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投稿日:2021年02月23日
よく晴れた昼の日射しを浴びて、王都ノーレントの中央通りでは、道行く獣人たちが盛んに歓声をあげていた。
皆、隣街スヴェトランに遠征する兵士たちの行進を、一目見ようと集まっているのだ。
一通り午前の業務を終えた見習い兵たちも、いずれ自分もあのような兵士になるのかと、夢を抱きながら見物に集まっている。
ユーリッドも、イーサに連れられて、この獣人の波の中に紛れていた。
「うわぁ、こりゃあ全然見えねえな。図体でかいやつは、後ろに行けっての!」
そんな文句を言いながら、イーサがユーリッドの方を振り返る。
ユーリッドは、そうだな、とだけ答えて、ぼんやりとひしめく獣人たちを見つめていた。
結局、スヴェトランに行くなと告げたあの日から、マリオスは一度も、家に帰ってこなかった。
あれから三日経った今日、兵団がスヴェトランに向かうというのも、人伝に知っただけである。
いってらっしゃいの一言でいいから、父に伝えたいと思ったのだが、この見物人の多さでは、マリオスの目にとまることも難しいだろう。
半ば諦めながら、なんとか前の方に行こうとするイーサを見守っていると、ふと、どこからか声が上がった。
「おい、来るぞ!」
その叫びに、獣人たちの波が大きく動く。
同時に、ゴーン、ゴーンという鐘の音が響いて、城門が開いたかと思うと、ミストリア兵団の兵士たちが、足並みを揃えて中央通りを進み始めた。
わぁっと獣人たちが歓声をあげ、それぞれ手を振ったり、兵団の紋章が刺繍された旗を振ったりしている。
中には、行進する兵士の中に親族がいるのか、名前を呼んでいる者もいた。
「おいユーリッド! ほら見ろよ! 先頭に、お前の父ちゃんいるぞ!」
興奮のあまり、イーサがユーリッドの頭をばしばしと叩く。
ユーリッドは、必死に背伸びをして、なんとか獣人たちの頭と頭の隙間から、兵士たちの先頭を捉えた。
背後に歩兵を引き連れ、馬に乗ったマリオスが、ゆっくりと大通りを進んでいく。
その隣には、ミストリア兵団の副団長である鳥人、アドラも並んで、馬に跨がっていた。
「すっげえ! 俺、団長と副団長が並んでるところ、初めて見た! かっこいいなぁ!」
目をきらきらと輝かせ、イーサが食い入るように馬上の二人を見つめる。
しかし、ユーリッドはその瞬間、心臓を掴まれたような衝撃を感じた。
(やっぱり、おかしい……)
身体の内側から、もやもやとしたどす黒いものが溢れてくる。
同時に、激しい頭痛と目眩を感じて、ユーリッドはその場でうずくまった。
「おい、どうしたんだ?」
気づいたイーサが、声をかけてきたが、それに答える余裕はない。
どんどんと遠くなっていく周囲の喧騒を聞きながら、ユーリッドは、呻いて目をつぶった。
(ここは、どこだ……?)
マリオスがいて、アドラがいる。
ファフリが笑っていて、自分は、ミストリア兵団の見習い兵で──。
ここが、本当に自分の居場所だっただろうか。
込み上げてくる吐き気を、必死になって堪える。
すると、不意に脳裏に、墓標の前に佇(たたず)む自分の姿が映った。
(墓……? あれ、は……)
兵団が建てた豪勢な墓は、どこか近寄りがたくて。
それとは別に、太い枝を十字に組んで作った、自作の墓標。
そこに埋められるものは何もなかったけれど、その墓標に向かって話しかけたとき、自分は初めて、父とふれ合えたような気がした。
その墓標に自分で彫った、マリオスの名前がはっきりと記憶に蘇った瞬間。
ユーリッドは、ぱっと駆け出した。
「父さん……っ!」
獣人たちを無理矢理かき分け、兵士たちの元に走る。
──マリオスは、スヴェトランとの戦いで死ぬ。
そんなこと、忘れようとした。
だが確かに現実だった、その記憶が次々と頭に浮かび、ユーリッドは、絶叫した。
「父さんっ! 行くな!」
声が届いたのか、マリオスと、ふと目が合う。
──その時だった。
「────!」
突然、風のごとく現れた黒い影が、マリオスの首を、はねた。
何が起きたのか理解する間もなく、マリオスの身体が、泡沫の如く霧散して、大気の中に消える。
獣人の形をしたその黒い影は、漆黒の刃を閃かせながら、騒然とする中央通りを、疾風のように駆け巡った。
思わず見入ってしまうような剣さばきで、黒い影は、次々と獣人たちを切り裂いていく。
アドラを刺し、歩兵たちを刻み、民衆でさえ、抵抗する間も与えずに、容赦なく散らして──。
ユーリッドは、そうして儚く消えていく者たちの姿を、ただただ立ち尽くして見ていた。
「やめろ……」
一人、また一人と獣人たちが斬られていくたび、ユーリッドの心の中にも、深い悲しみが流れ出してくる。
「やめ……っ」
まるで、黒い影のその一振りが、ユーリッドの心にも、深い傷をつけていくように。
どうしようもないくらいの絶望と怒りが、胸の中に広がった。
「やめろ──っ!」
地面に転がっていた、歩兵の剣をとり、ユーリッドは、弾かれたように走り出した。
せわしなく息を吐きながら、剣を振りかぶり、渾身の力を込めて、黒い影に斬りかかる。
見習い兵の自分は、誰かに斬りかかったことなどないはずなのに。
こうして、剣を突きつける緊張感に、ユーリッドは覚えがあった。
「……っ!」
剣先が、黒い影を捉えた刹那──。
しかし、ユーリッドの剣は、黒い影の斬撃に阻まれる。
咄嗟に後退し、高く宙返りをして、影との距離をとる。
互いに動きを止め、対峙すると、ユーリッドは黒い影を強く睨み付けた。
「なんで……」
声が震えて、熱い塊が、喉の奥から込み上げてきた。
「なんで、こんなことするんだよっ! 折角また会えたのに、どうして皆を消すんだよっ!」
ぐっと歯を食い縛り、再び、黒い影に向かって刃を向けた。
黒い影は、一言も言葉を発することなく、ただ静かに、ユーリッドの剣を受け続けた。
二人の剣が、激しくぶつかり合い、弾き合って、空気がうなり声をあげる。
無駄のない動きで、ユーリッドの攻撃を防ぐ黒い影のその太刀筋には、どこか見覚えがあるような気がした。
己の中から噴き上がってくる激情を、そのまま黒い影に叩きつけるように、ユーリッドは、何度も何度も力任せに剣を振った。
「父さんと、ようやく話せたんだ……!」
ほとんど家に帰ってこない、まるで、他人のように過ごしてきた父、マリオス。
親子らしい思い出もないまま、彼は、スヴェトランへと遠征に出て、死んだ。
「もう一度、兵団の皆とも、会えて……」
狂ったような勢いで剣を交えて、ユーリッドは叫んだ。
「ファフリだって、リークスに絵本をもらったって、笑ってたのに……!」
昔から、自分に会いに来てくれるのはユーリッドだけだと、寂しそうに言っていたファフリ。
きっと彼女は、友人を作りたいとか、城の外に出てみたいとか、そういった願い以上に、父親からの愛が欲しかったのだ。
「……嬉しそうにっ、絵本を見せて……っ!」
リークスは、決して自分のことを嫌っているわけじゃない。
そんなファフリの希望は、もう粉々になって、消えてしまった。
リークスが、ファフリの殺害を謀っていると分かった、あの瞬間に──。
「────っ!」
重くのし掛かってきた、黒い影の一撃を受け損なって、ユーリッドは吹っ飛ばされた。
握っていた剣が、円を描いて弾け飛ぶ。
ユーリッドは、勢いよく背中を地面に打ち付けて、ぐっと息をつまらせた。
「……っ」
はっと息を吸って、腕に力を込める。
今まで見てきた、父やイーサたち、ファフリの明るい顔が、次々と頭に浮かんできた。
「ここでは、皆、幸せそうに笑ってたのに……」
緩慢な動きで、上体を起こす。
ユーリッドは、かすれた声で言った。
「まるで、夢、みたいに……」
──夢。
その瞬間、立ち上がろうとして、ふと視界に入った自分の手を見て、ユーリッドは目に驚愕の色をにじませた。
手が、十歳の頃の自分のものより、ずっと大きくなっている。
よく見れば、服装も今まで着ていたものとは違う。
兵団を脱退し、ファフリと共に逃亡の旅に出た、十六歳の自分の姿に戻っていたのだ。
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