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投稿日:2021年02月23日





 衛兵たちに見つからないように、物見の塔へと進入して、階段を上がっていく。
忍び足で歩いているつもりでも、塔内で反響する自分達の足音は、とても大きなものに聞こえた。

「よし、ここの窓から、屋根に登ろう」

 螺旋階段の途中にあった窓を指差して、ユーリッドが小声で言う。
更に階段を登れば、物見をしている見張りの衛兵に見つかってしまうから、屋根まで出るとしたらこの窓しかない。

 ユーリッドは、両手をこすり合わせると、ひょいっと窓をくぐって、外に身を乗り出した。
それから、窓枠を踏み台に、高く飛び上がって、瓦を掴んで屋根までよじ登る。
流れるような速さで目的を達成したユーリッドに、ファフリは、驚きを隠せなかった。

「はい。引っ張りあげるから、手出して」

「う、うん……」

 続いて、ユーリッドが屋根の上から手を伸ばすと、ファフリは、その腕を両手でぎゅっと握った。
返事は躊躇いがちであったが、一度、塔から飛び降りるという荒業を乗り越えたお陰だろう。
海が見たい気持ちもあって、ユーリッドの手を掴んだファフリに、怖がっている様子はなかった。

「わ、高い、ユーリッド……」

 ぐいっと力強く引っ張りあげられて、ファフリは、おずおずと屋根の上に足を下ろした。
瓦葺きのため、滑るようなことはないが、屋根の上なので、当然足元が斜めっている。
おまけに、少し風が吹くだけで、煽られて落ちてしまうような気がした。

「大丈夫か? 怖かったら掴まれよ」

「うん、ありがとう……」

 そうお礼を言いながら、ファフリはしばらく、ユーリッドにしがみついて、安定する足場を探していた。
そうして、ようやくファフリが、自力で立てそうな立ち位置を見つけた頃に、ユーリッドが西側を示して、口を開いた。

「ほら、見てみろよ。ノーレントの向こう、あそこが港町フェールンドだ」

 ユーリッドの手を握ったまま、ファフリが顔をあげる。
日が傾きかけた、橙の空を見上げて、ファフリは息を飲んだ。

「それで、そのフェールンドの更に向こうに見えるのが、全部──」

「海──……」

 ファフリは、大きく開いた目で、ユーリッドの指す方を見つめた。

 高い高い城壁の外に広がる、賑やかな町並み。
沈み行く太陽に照らされて、茜色に染まる家々。
そして、夕陽を反射して輝く海は、どこまでも雄大で、見たことがないほどに美しかった。

「…………」

「……ファフリ?」

 黙りこんでしまったことを不思議に思い、ユーリッドは、ファフリの顔を覗きこんだ。
そして、瞠目した。
ファフリは、目を見開いたまま、涙を流していたのだ。

「えっ、あ、どうし……」

 狼狽えて問いかけると、ファフリは、こぼれた涙をぬぐうこともせず、笑みを浮かべた。

「──ありがとう、ユーリッド」

 夕陽を浴びて、ファフリの濡れた瞳も、きらりと輝く。
その笑顔に、思わずどきりとして、ユーリッドはファフリを見つめた。

「私、今日のこと、一生忘れない。本当にありがとう」

 ファフリは、ユーリッドと繋いでいる手に、力を込めた。

「すごく綺麗……。たとえ夢だったとしても、この景色が見れて、良かった……」

「え……夢、って……?」

 ファフリの言葉に、疑問を投げかけた、その時だった。

「こらぁ! そこで何してる!」

 下の方から、男の怒鳴り声が聞こえてきて、二人ははっと振り向いた。
すると、ユーリッドたちが出入りに使った窓から、衛兵の一人が真っ赤な顔でこちらを睨んでいる。

「うげっ、衛兵……!」

 思わず後ずさったユーリッドは、その拍子に、瓦を踏み外して、屋根の上から滑り落ちた。

「ユーリッド!」

 咄嗟にユーリッドを掴もうとしたファフリの手も、虚しく空回り。
ユーリッドは、そのまま物見の塔から、落下していったのであった。



 衛兵に捕まり、離れの塔へと戻ると、ファフリの乳母メリルが、すごい剣幕で立ちはだかっていた。

「物見の塔の屋根に登るなんて、一体何を考えているんです!」

 鋭い声で叱られて、ユーリッドとファフリは、大人しく正座をした。
先程塔から落下したユーリッドは、受け身をとった拍子に左腕を擦りむいていたが、今は、その治療をしている場合ではない。

 ファフリは、慌ててメリルに言った。

「あ、あの、違うの! 絵本の話をしていて、それで、私が海を見たがったから、ユーリッドはそれを叶えようとしてくれただけで……」

 そのファフリの言葉に、咄嗟にユーリッドも口を挟んだ。

「いや、俺が行こうって誘ったんです。ファフリは躊躇ってたんですけど、俺が、大丈夫だからって言って──」

「お二人とも悪いのですから、かばい合いなどしても無駄です」

「……ご、ごめんなさい……」

 メリルの容赦ない一言に、二人同時に謝罪する。
メリルは、縮こまっているユーリッドとファフリを見下ろして、大きくため息をついた。

「大体、この塔の入り口には衛兵がいたはずでしょう。一体どうやって抜け出したんだか……」

 そう言ってから、窓の外をちらりと見て、メリルはかっと目を見開いた。
そして、もはや怒りで裏返ったような声を出すと、ユーリッドとファフリを交互に見た。

「まさか、窓から飛び降りたんじゃないでしょうね!?」

「…………」

 ユーリッドが、気まずそうに口ごもる。
その沈黙を肯定ととったのか、メリルは、悩ましげに額に手を当てた。

「ああ、なんてこと……信じられない。そんなことをして、もし次期召喚師様がお怪我をしたら、どうするつもりだったのです!? 誇り高きマリオス様のご子息が、聞いて呆れます!」

「……すみません……」

 一通りユーリッドを叱りつけると、メリルの怒りの矛先は、今度はファフリに向かった。

「姫様も、召喚師一族であることを自覚なさって下さい! 無断で塔から抜け出そうなんて、許されることではありませんよ。それくらい、お分かりでしょう?」

「はい……ごめんなさい」

 メリルは、呆れ顔で二人を睨んだ。

「今回は大事にはなりませんでしたから、特別に許しますが、二度とこんなことはなさらないように。もし次、また勝手に塔から抜け出すようなことがあれば、お二人が会うことも一切禁止にしますからね。良いですか?」

「……はい」

 二人が、口を揃えて返事をしたのを聞くと、メリルは、やれやれといった様子で部屋を出ていった。



 メリルがいなくなり、再び二人きりになると、ユーリッドとファフリは、顔を見合わせた。
ひどく叱られた後だったが、不思議と、穏やかな気持ちである。

「……ごめん、結局ばれちゃったな」

 ファフリは微笑んで、首を横に振った。

「ううん、すごく嬉しかったよ」

 ユーリッドは、ファフリの顔をじっと見つめて、ぱっと立ち上がった。

「……楽しかったなら、またどこでも連れてってやるよ。もしかしたら、見つかって叱られるかもしれないけど、それでもファフリの気晴らしになるなら、俺はどこにでも付き合うよ」

 ファフリは、驚いたようにユーリッドを見た。
それから、つかの間沈黙して、静かに言った。

「ありがとう……。でも私、ユーリッドと会うの禁止されちゃう方が嫌だから、もう大丈夫」

「そうか……?」

 表情を曇らせたユーリッドに、ファフリはにこりと笑った。

「うん。確かに、ちょっと窮屈だなって思うときはあるけど、今の生活が、嫌な訳じゃないから」

 ファフリは、穏やかな声で続けた。

「……お父様やお母様がいて、ユーリッドがこうして会いに来てくれて、毎日、平和に暮らしていられる……。私は、それだけで、十分だから」

 そう告げたファフリの横顔が、一瞬陰ったような気がして、ユーリッドの胸に、何か冷たいものが触れた。

(……ああ、まただ。また、この違和感)

 黙りこんだユーリッドの手を握って、ファフリは再度笑顔になった。

「また、遊びに来てね。外に出ないで、塔の中でお話できるだけでも、私は幸せだよ」

「…………」

 ユーリッドは、腑に落ちない様子で、頷くこともせず、ファフリの手を握り返したのだった。


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