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投稿日:2021年02月23日






 額に、なにか冷たいものが乗せられて、ユーリッドは目を覚ました。
重たい瞼を持ち上げて、ゆっくりと目を開けると、心配そうにこちらを覗きこむファフリと視線が合う。

「ユーリッド! よかった、気がついたのね……!」

 ファフリは、僅かに目尻に溜まっていた涙を拭いながら、ほっとした様子で胸を撫で下ろした。

「ファフリ……あれ、俺どうしたんだっけ?」

 ユーリッドは、未だにずきずきと痛む頭を押さえながら、上体を起こして言った。
すると、ぽとりと額から濡れた手拭いが落ちる。
どうやら、先程の冷たい感覚は、ファフリが水筒の水で濡らしたこの手拭いだったらしい。

 ファフリは、微かに涙声になりながら、答えた。

「さっき、廃液の毒素を吸い込んじゃったみたいで、気絶してたのよ。本当によかった……ユーリッドもトワリスも、もしこのまま目が覚めなかったら、どうしようかと……」

 言われて視線をあげると、ファフリのすぐ後ろには、同じく先程まで気絶していたであろう、トワリスの姿があった。

 トワリスは、採取した廃液の小瓶を荷にしまうと、緩慢な動きで立ち上がって、ユーリッドの方に行った。

「ごめん、ユーリッド。私のせいで……立てる?」

 そう言って、手を差し出す。
ユーリッドは、落ちた手拭いを拾ってから、トワリスの手を握ると、引き起こされる形で立ち上がった。

「いや、大丈夫だ。廃液の中に落ちなくて良かったよ。ファフリも、手拭いありがとう」

 ファフリは、手拭いを受け取ると、まだ不安げな面持ちでユーリッドとトワリスを交互に見た。

「二人とも、まだ休んでいた方がいいわ……。顔が真っ青だもの」

 トワリスは、小さく首を左右に振った。

「いや、こんなところで休んでたら、余計に毒気に当てられそうだ。さっさとやることを済ませて、鉱山から出た方がいい」

「でも、もう奇病の原因は分かったわ。これ以上、何を調べるの?」

「……証拠がほしいんだよ、ここで、廃液をそのまま流していたという証拠が。なにか、鉱山での記録みたいなものがあればいいんだけど……」

 少し掠れた声で言ったトワリスに、ユーリッドは、上流のほうをちらりと見た。

「記録があるかは分からないけど、この鉱山のどこかに、鉱夫たちが寝泊まりしていた場所があるはずだ。もし資料や何かがあるんだとしたら、そこじゃないか?」

 トワリスも、ユーリッドの視線を辿って上流のほうを見ながら、頷いた。
この排水の川にたどり着くまでは一本道で、他に道などなかったから、鉱夫たちの生活圏は、この上流にあるのだろう。

 三人は、黒い排水の上方に向かって、再び固い岩の上を歩き始めた。

 上流に向かって進んでいくと、さほど歩かぬ内に、道が二手に別れたところへと出た。
一方はそのまま川に沿った道で、もう一方は、川から外れた道である。

 三人は、地下水に棄てることで廃液の処理を行っているとしたら、川に沿った道の先には精錬場があるのだろうと予想して、外れた方の道を進んだ。
すると、程無くして、完全に獣人ひとの手が入っているであろう、舗装された細長い通路に出た。

 通路は、もうハイドットの岩壁などはなく、光源が一切ないため真っ暗であった。
流石にこのまま進むのは危ないと、三人は、木棒に脂を含ませた布を巻いて、松明を二つ用意すると、ユーリッドとトワリスでそれを掲げながら、一歩ずつ注意深く進んでいく。
奇病にかかった生物どころか、自分達以外、なんの気配も感じないこの静けさが、妙に薄気味悪かった。

 しばらく進むと、今度は両側の壁に沢山の扉が並ぶ、広場のようなところに出た。
扉の上部につけられた金属板には、それぞれ違う番号が書かれている。
おそらく、部屋番号か何かだろう。

「予想的中だな。多分、ここは鉱夫たちが過ごしてた部屋ってとこだろう」

「そうだね。探ってみよう、何か見つかるかもしれない」

 そうして、どの部屋に入ろうかと周囲を見回すと、不意に、ファフリが口を開いた。

「ねえ、あの扉だけ、他のものより少し大きいわ」

 ファフリが指差した、左側の一番奥にある扉は、確かに他の扉に比べ、大きく頑丈そうであった。
しかも、その扉だけ取っ手がついていないところを見ると、おそらく引き戸になっているのだろう。

 三人で近づいてみて、扉の金属板を見てみるが、錆と汚れで何が書かれているのかは分からない。
だが、通常より大きく、横に長いその金属板には、おそらく部屋番号以外のものが書かれていたのだろうということが伺えた。

 トワリスは、ユーリッドとファフリに少し離れるように言うと、扉の脇の壁に背を当て、そっと剣を抜いてから、素早く扉を引いた。

 すると、埃と共にむわっと強烈な腐敗臭が漏れ出してきて、三人は思わず手で鼻と口を覆った。

(死体の臭い……)

 トワリスはそう確信すると、眉をしかめて、ユーリッドたちのほうを見た。

「……手分けをしよう。この部屋は私が探るから、二人は別の部屋をお願い」

 トワリスの言葉に、何かを察したようで、ユーリッドはこくりと頷いた。

「ああ、分かった。じゃあ俺たちは、鉱夫たちの部屋に何かないか探すからな」

 そう言って、ユーリッドたちは向かいの部屋へと入っていく。
それを見届けると、トワリスは、用心しながら引き戸の先に、足を踏み入れた。

 部屋の中は埃がひどく、決して綺麗とは言えない状態であったが、案外、物は整頓されていた。
床には、ハイドットの鉱石や剣の入った大袋が並べて置いてあり、壁に設置された本棚には、ぎっしりと書類や本が詰められている。

 荒らされた様子がないことや、ハイドットが持ち出されていないことなどから、南大陸に渡った商人たちは、おそらくこの部屋には訪れていないのだろう。

 本棚を漁ると、そこにあったほとんどの書類は、ハイドットの武具の発注や輸送、あるいは鉱夫の名簿、生産数の記録に関するものなどであった。

 他には、鉱山の全体図などもあったが、トワリスが求めているような、廃液の処理方法についての記述は見当たらない。

 全体図を見るに、やはりあの排水の川の先には精錬場が位置しているようで、そのことからも、廃液をあの川にそのまま流していることは明らかだ。
この全体図と、採取した廃液、それからハイドットなどを持ち帰れば、証拠はもう十分と言えるのだが、それをいざサーフェリアの国王に報告するとなると、必ず教会が立ちはだかってくるだろう。

 とにかく召喚師側の輩を排斥したい、あの教会のことだ。
何かしら文句をつけてくるに決まっている。
それならば、もっと確実で決定的な証拠が、あるに越したことはない。

(……精錬場は川の先。採掘場は、ここから少し行った洞窟か……)

 ちょうど、ハイドットの岩壁があった坑道と、この鉱夫たちの生活圏の間の位置に採掘場があることを確認すると、トワリスは、全体図を自分の荷にしまった。

 それから、今度は床にある袋を漁って、ハイドットの短剣と、その欠片を一つずつ取ると、それらも荷に加える。
すると、そのとき、袋と本棚の隙間から、なにかがどしゃりと崩れて、倒れてきた。

(…………)

 床に溜まった埃を巻き上げて、倒れてきたのは、この腐敗臭の発生源──獣人の死体だった。
室内に放置されていたせいか、白骨化はしていないが、膨張なども見られないため、ガスや体液は完全に抜けきっているようだ。
死んでからかなり経っているように見えた。

(……臭いがするってことは、奇病にかかっていたわけじゃないのか……)

 ふと、トルアノのシュテンのことを思い出して、顔をしかめる。
奇病にかかると、どんなに大怪我を負っていても生き続けるようだし、あのハイドットの刺激臭には虫も寄ってこないのか、シュテンは臭いはおろか、患部に虫が涌いてすらいなかった。
つまり、この死体は、奇病にはかかっていなかったということだ。

 何故こんなところで亡くなったのかは分からないが、何かに襲われたと考えるのが妥当だろう。
本棚の側に転がっていた、壊れた魔力灯をちらりと見て、トワリスはそう思った。

 もうこれ以上この部屋を調べていても仕方がないと、引き戸から出ると、ちょうど、ユーリッドたちも向かいの部屋から出てくるところであった。

「トワリス、なにか見つかったか?」

 トワリスは、どこか疲れた様子で首を振った。

「いや、倉庫みたいなところではあったけど、大したものは見つからなかったよ。この鉱山の地図くらいかな」

 そう言うと、ユーリッドとファフリが顔を合わせて、こちらに寄ってきた。

「……じゃあ、これ。正式な記録とかじゃないから、役に立つか分からないけど……」

 ユーリッドがトワリスの目の前に差し出したのは、黒い革表紙の小さな冊子だった。
受け取って、裏を見てみると、そこには『タラン』と書かれている。

「これ……手記……?」

 問いかけると、ファフリが小さく頷いた。

「向かいの部屋で見つけたの。タランさんっていう獣人が、書いてたんじゃないかしら」

 トワリスは、手記に松明の光を近づけると、一つ頁をめくった。
そこには、闊達な文字で、こう記されていた。

──ミストリア歴、九三五年。
ロージアン鉱山にて。

 トワリスは、微かに顔をあげると、ユーリッドのほうを見た。

「今、何年だっけ?」

「えっと……九六三年だから、その手記が書かれたのは、二十八年前ってことになるな」

「二十八年……」

 それだけ聞くと、トワリスは、更に次の頁をめくった。

 紙は黄ばんで、ばりばりとしており、中にはくっついてめくれない頁もあるようだったが、ほとんどの頁は読めそうだ。
文字のインクも、所々滲んでいるが、解読不能というほどではない。

 トワリスは、静かな声で、手記を読み始めた。


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