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投稿日:2021年02月23日






 やがて、夢中で騒いでいた見物人たちの中にも、獣人の異変に気づき始めた者が出てきた。

「お、おい……あの獣人、動きが激しくなってないか?」

「はあ? 苦しいからに決まってるだろ」

「そうじゃなくてさ、鎖が緩くなってるっていうか……」

 一部から広まったその動揺が、徐々に広がっていく。
先程まで最高潮に達していた熱は、あっという間に失われ、見物人たちは騒然となり、皆、食い入るように獣人たちを見つめ始めた。
──その、次の瞬間。

 ばんっ、と処刑場から何かが弾けて、火だるまになった二人の獣人が、見物人たちの波に襲いかかった。
獣人たちを縛る鎖が、ついに弾け飛んだのだ。

 賑やかな歓声は、一瞬にして悲鳴に変わり、我先にと逃げようとする見物人たちで、広間は大混乱に陥る。

 ユーリッドは、咄嗟に抜刀すると、こちらに向かってきていた獣人の体当たりを、剣を盾にして受けた。
途端、腹部にひびが入ったような、鋭い痛みが走る。
獣人からの攻撃を受けた衝撃で、完治していなかった傷が開いたのだ。

「────くっ!」

 ユーリッドは、浅く息をしながら、つかの間、獣人とその姿勢のまま拮抗していた。
だが、時機を見計らって、ふっと息を吸うと、盾にしていた剣を勢いよく振り切った。

 ギャッと悲鳴をあげ、全身を炎に侵食されたまま、獣人がはね飛ばされる。
ユーリッドは、石床にうつ伏せに倒れた獣人が起き上がる前に、素早く跳躍して、その胸板を剣で刺して押さえつけた。

「ファフリ!」

 ユーリッドに名前を呼ばれて、ファフリが顔をあげる。
ファフリはその意図を汲むと、ユーリッドが獣人から離れるのと同時に、魔力で獣人を取り巻く炎の勢いを強くさせた。
すると、ごうっと炎が唸って、獣人の身体は、みるみる炭に変わっていく。

 次いで、そのファフリの魔力に反応し、別方向から殴りかかってきたもう一人の獣人の爪を、ユーリッドは頭を反らして避けた。
そして、その低く屈んだ体勢のまま、着地した獣人に突進し、その腹に剣を突き立てる。

 ずぶずぶと、肉に深く刃が刺さった感触がして、獣人は、懸命にユーリッドに掴みかかろうと手を伸ばした。
しかし、次の瞬間には、再びファフリによって炎の威力が増し、獣人は、腹部に刺さったユーリッドの剣を掴み、痙攣しながら炭になった。

 額に滲んだ脂汗を拭い、獣人の腹から剣を引き抜くと、ユーリッドは一度息をついて、ファフリのほうを見た。
その時だった。

「動くな! この獣人め!」

 モルティスの鋭い声が響いて、ユーリッドとファフリの周りを、一斉に騎士たちが取り囲む。
騎士たちは、二人を中心に円状に並ぶと、各々の長槍を構えた。

 ユーリッドは、一瞬、何が起きているのか理解できなかった。
だが、戦闘中に自分の頭巾がとれ、獣の耳が顕(あらわ)になっていることに気づくと、全身が氷のように冷たくなった。

「ちょ、ちょっと待ってくれ! 俺たちは、処刑されようとしていた獣人たちとは違うんだ!」

「黙れ蛮族め! 先程の人間離れした動き、そしてその獣の耳、間違いなく獣人ではないか!」

 ユーリッドの言葉に、騎士の背後で守られるように立っているモルティスが、反論する。
ふと見れば、自分達を取り囲む騎士たちも、その向こうで遠巻きにこちらを見据えてくる見物人たちも、皆、恐怖と侮蔑の色を目に浮かべていた。

(まずい、どうすれば……!)

 人間たちを説得できるうまい言葉が見つからず、必死に頭を回転させていると、今度はファフリが口を開いた。

「さっき貴方達に襲いかかった獣人は、病にかかっていて、正気じゃなかったんです! 本来の獣人は、意味もなく誰かを襲ったり、殺したりしないわ! お願い、話を聞いて!」

「獣人共の戯言に耳を貸すな! 早くやれ!」

 聞く耳持たずといった様子で、モルティスが騎士達に指示を出す。
すると、それに従い、一斉に騎士たちが二人目掛けて長槍を突き出した。

 ユーリッドは舌打ちして、瞬時にファフリを抱えると、跳躍して騎士たちの頭上を飛び越え、モルティスの側に着地した。

「ひっ、ひぃ!」

 モルティスが、恐怖に顔を歪ませて後ずさる。
その脇に控えていた騎士が、勢いよく槍を突きつけてきたが、ユーリッドはその槍の柄を掴んで引くと、そのまま体勢を崩した騎士を、槍ごと投げ飛ばして、地面に叩きつけた。

 獣人に比べれば、人間は力など弱く、動きも遅い。
怪我が完治していないユーリッドでも、投げ飛ばすくらいのことは、造作もなかった。

 戦う姿勢を見せてしまえば、人間たちの敵意を増幅させてしまうことは分かっていた。
しかし、だからといって何もしなければ、自分達の身が危険にさらされてしまう。

 ユーリッドは、血が滲み出してきた腹部を押さえながら、腰を抜かしたモルティスを見つめて、苦しそうに言った。

「頼むから、話を聞いてくれ。俺たちは、人間と戦うつもりなんてないんだ!」

 モルティスは、悔しそうにユーリッドを睨み返すと、次いで、周囲を見回しながら叫んだ。
 
「おい、宮廷魔導師は何をやっておる! バーンズ卿!」

 その瞬間、ユーリッドは、空気が振動するほどの鋭い気配を、背後から感じた。
ほぼ反射的に振り返り、両腕を顔の前で交差させ、受け身に入ると、途端、凄まじい衝撃が上からのし掛かってくる。

「──っ……!」

 巨大な金槌で、思いきり殴られたのかと思うほどの威力だった。
だが、受けとめたのは、間違いなく人の拳──。
ユーリッドの背後から、全身古傷だらけの、歪な仮面をつけた大男が、突然殴りかかってきたのだ。

(こいつ、強い……!)

 とても人間とは思えない、獣人にも劣らぬ凄まじい腕力。
なんとか殴り飛ばされることなく、ユーリッドは耐えたが、いつまでこの体勢を維持したまま持ちこたえられるかは、時間の問題であった。

 包帯だけでは吸いきれなかった血液が、ユーリッドの腰帯を伝って、ぽたぽたと地面に滴る。
これ以上傷口が開けば、戦いどころではなくなってしまうだろう。

 ファフリは、ユーリッドの腹部から血がにじんでいることに気づくと、真っ青になって、加勢すべく立ち上がった。
だが、後ろから誰かに強く外套を引っ張られて、仰け反った。

 振り返ると、蒼白く光る短槍を手にした黒髪の男が、ファフリの外套を踏みつけていた。

「おお! よくぞやってくれた、バーンズ卿! そのまま獣人共にとどめを刺すのだ!」

 騎士達に支えられながら、よろよろと立ち上がったモルティスが、嬉々として言う。

 ユーリッドとファフリの動きが止まったことで、心に余裕が生まれたのだろう。
先程までの脅えきった様子とは一転し、悠々とした態度で、ユーリッドたちを見下ろしている。

 黒髪の男──ジークハルト・バーンズは、そんなモルティスを、しばらく見つめていた。
しかし、やがて呆れたように嘆息すると、胸ぐらを掴んで、ファフリを無理矢理立ち上がらせた。

「ファフリ!」

 ユーリッドが焦ったように叫んで、ファフリの元に向かおうとする。
だが、ジークハルトはユーリッドを鋭い目付きで睨むと、落ち着いた声音で、大男に言った。

「ハインツ。そのままガキを足止めしてろ」

「……分かった」

 大男──ハインツが低い声で返事をして、再びユーリッドに向かって拳を振り上げる。
ユーリッドは、慌てて視線をハインツに戻すと、抜刀して、かろうじてその拳の軌道を剣でそらした。

 受け流したのにも関わらず、全身が痺れるほどの重い打撃に、思わずユーリッドがよろける。
まともに受けていたら、今度こそ殴り飛ばされていただろう。

 ジークハルトは、ユーリッドがハインツの相手をするので精一杯になっていることを確認すると、ファフリの首筋に、短槍の穂先を当てた。

「……お前たち、さっき、病がどうのとか言っていたな。あれはどういう意味だ」

 攻撃されるのではないかと身構えていたが、ジークハルトから思わぬ質問を受けて、ファフリは顔をあげた。

「……どうって、そのままの意味だわ。私たち、どうして獣人があんな風に人間を襲っていたのか、何故サーフェリアに来ていたのか、全部知ってるの。お願い、全て話すから、私たちを解放して。ユーリッドは怪我をしているの」

 ファフリが、震える指先で、ジークハルトの腕を掴む。
ジークハルトは、すっと目を細めたが、それでもファフリを解放することはなく、厳しい声で返した。

「話すのが先だ。お前、獣人に襲われたとき、魔術まで使っただろう。その辺りの事情も含め、今ここで吐け」

「……っ」

 ぐっと首筋に刃を押し当てられて、思わず息が詰まる。
事情なんて話していたら、その間にユーリッドがやられてしまうかもしれない。
それに、話したところで、本当に解放してもらえるかどうかも分からない。

 焦りと混乱で、どうするべきなのか考えられなくなり、ファフリは、ただジークハルトの顔を見つめていた。
全身がどくどくと脈打って、頭が沸騰しているように熱いのに、背筋は水をかけられたかのように冷たい。

(どうしよう──!)

 ファフリの思考が、真っ白になった、そのとき。
ジークハルトの眉間に、誰かの指が押し当てられたかと思うと、不意に、ファフリの後ろから、間の抜けた声が聞こえてきた。

「ジークくん、顔恐ーい」

 同時に、後ろから腕を引かれる感覚がして、ジークハルトの手から解放される。
誰かが、ファフリを引き寄せたのだと気づくには、少し時間がかかった。

「そんな眉間しわっしわの恐い顔で迫られたら、誰だって怖がっちゃうに決まってるでしょー?」

 場の雰囲気にそぐわない、飄々としたその声は、確かに聞いたことのある声で。
ファフリは、自分を引き寄せた人物から離れると、その銀髪を見上げて、驚いたように瞠目した。

「ル、ルーフェン、様……?」

「やあ、昨夜ぶり。お嬢さん」

 揚々と片目をつぶってみせたのは、ファフリが昨晩出会い、そして、今まさに探し求めていた人物──。
ルーフェン・シェイルハート、その人であった。


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