トップページへ
目次選択へ
投稿日:2021年02月23日






 歩き出したファフリについていくと、たどり着いたのは、小さな湖畔であった。
どこか薄白い木々に囲まれたその湖には、心なしか澄んだ空気が流れており、頬を撫でるように過ぎていく爽やかな風が、とても気持ち良い。

 ファフリは、早速湖の側によると、革の水筒を沈めて、水を一杯にいれた。
その作業を、ユーリッドも手伝って、持っている全ての水筒に水を補給する。

 それが終わると、どこか満足そうなファフリに、ユーリッドは、湖を見ながら言った。

「確かに綺麗なところだけど……ここの水は、大丈夫なのか?」

「ええ」

 ファフリは、はっきりと頷いた。

「さっきの鳥が……カイムが、教えてくれたの」

 その言葉に、ユーリッドは眉を寄せ、トワリスを一瞥してから、再びファフリを見る。
そして、どこか不安そうに言った。

「……ファフリ、俺たちには、そんな鳥は見えなかったよ」

 ファフリが、驚いたように目を見開く。
そして、何か言おうと口を開いたとき、森の方から、別の声が聞こえてきた。

「誰かいるのか!?」

 複数の足音が近づいてきたかと思うと、薄暗い木々の間から、四人の男たちが現れる。
男たちは、何か光るものを掲げながらこちらを見ると、ぱっと安堵したような表情になった。

「おお! まだ生きた獣人がいたのか……!」

 嬉しそうに声をあげて、トワリスたちの方に駆け寄ってくる。
しかし、その瞬間、なにか薬草を煮詰めたような強烈な悪臭がして、ユーリッドがうげっと嫌そうな顔をした。

 それを見た男の一人が、慌てて腰の匂袋(においぶくろ)の口を閉じる。

「おっと、すまない……これ、忌避剤なんだ」

 申し訳なさそうに謝りながら、ユーリッドを見る。
ユーリッドは、大丈夫だと頷いたが、まだ渋そうな顔をして咳をしていた。

 男たちは、剣などを持っておらず、ろくに戦えそうもない軽装姿であった。
だが、それぞれが所持している斧や鎌、そして山道に適した藁の編み靴を履いているところなどからして、この辺りの地域、気候には慣れているようだ。
もしかしたら、地元の集落に住む獣人なのかもしれない。

 男の一人が、トワリスに話しかけてきた。

「良かった……。もう生きてるのは俺たちだけなんじゃないかって、不安だったんだ。あんたたちは、どこの村から逃げてきたんだ?」

 トワリスは、微かに目を細めると、答えた。

「いえ、私たちは、ノーレントの方から来たんですが……」

 すると、男たちは、途端に信じられない、といったような顔になって、口々に言った。

「ノーレントって……王都だよな」

「まさか、あんたらもハイドットを採りに来たのか? だったら、悪いことは言わないから、引き返した方がいい」

「ああ、そうだ。ここから南は、更に危険になるんだ。命が欲しいなら帰んな」

 男たちはそう言って、トワリスに詰め寄る。
トワリスは、慌てて首を横に振ると、否定の言葉を述べた。

「いえ、ハイドットが目的ではないんです。ただ、私たちは、南大陸で流行っている病の原因について調べようと思っていて……。そのために、村や集落を回って、情報を集めようと考えていたんですが……あの、なにか奇病について、知っていることはありませんか?」

 トワリスの問いかけに対し、男たちはびっくりした様子で、目を丸くした。
そして、悲痛な面持ちで、言った。

「奇病の原因なんて、俺たちが聞きたいくらいだよ……。ここ十年くらいで一気に広まって、気づいたら、南大陸中が気味の悪い化け物だらけになっちまった。知ってるだろ? あの、生きた屍みたいなのが、うろうろして……」

 トワリスは、真剣な顔で頷いた。
すると、傍らにいた別の男が、続けて口を開く。

「元々は、南大陸の南西端で流行り始めた病だったんだ。だから、原因っつったら、多分そこにあるんだろうけど……あそこは、軽い気持ちで行ける場所じゃねえよ。ハイドットが採れるロージアン鉱山があるっていうんで、最近商人なんかが何人も行ってるみたいだが、生きて帰ったなんて奴、ほとんど見たことがない。少なくとも、あんたみたいな女が行くなんて、自殺行為だ」

 男の話を聞きながら、トワリスは、またハイドットか、と眉を潜めた。
ミストリアに渡ってからというもの、とにかくハイドットという鉱石の話を聞く。
最初は、魔力を使う者にとって、ハイドットの武具は厄介だ、くらいにしか思っていなかったが、ここまで何度も話題に出てくると、何かあるような気がしていた。

 男は、更にいい募った。

「それに、村や集落を巡ろうったって、もうそんなもん探したってないよ。あの化け物に襲われて壊滅してるか、村人全員が北に逃げようっていうんで、もぬけの殻になったところばっかりだ」

 その言葉に、トワリスははっと顔をあげた。

「襲われたって、どうして」

「どうしてって、そんなの化け物に聞いてくれよ。あいつら、夜になると襲ってくるんだ」

(夜……?)

 トワリスは、顎に手を当てて、考え込んだ。

 奇病にかかった生物たちは、魔力にしか反応しないと思っていたが、実は時間帯も関係があったのだろうか。
いや、そんなはずはない。
トワリスが見てきたカガリやシュテン、サーフェリアに襲来した獣人も含め、朝だろうが夜だろうが、魔力を感じれば襲ってきたし、魔力さえ発さなければ襲ってこなかった。

 それなら、一体なぜ、南大陸の発病者は、集落や商人を襲ったのだろうか。
魔力など感じないはずの、ミストリアで、何故──。

 感じない、と考えたところで、トワリスは、どこからか微弱な魔力が発せられていることに気づいた。
これは、ファフリのものではない。

 周囲を探してみると、その発信源は、男たちが持っている光──旅灯であった。
薄い長草を編んだ中に、光源が入ったそれは、てっきり中に蝋燭か何かが入っているのかと思っていたが、どうやら魔術によって生み出された光源のようだ。

 一体どうして獣人がこんなものを持っているのかと驚いて、旅灯を凝視していると、それを持っていた男が、怪訝そうに顔をしかめた。

「……ん? この魔力灯が、どうかしたのかい?」

「ま、魔力灯って……これ、どこで手に入れたんです?」

 そうトワリスが尋ねると、男たちは面食らったような顔をした。
もしかしたら、この魔力灯というのも、ミストリアでは一般的なものだったのかもしれない。

 勢いに任せて聞いてしまったことを、少し後悔していると、トワリスの問いに答えたのは、ユーリッドであった。

「それは、先々代の召喚師様が作って、ミストリア中に流通させたんだよ。松明や燭台は、油や蝋を消費するからな。といっても、魔力灯は数が限られてるし、全員が全員持ってるわけじゃないんだけど……って、あ!」

 ユーリッドが、口を半開きにして、トワリスを見た。
ユーリッドも、トワリスの考えに気づいたようだ。

 つまり、全ての原因は、この魔力灯にあったというわけである。

 夜になれば、明るくするために魔力灯をつける。
すると、その魔力にひかれて、奇病にかかった生物が村や集落を襲う。
魔力を感じない獣人は、魔力灯が原因だなんて分かるはずもなく、単に化け物が襲ってくるからと逃げ惑う。

 商人に関しても、そうだろう。
恐らく、松明だけで旅に出ていたら、他の危険はあれど、あの奇病にかかった生物には、襲われることはなかったはずだ。
実際、生き残ったホウルは、松明しか持っていなかった。
おそらく、ホウルに同伴した誰かが魔力灯を持っていたせいで、彼は襲われる羽目になったのだ。

 トワリスは、男を見つめて、強い口調で言った。

「その魔力灯、もう二度とつけないで下さい。そうしたら、化け物に襲われることもなくなりますから」

「はっ? え……?」

「いいから消して!」

 ぴしゃりと言い放って、魔力灯の灯りを消させる。
次いで、トワリスは、訳がわからないといった様子の男に、ゆっくりと言った。

「私たち獣人じゃ分かりませんが、奇病にかかった生物たちは皆、魔力に反応して凶暴化するんです。逆に考えれば、魔力さえ発しなければ、襲ってはきません」

 そう言うと、男たちは目に驚嘆の色を浮かべて、トワリスを見た。

「魔力って……な、なんでそんなこと知ってるんだよ?」

「それは……」

 言いかけて、口を閉じる。
何か相手が納得できるような言い訳を考えなければ、と頭を回転させていると、男の一人が、先に口を開いた。

「もしかして、あんたら兵団の獣人か……?」

 前にもあったようなやり取りに、思わず固まる。
だが、兵団の者だと名乗るのが、一番自然だろうと思った。
二回も嘘をいうのは気が引けたけれど、兵士ならば、普通知られてはいないことを知っていても、おかしくはないからだ。

「ああ、えっと、まあ……そんな感じの……」

 トワリスは、曖昧に頷いて返した。
すると男たちは、予想外にも表情を険しくして、尖った声で言った。

「兵団が、今更南大陸に何をしに来たって言うんだよ。俺たちを見捨てて、とっとと逃げ帰りやがったくせに……!」

 その言葉には、ファフリとユーリッドも反応した。

「お前ら王都の獣人は、どうせ俺たちのことなんて、鉱山の労働力くらいにしか思ってないんだろ! だから、病にかかって役に立たなくなったらさようならってか、ふざけんな!」

「お、おい、ちょっとやめろよ……!」

 怒鳴り散らす男を、他の獣人たちが抑える。
彼らは、ユーリッドやトワリスの腰の剣を、気にしているようだった。

 不意に、ファフリが前に出て、言った。

「逃げ帰ったって、どういうことですか? ここに来る途中、関所にも兵団の獣人がいなくて……私たちも混乱して──」

「お前らに話すことなんて何もねえっ!」

 男の一人が叫んで、ずんずんと歩いていく。
他の三人の男たちは、こちらをちらちらと気にしながらも、その男を追いかけて、森の奥へと消えていった。

 ファフリは、その後ろ姿を悲しそうに見つめながら、目を伏せてうつむいた。

「……やっぱり、お父様、南大陸を見捨てるおつもりなのかな。だから、兵団を撤退させて……」

「いや、必ずしもそうとは、限らないかもしれない」

 トワリスが、ふと呟くように言った。

「さっき、魔力灯の話が出たけど、もし召喚師が奇病の特徴──つまり魔力に反応するってことを知ってたら、魔力灯の使用を中止すると思わない? 仮に南大陸を見捨てようと考えていたとしても、病人たちが暴れた方が良いなんてことは、ないだろう?」

 ファフリが、そういえば、と頷く。
ユーリッドも、確かにそうだな、と言って、トワリスを見た。

「じゃあ、もしかしたらリークス王は、奇病のことを知らないんじゃないか。はっきり言って、北大陸と南大陸じゃ普段は全然親交がないし、連絡を取り合うようになったのも、ハイドットが発見されてからだ。なんで兵団が南大陸から撤収したのかは分からないけど、南大陸の情報は、ミストリア城に上手く伝わってないのかもしれない……。まして、奇病にかかったら、魔力に反応するようになるだなんて、俺たちだって、ファフリとトワリスがいたから奇跡的に発見したようなものだしな」

 ユーリッドの言葉に、トワリスが頷く。

「ああ、私もそうなんじゃないかって、さっきふと思ったよ。調査もなにも、召喚師は奇病が流行っていること自体を、知らないんじゃないかって」

 ファフリは、二人の話を、黙ったまま聞いていた。


- 44 -


🔖しおりを挟む

 👏拍手を送る

前ページへ  次ページへ

目次選択へ


(総ページ数100)