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投稿日:2021年02月23日
「……己の立場を、分かっていて発言をしているのか。今この場で、お前を殺してやっても良いのだぞ」
ユーリッドは、モルティスを見つめて、淡々と述べた。
「サーフェリアが、俺たち獣人を嫌うのは、仕方がないことだと思う。でもトワリスは、獣人の血が混じってるってだけで、サーフェリアの国民だろう? なんでそうやって、ろくに意見も聞かずに否定するんだよ。国のために、ちょっとした不安要素も消しておきたいっていうあんたの気持ちは分かるけど、これじゃあ、端からトワリスを信じたくないみたいだ」
激しく顔を歪めたモルティスを無視して、ユーリッドは、バジレットのほうを見た。
「サーフェリアの国王陛下、俺たちとトワリスは、関係ありません。俺たちは、まだトワリスと知り合って一年も経ってないけど、それでも、トワリスが売国行為をするような奴じゃないって、分かります。もっとずっと、長い間トワリスと過ごしてきた貴女たちなら、それくらい、分かるのではないですか」
「黙れ、獣人風情が! 無礼な口を叩くな!」
激昂したモルティスが、側にいた騎士から、剣を奪い取る。
その剣をトワリスに押し付けるように手渡すと、モルティスは、ユーリッドを指差した。
「そこまで言うのなら、トワリス殿。この獣人を、今すぐここで切り捨てて見せよ! さすれば、そなたの宮廷魔導師としての忠誠心を信じ、売国奴と疑ったことを撤回しようではないか」
「……!」
トワリスは、つかの間、何を言われているのか理解できなかった。
ただ、凍りついたように、目の前に聳え立つモルティスを見上げていた。
この剣で、ユーリッドたちを殺すなんて、できるはずがない。
「さあ、早くしろ! 真にサーフェリアに忠誠を誓っているというなら、できるはずだ。このままでは、そなたはサーフェリアの売国奴として扱われるのだぞ。何を優先すべきかは、明白であろう!」
そんなトワリスを追いたてるように、モルティスが早口で言う。
その様子を見ていたユーリッドが、再び口を開こうとすると、今度は、下座のほうから声が聞こえてきた。
「……全くもって、大司祭様の仰る通りですね」
穏やかな口調でそう告げたのは、ルーフェンだ。
ルーフェンは、小さく息を吐くと、椅子の肘掛に頬杖をついた。
「単身ミストリアに渡り、獣人襲来の真意を突き止めてきた彼女の働きは、評価すべきことでしょう。ただ、トワリスは仮にも宮廷魔導師だ。間諜として潜り込んだ以上、敵である獣人に同情して連れて帰ってくるなんて、話にならない。故に、今回再び売国奴の疑いをかけられてしまったのは、彼女の甘さが招いた当然の結果とも言える。そうでしょう、大司祭様?」
「……いかにも」
モルティスは、首肯しながらも、怪しむようにルーフェンのほうを見た。
ルーフェンが、意見に賛同するだけでなく、教会にこのような親和的な態度をとるなど、予想外だったからだ。
ルーフェンは、微かに笑みを浮かべて、トワリスを見た。
「……さあ、身の潔白を証明する絶好の機会だ。さっさとやりなよ」
「…………」
張りつめた空気が、広間を包む。
沈黙の末、トワリスは、血の気のない顔で、ルーフェンとモルティスを見て、答えた。
「お……お許し下さい……。私には、できません……」
そう答えた瞬間、モルティスが嘲笑って、バジレットのほうに振り向いた。
「聞きましたか、陛下! この娘、サーフェリアよりも、ミストリアの獣人をとりましたぞ!」
トワリスのこの行動には、モルティスだけでなく、その場にいた全員が、ざわざわと疑問の声を上げ始める。
この声のどれもが、自分に向けられた批難の声であることを感じて、トワリスは、俯いて唇を噛んだ。
モルティスは、興奮したように周囲を見回し、朗々と宣言した。
「これで決まりですな! 獣人に肩入れするような娘が、サーフェリアを支える宮廷魔導師にふさわしいのか、疑問を感じざるを得ません。この娘からは、宮廷魔導師としての権限を剥奪するべきです! そして、この獣人共は即刻処分いたしましょう! 異論のある者は、おりますまい!」
場にいた多くの視線が、その言葉に同調して、モルティスを見る。
ルーフェンも、落ち着いた顔つきで、納得したように頷いた。
「ええ、そうですね。特に異論はありません」
ふっと笑って、それからルーフェンは、モルティスを見据える。
「──では、厄介事は早い内に片付けた方が良いでしょうし……どうぞ、大司祭様。今すぐこの場で、獣人たちを処分してください」
「…………!」
瞬間、モルティスの顔が、はっと強張る。
ルーフェンは、にこやかな表情のまま、続けて言った。
「そこにいる獣人は、奇病にかかった連中とは違いますから、首を落とすだけで死にますよ。さあ、どうぞ?」
モルティスは、先程トワリスに手渡した剣を一瞥すると、ぐっと眉を寄せた。
「ここは……陛下の御前ですぞ。そのような、血生臭いことは……」
途端に、ぼそぼそと口ごもり始めたモルティスに、ルーフェンが首を傾げる。
「嫌だなぁ、何を仰ってるんです? つい先程まで、この場で獣人を殺せと、トワリスに命じていたのは貴殿でしょう?」
「…………」
バジレットが、ルーフェンを横目に見て、小さくため息をつく。
ルーフェンは、押し黙ったモルティスを挑発するような口ぶりで、更にいい募った。
「……何を躊躇っておられるんです? まさか、大司祭様までサーフェリアへの忠誠心が示せないなんて、ありませんよね?」
その言い方に、かちんときたのか。
モルティスは、トワリスから引ったくるようにして剣を奪うと、ユーリッドのほうに大股で歩いていった。
「戯れ言を仰らないで頂きたい!」
そう叫ぶように言って、はっと身構えたユーリッドの襟首を、モルティスが掴む。
すると、今まで黙っていたファフリが、弾かれたように顔をあげた。
「待って! ユーリッドを殺さないで!」
しかし、その言葉を無視して、モルティスが剣を振り上げる。
──その、次の瞬間。
「やめて──っ!」
ファフリの悲痛な叫び声と同時に、モルティスの握っていた剣が、突然空中でぐるりと身を翻した。
そして、モルティスに刃先を向けたかと思うと、矢の如く飛んで、その頬をかする。
剣は、飛んでいった先の石壁にぶち当たって、高い金属音をあげると、からんからんと床に落ちた。
「…………」
モルティスが、振りかぶった姿勢のまま、よろめくようにユーリッドから後退して、尻餅をつく。
ユーリッドは、しばらく呆然としていたが、はっと我に返ると、ファフリに視線をやった。
「ファフリ……?」
ユーリッドの言葉に、ファフリがゆっくりと顔をあげる。
しかし、その口が紡いだのは、返事ではなく、呪文であった。
「……汝、高慢と権力を司る地獄の伯爵よ。従順として──」
ファフリの唱える声に合わせて、禍々しい魔力の渦が、広間を包み始める。
人々が、その異様な魔力から事態を理解するより早く、騎士たちの持つ剣や槍が、まるで意思を持ったかのように、空中に跳ね上がった。
ファフリを囲むようにして、飛び上がった剣や槍が、宙に浮く。
それらは、しばらく自らの在り場所を探して、くるくると回転していたが、やがて、一様に剣先をモルティスに向けると、ぴたりと静止した。
あまりにも凄まじい光景に、モルティスは、声すらあげることができなかった。
目の前で起きていることが信じられず、ただ呆然と、自分に向けられた無数の剣先を、見つめている。
そのとき、侍従の一人が、不意に悲鳴をあげた。
その声を皮切りに、謁見の間に、混乱の波がわき起こる。
戦場を知っている魔導師や騎士たちでさえ、恐怖と動揺の色に染まり上がっていた。
ユーリッドは、その混乱に乗じて、側にいた騎士を振りきると、ファフリの元に駆け出した。
「ファフリ! やめろ!」
必死の思いで叫んで、ファフリに飛びかかる。
ユーリッドは、手枷を煩わしく思いながらも、なんとかファフリの口を手で押さえた。
すると、ファフリの詠唱が止んで、宙に浮いていた剣や槍が、重力に従って床に落ちる。
沢山の金属が落下する音は凄まじく、すべての剣と槍が地面に落ちた後も、しばらくの間は、高い金属音が耳鳴りのように響いていた。
全員が、夢から覚めたような顔で、ユーリッドとファフリを見つめる中。
へたりこんでいたモルティスが、ふと、上ずった声をあげた。
「いっ、今だ! 誰か、獣人を押さえろ! 早く殺せ!」
しかし、動こうとする者は、誰もいない。
口を固く閉じ、俯いて目をそらす臣下たちを見て、モルティスは、更にわめき散らした。
「早くしろ! お前たち、何をやっておるのだ! 早く──」
モルティスの後ろに控えていた司祭が、躊躇いがちに言った。
「だ、大司祭様……危険です、おやめください……。相手は、悪魔の力を持つ召喚師一族です。私たちでは……」
モルティスの頬に、かっと血が昇る。
しかし、言い返すこともできず、モルティスは口を閉じた。
やがて、臣下たちの視線が、徐々にルーフェンに向き始めたことを感じると、ルーフェンは、いきなり笑いだした。
笑って、はぁと息を漏らすと、やれやれといった様子で口を開いた。
「真にサーフェリアに忠誠を誓っているなら、殺せるはずだ……か。どうやら、この国に忠臣は一人もいないみたいですね」
ルーフェンの言葉に、モルティスが眉を寄せる。
他の臣下たちも、むっとしたような表情で、ルーフェンを見た。
彼らのそんな反応に、ルーフェンは、またしても笑いを噛み殺したような顔になった。
「……いや、冗談ですよ。少し、意地悪なことを言いました。恐怖心っていうのは強いものですから、貴殿方の反応はごく自然だ。召喚術の恐ろしさを知っている以上、大司祭様もトワリスも、この場にいる全員が、きっとファフリちゃんを殺すことはできない。……私以外はね」
そう言うと、ルーフェンは、ようやく席を立った。
そして、散らばった剣や槍の中心にいる、ファフリたちのほうへと歩いていく。
すると、トワリスが肩の傷を押さえながら、ルーフェンの前に立ち塞がった。
「……邪魔。どいて」
「嫌です」
硬い声で否定して、トワリスがルーフェンを睨む。
ルーフェンは、微かに目を細めると、踏み出し様に、トワリスのうなじに手刀を叩き込んだ。
「……っ!」
予想もしなかった攻撃に、咄嗟に反応しきれず、トワリスが倒れこむ。
その身体を受け止めると、ゆっくり地面に下ろして、ルーフェンは再び歩を進める。
ユーリッドは、未だ意識が混濁している様子のファフリを支え起こすと、強張った表情で、鋭くルーフェンを見た。
ルーフェンは、ふっと笑った。
「随分冷静だね。君達、殺されようとしてるんだよ?」
言いながら、ルーフェンが二人に手をかざす。
そのとき、茫洋としていたファフリの瞳に、再び光が宿った。
「────!」
散らばる剣の一本が、ルーフェン目掛けて飛び上がったのと、魔術の炎がユーリッドたちを飲み込んだのは、ほとんど同時だった。
瞬間──広間に、光と熱の飛沫が広がって、人々の視界を灼く。
魔力が膨れ上がり、次いで、爆発音が鼓膜に突き刺さったかと思うと、本能的にその場に屈みこんだ人々の、聴覚を奪った。
広間にいた者たちは、一瞬、自分達の身体まで、炎に焼かれたのではないかとという錯覚を覚えた。
しかし、熱や爆発音がおさまり、徐々に麻痺した目と耳に光と音が戻ってくると、人々は、恐る恐る顔をあげた。
「…………」
静寂の中、踞っていた臣下たちが、ぽつぽつと起き上がり始める。
てっきり、謁見の間ごと爆発したのではないかと思っていたが、ルーフェンによって焼かれたのは、ユーリッドたちがいたごく一部の場所だけ。
その他は、壁や床、燭台に立つ蝋燭一本でさえも、不自然なほど変わらず存在していた。
身体の震えがおさまり、時間と共に全身の感覚が戻ると、漂ってくる焦げ臭さに、人々は広間の中心部を見た。
焼けてぼろぼろになった絨毯の上に、二つの焼死体──ユーリッドとファフリが、寄り添うように倒れている。
もう、生前の姿は跡形もなく、ぷすぷすと燻って煙を出すその炭の塊を、人々は、呆然と見つめていた。
「……これで、一件落着ですね」
涼やかな笑顔を浮かべて、ルーフェンが言う。
今にも崩れそうな、脆い焼死体を前にして、まるで死神のごとく立って笑うその様に、人々は、底知れない寒気と恐怖を感じた。
ルーフェンは、先程目前で落ちた剣を、足で器用に跳ね上げて手に取ると、今度はゆっくりとトワリスの方に歩いていった。
そして、その剣先を、トワリスに向ける。
「……それで、彼女はどうしますか? 宮廷魔導師としての権限を剥奪……それだけでよろしいので?」
どこか挑発的に言って、ルーフェンは、未だ地面に座り込むモルティスの方を見た。
モルティスは、蒼白な顔でルーフェンを凝視したまま、何も言わない。
沈黙の後、モルティスに代わり、口を開いたのはバジレットだった。
「……もう良い。ここは処刑場ではないのだぞ。やめろ、ルーフェン」
疲れたように息を吐いて、バジレットが顔をしかめる。
「このシュベルテが王都として再建したときから、トワリスは、国のためよく尽くしてくれていた。獣人たちを連れ帰ってきたその甘さは、誉められることではないが、ミストリアから生還し、その内情を探り当ててきたことは見事である。宮廷魔導師の権限を、剥奪したりはしない」
「……左様で」
ルーフェンは微笑んで、モルティスを一瞥すると、トワリスから剣先をどけた。
バジレットは、落ち着かない様子の臣下たちを見回すと、平坦な声で言った。
「宮廷魔導師団長、前へ」
大勢の人々の中から、ジークハルトが玉座の前に出てきて、畏まる。
バジレットは、無表情で頷くと、ジークハルトを見据えた。
「トワリスの処遇は、そなたに一任しよう。なにか問題があれば、後日沙汰する。トワリスを連れて、もう下がれ」
「はっ」
ジークハルトは、落ち着いた態度で返事をすると、門衛の側で静かに立っていたハインツを、合図して呼び寄せた。
ハインツは、黙ってのそのそと歩いてくると、倒れているトワリスを抱き上げる。
ジークハルトは、最後にルーフェンを横目に睨むと、ハインツを伴って、謁見の間から出ていった。
宮廷魔導師たちの退室を見届けると、バジレットは、絨毯の上に転がる焼死体に、視線を移した。
そして、悩ましげに手で目を覆うと、深々とため息をつく。
この審議会が始まったときから、ユーリッドとファフリの処刑は、ほとんど決まっていたようなものではあった。
だがまさか、この場で執行されるとは思いもしなかったのだ。
ファフリの召喚術の暴走を止めるため、仕方のない部分があったとはいえ、あのように強引かつ一方的に焼き殺せば、臣下たちの召喚師に対する恐怖を増長させることになる。
興奮して騒ぎ立てたモルティスの言動も、鼻につく行為ではあったが、ルーフェンが、わざわざ召喚師への恐怖心を煽るような行動をとったことは、更に愚かしい。
ルーフェンが、何故そのようなことをしたのか、不可解だった。
「……ミストリアのことは……」
バジレットは、そう呟いて、手を膝の上に下ろした。
しかし、言葉を続けることなく、迷ったように、再びため息をつく。
国王の疲弊した様子に、気遣った侍従が側に寄ると、バジレットは、小さく首を振った。
「……良い。この件は、もうこれで終いだ」
厳しく目を細め、バジレットは、ルーフェンとモルティスを見た。
「ミストリアの次期召喚師は、死んだ。サーフェリアに蔓延っていた獣人たちも、もう駆逐したのであろう。であれば、この件は終いだ。今後、ミストリアの動向に注意し、西沿岸の警備を強化するように。魔導師団の活動制限も解く。良いな?」
「……御意」
ルーフェンが、畏まって返事をする。
それを見て、モルティスも我に返ったように慌てて立ち上がると、深々と頭を下げた。
バジレットは、最後に広間全体を見渡すと、目を閉じ、軽く手を振った。
「……では、もう下がれ。審議会は、これにて閉廷する」
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