トップページへ
目次選択へ
投稿日:2021年02月23日






  *  *  *


 昼間の賑わう大通りを避け、王宮から宮廷魔導師団の駐屯地へと戻ると、ハインツは、仮眠用に休憩室に設置されている寝台の上に、トワリスを寝かせた。
そうして、見守る体勢に入ったハインツだったが、苛々した様子のジークハルトが脇にやって来ると、びくっと体を震わせた。
ジークハルトが、トワリスの横たわる寝台を、軽く蹴ったのだ。

「おい、いい加減、狸寝入りはやめて起きろ」

 ジークハルトの鋭い声に、トワリスが、ゆっくりと目を開ける。
トワリスは、気まずそうに上体を起こすと、小さな声で言った。

「……ばれてましたか?」

 ジークハルトは、呆れたようにため息をついた。

「当たり前だ。あんな急所を外した攻撃で気絶するほど、お前は柔じゃないだろ。他の馬鹿共はともかく、俺を騙そうなんざ百年早い」

「す、すみません……」

 トワリスが、縮こまって謝罪する。

 謁見の間で、トワリスは、ルーフェンの手刀に気絶したふりをした。
そのことを、あの場でジークハルトにばらされていたら、今回の策は打ち破られていただろう。

 それなのに、ジークハルトはどうして黙っていてくれたのか。
聞いてみたかったが、ジークハルトの不愉快極まりないといった表情に、これ以上の発言は許されないような気がして、トワリスは黙っていた。

 備え付けの椅子に、ふんぞり返って座ると、ジークハルトは続けた。

「……狸寝入りだったなら、陛下の話も聞いていたな。お前の処遇は、俺が決めることになった」

「あ、はい……」

 顔をあげ、トワリスがジークハルトに向き直ると、ジークハルトも、体を寝台のほうに向けた。

「お前、一ヶ月謹慎して、寮で大人しくしてろ。いいか、くれぐれも目立つ行動はとるんじゃないぞ。城下をふらふら出歩くのも禁止だ。分かったな?」

「あ……えっと……」

 ジークハルトの言葉に、トワリスは頷かなかった。
それに対し、ジークハルトはますます表情を厳しくしたが、トワリスは、ぐっと拳を握ると、口を開いた。

「……私、本当に、売国奴じゃないんです。信じてください」

 ジークハルトの目を、まっすぐに見て言う。
すると、ジークハルトは、厳しい顔つきのまま、ふうっと息を吐いた。

「……馬鹿か。別に、信じるも何も、俺はお前が売国奴だなんて端から疑っちゃいない。そんなことできるほど、お前は器用じゃないだろう」

「え……でも、じゃあなんで謹慎って……」

 売国奴だと疑われているわけでないなら、何故謹慎処分を食らわなければならないのか。
それとも、これはファフリたちを連れ帰ってきたことに対する罰だろうか。
そういった意味を込めて問い返すと、ジークハルトが、更に不機嫌そうな表情を浮かべた。

「……なんでだと? じゃあ、お前は傷も治っていないくせに、仕事復帰するつもりなのか。ろくに歩けもしないその状態で、出来る任務があるなら言ってみろ。あ?」

「い、いや……ないです……」

 ふるふると首を振って、もうジークハルトの怒りに触れないように、口を閉じる。
要は、謹慎という名の、休暇をくれたということなのだろう。
実際、怪我が治癒するまでは、任務に出たところで足手まといにしかならない。

 いつも以上に機嫌の悪いジークハルトと、居心地が悪そうに黙りこむトワリスとハインツ。
そんな三人の間に、妙な沈黙が流れたとき。
外から足音が聞こえてきたかと思うと、休憩室の扉が開いて、アレクシアが入ってきた。

「あら、トワリスじゃない。帰ってきたって、本当だったのね」

 艶然えんぜんと微笑んで、アレクシアが豊かな蒼髪をかきあげる。
その仕草だけで、耐性のない男ならば簡単にくらりと来てしまうだろうが、そんな手練手管が宮廷魔導師の面子に通用するはずもなく、ジークハルトは、アレクシアをぎろりと睨んだ。

「何しに来た。お前は油売ってないで、さっさと仕事しろ」

「まあ、怖い」

 くすくすと笑って、アレクシアがトワリスの隣に座る。

「別に、少しくらい良いでしょう? せっかくトワリスも帰ってきたんだし。ねえ?」

 そう言って、アレクシアがトワリスに視線を送る。
いつもなら、あんたのさぼりは少しじゃないだろう、とでも言い返したいところだが、アレクシアとも、久々の再会である。
トワリスは、苦笑だけ返した。

 ジークハルトは、アレクシアの相手をするのが面倒になったのか、眉間に皺を刻み付けたまま、椅子から立ち上がった。

「……とにかく、トワリス。先程も言ったが、くれぐれも目立つ行動はとるなよ。あの阿呆召喚師が何を企んでいるのかは知らんし、興味もないが、お前は絶対に大人しく謹慎してろ。いいな?」

 それだけ言い放って、ジークハルトは、さっさと休憩室から出ていってしまう。
そのあまりに素っ気ない様子に、残された三人は、しばらく呆然とジークハルトが出ていった扉を見つめていたが、やがて、トワリスとアレクシアは、顔を見合わせてぷっと笑った。

「やあねえ……素直に、今は仕事のことを忘れてゆっくり休みなさいって、そう言えばいいのに」

 可笑しげに肩をすくめるアレクシアに、トワリスも、詰めていた息を吐き出した。

「……謹慎処分だなんて言われるから、てっきり、団長にまで売国奴だと疑われてるんだって、勘違いしちゃった。だけど、よく考えたら、本当に売国奴だと思われてたんなら、私、とっくに宮廷魔導師を解雇になってるよね」

 安堵の表情で、トワリスが言う。
アレクシアは、そうね、と答えてから、ふと、笑みを消した。

「……まあでも、わざわざ休暇と言わなかったのは、言葉通りトワリスには、謹慎していてほしいってことなんじゃないかしら」

「え……?」

 アレクシアの言葉に、トワリスが瞬く。
アレクシアは、一瞬だけ窓の外を見ると、すっと目を細めた。

「……休暇感覚で、必要以上に外に出るなってことよ。教会がやたらと吹聴しまくったせいで、外には、まだ貴女のことを売国奴だと思っている連中が大勢いるの。いずれ、獣人騒動が収まったことは、王宮から発表されるだろうけど、ほとぼりが冷めるまでは、しばらく身を潜めていた方がいいわ。今、貴女がのこのこと外を出歩いていたら、何されるか分かったもんじゃないもの」

 トワリスの瞳が、小さく揺れる。
アレクシアは、そんなトワリスの顔をじっと見つめていたが、やがて、ふっと笑って続けた。

「まあとにかく、今は貴女の出る幕じゃないってことよ。時が経てば、きっとなんともなくなるわ。そうしたら貴女も、無事に仕事復帰。私の仕事の取り分も、めでたく少なくなるってわけ」

「……相変わらずだね、あんたは」

 呆れたように言ったトワリスに、アレクシアは大袈裟な口調で言った。

「あら、ちゃんと労りの気持ちも持ってるわよ? ミストリアから帰ってくるなんて、すごいじゃない。おかえり」

 トワリスは、胡散臭そうにアレクシアを見上げていたが、くすっと笑うと、頷いた。

「アレクシアに、労りの気持ちがあるとは思えないけど。……ただいま」

 アレクシアは、微笑んで立ち上がると、くるりとトワリスに背を向けた。

「じゃあ私、もう行くわよ。仕事しないと、あのこわーい鬼顔の団長に怒られちゃう」

「……うん」

 アレクシアは、最後にひらひらと手を振ると、軽い足取りで部屋を出ていく。
トワリスは、どこかぼんやりとした様子で、その後ろ姿を見送ると、微かに俯いた。

 ジークハルトに続き、アレクシアもいなくなると、部屋にはトワリスとハインツだけになった。

 トワリスは、普段から多くしゃべる方ではないし、ハインツも元来寡黙であるから、この二人の間に、沈黙が流れることはよくあることだ。
しかし、あまりにも長く続く沈黙に、トワリスの顔を覗き込んでみて、ハインツは驚いた。
トワリスの目から、涙が流れていたのだ。

 どうしてよいか分からず、右往左往するハインツを見て、トワリスも、初めて自分が泣いていることに気づいたのだろう。
顔を拭った手の甲が、涙で濡れているのを見ると、トワリスは微かに目を見開いた。

「あれ……ごめん。なんでだろう、急に……」

 そう言って、笑おうとしたが、失敗する。
声が震えて、次々と溢れてきた涙に、トワリス自身困惑しながら、ハインツから顔を背けた。

「……ごめん……。気が、緩んだのかも……」

 途切れ途切れに、嗚咽を漏らしながら、呟く。

 自分でも、何故今になって涙が出てきたのか、分からなかった。
未だ自分を売国奴だと疑っている者達がいることが悲しいのか、それとも、独断でユーリッドたちを連れてきてしまったにも関わらず、信じて助けてくれる仲間達がいることが嬉しかったのか。
色んな感情がごちゃまぜになって、とにかく気持ちが一杯一杯だ。

 ハインツは、しばらく戸惑った様子で固まっていたが、やがて、トワリスを抱き締めると、すりすりと頭に頬を擦りよせた。

 耳のすぐ近くで、すすり泣くような声が聞こえてきて、どうしてハインツまで泣くのだと、トワリスはふと笑ってしまった。

「……大丈夫だよ、ハインツやルーフェンさんが、ファフリたちを助けてくれたし。ありがとう」

 そう言ってトワリスは、ハインツの大きな背中を、あやすように撫でた。
自分より何倍も大きい体躯を持つハインツだが、昔から、泣き虫で不器用なところがあるから、トワリスにとっては手のかかる弟といった感覚である。

 いつの間にか、涙も引っ込んで、トワリスは苦笑した。
そうして、ぐずぐずと泣いているハインツを慰めながら、トワリスは、安心したように息を吐いたのだった。


- 71 -


🔖しおりを挟む

 👏拍手を送る

前ページへ  次ページへ

目次選択へ


(総ページ数100)