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投稿日:2021年02月23日




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ミストリア歴、九三五年。
ロージアン鉱山にて。

ハイドットの発見により、国中が歓喜している。
その生産・精錬に携われること、私は一国民として、誇りに思う。

八月三日
ハイドットの剣は、噂に違わぬ素晴らしい一振りとなる。
しかし、精錬した際に出る廃液の臭いが原因で、今日、一人倒れた。
廃液は、強烈な臭いを発する。
すぐに排水として流さねばならない。

八月十二日
今日も二人倒れた。
私も、左手の皮膚が、溶けるように痛む。
医術師に診てもらったが、原因が分からない。

九月二十日
ソルムが倒れた。
倒れた者は皆、声をかけても反応がない。
私の左腕も、動かなくなった。
何かがおかしい。

九月二十九日──休暇
スレインと共に、鉱山の外に出た。
黒い排水が、川にそのまま流れている。
鉱山内で倒れた者たちと、同じ症状の病が、周辺の村で流行っているらしい。

十月十三日
鉱夫が何名か、奇怪な姿の生物に襲われた。
まるで、魔界から来た化け物のようだった。
この鉱山は、何かが変だ。

十月十四日
鉱山の従業員も、周辺に棲む獣人たちも、謎の病にかかり、次々と倒れている。
彼らは夜になると動きだし、他の獣人を襲う。
外に現れる化け物のような動物たちも、一様に同じだ。
私達は、一度ハイドットの採掘、及び武具の生産を中止させ、このことをミストリア城に伝えた。
病人たちは、やむを得ず動けないように縛って、独房にまとめて閉じ込めた。

十一月十日
城から、ハイドットの生産を続けろとの命令が下った。
召喚師様は、何を考えていらっしゃるのか。

…………

ミストリア歴、九三六年
二月九日
従業員の数が、初期に比べて半分以下になった。
私達は、城からの命令を無視し、鉱山の活動を休止させた。

五月二十日
恐ろしいことが判明した。
ハイドットの精錬の際に出る廃液が、強い毒性を持つことが分かったのだ。
奇病の原因も、おそらくこれだろう。
私達はこのことを、再び召喚師様に伝えるべく、ノーレントに伝令を送った。

六月十八日
ミストリア城から、ついに鉱山の活動停止の命令が下った。
私達は、すぐに撤退の準備を始めた。
なんの疑いも持たず、廃液を地下水として流してしまっていたことが、ひどく悔やまれる。

六月二十一日
信じられないことに、再びハイドットの生産を続けろとの命令が寄越された。
私達が命令に背かぬよう、ミストリア兵団から兵士が見張りとして派遣された。
私達は、生産を続けるしかなかった。

七月三日
兵士たちが、奇病にかかった者たちを、ノーレントへ連れて行った。
奇病の治療法が見つかったとのことだ。
ソルムが、無事に回復して帰ってこられることを祈る。

ミストリア歴、九三七年

奇病にかかった者たちは、まだ帰ってこない。

ミストリア歴、九三八年

一月十一日
スレインが、鉱山を出ていった。
兵士達が彼女を追っている。
どうか無事であってほしい。

ミストリア歴、九三九年

ハイドットの廃液をこのまま垂れ流し続ければ、いずれミストリアは壊れるだろう。
しかし、私達にはどうすることもできない。

ソルムたちは、まだ帰ってきていない。
ミストリア城からの連絡もない。

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 はっきりと読むことが出来るのは、ここまでだった。
そのあとも何か綴られていたが、用紙の劣化が激しくて読めない。

 最後の頁をめくり、トワリスがぱたりと冊子を閉じると、何かがはらりと地面に落ちた。
拾ってみると、それは“スレイン”の文字が入った栞であった。

(スレインって……鉱山で働いてたっていう、手記に出てきた女の人……?)

 樹脂を素材とした、掌程の栞。
しかし、その表に描かれている赤い木の葉の模様を見た瞬間、トワリスは、一瞬心臓が止まったのではないかという程の、衝撃を受けた。

「トワリス?」

 だが、目を見開いて硬直したトワリスを覗きこんで、ユーリッドが話しかけてくると、トワリスは、小さく首を振って、そっとその栞を懐にしまいこんだ。
そして、もう一度手記を開くと、その文面をじっと見ながら言った。

「……ありがとう、二人とも。これで十分、証拠になるよ」

「そうか、よかったよ。まだ何か探すか?」

「……ううん。少し休憩したら、もうここを出よう。こんなところに長時間いるのは、危険だ」

 トワリスの言葉に、ユーリッドとファフリは頷いた。

 本当は、もう少し手記の内容に触れたかったのだが、そうしなかったのは、ファフリの顔色が真っ青だったからである。
手記の記述からして、ハイドットの廃液の危険性を知って尚、生産を続けさせていたのは、やはり召喚師のようだ。
ファフリは、その現実が受け止めきれてないのかもしれない。

 それに、この手記とこれまでの証拠さえあれば、廃液の流出が奇病の原因だということは、はっきりと証明できる。
他にほしい情報といえば、なぜ奇病にかかった獣人達がサーフェリアに襲来したのか、ということだが、それに関しては、ロージアン鉱山を探っても分からないことだろう。
なぜなら、手記にはそのことが記述されていない、すなわち、鉱夫たちは何も知らないということだからである。

──兵士たちが、奇病にかかった者たちを、ノーレントへ連れて行った。
奇病の治療法が見つかったとのことだ。
ソルムが、無事に回復して帰ってこられることを祈る。

──奇病にかかった者たちは、まだ帰ってこない。

 ミストリアには移動陣というものが存在しないようだから、仮に自力で海を渡ってサーフェリアに来たとして、それでも、船の手配等を考えると、民衆の力だけで渡ったとは考えづらい。
まして、思考力などないであろう、奇病にかかった獣人たちなら、尚更だ。

 とすると、やはり何か組織的な力が動いているとするのが妥当であり、タランの手記に記されている、『ノーレントに連れていかれた病人たち』が、サーフェリアに送られたという可能性が高い。
治療をするためにノーレントに行った、とは書いてあるが、帰って来ない上に、城から連絡すらないというのは、どう考えても不自然だからである。

 おそらく、召喚師の命令かなにかで、兵士たちは、治療をするからとロージアン鉱山の鉱夫たちに嘘を言い、奇病にかかった者たちを拐ったのだろう。
そして、魔力を持つ者を狙うという彼らの性質を利用して、ルーフェンや魔術師たちを襲わせるため、サーフェリアに送った。

 つまり、ロージアン鉱山で働いていた者たちは、奇病にかかった獣人達がどうなったのかを、一切知らない。
知っているのは、召喚師や当時この鉱山に派遣されていた兵士くらいのはずである。
だから、これ以上、この鉱山を探っても、何も有力な情報は出ないだろう。

 これまでの旅で、もうトワリスの任務はほとんど遂行できたようなものだ。
奇病の原因は分かったし、襲来の理由も、先程の推測で間違いないように思える。
あくまで推測でしかないだろう、と言われてしまえばそこまでだが、逆に言えば、それ以外にミストリアがサーフェリアに獣人を送る理由など、ないのだから。

 トワリスは、ユーリッドとファフリが、休憩すべく床に腰を下ろしたのを確認すると、こっそりと荷の中から一枚の紙を取り出した。
これだけは無くすまいと、丈夫な革の袋に入れていたものだ。

 目一杯広げたとしても、大きめの本の表紙程度しかないこの紙には、サーフェリアへと通ずる移動陣が描かれている。
一度しか使えない、特殊な移動陣だ。

 移動陣は、特別に魔力が集中しやすい場を選んで敷くもので、本来は、こんな紙に描いて持ち歩けるようなものではない。
ただ、移動陣とは元々サーフェリアの召喚師一族が生み出した魔術のようで、ルーフェンは度々応用的に発展した移動陣を使っているから、今回は特例ということで、彼が作ったものをトワリスが持っているのだ。

 海を渡らずにミストリアに来られたのも、サーフェリアに帰れるのも、こうした移動陣の特殊な使い方をしたからこそ成せた技である。

(これを使えば、サーフェリアに帰れる。帰ろうと思えば……私、もう帰れるんだ……)

 そう思うと、ずっと胸の中にあった底知れぬ不安が、一気に取り払われたような気がした。
しかし、どうしても、喜ぶ気分にはなれない。
ずっとずっと、サーフェリアに帰りたいと思っていたのに、まだ一つだけ、気掛かりなことがあった。

(もし、私がこの場からいなくなったら……)

 トワリスは、釈然としない表情で、ユーリッドとファフリのほうを見つめた。


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