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投稿日:2021年02月23日




†第三章†──永遠たる塵滓
第二話『慄然りつぜん

 
 午後の日が暮れ始めた頃。
ユーリッド、ファフリ、トワリスの三人は、ようやく足を止めた。

「はあ、流石に疲れたな……」

 額の汗を拭いながら、トワリスが固まった足首を回す。
ファフリも、本当に棒になったのではないかという脚を伸ばしながら、地面に崩れ落ちた。

 もし、トルアノの町民たちが追いかけてきていたら、という不安もあったし、トワリスやユーリッドに比べて荷物を軽くしてもらっている手前、疲れたから休みたいなどと、自分から言うことは出来なかった。
しかし、こんな長距離を休むことなく歩いたのは初めてで、ファフリはもう限界であった。

 ふと見てみれば、ふくらはぎは擦り傷だらけで、革靴をはいているため見えないが、足の裏も肉刺まめだらけだ。
一度座り込むと、脚がぷるぷると震えてしまって、しばらく立てないかもしれないと思った。

「大丈夫か?」

 ユーリッドが、心配そうにファフリの顔を覗きこむ。
ファフリは、震える脚をさすりながら、力なく笑って大丈夫だと告げた。

「……少し休もう。夜通し山道を歩いたし、関所もきっと目と鼻の先だ」

 ユーリッドがそう言うと、二人は賛成だと頷いた。

 トルアノを出て、もう一日近く経っている。
本当は他にも薬などを買うつもりだったのだが、カガリやシュテンとのことがあり、それどころではなくなったため、結局調達した食料や装備だけを持ち出す形となってしまった。

 未だに深い罪悪感は胸の奥に渦巻いていたが、なるべくそれを思い出さないようにして、ユーリッドは自分も地面に腰を下ろした。

 背負っていた荷物の中から、革の水筒と携帯食──米と魚の削り節を混ぜて固めたもの──を取り出すと、ユーリッドは、それらをトワリスとファフリに渡した。
水は重いため、そこまで大量には持ってこなかったから、途中でなくなってしまうかもしれないが、水ならば道中の川などで調達できるだろう。

 ファフリは、水をひとしきり飲んだところで、携帯食を見て、顔をしかめた。

「私、食べられそうもないわ……」

 食欲がないの、と続けて、お腹に手をやる。
トワリスとユーリッドは、それぞれ食べていた手を止めると、顔を見合わせた。

「多分、疲れすぎて空腹を感じてないんだよ。食べたくない気持ちは分かるけど、これからもっと厳しい旅になるし、無理にでも食べた方がいいよ」

 トワリスは、ファフリを見ながらそう言った。

「……そ、そうだよね……でも、今食べたら、吐いちゃいそう」

 ファフリは、携帯食を口元に近づけ、離してからそう呟いた。

 ユーリッドは、そんな彼女の隣に座りこむと、荷物から別の頭陀袋(ずだぶくろ)を取り出し、その中からコルの実を出すと、ファフリに渡した。

「じゃあ、これなら食べられるんじゃないか? 甘いし、水気もあるから」

 気乗りしないといった面持ちで、コルの実を見つめていたファフリだったが、おずおずとユーリッドから実を受け取ると、それを口に含んで、驚いたように顔をあげた。
前に間宿で食べたときより、ずっと美味しく感じたからだ。

 コルの実の、果汁たっぷりな、それでいてべたつかないさわかな甘味は、身体の芯まで染み渡るようだった。

「……おいしい」

 ファフリがそう言うと、ユーリッドは嬉しそうに笑った。

「コルの実は、疲れたときに食べるとすごく甘く感じるんだよな」

「うん、本当に。これなら食べられるわ」

「だろ? トワリスも、一個食べるか?」

「ああ、じゃあもらうよ。ありがとう」

 ユーリッドは、トワリスにも一つ、コルの実を投げてよこした。
コルの実は、掌にちょうど入るくらいの大きさで、かじってみると、確かに爽やかな甘さが、疲労した身体に心地よい。

 ミストリアとサーフェリアでは、果実の種類なども大きく違っているようだが、このコルの実は、味だけで言えば、サーフェリアの林檎に近かった。

「本当、確かに美味しい」

 そう感想を述べると、ユーリッドが少し驚いたように言った。

「トワリス、コルの実を食べたことなかったのか?」

「……うん、はじめて食べたよ」

「そうなのか。ノーレント、というかミストリアの中心部なら、コルの実っていうと、旅の必需品みたいなものなんだけど……」

 自分もコルの実をかじりながら、ユーリッドは続けた。

「トワリスって、旅慣れしてる感じはあるのに、意外と世間知らずだよな」
 
 その言葉に、トワリスは思わずぎくりとしたが、曖昧に笑みを浮かべて誤魔化した。
北の田舎の出だと適当な説明をしたが、それにしても、ミストリアの常識を知らなさすぎるということだろう。
だが、今更、本当は国外から来たんだよ、なんていうのは、どうにも言い出しづらかった。

「でも、頼りになるから、すっごく助かってるよね」

 ユーリッドに次いで、嬉々としてファフリが言った。
トワリスは、いやいや、と手を顔の前で振る。

「別に、そんな大したことはしてないよ」

「いや、ファフリの言う通りだよ。トワリスがいなかったらってこと、何度もあったし」

 ユーリッドは、少し恥ずかしそうに頭をかきながら、トワリスに向き直った。

「ほら……昨日も、ありがとうな。俺が、カガリさんのことで落ち込んでたとき。あのとき、ガツンと言ってくれて、本当に助かったよ」

 それに対し、トワリスは苦笑すると、肩をすくめた。

「いいよ、あれは。誰かを殺すっていうのは、慣れるものでもないんだろうし。……でも、急に放心するのは勘弁ね」

「ああ、悪い」

 和やかな雰囲気も織り混ぜて、トワリスが言うと、ユーリッドは申し訳なさそうに謝った。
そして、表情を切り替えると、ユーリッドはぐっと拳を握って見せて、力強く言った。

「トワリスは、なんか男らしくてかっこいいよな!」

 その瞬間、傍らで、ファフリがぴしりと固まる。

「ユーリッド! それ全然褒め言葉になってないよ」

「え? なんで?」

 ファフリは、焦ったように、ユーリッドの袖をぐいと引っ張った。

「他にも褒めるところ、沢山あるでしょう? 例えば、料理もできて女の子らしいね、とか」

「ええ? 今、料理の話とか全然関係ないだろ」

「女の子は、男らしいって言われるより、女らしいって言われる方が嬉しいんだから、いいの!」

 耳打ちしてはいるが、丸聞こえな二人の会話に、トワリスはくすくすと笑った。
それに気づいたのか、ファフリが慌てた様子で首を振る。

「あっ、お世辞とかじゃないよ? 本当にそう思ってたの。ほら、トワリスってぱぱっとご飯とか作ってくれるし……。私なんか、お料理なんて全然したことなかったから、トワリスすごいなぁって」

 どうやらファフリは、トワリスが、先程の褒め言葉をユーリッドの発言を塗り替えるためのお世辞だと勘違いしないように、説明してくれているらしい。
その必死な様子が可笑しくて、トワリスの中で、益々笑いがこみあげてきた。

 ユーリッドも言いなさい、とでも言いたげに、ファフリが目配せすると、ユーリッドは、相変わらず能天気な笑顔を浮かべて、言った。

「トワリスのご飯は、確かに美味しいよな! ファフリと二人だったときは、俺が作ったりしたけど、俺は同じようなのしか作れないからさ。これからどうしようかなあって、思ってたんだよ」

 ファフリが、便乗してうんうんと頷く。

「魔術は使えるし、戦えるし、料理もできるし……トワリスは何でもできちゃうのね。そういうの、小さい頃に覚えたの?」

「うん、まあ……そうだね」

「でも、ミストリア兵団とは関係ないんだろう? トワリスくらい強いなら、兵団でもやっていけると思うんだけどな」

 ユーリッドは、にししと笑って、そう言った。

 ユーリッドもファフリも、きっと純粋な興味で、尋ねてきているのだろうと思う。
その証拠に、ユーリッドなんかは特に、トワリスが素性を聞かれると言葉を濁す傾向にあるのを知っているから、深いところまでは絶対に聞こうとしない。
その二人の気遣いが、最近、有り難くもあり、少し歯がゆいとも思うようになった。

 実際、全く知らない相手と旅をするというのは、ユーリッドやファフリだって不安だろうし、真実を話したところで、この二人なら案外素直に受け止めてくれる気がしていた。
正直なところ、話しても良いとは思っているのだ。
自分が、本当はサーフェリアから来たのだということを。

 トワリスは、別に二人のことを警戒して、素性を話さないわけではない。
ただ、二人にこれ以上、重荷になるような話はしたくなかったし、実は他国から来たんです、なんて突拍子もないことは、夢物語のようで少々話しづらいというだけだ。

 トワリスは、笑いをおさめてから二人を見ると、軽い口調で言った。

「二人とも、急にどうしたの? そんなに褒めたって、何も出ないよ」

 それから少し視線を外して、さわさわと揺れる木々の葉を見る。

 一番良いのは、うまくミストリアの話に置き換えて、誤魔化しつつ二人の興味に応えられることだ。
しかし生憎、自分はそこまで器用ではない。
昔から嘘をつくのは向いていないと言われてきたが、どうやらそれは、本当だったらしい。

 トワリスは、訥々とつとつと呟いた。

「そうだなあ……剣の扱いとかは、兵団ではないんだけど、やっぱり似たような感じで、そういう訓練を受けて覚えて……。それ以外のことは……」

 そうして言葉を紡いでいくと、面白いくらい鮮明に、昔の思い出が蘇ってくる。
その時見たことや、感じたことまで、こと細かく。
案外、どうでも良いことというのは、記憶に残るものなんだと、トワリスは苦笑した。

「……料理は、十二とか十三の時に、自分で覚えたんだよ。他の人が作ってるところを、盗み見たりしてね」

 そう言うと、ファフリは目を瞬かせた。

「十二や十三? すごいね、そんなときから。お料理に関心があったの?」

「うーん……そういうわけでも、なかったんだけど」

 じゃあどうして、と、ファフリが不思議そうな顔をする。
当たり前だ。ここまで言われたら、気になるのは当然だろう。

 トワリスは、懐かしそうに目を細めた。

「友達に、料理とか裁縫とか、そういうのが得意な子がいるんだ。一時期、その子と一緒に住んでたってのが、大きいかな。あとは、私の上官っていうか、昔馴染みっていうか……まあそういう人がいるんだけど。小さい頃、その人にすごくお世話になってね」

 話し始めると、その時のことが、更に頭に呼び起こされてきた。

「私は、その人に恩返しがしたくて……色んなことを勉強したり、覚えたりしたんだ。でもその人は、憎たらしいくらい何でも一人でやってしまう人だから、私が出る幕なんてなくてね。けどその人、油断するとすぐ不摂生になるし、自炊するような生活もしてないから、それなら、私が料理を覚えようって思ったんだ」

 微かに笑いを含んだ声で、トワリスは続けた。

「信じられる? その人、卵割ってって言ったら、包丁で割ろうとしたんだよ?」

 これには衝撃だったらしく、ユーリッドとファフリは、目を丸くして、ぷっと吹き出した。

「ははっ、なんだそれ! ひどいな!」

「私だって、さすがに卵は手で割るよ」

 トワリスは、大きく頷いた。

「でしょう? 浮世離れしてるから、一般常識がないんだよね。他にも、果実の皮を剥かせたら、実の部分はほとんどなくなるし、そもそも、剣は多少使えるのに、包丁の使い方は何故か壊滅的なんだよ」

 楽しげに笑うユーリッドとファフリを見て、トワリスもつられて笑う。
二人の、こんなに子供らしい笑顔を見たのは、もしかしたら初めてかもしれない。

 トワリスは続けて、身ぶり手振りをつけながら、こう言った。

「せめて最低限の生活は送れるように、一品くらいは作れた方がいいですよって言ってるのに、そんな調子で全くできない。それで私が、やる気がないんでしょうって怒ると、へらへら笑いながら、『トワは分かってないなぁ。これで俺が、料理まで完璧に出来ちゃったら、皆嫉妬しちゃうでしょ?』とか言うの」

 ファフリは、ふふっと笑みを溢して、トワリスを見た。

「トワリスがそんなに嬉しそうに言うなんて、すごく面白い獣人(ひと)なんだね」

「……面白いっていうか、滅茶苦茶だよ。我儘だしうるさいし……。……器用に見えるけれど、本当は、ものすごく不器用な人なんだ」

 トワリスは、呆れたように、けれどどこかほっとしたような面持ちで、呟くようにそう言った。

「上官って言ってたけど、それならトワリスは、そいつの命令で南大陸の奇病について調べにきたのか?」

 ユーリッドの問いに、トワリスは、すぐには答えなかった。
少し逡巡して、差し当たりのない言葉を選ぶと、返事をした。

「……いや、命令してきたのは別で、その人には、むしろ止められたんだけど……。でも、大変な任務だからこそ、もし成功させたら……少しは頼りにされるかなと思って」

 懐かしそうに目を伏せて、トワリスは、しゃくりと一口、コルの実をかじる。
ユーリッドは、明るい声で言った。

「トワリスなら、成功するさ。南大陸に行ったら、宛のある旅ってわけじゃないし、俺たちも手伝うからさ」

「うん。力になれるかは分からないけど……奇病のことは、私達も気になるしね」

 穏やかな声で言ったユーリッドとファフリに、トワリスは、ありがとう、と言って微笑んだ。
それに柔らかく笑みを返して、だが、少しだけ寂しそうな声音で、ファフリは言った。

「トワリスは、早く故郷に帰れるといいね。きっと、皆心配してるもの」

「……うん。そうだと、いいんだけどね」

 苦笑混じりに言ったトワリスを、ファフリは一瞥した。
トワリスは、どこか不安そうにうつむいて、ぼんやりとしてた様子で、握っている実を見つめていた。



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