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投稿日:2021年02月23日





†第四章†——対偶の召喚師
第一話『来訪らいほう


 日が傾き始めた頃。
岩棚に寝転がっていたルーフェンがふと目を開けると、それと同時に、傍らで座り込んでいた老人──ラッセルも顔を上げた。

「……誰か、結界の内に入ったな」

 しわがれた声で、ラッセルが言う。
ルーフェンは、気だるそうに身を起こした。

「……獣人か」

「いいや、これは人の気配じゃのう」

「人?」

 予想外の返答に、ルーフェンが聞き返す。
すると、その時、上方の岩場から、まるで猿のような身軽さで、一人の女がラッセルの横に降り立った。

 女は小柄で、年齢を窺わせない若々しい顔立ちをしていたが、左の片目が潰れており、どこか謎めいた雰囲気を持っている。

「人ならば、私が追い払ってこようか。ルーフェンは休んでいるといい」

 女は、太股に仕込んであった小刀を抜くと、抑揚のない声で言う。
だが、ルーフェンは首を横に振った。

「いや、いいよ、ノイちゃん。多分、俺の客だから」

 そう言って、突き出した岩に手をかけると、ルーフェンは勢いをつけて飛び上がる。
そうして崖の頂上まで登ると、目先の草一本生えないその岩場には、案の定、二人の男が立っていた。
鎧などは着けておらず軽装だったが、剣帯には細身の剣と暗器を吊るしており、目元以外は覆面で隠されている。

「……召喚師、ルーフェン・シェイルハートとお見受けする」

 男の一人が、こもった声で問いかけてくる。
それに対し、ルーフェンは、やれやれといった様子で男達に向き合うと、わざとらしく肩をすくめた。

「さあ? 君達、こんな南方の地まで来てご苦労なことだけど、人違いじゃないの?」

 軽い口調で言うと、もう一人の男が、苛立ったように怒鳴った。

「ほざけ! その銀の髪と瞳、間違いなかろう!」

 男達は、それぞれの剣を抜き払うと、腰を落として構えた。
ルーフェンは、それを見て苦笑した。

「なにそれ。分かってるなら、聞かなくていいのに」

「──覚悟!」

 その言葉を無視して、男達が一気に間合いを詰めてくる。
ルーフェンは丸腰のまま、向かってくるうちの一人に狙いを定めると、ふざけたように言った。

「あーあ、もう最近こんなのばっかり。いい加減にしろよ──と!」

 すっと目を細めて、男を睨む。
その瞬間、睨まれた男は、突如見えない壁にぶち当たったように仰け反って、そのまま爆風に巻き込まれたかのごとく、後方に吹っ飛んで動かなくなった。

 それにぎょっとして、一瞬動きを止めたもう一人の男の懐に、ルーフェンは素早く飛び込む。
そして、鳩尾を膝で蹴り上げ、つんのめった男の手から剣を奪い取ると、うつぶせに倒れた男を仰向けに蹴り転がし、その腹を強く踏みつけた。

「俺、召喚師様よ? こんなんで殺されるわけないでしょーが」

 ルーフェンの勝ち誇ったような言葉に、男は、悔しそうにぎりぎりと歯を食い縛る。
それを見ながら、からからと笑って、ルーフェンは男の腹にどかりと腰を下ろすと、奪った剣先をその喉元に突きつけた。

「さーて、男を組み伏せる趣味はないけど、一応聞こうか。誰の差し金でここに来た?」

「…………」

 男は、何も答えない。

 ルーフェンは嘆息すると、男の帯や胸元をごそごそと探って、彼の首に紐がかかっているのを見つけると、それを手繰り寄せて引きちぎった。
軽く装飾の施されたその紐の先についていたのは、小指の先程の小さな女神像。

 ルーフェンは、それを掌の上で転がすと、呆れたように笑った。

「へえ……イシュカル神の小像が付いた首飾り、か。随分と洒落たもの着けてるね」

 言いながら、空いている手で乱雑に首飾りを放り投げ、落下してきたところを再び掴みとって見せると、男の目の色が、明らかに変わった。
ルーフェンは、それを見逃さず、続けてその小像を地面に落とし、踏みつけようとすると、目を見開いた男が、ついに口を開いた。

「穢らわしい手でイシュカル様に触れるなっ!」

 ルーフェンは、足を止めると、首飾りを拾い上げて男を見た。

「……やっぱり、イシュカル教徒か」

「黙れ! この、呪われた悪魔使いがっ!」

 男は、荒い息を繰り返しながら、ぎらぎらとした目付きでルーフェンを睨む。

「我々人間は、イシュカル様のご加護の下にあってこそっ、真に平和でいられるのだ! 貴様のような邪悪な殺人鬼は、サーフェリアから消えろ! 我らイシュカル教徒は、正義のために戦う勇士! 召喚師など恐れはせぬ──!」

「…………」

 顔を真っ赤にして、男は喚き散らす。
しかし、ふと表情を消したルーフェンが、ぐっと首筋に刃を押し当てると、男は静かになった。

 ルーフェンは、男の皮膚に僅かに食い込んだ刃を、しばらくじっと見つめていた。
だが、やがて小さく息を吐くと、ゆっくりと突きつけていた剣を退け、男の上からどいた。

「……死にたくなかったら、大人しく帰んな」

 男は、素早く飛び起きると、ルーフェンを警戒したように見つめる。
ルーフェンは、冷めた目で男を見やると、静かな声で言った。

「帰って、君の主に伝えるんだ。下らないことはやめろってね。わかった?」

 それだけ言って、ルーフェンは身を翻す。
男は、険しい表情のまま、その場から動かずにいたが、ルーフェンが完全に背中を向けたのを確認すると、にやりと笑った。
そして、剣帯に吊ってあった暗器を手に取ると、駆け出して背後からルーフェンに襲いかかる。

 暗器の刃先が、ルーフェンの首をとらえた。
──はずだった。

 しかし、すんでのところで、ずぶりと肉を裂く音がして、男は瞠目した。
ルーフェンが、振り向き様に男の脇腹を横から斬りつけたのだ。

 ルーフェンは、抜いた剣をくるりと回転させて、逆手に持ち変えると、その場で崩れかけた男の頭に、ぐさりと突き刺した。
男は、脳天から血を噴き出すと、そのまま地面の上に倒れた。

「……だから帰れっつったのに、馬鹿だなあ」

 独りごちて、剣を男の側に突き立てる。
そして、ぱんぱんと手を払うと、いつの間にか、岩棚から上がってきていたラッセルとノイを見た。

「……捨て駒といって良いほどの刺客じゃったの。教会も人使いが粗いようじゃ」

 死んだ男の亡骸を覗きながら、ラッセルが言う。
ルーフェンは、眉をあげると、いつもの調子で肩をすくめた。

「まあ、命令されてきたのかは分からないけどね。案外、自分から志願して俺を殺しにきた物好きかも」

「……人気者じゃのう、おぬしは」

「そうそう、モテる男は辛いのよ」

 けらけらと笑っておどけていると、不意に、どこかへ走っていったノイが、何かを大きなものをこちらにぶん投げてきた。
どしゃあっと砂埃をあげて落下してきたのは、最初に、ルーフェンが魔術で吹き飛ばした男の身体である。

 ノイは、ルーフェンとラッセルのほうに戻ってくると、冷静に言った。

「……死んだ奴はともかく、こっちの気絶してる男はどうすればいいの。私達リオット族の土地に、生きた王都の人間を置いていかれても困るわ」

 ルーフェンは、投げられた男の顔をみて、ぽんっと手を打った。

「ああ、忘れてた。どうしようか」

 呑気な声をあげて、ルーフェンが考え込む。
そんな彼を横目に、ラッセルは、手首から先のない棒のような腕で、男の首筋に触れると、ふむ、と頷いた。

「確かに、気絶しているだけで息はあるようじゃの」

「……とりあえず、生きて帰すにしても、この物騒な刃物は没収ね」

 気絶して尚、男によって強く握られていた剣を取り上げると、ノイはその剣を枝切れのように素手でぼきっと真っ二つに折ると、ぽいっと放り投げた。

 それを見て、ルーフェンが囃(はや)すように口笛を吹く。

「相変わらずの怪力ぶりだね、ノイちゃん」

「リオット族なら、これくらい誰でもできるわ。……握手してあげようか?」

「ノイちゃんなら大歓迎……って言いたいところだけど、握りつぶされそうだから遠慮しておくよ」

 そんなルーフェンとノイの軽口を聞きながら、ラッセルはよっこらせと立ち上がると、気絶した男の襟首を、指のある方の左手でひょいと持ち上げた。

「ノイや、ここから北西に、魔導師団の砦の跡地があるじゃろう。この男は、そこに置いてこい。あそこならば、雨風も凌げる。……なに、元々ここまで来た人間じゃ。自力で帰れるじゃろう」

「……そうね。わかった、投げてくる」

「投げんで良い、置いてこい」

 ノイは、ラッセルから、自分よりも二回りほど大きな男を受け取ると、同じように襟首をつかんで、ずるずると引きずっていった。

 それを見送ると、ラッセルは一つため息をついて、ルーフェンを見上げる。

「……助けてくれと言われたり、死ねと言われたり、召喚師というのもなかなか忙しない職業じゃの」

「はは、全く、その通り」

 ルーフェンははあっと息を吐いて、ぐぐっと伸びをした。

「こっちは変な獣人にまで追いかけ回されてるってのに、これじゃあ身が持たないっての。たまには広ーいふかふかベッドで、大の字になって寝たいもんだね」

「……固い岩の上が嫌なら、このラッセルが膝枕してやるぞ」

「おじいちゃんの膝枕も、充分固いでしょうよ」

 からかうように言って、ルーフェンはラッセルの禿げ頭をぺしぺしと叩いた。
ラッセルは、しばらくされるがままになっていたが、やがて、ふと顔だけルーフェンに向き直ると、穏やかな声で言った。

「……冗談はさておき、おぬし、もう少しここにおるのじゃろう」

 ルーフェンが、頭を叩いていた手を止める。

「んー……どうしよっかな」

「いた方が良い。その獣人というのはよう分からんが、四六時中魔力を放出したままというのは、いくらおぬしでも堪(こた)えよう。その役目、一時的に代わってやるから、もう少しここに残れ。ふかふかベッドはないがな」

 思いの外、真剣な面持ちで告げてきたラッセルに、ルーフェンは黙りこんだ。
そして、小さく笑みを溢すと、何か考え込むようにして、目を伏せる。

 だが、ある時はっと顔をあげると、ルーフェンは、赤くなった西の空を見て、目を見開いた。

「……どうした、今度は」

「いや……」

 窺うように目を細めたラッセルに、ルーフェンは一度口を開きかけ、閉じると、含み笑いをした。

「……移動陣が使われた。国外で」

「国外? あんなもん、サーフェリア以外にもあったのかね?」

 驚いて眉を上げたラッセルに、ルーフェンは頷いた。

「いや……今使われたのは、多分、俺が持たせた方のだ」

 ルーフェンの言葉の意味がわからず、ラッセルは怪訝そうに表情を曇らせた。
だが、端から説明する気はなかったようで、ルーフェンは何も言わずに、外套の頭巾を深く被る。

 ラッセルは、それを見ると、呆れたようにため息をついた。

「なんじゃい、結局王都に戻るんか。折角この老いぼれが、力を貸してやろうと言うたのに」

 そう言って、半目で睨んでやると、ルーフェンはからからと笑った。

「まあまあ、俺がいなくなって寂しいのは分かるけど、そんないじけないでよ」

「やめい、気色悪い」

 鳥肌が立ったと腕をさすりながら、ラッセルはルーフェンを追い払うように、手をしっしっと振る。
ルーフェンは、それに対して、ひどいだの何だのと言いながら、シュベルテへ通ずる移動陣がある方へと、身体を向けた。

「……じゃあ、助かったよ。ノイちゃんたちにもよろしく」

「ああ。ハインツにも顔を出せと伝えておけ」

「はいよー」

 一度だけ振り返って、ルーフェンが返事をする。
ラッセルは、それを見ながら、しばらくしてルーフェンとの距離が開くと、再び声を上げた。

「また、何かあったら来い」

 端的に告げると、ルーフェンは今度は、手をあげて応えた。
肯定したのか否定したのか分からぬ、その曖昧な態度は、彼らしいと言えば彼らしいが、どうにも危なげで心配になる。
しかし、注意したところで、意味はないのだろう。
あの男は、昔から危なっかしい性分なのだ。

 すーっと駆け抜ける乾いた風の音が、崖の底にこだましていく。
ルーフェンは、夕暮れの光の中に、静かに消えていった。



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