瞳から、ぽたん……と一粒の涙がこぼれ落ちたとき。
ファフリは、はっと目を覚ました。

 ぼんやりとかすむ頭で、ゆっくりと目を開けると、天井の木目が目に入った。
つかの間、これまでのことは全てが夢で、自分はいつも通り城の自室で起きたのかと思ったが、車輪ががらがらと回る音を聞いて、自分は馬車に乗っているのだと気づいた。

 確か、森の中にいたはずなのに、どうして馬車になんて乗っているのだろう。
不思議に思って、辺りを見回すと、窓から外を眺めているトワリスの姿に気づいて、ファフリは身体を起こした。

「……目が覚めた?」

 トワリスが振り返って、こちらを見る。
ファフリは、小さく頷いて、トワリスの方に近づいた。

「……ここは……?」

「森を出たあと、ちょうどトルアノに向かうっていう商人の荷馬車が捕まったから、ついでに乗せてもらってるんだよ」

 それを聞いて、ファフリは焦ったように目を開いた。

「嘘、私、そんなに寝ていたの……?」

 トワリスは、くすりと笑って、首を振った。

「大丈夫、まだ二日も経ってないよ。急いだ方がいいって言うんで、森を早く抜けただけ」

 その言葉に、ほっとした一方で、おそらく自分はユーリッドに担がれてきたのだろうと思うと、申し訳なさで胸が一杯になった。
旅に出てから、自分は誰かに迷惑をかけてばかりいる。

 再び外を見ていたトワリスが、ぴくりと反応したとき。
馬車の前方にある扉がばたんと開き、麻袋を肩にかけたユーリッドが入ってきた。

 ユーリッドは、ファフリを見てぱっと表情を明るくすると、すぐさまこちらに近寄った。

「ファフリ、おはよう! 良かった、目が覚めたんだな」

「……うん、ありがとう。気分も良いし、大丈夫よ」

 微笑んでファフリが答えると、ユーリッドは、荷物を置いて、嬉しそうにはにかんだ。

「そっか、良かった! やっぱり、その耳飾りの効果なのかな」

 ユーリッドがそう言うと、トワリスが苦笑した。

「さあ、どうだろうね。私はよく分からないけど……効いてるなら、貸した甲斐があったよ」

「ああ、きっとそうさ。本当にありがとな」

 ユーリッドは、トワリスからファフリに視線を戻すと、耳に下がった緋色の耳飾りを指差した。

「それ、トワリスが貸してくれたんだ。魔力を制御する力があるから、きっとファフリの役に立つだろうって」

「……そう」

 本当は、この耳飾りのことは、贈られた夜にユーリッド達の会話を聞いていたから、知っていた。
だが、それを口に出すことはせず、ファフリは、トワリスに向き直ると、穏やかな表情で言った。

「本当に、本当に……色んなことをしてくれて、ありがとう……」

「いいよ、気にしなくて」

 トワリスは、少し照れたように肩をすくめると、ユーリッドと目を合わせて、安心したように息を吐いた。

 いつの間にか、トワリスの中にあった躊躇いのようなわだかまりが、溶けて消え去っているように感じた。
ユーリッドとも、自分が眠っている間に随分と打ち解けたようで、安堵に似たものが胸の中に広がる。
しかし同時に、ファフリは、まるで自分が置いてきぼりにされているような気分になった。

(私だけ一人、足手まといだわ……)

 悲しみのような、悔しさのような、暗い感情が湧いてくる。

 だが、そう嘆く一方で、何を今更、と嘲笑う自分もいた。
足手まといもなにも、この苦しい旅路自体、全て己のせいじゃないか。
アドラが死んだのも、ユーリッドが怪我をしたのも、トワリスが巻き込まれたのも、全部自分が原因じゃないか、と。

 こんな風に罪悪感に苛まれながら、辛い逃亡生活を送るくらいなら、あの時、父王リークスの思惑にかかって死んだほうが、良かったのかもしれない。
いや、きっと、死ぬべきだったのだ。
そうすれば、自分より遥かに強力な次期召喚師が生まれて、ミストリアだって安泰する。

 こんなこと、自分のために命をはってくれた母やユーリッド、アドラやトワリスには絶対に言えないけれど。
それでも最近、悪魔に意識を乗っ取られている時以外に考えることと言えば、こうした、自分が生きていることへの後悔ばかりだった。

 馬車の動きが徐々に緩やかになり、やがて止まったとき。
外の方から、何やら話し声が聞こえてきた。

 トワリスは、窓から乗り出すようにして、外の様子を伺った。

「トルアノに着いたみたいだけど……なんか、もめてる」

「もめてる?」

 ユーリッドが返答して、首をかしげる。

 一体何をもめているのかと、聞こえてくる声に耳を澄ませたが、流石に馬車の中では、会話内容までは聞こえない。
三人は、仕方なく後ろ手に設置されている扉から、外へと出た。

 馬車から出ると、トワリスの言う通り、馬車の持ち主である獣人と、トルアノの門番であろう獣人が、言い争っているようだった。

「だから、今あんたたちを街に入れることはできないんだよ! 悪いけど引き返してくれ」

 トルアノの獣人が、苛立ったように言う。
どうやら、街に馬車を入れたくないということらしい。

 それに対して、商人である獣人も、困惑した様子で言い返した。

「はあ? どういうことだよ。俺達は、何日もかけてトルアノを目指してきたんだぞ?」

「とにかく、今は駄目なんだ。帰ってくれ!」

 吐き捨てるようにそう言って、トルアノの獣人は、外郭の門を閉じた。
予想外の事態に、馬車の持ち主とユーリッドたちは、しばらく呆気に取られたように、門を見つめていた。

 トルアノは、南大陸への関所に最も近い宿場町で、旅途中の商人や旅人からの宿代を主な財源としているような街である。
受け入れを拒否するなんて、聞いたことがなかった。

 馬車の主人は、困ったようにため息をつきながら、ユーリッド達の方に戻ってきて、言った。

「なんだかよく分からんが……しょうがねえ。俺は西に少し戻って間宿を探すが、お前さんたちはどうする? また乗っていくかい?」

 主人の問いかけに、ユーリッドは躊躇いがちに首を振った。

「……いや、いいよ。ここまでありがとう、おやじさん」

「そうかい。じゃ、あんたらの旅路に祝福を」

「ああ、祝福を」

 主人は、かぶっていた帽子を軽く上げて見せてから、馬車に乗り込み、来た道を戻っていった。


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