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投稿日:2021年02月23日






 トワリスとハインツの気配がなくなったことを確認してから、下りの山道を少し行ったところで立ち止まると、ルーフェンは、ふと目を細めて、木陰の一点を睨んだ。

「……それで。盗み聞きとは、趣味が悪いですね。闇精霊王」

 そう呼び掛けると、木々の間にたゆたう夜闇が、煙のように渦巻いて、エイリーンの姿を形成する。
エイリーンは、体重を感じさせない動きで、すうっとルーフェンの横に現れた。

「……あの小娘、しぶとく生きておったか。獣人混じりというだけあって、人間よりは多少頑丈なようだ」

 くくっと笑って、エイリーンが口を開く。
ルーフェンは、目線を前に戻すと、微かにため息をついた。

「……まさかとは思っていましたが、ミストリアの鉱山でトワたちと接触したのは、やはり貴方でしたか。その上、彼女に憑依して一般人にまで手を出すなんて、一体何を考えてるんですか」

 厳しい声音で言うと、エイリーンは、くつくつと笑みをこぼした。

「……そういきり立つな。我はただ、ミストリアの次期召喚師を追ってきただけだ。獣人混じりの小娘も、実体化するための依代として利用したに過ぎん。人間を殺さぬという約束は、違(たが)えていない」

 ルーフェンは、眉を寄せて、刺々しく言った。

「違えていない? 運良く助かっただけで、一歩間違えれば、死んでたと思いますがね」

 エイリーンは、どこか意外そうにルーフェンを見た。

「ほう……どうした、何をそのように怯えている。今更、人間共に情でも湧いたか」

 エイリーンの橙黄色の瞳が、怪しげな光を孕む。
ルーフェンは、一瞬押し黙ってから、冷たい声で答えた。

「……別に、そういうわけじゃない」

 腕を組んで、脱力したように、背後の木にもたれかかる。

「ただ、うちの重鎮にも鋭い奴はいる。俺はともかく、貴方にあまり表立って動かれると、勘づかれる可能性がある」

 ルーフェンの返答を聞くと、エイリーンは、途端につまらなさそうな表情になった。

「……そんなことか。なに、勘づいた者がおれば、殺してしまえば良いではないか。どうせ、獣人も人間も、いずれ我の手中に入るのだ。数匹殺したところで、何の問題もない」

「…………」

 口元を長い袖で隠して、エイリーンが言う。
ルーフェンは、返事をしようと口を開いたが、結局何も言わず、つかの間沈黙すると、話題を変えた。

「……それで、一体何の用ですか? そんなことを言うために、わざわざ俺の前に現れたわけじゃないでしょう?」

 ルーフェンの問いかけに、エイリーンは、しばらく何も返さなかった。
しかし、ふとルーフェンのほうに向くと、唇で弧を描いた。

「ミストリアの召喚師が、死んだ」

 ルーフェンが、大きく目を見開く。
思わず身を起こして、ルーフェンは、信じられないといった様子で尋ねた。

「死んだ……って、ファフリちゃんの父親が?」

「そうだ。臣下の裏切りにあって、無様に殺された」

 口を覆った袖の奥で、エイリーンが不敵に嗤う。
その瞳を見つめながら、ルーフェンはたどたどしく言った。

「それじゃあ、ミストリアの召喚師は……」

「実質、あの能無しの小娘ということになるのう」

 可笑しそうに目を細めて、エイリーンは続けた。

「此度は、このことをお前に伝えに来たのだ。リークスが死んだ以上、ミストリアの召喚師の血を引く者は、あの小娘しかおらん。良いか、状況が変わった。小娘の召喚術の才が覚醒するまで、必ず生かせ。召喚師一族の血を、絶やすことがあってはならぬ」

「…………」

 ルーフェンは、言葉を失ったように、じっと黙り込んでいた。
しかし、長く息を吐くと、再び木にもたれて口を開いた。

「……どうにも、予想外のことばかり起こるな。裏切りに、召喚師の殺害……。統治者不在となれば、今後、ミストリアは荒れる一方でしょう」

 ルーフェンの言葉に、エイリーンが鼻で笑った。

「ふっ、哀れむ必要などない。リークスが、愚王だったというだけのことじゃ。臣下の裏切りにも気づかず、まんまと騙される方が悪い。……それにむしろ、此度の誤算は、我にとっては喜ばしいことだ」

「喜ばしい?」

 顔をしかめて問うてきたルーフェンに、エイリーンは、淡々と述べた。

「リークスを殺害したのは、キリスというミストリアの宰相だ。現在、ミストリアの実権は奴が握っている。おそらくキリスは、中止されていたハイドットの武具の生産を、再開させるつもりだ。ハイドットの精錬が行われれば、それによって流出する廃液は、水を汚染し、大地を侵食し、いずれは海を渡り、世界を蝕もうとするであろう。……そうなれば、不浄を嫌う『あの男』が、動かぬはずがない」

 そう言って、口の端をあげたエイリーンに、ルーフェンはますます眉を寄せた。

「……この機会を利用して、グレアフォール王を、ツインテルグから引きずり出すつもりですか」

 その瞬間、目の前でどす黒い魔力が渦巻いたかと思うと、ルーフェンの全身に、エイリーンの放った妖気がのしかかった。

「──……っ!」

 咄嗟の出来事に、成す術もなく、ルーフェンが崩れ落ちる。
かろうじて、手をついて体勢を保ったルーフェンだったが、同時に、喉の奥から鉄の臭いがせりあがってきて、ごぼっと血潮が唇から滴った。

 全身の内臓を押し潰されたような、激しい痛みに悶絶する。
しかし、ルーフェンには目もくれず、エイリーンは、よろよろと後ずさると、震える両手で白い顔を覆った。

「……あの男を、王と呼ぶな」

 地を這うような低い声で、呻きながら言う。
途端、エイリーンの身体から腐敗臭が立ちのぼり、突然、皮膚がどろどろと溶け始めた。

 顔面や手を覆う皮膚、そして肉が、じゅうっと煙をあげながら、溶けて蒸発していく。
そうして、半分白骨化したような姿になりながら、エイリーンは、凄絶な光を瞳に浮かべて叫んだ。

「我らを忘却の砦に幽閉した、あのおぞましき精霊族の略奪者が……。その残虐さも、恐ろしさも知らぬくせに、その名を出すな……!」

 エイリーンの声と共に、ルーフェンの身体にのしかかる妖気が、更に重みを増す。
ルーフェンは、重圧に耐えきれず、みしみしと悲鳴をあげる骨格の音を、ただ聞いていることしかできなかった。

 そんなルーフェンを横目に、エイリーンも、浅い呼吸を繰り返していたが、やがて、ふと近くに立っていた木に触れると、低い声で何かをぶつぶつと唱え始めた。
すると、触れている部分から木が腐敗し、枯れ朽ちていくのと同時に、その生気を吸いとったかのように、エイリーンの肉体が再生し始める。

 エイリーンは、完全に元の姿に戻ると、落ち着きを取り戻した様子で、冷たい視線をルーフェンに向けた。

 ルーフェンは、自分の血で染まった掌を握りこみ、胸元を押さえて立ち上がろうとした。
しかし、止まぬ激痛が全身を突き抜け、再び咳き込むと、口元を覆った指の間から、ぼたぼたと鮮血が落ちる。

 エイリーンは、退屈そうに瀕死状態のルーフェンを眺めていたが、しばらくして、小さく息を吐くと、すっと手をかざした。

「汝、調和と精緻を司る地獄の総裁よ。従順として求めに応じ、可視の姿となれ……。──ブエル」

 エイリーンの詠唱に合わせて、五芒星の描かれた魔法陣が、ルーフェンの周りに浮かび上がる。
魔法陣は、眩い光を放ち、ルーフェンをゆっくりと包み込むと、ルーフェンの全身の損傷は、みるみる治癒されていった。

 妖気が消え、全身を蝕む激痛に解放された後でも、ルーフェンは、すぐには動けなかった。
うずくまって、荒い呼吸を繰り返しながら、強い目眩に耐えていたが、やがて、木を支えによろよろと立ち上がると、弱々しくエイリーンを睨んだ。

「……っは、勘弁、してくださいよ。貴方達と違って、こっちは、生身なんですから……」

 げほっと咳をしながら、掠れた声で言う。
エイリーンは、不愉快そうに目を細めて、ルーフェンを見つめ返した。

「ならば、その無作法な口を閉じろ、小童。思い上がるなよ、下等な人間ごときが」

「…………」

 凄惨な目付きで言われて、思わずルーフェンは黙りこむ。
だが、微かに息を吐くと、困ったように首を振って、小さく肩をすくめた。

「……別に。思い上がってなんて、いませんよ。現に、ここまで約束通り、ちゃんと事を進めてるでしょう? 心配しなくても、今後も上手くやります。ミストリアの次期召喚師一人くらい、隠して生かすくらい、造作もない。……幸い、俺の周りにいるのは、それを優しさから来る行動だと信じて疑わない、馬鹿がほとんどですからね」

 エイリーンは、はっとほくそ笑んだ。

「……その言葉、あの獣人混じりの小娘や、リオット族の者達が聞けば、どのような顔をするのであろうな。サーフェリアの真の売国奴が、お前であると知って、屈辱に顔を歪ませる奴等を見るのも、また一興やもしれぬ」

「……悪趣味なことで」

 そう呟いたルーフェンに、エイリーンは、面白そうに唇を歪めた。

「お前にだけは、言われたくないのう。我は長く生きてきたが、自らの国を売る召喚師など、お前が初めてじゃ」

「……そりゃ、どうも」

 ため息混じりに返事をして、ルーフェンは、血で濡れた袖を鬱陶しそうに捲る。

「まあ俺は、サーフェリアなんて国、昔から大嫌いですからね。ツインテルグを滅ぼすという貴方の策略に協力することで、召喚師という立場から解放されるなら、これは、俺にとっても損な話じゃない。だから、安心していて下さいよ。サーフェリアの生温い連中を騙して、陥れるくらい、なんの躊躇いもなくやれますから」

 エイリーンは、ルーフェンの言葉を黙って聞いていたが、やがて、ふっと笑うと、哀れむような目でルーフェンを見た。

「人間は、残酷な種族だな」

 一瞬、目を伏せたルーフェンは、そのままエイリーンから視線を外す。

「……はは、何を今更。それに、貴方が言ったのでしょう?」

 そして、頭だけ振り返り、ルーフェンは、薄い笑みを浮かべた。

「──騙される方が、悪いんだってね」



To be continued....


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