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投稿日:2021年02月23日
──リッド! ユーリッド!
誰かが、名前を呼んでいる。
──おい、ユーリッド……!
その、どこか懐かしい呼び声に、意識を引きずりあげられて、ユーリッドは、はっと目を開けた。
「おい、ユーリッド! ぼーっとして、どうしたんだ? 食事中だぞ」
「え……?」
暖かい日だまりのような空間から、一気に呼び起こされて、頭が覚醒する。
同時に、手に握っていた何かがぽろんとこぼれ落ちて、ユーリッドは、咄嗟に視線を下に動かした。
「…………」
からん、と音を立てて床に落ちたのは、小さな木匙(きさじ)であった。
何故匙なんか持っていたのだろうと、目線をあげると、目の前には、ほのかに湯気の立ち上る雑炊が置いてある。
自分はどうやら、椅子に座って、この雑炊を食べていたらしい。
(ここは……どこだ……?)
状況を把握するため、周囲に頭を巡らすと、今ユーリッドがいるのは、木造建築の一室のようだった。
朝日の差し込む大きな窓からは、そよそよと涼しい風が入ってきて、後ろにある暖炉では、燠(おき)がぱちぱちと音を立てながら、赤く光っている。
暖炉にかかった両手鍋には、自分が食べているものと同じであろう雑炊が、くつくつと煮えており、そこから立ち上る良い香りが、部屋中に充満していた。
自分は、いつの間にこんなところに来たのか。
そもそも、部屋で食事を始めた記憶なんてない。
未だ事態が飲み込めず、ユーリッドはただ、このどこか見覚えのある部屋を、呆然と見渡していた。
「なんだ、どうしたってんだユーリッド? まだ寝惚けてるのか?」
呆れたような笑いが聞こえてきて、その声の主が、拾った木匙を軽くテーブル掛けで拭き、ユーリッドに差し出してくる。
その人物──がたいの良い人狼の男を見て、ユーリッドの心臓は、大きく跳ねた。
「……と、父さん……?」
呟いて、目を大きく見開く。
自分に話しかけてきていたのは、かつて、ミストリア兵団の団長として名を馳せた、父マリオスであったのだ。
「なっ、なんで……父さん……っ!」
ユーリッドは、青ざめた顔で後ずさると、思わず席から立ち上がった。
父、マリオスは、ユーリッドが十歳のときに、隣のスヴェトランとの争いに出兵して、殉職したのだ。
はっきりと、覚えている。
その後に、殉職したマリオスの地位を継いで、アドラがミストリア兵団の団長に任命されたはずだ。
ユーリッドは、目の前にいるマリオスを、強く睨み付けた。
「お前、誰だ! 父さんは、七年前に死んだはずだ……!」
鋭い声で言って、身構える。
しかしマリオスは、ぽかんとした表情でユーリッドを見つめると、やがて、げらげらと笑い出した。
「だっ、ははは……っ! 死んだ? 俺が? 勘弁してくれよ、ユーリッド。冗談にしちゃあ、ちときついぜ」
そのあまりにも豪快な笑い声に、思わず拍子抜けする。
だが、すぐに気を引き締めると、ユーリッドは再びマリオスを睨んだ。
自分は、冗談を言っているつもりも、ふざけているつもりもない。
マリオスは、確かに死んだのだ。
自分で墓標まで立てたのだから、間違いはない。
そんなユーリッドの態度に、嘘を言っているつもりではないことを悟ったのだろう。
先程まで楽しげに笑い飛ばしていたマリオスは、途端に心配そうな顔になると、席から立って、ユーリッドの額に手を当てた。
「熱は……ねえみてぇだが……。なんだ、どうした? 兵団の仕事がきつくて、疲れてんのか?」
「へ、いだん……?」
続いて出た、兵団という言葉に、ますます頭が混乱する。
ユーリッドは、マリオスの手を思いっきり弾くと、更に一歩下がって叫んだ。
「一体、何のことを言ってるんだ! 俺は兵団なんて、もうとっくに脱退して……!」
そこまで言って、ユーリッドは、言葉をつまらせた。
次の言葉が、どうしても出てこないのだ。
(脱退、して……? 兵団を脱退して、俺は何をしてたんだ……?)
自分は一体、今まで何をしていたのか。
確実に今の状況がおかしいと思っているのに、どうしてそう思っているのかが分からない。
何故、目前に存在している父を、死んだはずだと主張しているのか。
頭に浮かんでくる疑問に、もはや思考する力もなくなっていく。
そうして黙り込んでいると、マリオスは、困ったように息を吐いた。
「何のこと言ってるんだって、そりゃあ、こっちの台詞だぞ。脱退したって……お前、この前ようやく十歳になって、兵団に見習いとして入団したばっかじゃねえか」
「……は? 十歳、って……」
反論する気力もなく、ユーリッドは、慌てて近くの水甕(みずがめ)を覗きこんだ。
そして、溜まった水を水鏡に、自分の姿を見て、目を疑った。
マリオスの言う通り、自分が十歳の頃の容姿になっていたからだ。
「そんな……俺は、今年十七で……」
信じられない、といった様子で、一回り以上小さくなった、己の両手を見つめる。
この場所に来る以前、一体どこで何をしていたのかは、思い出せない。
だが、今こうして父マリオスと過ごしているこの状況は、やはり何かが不自然だ。
ここは、お前の居場所じゃないのだと、頭の中で誰かが警鐘が鳴っているようだった。
その時、家の外から、カーンカーンと、甲高い鐘の音が聞こえてきた。
それを聞いた途端、困って立ち尽くしていたマリオスが、血相を変えて、食卓の傍に置いてあった荷物を背負う。
「まずい! もう登城の刻だ! 急ぐぞ、ユーリッド!」
「えっ、ちょっ!?」
何かを言う暇もなく、マリオスがユーリッドを担いで、食卓もそのままに家を飛び出す。
十歳の身体では、大柄な父に抵抗できるはずもなく、ユーリッドは、強制的にミストリア城へ連行されたのだった。
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