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投稿日:2021年02月23日




 ミストリア城の門前に到着すると、マリオスは、軽く門衛に挨拶だけ済ませて、とっとと城の中へ入っていってしまった。
取り残されたユーリッドは、荘厳な城を見上げて、しばらく突っ立っていたが、その様子をおかしく思ったのだろう。
門衛の一人が、声をかけてきた。

「……おい、お前、ユーリッドだろう。団長の息子の」

 頷くべきかどうか迷ったが、マリオスの息子であることは事実なので、こくりと頷く。
すると、門衛は周りを一度見回してから、声を小さくした。

「だったら、早く納屋へ行かんか。他の見習い兵たちは、とっくに集合しているぞ。シドール教官には黙っていてやるから、ほら」

 そう促されて、ユーリッドは、思わずびくりとした。
シドール教官とは、見習い兵や訓練兵の指導を担当している兵士の一人で、兵団一厳しい教官なのだ。
遅刻やさぼりはもちろん、少しでも弱音を吐いたり、不平不満を溢しているところが見つかれば、とんでもない厳罰を処されてしまう。

 かつて、自分も散々しごかれたことを思い出し、息を飲むと、ユーリッドは慌てて訓練場にある納屋へと向かった。

 兵団の一員として、ミストリア城へ来たのは、かなり久々のはずであったが、敷地内の納屋への道程は、驚くほどはっきりと覚えていた。

 道中、十歳の頃はいつも懐に入れてあった、見習い兵の証の記章を胸につけて、教官に見つからないように走る。
そうして、到着した納屋の立て付けの悪い扉を開けると、門衛の言葉通り、中には十数名ほどの見習い兵たちが、揃って甲冑や武具を磨いていた。

「ユーリッド! 何してたんだよ、遅かったじゃないか……!」

「……イーサ……」

 汗臭さと埃っぽさが充満する納屋の中で、声が聞こえてきた方を見ると、同期のイーサが、自らのイタチの尾をぱたぱたと振って、ユーリッドを呼んでいた。

 床に散らばる武具を跨ぎながら、イーサの隣に座ると、目の前に、大量の兜(かぶと)を置かれる。
磨け、という意味なのだろうが、そのあまりの多さに、ユーリッドはイーサを見た。

「ちょっ、ちょっと待て……これ、多くないか……?」

 イーサは、同じく兜を磨きながら、早口で言った。

「何言ってるんだよ! さっき、教官が来たときにな、俺たち『今日も全員揃ってます』って、報告してやったんだぞ。俺たちのお陰で、遅刻がばれなかったんだから、感謝してそれくらいの量は磨け!」

 強く言われて、思わず口を閉じると、イーサ以外の、他の面々からも声が上がった。

「そうだぞ! 遅刻がばれたら、二晩は走り込み確定なんだからな!」

「はは、経験者は語る、ってか?」

「うるせえ!」

 くすくすと笑い、騒がしく話しながら、皆で、ひたすら雑用をこなしていく。
その全員の顔に、それぞれ見覚えがあって、ユーリッドは、彼らの顔を眺めていく内に、なんとも言えない気持ちになった。

(そうだ……俺、昔はこうやって、皆で過ごしてたよな……)

 ミストリア兵団は、十歳から入団することができ、最初の二年間は見習い兵として、十二歳から十五歳までは訓練兵として、日々鍛練に励む。
そして、無事に教官に認められた十六歳以上の者のみが、ようやく、正式に兵士として任務に当たることになるのだ。
故に、ユーリッドたちのような、幼い見習い兵の内は、剣を持たせてもらうこともない。
ただひたすら、武具を整理したり、先輩の兵士たちの昼食を作ったり、洗濯をしたりといった、雑用を課されることになるのだった。

 雑用は、想像以上に重労働で、うっかり手を抜いて教官に罰を与えられた時なんかは、精神的にも肉体的にも、参ってしまう。
時折、耐えられずに兵士になることを諦める者もいたが、それでもユーリッドは、昔から、同期の見習い兵たちと過ごすこの時間が、好きだった。

 毎日、汗臭い防具や、錆と手垢まみれの剣を手入れして、やれ汚いだの臭いだの文句を言いながら、品のない世間話をしては、げらげら笑っていた。

 ただ、仕事中に話しているところなどを教官に見つかれば、全員その場で、こっぴどく叱られるから、皆、教官の足音だけには、常に気を付けていた。

 獣人は、種によって、腕力の強い者、脚力のある者、鋭い爪を持つ者など、それぞれ秀でた特徴を持っていたから、とりわけ耳の良い獣人は、誰よりも早く教官の足音を聞きとって、鬼の到来を皆に知らせるのだ。
そして、教官が近くを通りすぎる時のみ、全員ぴたりと黙って、真面目に労働に勤しんだものである。

 それで、その日一日、無事に教官から大目玉を食らわずに済むと、俺たちも大したものだと調子にのって、また馬鹿笑いしていたのだった。



 武具の手入れを午前中に終わらせると、次は、先輩である訓練兵たちの昼食を、用意しなければならなかった。
用意するのは、大体毎日、大量の米と、適当に切り刻んだ肉や魚、野菜をひたすら煮て作る雑炊である。

 不味いというわけではないが、味気ない上に、明らかに質より量を重視された雑炊。
これは今朝、ユーリッドがマリオスと共に食べた朝食と、よく似ていた。

(多分父さんも、これしか作れなかったんだろうな……)

 そう思うと、少しだけ笑いが込み上げてくる。

 普段剣ばかり握っている兵士たちは、兵団で習慣的に雑炊を作っているせいか、得意料理までいつの間にか雑炊になっているのだ。
飽きるから別の料理も作ろうとは思うのだが、材料が安くてすぐそろう上に、簡単に出来るので、気づけばいつも雑炊ばかり作って食べている。
ユーリッドがそうであるように、きっと、父もそうだったのだろうと思うと、くすぐったい気持ちになった。

 自分は、十歳だった時代に戻ってしまったのだろうか。
何故、どうして──。
そんなことを、悶々と考えていたユーリッドだったが、見習い兵としての一日の仕事を終えた頃には、もう疲れて考えるのをやめていた。

 夕方、それぞれ仕事や訓練を終えた兵士たちが、とぼとぼと帰路につく中。
かつて、十歳だった時の自分がそうだったように、訓練場近くの寮に帰ろうとすると、イーサに声をかけられた。

「あれ、ユーリッド。今日は寮に泊まるのか?」

「……え?」

 まるで、普段は寮にいないじゃないか、とでも言いたげなイーサに、ユーリッドは首をかしげた。

「今日は、って……俺は、寮住まいだろ?」

 イーサは、眉をしかめた。

「はあ? 何言ってるんだよ。寮は、地方から来た奴らが利用してるだけだろう。なんで城下に住んでるユーリッドが、わざわざ寮を使うんだよ」

 変な奴だな、と言って、イーサが笑う。
それに対し、笑みを返すことも出来ず、ユーリッドは黙りこんだ。

 やはり、何か奇妙だ。
確かに、イーサの言う通り、城下暮らしで寮を利用していた者は少なかったが、見習い兵時代のユーリッドは、ずっと寮で生活していたはずなのである。
父は、ミストリア兵団の団長として、日々多忙を極めていたため、家に帰っても自分一人しかいなかったからだ。

 今年十七歳を迎えるはずの自分が、十歳の頃に戻っている。
かといって、自分が十歳だった頃の記憶とは、いくつか違う点がある。
殉職した父、マリオスが生きていて、寮暮らしだったはずが、城下暮らしになっているのだ。

(一体、何が起きてるんだ……? 俺がおかしいのか……?)

 久々に同期だった兵士たちと再会できたおかげか、不思議と、不安や苛立ちは感じていなかったが、考えれば考えるほど、自分の置かれている状況に混乱する。

 そんなことを考えながら、ユーリッドは仕方なく、城下の自宅へと帰ったのであった。


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