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投稿日:2021年02月23日
ユーリッドは、近づいてきたリークスをきつく睨み付けると、腰の剣に手をやった。
しかし、その手が柄を握る前に、空気の塊のようなものが真横から衝突してきて、ユーリッドは、岩壁まで弾き飛ばされた。
ハイドットの、硬い結晶が背中にぶち当たって、息が詰まるような衝撃がくる。
リークスは、激しく咳き込むユーリッドを見ながら、冷たい声で言った。
「……貴様か、ユーリッドとか言う人狼の小僧は。アドラはどうした? 本当に死んだか?」
「…………!」
ユーリッドの目に、怒りが灯る。
だが、リークスは顔色一つ変えることなく、無感情な声音で続けた。
「愚かな……大人しく私に従っていれば良かったものを。非力な小娘一匹のために、命を捨てるとは……」
ユーリッドは、ぎりっと奥歯を噛み締めると、憤激に全身が震えるのを感じた。
「……愚かなのは、どっちだ……っ」
リークスの眉が、ぴくりと動く。
ユーリッドは、今出る精一杯の声を張り上げて、再びリークスを睨み付けた。
「お前は、一国の王である前にファフリの父親だろっ! 娘の命を平気で奪おうとするような屑(くず)に従うくらいなら、死んだほうがましだ──!」
怒鳴り終えた途端、今度は、真上から空気の圧がのしかかってきて、ユーリッドは地面に崩れ落ちた。
骨格の軋む音が、めきめきと全身から聞こえてくる。
リークスが、ユーリッドに向けて手をかざすと、その圧はどんどんと重みを増していった。
「やめて──っ!」
ファフリは、ユーリッドにかざされたリークスの腕にしがみつくと、首を振りながら泣き叫んだ。
「やめてっ、これじゃあユーリッドが死んじゃう! もう、お父様の言う通りにするわ、死ねって言うなら……死ぬから、だから、ユーリッドとトワリスを殺さないで……! お願い……!」
リークスは、腹立たしげに顔をしかめると、ファフリの頭を殴り付けて、そのまま腕を振り払った。
がんっ、と鈍い音がして、ファフリが地面に叩きつけられる。
その小さな体を更に蹴り飛ばすと、リークスは、ファフリを見下ろした。
「引っ込んでいろ、お前はあとで殺す」
「…………っ」
ファフリは、嗚咽を噛み殺して、瞳に凄絶な光を宿した。
ユーリッドも、トワリスも、もう動けない。
自分が助けなければ、ここで全員死んでしまうだろう。
このまま二人が殺されてしまうところを見るのは──それだけは、絶対に嫌だった。
ファフリは、再びユーリッドの方を見やったリークスに向かって、唱えた。
「汝、窃盗と悪行を司る地獄の総統よ。
従順として求めに応じ、我が身に宿れ!
──カイム!」
全身がざわめき、ファフリの周りに光の輪が浮き出る。
そこから、輝く刃がいくつもいくつも噴き上がって、刃は、まばゆい残光の尾を引きながら、閃光のごとくリークス目掛けて飛んでいった。
地に響く轟音をあげて、土煙が舞い上がる。
ファフリは、その光景を見つめている内に、ふと、自分にはっきりと意識があることに気づいた。
初めて、自分の意思で、召喚術を行使したのだ。
しかし、次の瞬間。
視界の悪い土煙の中から、大きな手が伸びてきたかと思うと、その手はファフリの首を掴んで、そのまま彼女の身体を持ち上げた。
リークスの手だ。
首を絞められて、喘ぐように呼吸するファフリを見ながら、リークスは、嘲(あざけ)るように口端を吊り上げた。
「──笑止。ようやく召喚術を使えるようになったと思えば、やはりお前はこの程度か。殺気すら纏えぬ次期召喚師など、ミストリアには必要ない」
「……ぁっ……うっ」
リークスの手に、更に力が加わる。
朦朧とし始めた意識の中で、それでもファフリは、リークスから視線を外さなかった。
そんなファフリの眼差しが気に食わなかったのか、リークスは、口元に浮かべていた笑みをふいと消した。
「……いいだろう、殺されたいというなら、まずお前から殺してやる」
(っ、ファフリ……っ!)
殺気を膨れ上がらせたリークスを見て、ユーリッドは、ぎりぎりと唇を噛んだ。
口の中に、血の味が広がっていく。
無理矢理立ち上がろうとすると、リークスからの重圧を受けた骨格が悲鳴をあげて、ぼきっと乾いた音がした。
しかし、このまま倒れていては、本当にファフリが殺されてしまう。
全身に走る激痛に構わず、身を起こそうとしたとき。
視界の端で、倒れていたトワリスが、口を動かした。
ユーリッドは、はっとしてトワリスに視線をやると、彼女の唇を読み取る。
そして、ぐっと全身に力を込めると、ユーリッドはついに立ち上がり、血を吐き出すように叫びながら、リークスに向かって走り出した。
脚を動かす度に、骨が軋む音がする。
だが、それ以上の力が、ユーリッドを突き動かした。
まさか、ユーリッドが起き上がるとは思っていなかったリークスは、背後から凄まじい絶叫が聞こえてきた瞬間、一瞬耳を疑った。
しかし、その叫びは幻聴などではなく──。
思いがけず瞠目し、こちらを振り返ったリークスの顔面に、ユーリッドが突きだした拳が、入った。
「────っっ!」
よろめいたリークスの手から、ファフリが解放される。
力なく落ちてきた彼女の身体をかき抱くと、ユーリッドはそのまま、トワリスの元に全力疾走した。
トワリスは、震える手で、腰の革袋から一枚の紙──移動陣が描かれた紙を取り出すと、そこに自分の血を塗りつけた。
そして、ユーリッドとファフリがこちらに飛び込んできた、その瞬間。
渾身の力を込めて、移動陣を、地面にだんっ、と叩きつけた。
かっと採掘場が光に包まれ、三人の姿が、その場から消える。
ほとんど、一瞬の出来事であった。
突然のことに、リークスは放心して、しばらくその場から動けなかった。
キリスも、一体何が起こったのか理解できないといった様子で、呆然と立ち尽くしている。
しかし、やがてエイリーンのくつくつという笑い声が聞こえてくると、二人は、はっと我に返った。
「ほう、奴等、サーフェリアに逃げおったぞ。嬲っておらずに、さっさと殺せば良かったというのに」
可笑しそうに目を細めて言ったエイリーンに、リークスが、怪訝そうに眉をしかめた。
「……ここから、サーフェリアにだと? どういうことだ」
「移動陣じゃ、お前たちは知らぬであろうな。今の魔力、サーフェリアの小僧が作ったと見える」
「…………」
リークスは、忌々しげに唇を歪めると、口惜しさに青筋を立てた。
そんな彼の怒りを煽るように、エイリーンは愉しげに言う。
「ふっ、無様よのう。お前はそうして、この国で永遠に燻っておるがよい。サーフェリアには、我が出向いてやろう」
エイリーンは、そう言い残すと、召喚術の詠唱をして、まるで煙のように姿を消した。
リークスは、怒り心頭といった様子で、先程ユーリッドに殴られた口元を拭った。
そして、エイリーンが消え去った跡を睨むと、続いて、キリスに視線をやった。
その貫くような視線に、キリスは思わず後ずさったが、すぐさま土下座の体制をとる。
「……二十年前、何故私の命令を無視し、鉱山の活動を再開させたのだ」
「もっ、申し訳ございません……!」
「何故かと問うている、答えよっ!」
「ひぃっ!」
凄まじい剣幕で怒鳴られて、キリスは縮み上がった。
しかし、答えなければ確実に殺される。
キリスは、汗や涙でぐしゃぐしゃになった顔を上げると、必死になって言葉を紡ぎ出した。
「……ハイドットの、ぶ、武具は、魔力を吸い取ります故、使いようによっては、魔力を、無効化することが出来ます……! で、ですから、人間や精霊族に、我ら獣人族の恐ろしさを知らしめる、格好の武器になると考え、勝手ながら、ハイドットの生産を、再開させたのでございます! 廃液によって、多少の犠牲を払ってでも、ハイドットの生産は、続ける価値があると──全ては、ミストリアの為になると! そう思ってのことなのでございます……!」
瞬間、頭部に衝撃が走って、キリスはリークスに蹴り飛ばされた。
視界が揺れて、地面に打ち付けた後頭部から、じわじわと温かいものが滲み出てくる。
身体を丸め、呻き声をあげているキリスを睥睨して、リークスは、吐き捨てるように言った。
「もう二度と、私の前に現れるな。目障りだ」
その言葉が聞こえたのか、聞こえなかったのか。
キリスは、ぴたりと動きを止め、声も出さなくなった。
そんなことは気にも止めず、リークスは、鉱山から出るべく踵を返す。
すると、ふと立ち眩みがして、少しの間、歩みを止めた。
どうやら、久々に召喚術を行使したため、疲れが出たようだ。
ファフリがカイムを召喚した際、リークスも、フェニクスを召喚していたのである。
フェニクスは、他の悪魔の力を無効化する能力があるのだ。
目を閉じて、目眩に耐えていた──と、その時だった。
ずぶりと、肉を裂く音がして、リークスの口から血潮が滴った。
ゆっくりと振り返ってみれば、背後には、倒れていたはずのキリスがいる。
「……あ、貴方様が、悪いのですよ……。私の考えを、分かって下さらないから……」
こちらの様子を窺うように、キリスが顔を上げる。
その瞳は、狂気を孕んでいた。
「……っき、さま……っ!」
キリスに激昂の目を向けて、リークスは魔力を高める。
だが、高めれば高めるほど、身体から力を奪われていくように、一向に魔力が集まらない。
キリスは、瞳孔が開ききった目で、勝ち誇ったように言った。
「無駄ですよ、陛下……。今、貴方様の心の臓を貫いたのは、ハイドットの短剣です……! 魔術も、召喚術も使えません」
短剣が、勢いよく引き抜かれる。
リークスは、徐々に視界が朧になっていくのを感じながら、どしゃりと膝をついて、倒れた。
キリスは、しばらくその様子を、呆然と眺めて震えていた。
その震えが、恐ろしさからくるものなのか、悦びからくるものなのかは、分からなかった。
しかし、やがて、恐る恐るリークスに近づくと、その頭に、もう一度短剣を突き立てた。
そして、二度とリークスが動かないことを悟ると、ぬらぬらと血に濡れたハイドットの短剣を、目の前にかざした。
「はっ、はは……!」
自然と、キリスの顔から笑みがこぼれる。
「すごい! すごいぞ……! ハイドットさえあれば、獣人は無敵だ! 召喚師にだって勝てるんだ……!」
キリスは、勝利の快感に酔いしれ、血まみれになったリークスの頭を蹴りつけると、げらげらと大笑いした。
「リークス王、間違ってるのはお前の方だ! ハイドットの生産を中止? 冗談じゃない、こんな素晴らしいもの、どんなに犠牲を払ったって、手放してなるものか──!」
ハイドットの短剣を抱き締めて、キリスは満ち足りた気分でいた。
ハイドットさえあれば、自分はもう無敵である。
人間も精霊族も、魔力さえ封じてしまえばこちらの勝ちだ。
召喚師でさえ、脅威にはならない。
キリスは、堪えきれずに再び笑い声をあげると、リークスの死体を見下ろした。
自分はどうして、こんな愚かな王を恐れていたのだろう。
今となっては、不思議でたまらない。
「ミストリアの新王は、俺だ……!」
キリスは天を仰ぎ、歓喜に身を任せて、そう叫んだ。
To be continued....
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