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投稿日:2021年02月23日




†第三章†──永遠たる塵滓
第三話『落魄らくはく



 ユーリッド一行が南大陸に渡って、既に十日の月日が経っていた。
三人は、ロージアン鉱山を目指してひたすら歩き続けていたが、あの湖畔で出会った男たちの言う通り、道中に村や集落はなく、時折誰かが生活していたような跡を発見しても、結局一度も、他の獣人と会うことはなかった。

 森を抜け、平地を進み、だんだんと景色が荒涼とした岩場に変わり、そして、目の前に切り立った岩山が現れたところで、一行は足を止めた。
ついに、ロージアン鉱山にたどり着いたのである。

 鉱山前の広場には、わずかに錆びた手押し車や鶴嘴つるはしがいくつも転がっており、岩壁にぽっかりと開いた坑道は、先の見えない暗闇に繋がっている。
三人は、ひとまずその坑道への入口まで行くと、中の様子を伺った。

「見たところ、もう既に廃鉱になってるみたいだね」

 トワリスの言葉に、ユーリッドは、しかめっ面になりながら、頷いた。
坑道の奥から吹いてくる生暖かい風が、ひどい臭いだったのだ。
あの、つん、とする刺激臭である。

 ファフリが、心配そうな表情で、ユーリッドを見る。

「ユーリッド、大丈夫?」

「ああ、なんとか……」

 鼻声で苦笑しながら、ユーリッドは答えた。
次いで、ユーリッドは、ちらりと転がっている手押し車を見ると、トワリスに視線をやった。

「放置されてる手押し車の錆び具合からして、廃鉱になったのは最近じゃないかな。管理者がいないのをいいことに、商人がハイドット目当てで入り込むこともあるみたいだし、もしかしたら、中に誰かいるかもしれない」

「ああ。確かに、その可能性は捨てきれないね……」

 トワリスは、逡巡の後、二人を交互に見ながら尋ねた。

「どうする? もう昼過ぎだし、明日になってから入るのも手だよ」

 二人は、互いを見合って、つかの間沈黙した。
しかし、その時、不意にどこからか鳥のさえずりが聞こえた気がして、ファフリは顔をあげた。

(カイム……?)

 目線を動かすと、坑道の暗闇に、不自然なほどくっきりと浮かぶ、カイムの姿が見える。
ファフリは、カイムをじっと見つめて、胸元でぎゅっと手を握った。

(この奥に、何かあるの……?)

 そう心の中で問いかけたが、それに答えが返ってくることはなく、カイムは、ぱたぱたと坑道の奥に飛び去ると、すぐに姿を消した。
ファフリは、思わずそれを追おうとして、坑道の中に踏み出した。

「待って! カイム……!」

「──ファフリ!」

 その、次の瞬間。
ファフリは、前に踏み出したのと同時に、ユーリッドに腕を捕まれて、勢いよく後方に引かれた。
すると、バランスを崩して転んだファフリの目の前に、白く鋭い牙が迫ってくる。

 咄嗟のことに、訳がわからず硬直したファフリは、防御の姿勢をとろうとして、両腕を顔の前に出した。
しかし、その牙が彼女に届くことはなく。
ユーリッドが、ファフリに迫るそれを素早く抜刀して斬りつけると、それは坑道の外に弾き飛ばされ、情けない鳴き声をあげて、ユーリッドたちから距離を取った。

 明るみに出たそれは、どうやら野犬のようだった。
だが、脚が余分に一本、不自然に前肢の脇から生えている上、ユーリッドの斬撃で頭が裂けかけているにも関わらず、立っている。
奇病にかかっているようだ。

 無意識にとはいえ、召喚術を使い、カイムと接触していたことに気づいたファフリは、慌てて魔力を収束させた。
それでも野犬は、牙を剥いて襲いかかってくる。
だが、再びユーリッドが剣で薙ぎ払うと、野犬は地面に打ち付けられ、起き上がったときには、先程までの勢いを無くしていた。

 野犬は、もうファフリに目をくれることもなく、ふらつきながら立ち上がって、岩壁に身体をぶつけながら、しばらくよたよたと歩いていた。
そして、血を流しながら岩壁にもたれるように倒れると、やがて大人しくなった。

「ファフリ、魔術を使ったの?」

 トワリスに尋ねられて、ファフリは申し訳なさそうに俯いた。

「ご、ごめんなさい……無意識に、カイムを呼び出してたみたい。気を付けるわ……」

 ファフリは、弱々しい声で言いながら、倒れた野犬の方を見た。
野犬は、胸を忙しく上下させながら、倒れたまま震えている。
ひどく、苦しんでいるように見えた。

 ユーリッドが、坑道の奥を一瞥して言った。

「こいつが出てきたってことは、この坑道の奥には、他にも奇病にかかった生物がいるかもしれないな。まあ、魔力さえ発さなければ、襲いかかってくることはないんだろうけど……」

「魔力は使わないったって、物理的な攻撃が効かない以上、万が一襲われた場合は魔術で攻撃しないと、こいつらを倒せないよ」

 ため息混じりに答えると、トワリスは、ファフリの方を見る。

「極力私が請け負うつもりではあるけど、私はあまり魔術が得意ではないから、いざというときは、私とユーリッドでこいつらの動きを押さえる。そうしたら、とどめはファフリに頼んでもいい……?」

 躊躇いがちに言ったトワリスに、ファフリは、少し暗い表情を浮かべて、頷いた。

「ええ、燃やすくらいなら、私にもできるから……やるわ」

 それだけ答えて、ゆっくりと坑道の方に振り返る。
カイムは、まるでこの奥に進めと言っているようだったが、奇病の原因があるであろうこの坑道の奥には、ユーリッドの言う通り、きっと病を発症した生物たちが沢山いるのだろう。

 痛々しくぼろぼろの身体で、無理矢理生き続けているような彼らを見るのは、とても嫌だった。
あのおぞましい姿の生物たちが、牙を剥いて襲い掛かってくるのは、すごく恐ろしいのだ。

 そこまで考えて、ファフリは、きゅっと唇を噛んだ。

(……ううん、違う。怖いんじゃない、見たくないんだ……)

 あんな生物が、なぜ産まれてしまったのだろう。
奇病が南大陸全土に広がってしまう前に、どうして食い止められなかったのだろう。
どれもこれも、王族が──召喚師一族がするべき、大切なことなのに。

(なんで私は、これまでミストリアは良い国だと、根拠もなく信じられたの……?)

 口の中に血の味が滲んだところで、ファフリははっと我に返って、唇から歯を離した。
そして、ユーリッドとトワリスの方に振り返ると、静かに言った。

「……もう進みましょう。一刻も早く、奇病の原因を突き止めないと……」

 苦しそうな表情で言ったファフリに、ユーリッドとトワリスは、少し驚いたように顔をあげた。

「ファフリ、どうしたんだ?」

 心配したユーリッドが、声をかける。
それに対して、大丈夫だという意味を込めて首を振ると、ファフリは真剣な表情で言った。

「お父様が、どういう理由で動かないのかは分からないわ。でも私は、たとえ出来損ないでも、役立たずでも、ミストリアがこの奇病に冒されていくのを、指をくわえて見ているだけじゃいけない立場にいると思うの。奇病にかかった生物たちは……正直、見たくない。でも、彼らがこんな姿になってしまった原因を、私は確かめないといけない気がする。見たくなくても、現実をしっかりと見て……そして、受け止めなきゃ。だって私は、次期召喚師だから」

 ファフリの瞳の光は、強く、真っ直ぐだった。

 トワリスは、そんなファフリを見つめて、力強く頷いた。

「そうしよう、出来れば私も、早く進みたいし。ユーリッドも、それでいいだろう?」

「……ああ」

 ユーリッドは首肯したが、どこか腑に落ちない様子で、ファフリを眺めた。

(次期召喚師だから、って……。でもファフリ、お妃様は……)

 一瞬、何かを言いそうになって、ユーリッドは口を閉じた。

 三人は、準備を整えると、坑道の闇の中へ足を踏み入れた。
 


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