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投稿日:2021年02月23日





 アドラとユーリッドは、急な出来事に呆然とするファフリを抱えると、手際よく支度を始めた。
しかし、他の者に見つかることなく城を抜け出すというのは、やはり至難の業で、ようやく地下道に差し掛かろうとした頃には、夜の闇は既にうす青い夜明けのものになっていた。

 肌を切り裂くような冷たい風が、三人を包んでいる。
息を吐けば、それはたちまち白くなって消えた。

 遠くで、城の者達の声が聞こえた。
何を言っているのかは分からないが、そのざわめきは次第に大きくなっている。
彼らが騒ぎ出した理由は明らかだった。

 城の方を見れば、とある一角が微かに明るくなり、やがてちろちろと大気を揺らして燃え始めた。

 アドラは、ただ茫然と担がれたままになっているファフリを見つめた。
彼女は目を見開いたまま、ひたすら城の方を眺めている。

「……貴女はもうミストリアの姫君でもなければ、召喚師でもありません。もちろん、召喚師としての力を失うことはないでしょうが……これからはただの一国民として、生きていくのです」

 ずっと黙っていたファフリが、すっと息を吸った。

「急なことすぎて、分からないよ。要するにお父様は、私が無能だから邪魔になったということ? ……お母様はどうなるの? 私が死んだって嘘をついて、でもその嘘がばれたら……お母様はどうなるの?」

 ファフリの食いしばった歯の隙間から、嗚咽が漏れ始めた。

「……姫様は、決して無能などではありません。ただ王は、ミストリアの軍事力発展を優先させるあまり、焦っていらっしゃるのかも……。きっといつかご自身の過ちに気づかれて、お妃様を咎めるようなことも——」

「ユーリッド」

 心配そうな顔をして言ったユーリッドの言葉を、アドラが遮った。
ユーリッドは頭から生えた狼の耳を悲しげに垂らすと、ファフリを見つめたまま押し黙った。

「姫様……いや、ファフリよ。今は自分のことだけを考えなさい。貴女を生かしたいという母君の想いを、踏みにじってはならない」

 ファフリは、唇を強く引き結んでから、俯いていた顔をあげた。
そして、流れる涙を乱暴に袖で拭うとこくりと頷いた。

「下ろして、アドラさん。自分で歩けるから」

 アドラが地面に下ろすと、ファフリは鼻をすすりながら、二人を置いてぐんぐんと歩き出した。
その様子に、アドラとユーリッドは、ほっとしたように溜息をついた。



 三人は、鼻が曲がりそうなほどの悪臭に耐えつつ、排水の流れる地下道を進んだ。
鳥人であるファフリとアドラももちろんであったが、特に鼻の利く人狼のユーリッドは、悪臭のあまり足元がふらついていた。

 数刻ほど歩いて、やっと地下道を抜け川原に出ると、三人は鼻の奥に残る臭いを消し去ろうと、何度も何度も深呼吸した。

 周囲はすっかり明るくなり、そろそろ城下の住人達が起き出すだろうか、という頃だった。

「さて、行くぞ」

 アドラが声をかけると、ファフリが「はい」と返事をした。
ユーリッドはまだ気分が優れない様子だったが、アドラを見つめて頷いた。



「どこへ行くの?」

 下流に向かって歩きながら、ファフリがアドラを見上げた。

「ああ、平民街へと向かう。貴女の格好はどう見ても庶民階級のものではない。まずは衣をそろえねばなるまい」

 ファフリは自分の身に付けている衣と、ユーリッドの着ているものを交互に見て、納得したように頷いた。
ユーリッドは身軽な麻の衣、アドラは年期の入った鉄鎧を身に付けていて、確かに双方とも旅人と聞いて疑わない格好だった。
しかしファフリは、前髪を留めた銀細工から桃色の絹服まで、どれに着目しても平民らしいものは持っていなかった。
これからはただの娘として生きていかねばならないのだから、こんなものは身に付けていて良いはずがない。

 川からはずれて、比較的歩きやすい山道を進みながら、三人は獣人(ひと)通りの少ない道へと入っていった。
初めは一面畑ばかりの静かなところであったが、一度街に入れば、辺りは獣人達でごった返していた。

 特に活気のある大通りを避け、土ぼこりのあがる古そうな水路を辿って、三人は薄汚い橋の下に身を隠した。

「あまり目立つ行動はとりたくないが、私が食料や衣等買ってくる」

 立ち上がったアドラにはっと反応して、ユーリッドも立ち上がった。

「そのくらいのことなら、俺がやります!」

「お前はファフリとここにいろ」

「ですが、団長は少し目立つような……」

「馬鹿者。私のような巨漢が橋の下で座り込んでいる方が目立つだろう」

 ユーリッドは、小柄なファフリと共に橋の下でぽつんと縮こまる鷲男の姿を想像して、思わず吹き出しそうになった。
しかし慌てて込み上げてきたものを飲み込むと、頷いて大人しくファフリの隣に座った。
アドラはそれを確認すると、周囲を警戒しつつ、買い物に出ていった。

 しばらくは無言のまま、アドラの帰りを待っていたが、ふと横を見やると、ファフリがうとうとと舟をこぎ始めていた。

「少し、眠ったらいかがですか?」

 見かねたユーリッドが声をかけると、ファフリははっと顔をあげて、首を振った。

「でも、昨晩は色々とありましたし、今だけでもお休みになった方がいいかもしれません。王都を抜けるまでは、しばらく大変でしょうし。何かあったら、俺が必ず起こしますから……」

「ううん、寝ない」

 ファフリはきっぱりと言い放つと、眠気を振り払うかのように頬をぺちりと叩いた。
そして隣に座るユーリッドを見つめて、小さく笑った。

「……ほら、ユーリッドも敬語使っちゃ駄目だよ。アドラさんみたいに、私のこと普通の獣人として扱わないと」

 ユーリッドが、黙りこむ。
しかし髪をがしゃがしゃと手で掻き回すと、すぐに笑って頷いた。

「……うん。そう、だな。なんか、ちょっと変な感じだけど……」

「なに言ってるの。私達昔はあんなに一緒に遊んでたじゃない。敬語使ってる方が変だったんだよ」

 二人は、顔を見合わせてくすくすと笑った。

「……まあ、城にはファフリと同じ年の子供なんて、俺しかいなかったからな。俺も親父が会議に出てる間、遊びに来てただけだったけど」

「でもほら、庭の木をつたって、こっそりユーリッドが遊びに来てくれたりもしてたよね」

「ああ、あの時はなんか、俺すっげぇ怒られた覚えがある。勝手に城に侵入したんだから、当然だけどさ」

 囁くように会話しながら、ファフリが嬉しそうにユーリッドを見た。 

「違う違う。あの時は、私が一緒に木に登って落ちちゃって、それで危ないことするなって怒られたんだよ。私、昔から運動神経悪いから」

 恥ずかしそうに笑って、ファフリは言った。
それからちょっと口ごもり、表情を引き締めると、再びユーリッドを見上げた。

「ねえ、ユーリッドはどうして私についてきてくれたの? お母様に頼まれたから?」

 ユーリッドは言って良いのかどうか、少しの間考え込んだ。

「……いや、お妃様に直接頼まれたのは、アドラ団長だよ。俺は、団長に言われて、ファフリについていこうと思ったんだ」

「そっか。……他の兵団の皆は、どう思ってたのかな、私のこと。やっぱり邪魔だと思ってたかな。召喚師のくせに、全然戦力にならないから」

 ファフリの表情は、存外穏やかなものだった。

「……分からない。お妃様のご意志とはいえ、今していることは反逆行為みたいなものだし」

「……うん」

 俯いたファフリを見て、ユーリッドはしまったと口をつくんだ。

「いや、あの……ごめん。ファフリが悪いわけじゃなくて」

「……うん」

「兵団は血の気が多い馬鹿ばっかりだし、すぐ過激な方に乗せられるんだ。だから今はちょっと、敵に回るかもしれないけど……でも大丈夫。俺も馬鹿だけど、陛下は間違ってると思うし……えっと……」

 自分でも何が言いたいのか分からなくなって、ユーリッドは目を泳がせた。

「とにかく、団長と俺で、ファフリをきっと守ってみせるから……」

 真剣な顔で、ファフリを見る。
ファフリは何も言わずに、微笑んで頷いた。

 ふと、外から足音が聞こえてきた。
ユーリッドは腰に差した剣の柄を握ったが、すぐに構えを解いた。

「遅くなったな」

 橋の下に寄りながら、アドラが低い声で言う。
どさりと重そうな荷を地面に下ろして、ファフリに男用と思われる着物を手渡した。

「あとでそれに着替えるんだ。とりあえず今は、急いでここを離れよう」

 そう言ったアドラを見て、ユーリッドが首をかしげた。

「何かあったんですか?」

「いや。ただ、夜明けに城の一角が燃えたというので、街が騒いでいた。平民街ですらこの騒ぎだ。既に兵士たちが我々を探しているかもしれない」

 ファフリとユーリッドが、不安げに表情を歪める。

「では、もう今晩中に山を越えた方がいいでしょうか?」

「ああ。とにかく王都から抜け出さねばなるまい。山を越えて南大陸に渡れば、身を隠す場所もできよう」

 三人は互いに顔を見合わせ頷くと、旅支度を始めた。


To be continued....


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