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投稿日:2021年02月23日
はやる気持ちが抑えられず、無意識の内に小走りしながら、ファフリは再び山の中に踏み込んだ。
一人で歩く夜の山道は、昼間に通ったものと同じとは思えないほど不気味で、思わず進むのを躊躇うほどだった。
時折、何かが茂みを揺らして駆け抜ける音がすれば、心臓が痛いほど収縮したし、先の見えない暗闇からは、常に何かの視線がこちらに向けられているような気がした。
山道に入ってしまえば、あの明かりが見えることもなく、もし道を間違えて迷ったらどうしようとか、人間に見つかってしまったらどうしようという、そういった底知れぬ不安が次々と襲ってくる。
しかし、生い茂った木々を掻き分け、目の前に古い山荘が現れると、そんな不安や恐怖など、あっという間に吹き飛んでしまった。
今、目の前に、カイルと来たときにはなかった屋敷が、確かに存在しているのだ。
屋敷は、幽霊屋敷と噂されるだけあって、とても人が利用しているとは思えないほど古ぼけていた。
無機質な石壁には所々ひびが入り、枯れかけた蔓や蔦が、屋敷全体を覆っている。
一階と二階にそれぞれある窓も、長年手入れをしていないらしく、砂埃で汚れていて、カーテンなどかかっていないのに一切中の様子が見えない。
唯一着色されていたであろう屋根も、今や全体的に色が剥げて、茶色と灰色が混ざったような煤けた色になっていた。
ファフリは、屋敷の周りを一周し、どこからも明かりが漏れていないことを確認すると、落胆した様子で息を吐いた。
「召喚師様、もうどこかにいっちゃったのかな……」
あるいは、ファフリが見た明かりは、この屋敷とは関係のないものだったのか。
どちらにせよ、この屋敷には誰もいないようだ。
しかし、カイルの言葉通りなら、この屋敷が現れたということは、サーフェリアの召喚師がどこか近くにいるということである。
ファフリは、一通りきょろきょろと辺りを見回すと、頭上に生える木々に向かって叫んだ。
「カイム! カイム……!」
さわっと夜風が駆け抜けて、ファフリの呼び掛けが響く。
「サーフェリアの召喚師様を、探しているの。ねえ、カイム! 居場所を知っているなら、教えて……!」
刹那、まるで、ファフリの問いかけに答えるように、木々たちがざわりと音を立てる。
その時、背後から、ぱきりと小枝を踏む音がして、ファフリは振り返った。
均整のとれた体躯に、異彩を放つ銀色の髪と瞳。
月光を受けて、冴え冴えと光るその銀髪は、作り物めいていると感じるほど、優雅に夜風に靡(なび)いている。
(……わ、綺麗な人……)
突如、目の前に現れたこの不思議な風貌の男に、ファフリは素直にそう思った。
まっすぐにこちらを見る瞳は、どこか神秘的な色を孕んでいて。
その瞳に心をとらわれてしまったかのように、男から目を離すことができない。
しかし、不意に男は、髪と同じ銀色の睫毛を伏せると、ゆっくりと目を閉じた。
そしてそのまま、ふらっとよろめき、思いっきり、どしゃあっと地面にうつ伏せに倒れる。
「えっ……だ、大丈夫ですか!?」
突然の出来事に、慌てて近寄って、男の体を揺すってみるが、男はぴくりとも動かない。
この時、改めて男の全身を観察してみて、ファフリは血の気がひいた。
男の纏っていた衣が、薄汚れた黄白色のローブだったからだ。
──特に、黄色っぽいローブを着た魔導師団の奴等と、いかつい鉄鎧を来た騎士団の奴等には、絶対に見つからないこと。
脳裏にカイルの言葉がよみがえって、一瞬、男を揺らしていた手を止める。
(ど、どうしよう……この人、多分、魔導師団の人間だ……)
カイルは、ヘンリ村には魔導師団や騎士団の者は来ないと言っていたけれど、明らかに私服とは思えないこのローブを見る限り、ファフリのこの予想は的中しているだろう。
とすると、もし、この男に獣人であることがばれてしまったら、地下牢行きということになる。
(でも、こんな森の中で倒れてるのを、放っておくわけにもいかないし……)
うんうんと唸って、どうするべきかファフリが頭を悩ませていると、ふと、男が身じろぎをした。
その瞬間、彼の腹から、ぎゅるる……と間抜けな音が響く。
「…………」
ファフリは、拍子抜けしたように瞬くと、しばらく倒れた男のほうを凝視していた。
「いやぁ、助かったー。ほんと、ここ何日か何にも食べてなくてさ、空腹で死にそうだったんだよね。ありがとうー」
「い、いえいえ……」
銀髪の男が唐突に倒れた原因は、腹の虫の言う通り、やはり空腹だったらしい。
あのあと、ファフリが鞄にいれていた保存食──干し肉を差し出すと、男はむくりと起き上がって、それを食べ始めたのだった。
ミストリアからサーフェリアに渡ってきて以来、鞄に入れっぱなしで存在すら忘れていた保存食だったのだが、空腹状態の彼からしたら、ご馳走だったようだ。
男は、あっという間に平らげてしまった。
食べ終えてから満足そうに伸びをすると、男は、先程興した焚き火の横で、片膝を立てて座り直した。
そのすぐ横に腰を下ろしながら、落ち着かなさそうな様子で、ファフリは何度も深くかぶった頭巾を気にする。
鳥人特有の、髪に混じる羽毛を男に見られないように、頭巾で隠しているのだ。
先程から、気さくに話しかけてくる男だったが、正直ファフリは、その対応をするどころではなかった。
男を助けたことに後悔はなかったが、もしこの男に自分が獣人であることがばれてしまったら、まずいからだ。
しかし、だからといって、突然帰ろうとするのも逆に怪しまれそうだし、万が一素性を疑われて戦闘にでもなったら、余計に危ない。
男の話にある程度付き合って、自然な流れで別れるのが得策なのだろうが、そのような流れは一向に訪れず、ファフリは、額の脂汗が止まらなかった。
本当は、男の側に保存食を置いたら、すぐにその場から離れようと思っていたのだ。
だが、置いた瞬間に男が起き上がったので、帰ろうにも帰れなくなってしまったのである。
どうやって逃げようかと、必死に考えていると、男が再び話し出した。
「そういえば、君、こんなところで何してたの? 旅途中か何か?」
男の問いに、ファフリがぎくっと身体を強ばらせる。
そして、ぎくしゃくとした動きで男の方を見ると、なんとか声を絞り出した。
「あ、えっと……はい、そうです。私、旅をしていて、その途中で……」
「女の子一人で?」
「い、いや、その……連れはいるんですけど、今は怪我をしちゃってるので、山下のヘンリ村で休ませてもらっていて。私は……そう。星を見に来たんです」
「……ふーん。まあ確かに、この辺りは星がよく見えるからね」
そう返事をして、男が天を仰ぐ。
ファフリは、そこまで深くは追及されなかったことに安堵して、ひとまず胸を撫で下ろした。
だが、ほっとしたのもつかの間、男は俗っぽい笑みを浮かべると、ファフリに言った。
「……でもね、知ってる? この辺り、特にこの森は……出るんだよ」
「出る……?」
男の意味深な発言に、ファフリが首をかしげる。
男は、くすりと微笑んで、背後にある屋敷を示すと、続けて言った。
「この山荘、ここ一帯では有名な幽霊屋敷でね。前の持ち主である没落貴族が、抵当として領地を失った挙げ句、ここで自殺したとかなんとか。それが原因なのかは分からないけど、夜になると、無人のはずのこの屋敷に明かりが灯って、そこに誰かが首を吊ってる陰が映る、なーんて専ら噂になってるんだよ」
「えっ……えぇ?」
困惑した様子のファフリに、男が楽しそうに笑みを深める。
ファフリは、思わず目を見開いて、屋敷の方を見つめた。
この屋敷は、魔術により姿が見えたり見えなかったりするから、幽霊屋敷と呼ばれるようになったのだとカイルは言っていた。
だが、まさか本当に幽霊が出るのだろうか。
とすると、先程ファフリが見た明かりは、もしかして。
そんなことを考え出すと、急に森に入ったときの恐怖がぶり返してきて、ファフリは硬直した。
──その時だった。
「わっ!」
「きゃあっ!」
突然、背後から肩を掴まれて、耳元で叫ばれる。
縮み上がったファフリは、驚いて悲鳴をあげたが、すぐにそれが男の仕業だということに気づくと、慌てふためいた様子で振り返った。
「なっ、あ、なにするんですか!」
「ふっ、ははは……っ!」
実に可笑しげな様子で、男が爆笑する。
どうやら、ファフリの反応を見て楽しんでいるようだ。
「驚いちゃった? 今の、全部嘘だから安心してよ」
最初に会ったときの、神聖な雰囲気など微塵も感じさせないような、いたずらっぽい笑みを浮かべて男が言う。
ファフリは、何故こんなことをされたのか分からず、呼吸を落ち着けると、男の方を軽く睨んだ。
「う、嘘って……どうしてそんなこと……」
頭巾の端を引き寄せ、警戒したように問いかけると、男は言った。
「ごめんね。君みたいな可愛い子を見ると、ついからかいたくなっちゃうんだ。許してくれる?」
まるで息をするように出た言葉に、ぽかんとする。
普通、初対面の相手に対して、からかったり可愛いなどと言ったりするだろうか。
少なくともこの男は、ファフリがこれまで会ったことのないタイプである。
(サ、サーフェリアの男の人って、こんな、可愛いとかひょいひょい言ったりするものなの……?)
完全に混乱状態に陥ったファフリであったが、男はその様すら面白がっているようで、なにも言わずにファフリを見て笑みを浮かべている。
しかし、しばらくすると、今度は別のことをひらめいたようで、男は再び口を開いた。
「ねえ。じゃあ、ご飯をくれたお礼と、怖がらせちゃったお詫びに、何かしてあげるよ。何がいい?」
「えっ、う、うーん……」
急にそんなことを聞かれて、ファフリは口ごもった。
正直、今すぐここから離れたいというのが本音だが、折角何かしてくれるというのに、帰らせてほしいと答えるのも忍びない。
だが、今日初めて会った人間に、お願いしたいことなど何も思い付かなかった。
(……やっぱり、急いでるので帰りますって言おうかな……。このまま長居して、獣人だってばれたら、洒落にならないし……)
そこまで考えて、ファフリは、あることを思い付くとはっとした。
魔導師であるこの男なら、サーフェリアの召喚師の居場所を知っているかもしれない、と思ったからだ。
リリアナたちは、サーフェリアの召喚師と知り合いのようだが、それでもどこにいるかは分からないと言っていたし、何より、ヘンリ村自体が王政からは隔絶された場所のようだから、このままここで待ち続けたところで、本当に召喚師に会えるかどうか怪しいところだ。
極力リリアナとカイルには迷惑をかけたくないし、サーフェリアの召喚師の居所を尋ねたところで、獣人ではないかと怪しまれたりすることもないだろう。
それならば、早く召喚師を見つけるためにも、この男に居場所を聞いてみるのも手かもしれない。
ファフリは心を決めると、男の方をじっと見つめて、言った。
「あの……貴方は、魔導師団の方ですよね……?」
「うん、そうだよ」
柔らかい表情で答えて、男は頷く。
ファフリは、膝にのせた両の拳に力を込めると、緊張した面持ちで続けた。
「だったら、その……もし、ご存知だったらで良いんですけど。召喚師様が今どこにいるのか、教えてくれませんか?」
それを聞くと、男は数回瞬いてから、くすりと笑った。
そして、ファフリに顔を近づけると、先程よりも低い声で聞いてきた。
「召喚師に、会いたいの?」
男を見つめ返し、こくりと首肯する。
すると、男は目元を和らげ、つかの間沈黙して、ファフリから身体を離した。
「……召喚師は、今は王都にいるよ。会いたいのなら、明日、シュベルテに行ってみるといい。そうしたらきっと、会えるから」
予想以上に具体的な答えが返ってきて、ファフリは驚いた。
サーフェリアの召喚師になんて、そう容易には会えないだろうと思っていたし、放浪癖があると聞いていたから、見つけるのすら難しいかもしれないと考えていたのだ。
しかし、この男の口ぶりだと、随分簡単に邂逅を果たせそうだ。
近々サーフェリアの召喚師と会えるかもしれないということと、男が案外すんなり答えてくれたことに安心して、ファフリはほっと息を吐いた。
「そうなんですね……よかった。ずっと、どこにいらっしゃるのか分からなかったので、どうしようかと思ってたんです」
微かに表情をやわらげると、男は苦笑した。
「そうだね、今はもう、魔導師団の動きも制限されなくなってるし。召喚師本人を直接探すのは、居場所がわからないと難しいだろうね」
男の発言の意味が分からず、返答に迷っていたファフリだったが、男はそれを待つことなく、ゆっくりと立ち上がった。
そして、焚き火の上に手をかざし、その手をぎゅっと握り込むと、じゅっと音を立てて火が消える。
その一瞬だけ、辺りが暗くなったように感じたが、月光のおかげで、男の表情ははっきりと見えた。
「……さて、長く引き留めてしまって、ごめんね。もう帰ったほうがいい。送ってあげたいところなんだけど、俺はちょっと野暮用があるから、一人で戻れる?」
「あ、はい……!」
ようやく望んでいた流れになって、ファフリも立ち上がった。
「あの、ありがとうございました。召喚師様のこと、教えて下さって」
「…………」
軽く頭を下げ、ファフリが改めて礼を述べると、男はふと笑みを消し、微かに目を細めた。
そして、ファフリの方に手を伸ばすと、その髪を優しく梳(す)くように、頭巾の中に手を差し入れる。
ファフリは、頬に触れられた感触がするまで、何をされたのか分からなかった。
だが、男に頭巾を取り払われ、隠していた自分の髪が広がったことに気づくと、焦りで咄嗟に動けなくなった。
男は、頬から手を移動させると、次いで、ファフリの左耳についた緋色の耳飾りに触れる。
「……お礼を言うのは、こちらの方だよ。君とはきっと、また会えるだろうから、その時に話そう。この耳飾りの元の持ち主にも、よろしくね」
「え……?」
目を見開いて、ファフリは吐息のように声をこぼす。
男は、再び口許に笑みを刻むと、最後に耳飾りを軽く指で揺らして、ファフリから手を引いた。
「それじゃあ、またね。気を付けてお帰り、可憐なお嬢さん」
一瞬、月明かりのせいか、男の瞳が怪しく光ったような気がして、ファフリは息を飲んだ。
同時に、恐怖や嫌悪とは違う、不思議な胸騒ぎがする。
それはまるで、ファフリの直感が、この男は普通ではないと告げてきているようだった。
男は、呆然としているファフリを残して、手を振りながら森の奥へと消えていった。
金縛りから解けたように、思わずその場にへたりこむと、ファフリは耳飾りに触れた。
(……耳飾りの元の持ち主にも、って……あの人、トワリスのことを知ってるの……?)
ぼんやりとした意識のまま、ファフリは露(あら)わになってしまった自分の髪を見つめると、微かに目を伏せた。
彼は、髪の毛に混じる羽毛に、気づかなかったのだろうか。
それとも、気づいていてあえて口には出さなかったのか。
男が消えていった暗がりを見つめて、ファフリはしばらく、そのまま物思いに耽っていた。
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