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投稿日:2021年02月23日






  *  *  *


 最後に一口、残っていた猪肉の角煮を口に放り込むと、ユーリッドはため息をついた。

 こんなに豪華な食事をしたのは、旅に出て以来初めてで、疲れきった身体は、大いに満足している。
しかし、自分は兵士だという嘘をついたがために得たこの贅沢は、なんとも受け難いものであった。

(まさか、こんな優遇されるとはなあ……)

 ユーリッドは、居心地が悪そうに頭を掻いて、崩していた足を正し、再び座り直した。

 門番に泣きつかれた、あの後。
結局ユーリッド達は、街に引き入れられ、頼んだ旅支度を整えてもらった上に、宿まで用意してもらった。
それも、旅人用の安宿とは思えない、食事から寝床の世話まで全てしてくれるような、上客用の宿である。

 流石、ミストリア屈指の宿場町というだけあって、届いた保存食や装備なども、かなり充実したものであったし、正直、予想以上の待遇に助かった点も多々ある。
だが、それで素直に喜ぶほど、ユーリッドたちは楽観的ではなかった。

(このまま関所に送り出してもらえるとは、思えないな……)

 ユーリッドは、小さく嘆息した。

 トルアノは本来、旅人や商人たちの行き交う、賑わいのある街である。
それなのに、今のトルアノは、まるで死んだように静かだった。
もちろん、来た者を拒んでいるから獣人が少ない、という理由もあるのだろうが、それだけじゃない。
町民ですら外には出ず、塞ぎ混んだように部屋に閉じ籠っているのだ。

 その原因は、門番の言っていた病で、間違いないだろう。
そう考えれば、兵団が派遣されたと聞いて、門番が目の色を変えたのも頷ける。
兵士ならば、蔓延している病のことを召喚師リークスに伝えることができ、そうすれば、勅令で医師団が動くからだ。

 ユーリッドは、横に座って、同じく浮かない表情で食事をしているファフリとトワリスの方に向いた。

「……なあ、街に入れてもらったのはいいけど、どうする? 兵団から派遣されたなんて嘘だし、もし何かあったら……。街の獣人たちには悪いけど、こっそり抜け出すか?」

 ユーリッドは、周囲を窺いながら、小声でそう言った。
すると、トワリスが箸を置いて、首を横に振った。

「……旅支度もしてもらったし、賛成したいところだけど……ごめん。その病とやらを、調べたいんだ。私は残るよ」

 それを聞いて、ファフリが首をかしげた。

「……トワリスは、その病のことを知ってるの? なんだか、症状のこととか、知っているような口振りだったけど……」

 トワリスは、少し困ったように口を閉じて、黙りこんだ。
今更、ファフリやユーリッドを信用していない、なんてことはない。
しかし、自分がサーフェリアから来たこと、サーフェリアに襲来したあの虚ろな目の獣人と、ホウルの言っていた南大陸の病に関係があるのか調べていることなどは、言う気にはなれなかった。

不意に、失礼します、という声が壁越しに聞こえてきて、部屋の襖が開いた。

 入ってきたのは、宿の従業員らしき女たちと、腰の曲がった老いた獣人であった。
女たちは夕食の乗った盆を片付けた後、すぐさま部屋を出ていったが、老いた獣人は、部屋に残った。

 上品に薄黄色の髭を整えている狐の獣人は、曲がった腰を庇いつつ、ゆっくりとその場に正座をする。

「兵士様、よくぞお越しくださった。私は、トルアノの町長、トバイと申します。長旅でお疲れでしょう。今宵はこちらで一夜、ごゆるりとお過ごしください」

 そう言って、深々と頭を下げたトバイに、ユーリッドは眉を下げた。

「いや、あの……色々と良くしてくれて、ありがとうございます。ただ、急ぎの旅なので、出来れば明日の早朝にはもう出発したいのですが──」

「明日ですって?」

 トバイは、長い眉毛を押し上げるように目を開くと、がばりと顔をあげた。

「そんな、明日だなんて。兵士様は、召喚師様のご命令で、病人の様子を見にトルアノに派遣されたのではないのですか? 文書は、召喚師様に届いたのではないのですか?」

 捲し立てるように言って、トバイはユーリッドに顔を近づけた。
すると、その傍らにいたファフリが、すかさず口を開いた。

「門番の方も、そう言ってましたね。その文書というのは、リークス王に宛てたものなんですか?」

 落ち着き払ったファフリの声に、トバイも幾分か興奮をおさめた様子で、答えた。

「……そうです。トルアノに例の病人が出てから、我々はもう何通も召喚師様に文書と使いの者を出しています。トルアノの医術師では対処できませぬから、どうにかして頂きたいと。しかし、返事はおろか、どなたも派遣される様子がない。一度、兵士様がその役を申し出て下さったこともあったのです。それなのに……何故、召喚師様はお応え下さらないのか。我々も、どうすれば良いのか分からず……」

「兵士? トルアノに常駐の兵士なんていましたか?」

 ユーリッドが問うと、トバイは小さく首を振った。

「いえ、宿泊されていた方が申し出て下さっただけで、正確には分からないのですが……貴方のその、紋様の彫られた剣の柄。それと同じようなものを、お持ちになっていたので、ミストリア兵団の方かと思いまして」

「……なるほど」

 ユーリッドは、返事をしながら、思わずどきりとして、剣の柄を握りこんだ。
この柄の紋様は、確かにミストリア兵団の証であるし、それを持っていたというのなら、トバイの言う通り、その獣人は兵団の者だったのだろう。

 しかし、実はユーリッドのもつ柄の紋様は、一般のものとは違い、現在は使われていないものだ。
ユーリッドの剣は、かつて兵団長であった父の形見であり、通常より複雑に彫り込まれているのである。
一見変わらないように見えるが、よく柄の部分を見ていた者が見れば、ユーリッドが兵士ではないと気づいてしまうだろう。

 ユーリッドは、気を取り直してから、トワリスの方を一瞥して、トバイを見た。

「トバイ町長、俺たちはまだ下級兵ですから、召喚師様にトルアノの文書が届いたのかどうか、分かりません。でも、病人の様子を俺達にも見せてください。さっきも言った通り、急いでいるので、今お願いします」

 今、という言葉に焦ったのか、トバイは一瞬、戸惑った顔をしたが、すぐに安心したような表情になった。
これで、病人たちの情報がノーレントに届くと思ったのだろう。

 そんな彼の様子に、ひどく罪悪感を感じながら、ユーリッドは病人たちの元に案内するよう、トバイに言った。

 病について調べても、召喚師に伝えることなど、今のユーリッドたちには出来ない。
それでも、この場を切り抜けて南大陸に渡るには、こうする他なかったのである。

 荷物を持ち、一度宿の外に出ると、ユーリッドたちは小さな石造りの建物に案内された。
その建物には、入口が一つしかなく、窓などもなかったので、中は外の夜闇よりもずっと暗かった。

 二重になっている扉の、一つ目を開けたとき。
トバイが、懐から布を三枚取り出して、それで口元を覆うように、ユーリッドたちに指示をした。
ユーリッドたちは、大人しくそれに従うと、トバイに促されて二つ目の扉を開け、部屋に入る。

 部屋の中は、壁に数ヵ所配置されている燭台の明かりしかなく、随分と薄暗かった。
だから、目が慣れるまでは、床に何人横たわっているのか、よく分からなかった。

 トバイが持っていた手燭を翳すと、茣蓙(ござ)の上に寝かされている二人の獣人が、ぼんやりと闇に浮かび上がる。

 茣蓙に寝かされている獣人の内、一人は、まだ二十歳にも満たないだろうという若者だった。
彼は、目を閉じたまま微動だにせず、その微かに開いた口は、生者のものとは思えぬ、虚ろな穴のようだった。

 その奥に寝ているもう一人の獣人は、肩の辺りまで毛布ですっぽりと覆われており、どのような状態で寝かされているのか、はっきりとは分からない。
しかし、唯一出ている顔は、まるで火傷を負ったように崩れていて、目鼻立ちすらはっきりとしていなかった。

 トバイは、口に当てた布を更に手で押さえながら、くぐもった声で言った。

「最初に感染したのは、この奥にいるシュテンという炭鉱夫です。彼は出稼ぎに南大陸に渡り、帰ってきた数日後、突然倒れ、そのまま動かなくなりました。息はしていますが、まるで全身の皮膚が溶けるかのように崩れ始め、今ではこのような有り様です。こちらのカガリという少年は、南大陸には行っていません。五日前に、近くの川に釣りに行って、帰ってきたときには症状が現れていました」

 トバイは、静かにユーリッドたちに向き直った。

「シュテンとカガリに、接点はありません。手掛かりが少なすぎて、我々にはどうすることもできませぬ。この原因不明の病が伝染性のあるものなのか、それとも何か他に要因があるものなのか、それすらも分かりません。けれど、病が南大陸から徐々に北上し、このトルアノを侵食し始めていることは事実です」

 トワリスは、じっとカガリの顔を見て、それから爛れたシュテンの顔を見つめた。

「症状は、倒れて動かなくなること、皮膚が崩れること、それ以外にはありませんか?」

 トワリスの問いに、トバイが口を開こうとすると、足元の暗がりから別の声が聞こえた。

「……いいえ、時々、何かを思い出したように起き上がりますわ」

 答えたのは、トバイではなく、カガリに寄り添うようにうずくまっていた、一人の中年の女性であった。
闇に紛れていてよく見えていなかったが、どうやら、トワリスたちが部屋に入ったときから、カガリに付き添っていたようだ。

 トバイが、カガリの母親です、と告げてから、彼女の肩に手を置く。
すると、目の下に色濃い隈のできたその女性は、掠れた声で続けた。

「普段は、声をかけても、何をしても、死んでしまったように全く動かないんです。けれど、時々起き上がって、まるで何かを探しているかのように歩き回り、しばらくしたらまた倒れて、動かなくなるんです。その時のこの子の目には、生気もないし……カガリとは別人のようで……。もう、私、どうしたらいいか……」

 カガリの母は、そう言って両手で顔を覆うと、涙を流す。
トワリスは、その様子を眺めながら、目を細めて再びカガリを見た。

 幽鬼のようにさまよう、という証言は、完全にホウルと一致しているから、やはりこの病は南大陸で流行っているものと同一なのだろう。
そして、この病は徐々に南大陸から北にまで広がっている。
ここまでは、間違いなさそうである。

 しかし、この病にかかった獣人が、サーフェリアに来ていた獣人と同じなのかどうか、根本的なところがまだ、トワリスの中では引っ掛かっていた。

(普段は全く動かない、ということは、サーフェリアに来ていた獣人とは違うのか……?)

 じっくりと記憶を探りながら、ホウルの言葉や、サーフェリアに現れた獣人の様子を思い出す。

 皮膚が爛れるという症状が、末期のものであるとして、サーフェリアではその症状が出る前に捕獲して処刑していたと考えれば、そこの相違点は解決できる。
だが、サーフェリアに来ていた獣人は、こんな穏やかなものではなかった。
常に徘徊し、出会い頭に襲ってくるような、そんな状態だったのである。
幽鬼のよう、死人のようという点では一致しているが、このシュテンやカガリと同じ獣人だとは、思えなかった。

(……とにかく今は、まだ判断材料が少なすぎる)

 トワリスは、壁にかかっていた燭台の一つを取り外し、蝋燭の炎をカガリの顔に近づけると、トバイに視線をやった。

「少し、調べさせて頂いても良いですか?」

「え、ええ、それは、もちろん……」

 トバイは言ってから、なにか困った様子で口ごもった。

「し、しかし……この部屋に長時間いるというのは……」

 伝染性の病だったら、移るかもしれない。
トバイの言いたいことは、これだろう。
身内のこととはいえ、奇病の危険に晒されるというのは、誰でも恐ろしいはずだ。

 すぐにそう察すると、トワリスはなるべく柔らかな口調で言った。

「……そうですね。では、お二人は外に出ていて下さい。調べるのは、私達だけでやりますから」

「……ですが……」

 トバイは、一度躊躇ったように俯いて、カガリの母と顔を見合わせた。
だが、やがて、ふと顔をあげると、申し訳なさそうに頭を下げた。

「……わかりました。私達は、この石室の外におりますので、何かあればお申し付け下さい」

「はい、ありがとうございます」

 トバイとカガリの母は、再び深々と頭を下げると、静かに石室から出ていった。


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