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投稿日:2021年02月23日
それを見届けてから、トワリスは腕捲りをすると、今度はシュテンの方を見る。
そして、シュテンを覆っていた毛布をゆっくりと取り上げると、燭台の明かりで彼の腹部を照らした。
(これは……!)
思わず顔をしかめて、トワリスは後ずさる。
シュテンの腹の表皮は、顔面以上に溶け出しており、まるで酸でもかけられたかのように、筋骨がむき出しになっていたのだ。
この光景には、トワリスの後ろにいたユーリッドやファフリも、はっと息を漏らした。
「なんだよ、これ……本当に生きているのか……?」
ユーリッドの言葉に、トワリスはシュテンの口元に手をかざす。
すると、トバイたちの言う通り、確かに呼吸が感じられた。
こんな状態で生きているなんて、信じられない。
この病に冒された生物たちがうろついているというなら、南大陸でホウルが恐ろしさに震えていたのも、確かに頷けた。
「……生きてるよ、信じられないけど」
強ばった声でそう答えると、ユーリッドが眉を寄せた。
「こんな病が、南大陸では流行ってるのか。……奇病が蔓延してるのは聞いてたけど、まさかこんな……」
戸惑いを隠せない様子で、ユーリッドが言う。
トワリスも、額にじっとりと汗がしみ出してくるのを感じながら、ただひたすら、シュテンを見つめていた。
サーフェリアに襲来した獣人と、この病には何かしら関係がある。
そう確信してここまで来たが、謎に包まれている部分が多すぎて、今はまだなにも判断できなかった。
ただ、サーフェリアに襲来した獣人たちは、腕を切り落とそうが、足の骨を砕こうが、動ける限りは向かってきた。
もし、この病の特徴として、痛みを感じなくなる、異様に創傷に対して強くなる、といったものがあるなら、シュテンがこのような状況下で生きていることも頷けるし、何より、先程カガリの母が言っていた、“何かを探しているかのようにさまよう”という言葉が気になる。
獣人たちは、何故サーフェリアでは凶暴化しているのか。
そもそも、この病は一体何が原因なのか。
サーフェリアでは感染者が出ていないことと、カガリとシュテンには接点がなかったことなどから、この病に伝染性がある可能性は低いと予想しているが、正直、それ以外は何も分からない。
トワリスが考え込んでいると、不意に、ユーリッドが何か気づいたように、シュテンに近づいた。
「……なんか、不思議な臭いがしないか?」
「え……?」
言われてみて、トワリスもシュテンに鼻を近づけてみる。
しかし、これといって変わった臭いは感じられなかった。
「臭いって、どんな?」
「なんていうか、鼻がつん、とするような刺激臭……。とりあえず、身体からするような臭いではないよ」
トワリスは、再び臭いを嗅いでみたが、やはり刺激臭らしきものは感じなかった。
しかし、完全な獣人であるユーリッドの方が嗅覚は優れているだろうし、よく考えてみれば、これといって臭いが感じられないというのは、確かにおかしいのだ。
獣人ほどの嗅覚がなくても、酷い火傷のような皮膚を持つ病人がいれば、多少なりとも体液の臭いや、傷が腐敗するような臭いがするものだ。
それに、傷が膿んでいれば、蛆だって涌くはずである。
こういった石室は虫が涌きにくいけれども、トバイ等の様子を見る限りでは、このトルアノの獣人たちが日々熱心にこの石室に通いつめて、シュテンの傷口に消毒を施しているとは思えない。
むしろ、病が移ることを恐れて、敬遠しているように見える。
だから、決して衛生的とは言えないこの状況で、シュテンからなんの臭いもせず、虫も涌いていないというのは、何か不自然だった。
ファフリは、話し込むトワリスとユーリッドを横目に、息もできず、横たわるカガリとシュテンを見つめていた。
間宿で闇市を訪れた時にも感じた、哀しさに似た何かが、胸に込み上げてくる。
こんなほの暗い世界は、見たことがなかったし、聞いたこともなかった。
十六年間、国の頂点となるべき次期召喚師として生きてきたのに、全く知らなかったのだ。
「……ひどいわ、こんなの」
気づくと、その思いが口を突いて出ていた。
ファフリは、こちらに振り向いた二人を見つめて、か細い声で言った。
「……どうして、お父様は動かないのかしら。こんな恐ろしい病気、放っておいて良いはずがないのに」
ユーリッドが、俯いて言った。
「トルアノについては、文書が届いてないって可能性もあるけど……。でも、少なくとも南大陸でこの病が流行っていることは、ノーレントにも知れ渡っているし、なんの対策もとろうとしてないっていうのは、実際おかしいよな」
「ええ……。治療法が、見つからないのかな」
目を伏せて、悲しそうに言ったファフリに、トワリスは冷静に告げた。
「医師や兵団を、南大陸に派遣してすらいないんだ。治療法を見つけようともしてないって可能性が高い」
ファフリが、はっと顔をあげる。
トワリスは、声もなくこちらを見つめてくるファフリに、淡々と返した。
「……見離そうとしてるのかもしれないよ。ハイドットのこともあるから、南大陸を棄てるようなことはないだろうって思ってたけど、想像以上にハイドットは王都周辺で普及しているみたいだし……。なるべく、病の蔓延は南大陸だけに留めて、極力被害を拡大しないようにと考えてるのかも」
「なっ……でも、南大陸に住んでる獣人だっているんだぞ?」
目を見開いて声をあげたユーリッドに、トワリスは視線を移した。
「そうだろうけど、こんなのよくある話じゃないか。原因不明の奇病を、一から調査して解明しようだなんて、簡単に出来ることじゃないんだ。それに、南大陸に兵団がいなくなった理由も、こういった背景が原因だと考えれば──」
「そんなはずないわっ!」
トワリスの声を遮って、ファフリが声を荒げる。
驚いて、弾かれたようにこちらを向いたトワリスを見つめながら、ファフリは深く息を吸って、続けた。
「そんなはず、ないわ……。だってお父様は、何よりも国民を想ってる方ですもの……。ご自分の命よりも、家族よりも、ミストリアを大切に考えてる。だから……」
声を震わせて言ったファフリの言葉に、トワリスは、胸の中に強い後悔が沸き上がってくるのを感じた。
つい考えもなしに言ってしまったが、この国の王と言えば、ファフリの父親である。
自分の命を狙っているとはいえ、父親を貶(けな)されるというのは、ファフリにとって気分の良いものではなかったのかもしれない。
「……ごめん、ファフリ」
謝罪したトワリスを一瞥して、ユーリッドは、ファフリを見た。
ファフリは、トワリスに対して何か返事をしようとはしなかったが、彼女を責めたことを悔いているような、複雑な表情を浮かべている。
(ファフリは、陛下をかばうんだな……)
なんとなく、そう疑問に思った。
娘を役立たずだと殺そうとしている相手でも、かばうだなんて、ファフリらしいといえばファフリらしいが、何故だか違和感は拭えない。
少なくとも、ユーリッドの中では、リークスを恨む気持ちの方が、ずっと大きかった。
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