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投稿日:2021年02月23日





 ファフリは、しばらくの間黙ったままでいたが、やがてトワリスとユーリッドを交互に見ると、小さな声で言った。

「ご、ごめんなさい、感情的になって……トワリスは、悪くないわ」

 ファフリは目を閉じ、己の肩を抱いた。
そしてぶるりと震えると、微かに目を開いて、再びカガリとシュテンを見た。

「……私は、次期召喚師なのに、何もできないのね。それどころか、つい最近まで、ミストリアはお父様に守られた平和で安全な国だなんて、思い込んでたわ」

 ぽつりと呟かれたその言葉に、トワリスもユーリッドも、何も返事ができなかった。
 その沈黙が、肯定の意味に聞こえて、ファフリは余計に悲しくなった。

 分かっていた。
トワリスやユーリッドには、返事のしようがないことなど。
結局、リークス王に追われる身では、どうすることもできないのだ。

 ファフリは、壁にかかっている燭台を見て、そちらのほうに静かに手を伸ばした。

「せめて……もっと暖かくて明るい部屋にしてあげればいいのに……。こんな寒くて狭い部屋じゃ、カガリさんもシュテンさんも、可哀想よ」

 そうして、ファフリが微かに魔力を放出させると、ぽわっと燭台の炎が強まる。
──と、その時だった。

 だんっ、と凄まじい音がして、突如黒い影のようなものが、ファフリ目掛けて跳ね上がった。
咄嗟に反応したユーリッドは、その影の姿をとらえられないまま、ファフリの前に立つと、すんでのところで影を鞘(さや)で殴り付けた。

 石床に叩きつけられた影が、ゆらりと立ち上がるのを睨みながら、対峙たいじする。
その瞬間、ユーリッドは驚愕して、一瞬動けなかった。

 その影は、先程まで微動だにしていなかった、シュテンだったのである。

 シュテンは、もはや骨格に近い身体で、再びユーリッドに襲い掛かってきた。
ユーリッドは、反射的にシュテンの懐に潜り込むと、拳で鳩尾みぞおちをついたが、拳はずぶっとシュテンの腹部に沈む。
まるで、内臓の隙間に直接手を突っ込んだような感覚だった。

 驚いたユーリッドが、一瞬怯んだ瞬間に、シュテンは信じられぬ身軽さで宙に飛び上がると、ファフリに向かって身体の向きを変える。
ファフリは、咄嗟に震える指先をかざして、魔力を練り上げようとしたが、焦りからか頭が真っ白になって、呪文を紡ぐことが出来なかった。

 獣人というより、もはや獣そのもののような唸り声をあげて、シュテンはファフリに飛びかかる。
ユーリッドは、瞬時に方向転換すると、思い切り床を蹴りあげて、シュテンの頭を再び鞘で打った。

 力の加減は、あまりできなかった。
場合によっては、死んでしまうかもしれないような力で、頭部を打ったのだ。
少なくとも、脳震盪を起こしてシュテンは動けなくなるだろう。

 そう踏んで放った攻撃であったのに、刹那、ユーリッドは、あまりの出来事に、言葉を失った。
壁まで吹っ飛ばされたシュテンは、打たれた衝撃で歪んだ頭蓋を起こして、何事もなかったかのように立ち上がったのである。

「なっ、なんで……!」

 慌てたように後退して、ファフリをかばうように立つ。
鳩尾を殴られ、頭部も歪むほど打ち付けたというのにまだ動けるなんて、生き物とは思えなかった。

 同じく、何が起きているのか理解できずにいたトワリスは、しかし、満身創痍の状態で身を起こしたシュテンに既視感を覚えて、目を見開いた。

(サーフェリアにいた獣人と同じ……!)

 虚ろな目、痛みを感じていないかのような動き。
横たわっている時では確信できなかったが、今のシュテンは、まさしくサーフェリアに襲来した獣人と同じ様だった。

 一体、何がシュテンを起き上がらせたのだろう。
トバイやカガリの母は、確かに、普段はほとんど動かないのだと言っていた。
それなのに、彼が突然、こんなにも凶暴化した原因はなんなのか。

 必死になって頭を回転させていると、ふと、ルーフェンの言葉を思い出して、トワリスは瞠目した。
そして、先程ファフリが炎を強めた燭台を一瞥すると、叫んだ。

「ファフリ! 魔力を抑えて!」

 びくっと反応したファフリが、高めていた魔力を収束させる。
それと同時に、トワリスが魔力を放出させると、途端に、シュテンがぎろりとこちらを睨んで飛びかかってきた。

(やっぱり……!)

 予想通りの事態に、トワリスは燭台の火を消して投げ捨てると、向かってきたシュテンと対峙した。
シュテンは、凄まじい早さで跳ね上がると、鋭い爪を立ててこちらに突っ込んでくる。
トワリスは、あまりの攻撃に、身を捩って避けるのが精一杯だった。

 シュテンが勢いそのままに、壁に激突したのを確認すると、トワリスは双剣を構えた。

「こいつ、魔力に反応してるんだ! ファフリ、魔術は使わないで」

 そう言い放つと、ファフリはこくこくと頷く。
ユーリッドは、トワリスのほうに駆け寄ると、抜刀せずに鞘を構えた。

「どうなってるんだ、全然攻撃が効かないぞ」

 信じられないといった声音でそう言うと、同じく切迫した声で、トワリスが返した。

「中途半端な攻撃は効かないんだ。やるなら、私が魔術で一撃で殺すしか……」

「こ、殺すって……」

 戸惑ったように返事をして、ユーリッドは眉を寄せた。
そんなことを言っても、あくまでシュテンはトルアノの住人なのだ。
殺すことはもちろん、傷つけることですら、躊躇うに決まっている。

 額に汗が滲んで、ぐっと剣を握りしめたとき。
殺気とは違う、恐怖に近い何かを感じて、ユーリッドとトワリスは同時に振り返った。

 シュテンとは別の影が、トワリスの方へ突進してくる。
──カガリだ。

 トワリスは、危ういところで後ろに反転すると、カガリの爪を避けた。
しかし、着地した瞬間、背後からシュテンの鋭い蹴りが入り、背中に激しい衝撃がくる。

 息の詰まるような痛みに、思わずその場に踞(うずくま)った。
ユーリッドは、そのままトワリスに殴りかかったシュテンに、回し蹴りを放ったが、今度はユーリッドの足元からカガリの腕が伸びてきて、その手がユーリッドの首を掴む。

 ユーリッドは、渾身の力を込めてカガリの腕を両手で絞り上げると、先程シュテンを蹴り飛ばした方向に、カガリを投げつけた。

 げほげほと咳き込んで、ユーリッドは、躊躇いがちに剣を鞘から引き抜こうと、手をかけた。
カガリやシュテンを、殺したくはない。
しかし、このままでは埒があかない。

 関節が変に折れ曲がったまま、尚も操り人形のようにシュテンとカガリが起き上がった瞬間、石室の扉が開いて、トバイとカガリの母が入ってきた。

「へ、兵士様、どうなさったんですか? なにかすごい物音が……」

 驚いたようにそう言って入ってきた二人は、扉の近くにいたファフリ、そして奥のほうにいるトワリスとユーリッドを見た後、最後に、豹変した様子のシュテンとカガリに視線をやって、瞠目した。

「カ、カガリ……?」

 カガリの母が、掠れた声で問いかける。
何も見えていないような血走った目で、牙を向くカガリは、もはや化け物だとしか言い様がない。

 ぎろりと、カガリの顔がトバイと母のほうに向いた時、ファフリは、心臓が止まりそうなほどの恐怖を感じた。
しかし、トワリスとユーリッドは、入口とは離れたところにいる。

「部屋から出てっ!」

 トワリスの叫び声が聞こえた刹那、ファフリは、震えた足で石床を蹴りつけると、硬直しているトバイとカガリの母を、力一杯扉の外へ押しやった。
だが、矢の如く襲い掛かってきたカガリの爪は、振り返った時には、既に喉元まで迫っていた。

 死──。
その一文字が脳裏を過った瞬間、ぎゅんっと大気を割く音がして、生暖かい何かが、ファフリの身体に降りかかった。
同時に、ぼたりと何かが落ちる音がして、恐る恐る目を開けると、頭から刀身を生やしたカガリが、石床の上でびくびくとのたうっているのが見える。
ファフリの身体についたのは、カガリの血だった。

 ユーリッドが、咄嗟にカガリに向かって、剣を投げたのである。

 頭を貫かれたカガリは、流石に、すぐには起き上がらなかった。
その隙に、トワリスは壁の燭台を二つ取ると、一つはカガリに、もう一つを壁際にいたシュテンに投げつけて、瞬時に魔力を高めた。

 炎がばっと勢いを増して、カガリとシュテンは微かに悲鳴を上げたが、すぐに灰になった。


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