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投稿日:2021年02月23日




「…………」

 気づけば、先程まで賑わっていたノーレントの街並みも、跡形もなく消え去っていた。
マリオスも、アドラもイーサも、兵士たちも民衆たちも、全て夢だったかのように、消滅してしまった。
何もない真っ暗な空間に、たった二人。
ユーリッドと、黒い影が向かい合っているだけだ。

「……そうか、やっぱり、夢……」

 ぽつんと言って、ユーリッドは、見つめていた手をぎゅっと握った。
同時に、断片的に浮かんでいた記憶がはっきりとして、ユーリッドの頭に、サーフェリアでの出来事が蘇った。

(……具合が悪いファフリの側にいて、そしたら急に、黒い炎に包まれて、俺は……)

──俺は、ファフリを蝕む悪魔の幻に、取り込まれたんだ……。

 心に巣食っていた怒りは消え、代わりに、底知れない虚しさが胸に広がった。

 なんとなく、分かっていたのだ。
本当は、マリオスが生きていないことも。
ファフリと自分が、笑い合えるような状況下でないことも。

 些細な違和感だと思い込んで、目をそらしていただけで、ずっと、心の奥底では分かっていた。

「全部……夢、だったんだな」

 ふと口に出して、抑えきれない熱が、目に滲んでくる。

 もし、スヴェトランとの争いがなければ。
リークスが、ファフリの命を狙っていなければ──。

 この夢のように、父マリオスは、生きていたのだろうか。
アドラを失うこともなく、苦しい逃亡の旅路を行くこともない。

 皆で笑い合える、そんな未来を、歩んでいた可能性があったのだろうか──。

 たとえ今まで見てきたものが、悪魔の見せている幻でも、そう考えずにはいられなかった。

(それでも……ここは、現実じゃない)

 どんなに幸せでも、楽しくても、夢は、夢でしかない。

 ファフリの内に潜む、悪魔の思惑通りになんて、なってやるものか。
ここで幻の中に逃避したら、ファフリを守りたいという言葉に頷いてくれたマリオスの気持ちを、裏切ることになる。
それだけではない。
命を落としてまで、自分達を守ってくれたアドラや、無関係だったにも拘わらず、手を差しのべてくれたトワリスの思いまで、踏みにじることになるのだ。

 幻に取り込まれていたのだと自覚した途端、そんな思いが突き上げてきて、ユーリッドは、立ち上がった。
黒い影は、ユーリッドにとどめを刺すことはせず、未だ静かに、目の前に立ったままでいる。

「……お前が、悪魔なのか」

 黒い影は、何も答えない。
ユーリッドは、取り落とした剣を拾い上げると、それを構えて、黒い影を見つめた。

「ファフリはどこにいるんだ。ファフリも、この幻の中にいるんだろ」

「…………」

 ユーリッドは、何も言わない黒い影に、一気に斬りかかった。
今度は、怒りに任せて剣を振るうのではなく、確実に、相手を仕留められるように。

(……現実に戻ったって、どうしたらいいかなんて思い付かない)

 残光を引き、素早く斬り込んでくる剣を、ユーリッドは力一杯弾いた。

(今の俺じゃ、何もできない)

 そして、思いきり地面を蹴ると、相手の懐に踏みこみ、胸部めがけて剣を突き上げた。
しかし、がつんっ、と腕に衝撃がきて、剣の軌道をそらされる。

(だけど、ミストリアを護るのは、ファフリだけの役目じゃないはずだ……!)

 体勢を崩した拍子に、黒い刃が肩口をかすって、熱い衝撃が走る。
だが、ユーリッドは引かなかった。

(ファフリが悩むなら、俺も一緒に悩んで──)

 肩口に刺さった剣には構わず、ずいっと前に出ると、黒い影の腹に、ユーリッドは刃を突き立てた。

(──一緒に、戦うんだ……!)

 不思議と、黒い影の剣筋には、見覚えがあった。
実際に戦ったことはなかったけれど、何度も見て、はっきりと記憶している太刀筋だ。
そんな気がした。

 相手がとるであろう次の動きを読んで、ユーリッドは、腹を刺されてひるんだ影の剣を、力強く跳ね上げた。

「────っ!」

 ぎゅんっと大気の裂ける音がして、跳ね飛んだ剣が、闇に溶ける。
その瞬間、黒い影の目が、はっきりとユーリッドを映した。

 黒い影は、一歩下がり、ぴたりと動きを止めると、ユーリッドに向かい合った。
そして、暗闇の一点を指差すと、微かに頷いて、すうっと消えた。

 袖を切り裂き、肩口の傷を止血すると、ユーリッドは、先程黒い影が指した方向を見上げた。

 この先に、何があるかは分からない。
だが、他に何の手がかりもない。
辺り一面暗闇に包まれたこの空間では、示された方向に進むしかないだろう。

(……とにかく、今はファフリを探そう)

 そう決心して、ユーリッドは走り出した。

 ここは、悪魔が作り出した幻の世界だ。
魔術の使えないユーリッドでは、どうやって抜け出せば良いのか全く検討がつかないし、ファフリだって、一体どのような状態で捕らえられているのか、定かではない。

 しかし今は、ファフリを探し出して、なんとか助け出すしかない。
幻の中ではあるが、幸い、剣も入手出来たし、戦うこともできた。
ユーリッドの攻撃が、全く通用しないということはないようだ。

 長い間走り続けていると、不意にどこからか、美しい笛の音が聴こえてきた。
歌うように滑らかで、心にしっとりと染み入ってくるようなそれは、ユーリッドがファフリと共に、この幻に取り込まれる直前に聴いたものと同じだった。

 一瞬、聴いてはまずいかと身構えたが、次の瞬間──。
気がつくとユーリッドは、ミストリア城の離れにある、ファフリの過ごしている塔の中にいた。

 ユーリッドは、いつものように分厚い絨毯の上に腰かけており、手には、焼き菓子の包みが握られていた。

「ね、美味しいでしょう? お母様が、作ってくださったの」

 すぐ近くで声がして、はっと顔をあげる。
すると目の前で、十歳の姿のままのファフリが、ユーリッドを見つめて、嬉しそうに笑っていた。

「今度時間をもらえたら、私も、このお菓子の作り方を教えてもらおうと思って。そうしたら、お父様に差し上げて──」

「ファフリ!」

 言葉を遮って、ユーリッドが叫ぶ。
ファフリは、驚いたように目線をあげると、目を瞬かせた。

「ど、どうしたの? 急に、大きな声を出して……」

 ユーリッドは、持っていた焼き菓子を地面に捨てると、ファフリの小さな肩をつかんだ。

「ファフリ、俺の姿、見えるだろ? 俺たちは、もう十歳の子供じゃない。ここは、悪魔が作り出した夢の中なんだよ!」

 ファフリは、びくりと震えると、微かに俯いた。

「……夢? 夢って、何のこと? ユーリッドが言ってること、分からないよ……」

 ユーリッドは、眉を寄せると、今一度辺りを見回した。

 幼少期、ファフリが過ごした塔の中。
しかし、ユーリッドの記憶にある現実とは、一つ違う点がある。
部屋の中に、国王リークスからの贈り物だという、絵本が置いてあるのだ。

(……やっぱりここは、ファフリの夢の中だ)

 ユーリッドが、マリオスの生きている夢を見ていたように。
ファフリもまた、父であるリークスから愛される夢を見ている。
つまりここは、悪魔の作り出した『ファフリの望んでいた世界』なのである。

 ユーリッドは、ファフリの肩から手をどけると、まっすぐに彼女を見つめた。

「……夢は、結局夢でしかない。最終的には、泡のように消えて、目が覚めてしまう……。楽しい夢ほど、あっさり終わってしまうんだって、ファフリ、そう言ってたよな」

「…………」

 ファフリが俯いたまま、身体を強張らせる。
ユーリッドは、それでも構わず、ゆっくりと続けた。

「本当は、気づいてたんじゃないのか。ここが幻の世界で、いつかは目覚めなきゃいけない、夢の中なんだって。俺たちはサーフェリアで、悪魔に取り込まれたんだよ」

「…………」

「ファフリ、帰ろう。俺たちは今、リークス王に命を狙われて、逃亡の旅途中にある。今後どうやって生き残るか考えないといけないし、奇病に苦しむミストリアのことだって、放置してはおけないだろう。だから、現実の世界に、戻ろう」

 そう言って、ユーリッドがファフリに手を伸ばすと、ファフリは、その手を力強く払いのけた。

「嫌! 私、戻りたくない!」

 ユーリッドが、伸ばした手を止める。
ファフリは、苦しそうな表情で、ユーリッドを睨み付けた。

「ここが、悪魔の作り出した世界だなんて、分かってるよ。でも、夢だっていい! もう嫌なの……逃げるのも、考えるのも……。沢山悩んだって、もう無駄だよ。私には、何もできないって結論しか出てこないの!」

 ファフリは、声を荒げて、更に言い募った。

「ユーリッドだって、ロージアン鉱山で言ったじゃない! 私がミストリア城に戻るのは、賛成できないって! お母様だって、私を召喚師の柵から解放するために、城から逃がしたんだろうって!」

 ファフリが、ぎらぎらとした目で、ユーリッドを睨む。
徐々に十六歳の姿に戻りつつあるファフリを見て、ユーリッドは、静かに言った。

「……それはファフリが、次期召喚師だからっていう責任感で、ミストリアを救いたいって言ってると思ってたから、反対したんだよ」

 ユーリッドは、ファフリに向き直った。

「でも、違ったんだな。ファフリは、リークス王が護るミストリアが好きで、次期召喚師だからとか、そんなの関係なく、本心から奇病をどうにかしたいって思ってたんだよな」

「…………」

 ファフリの目の光が、微かに弱まる。
ユーリッドは、再び室内を見回した。

「俺もさっきまで夢を見てたから、この幻の居心地の良さは、分かってる。だからファフリが、本気でこの夢の中に永遠にいたいと思うなら、それでもいいよ」

「…………」

「……でも、本当にそれでいいのか?」

 ユーリッドは、ファフリに視線を戻した。

「ファフリは、小さい頃からずっと、国を護れる召喚師になるため、頑張ってたじゃないか。友達作って遊びたくても、自由に外を出歩きたくても、そういうの全部我慢して、沢山勉強とか魔術の練習をしてたの、俺は知ってるよ。だけど、もしこの夢の中に残ったら、そういう努力が全部無駄になっちゃうんだぞ。それでもいいのか?」

 ファフリが、僅かにたじろいだ。

「……正直俺も、今のミストリアを救うために、どうしたらいいかなんて想像もつかないよ。でもこの夢の中で、父さんと話して、思い出した。俺は、ファフリの力になって、ミストリアを守るために、兵士になったんだ。兵団はもうやめちゃったけど、その気持ちは変わらない」

「……っ」

 ファフリが、ひゅっと息をのむ。
そして、歯を食いしばると、か細い声で言った。

「……私だって……本当は、ミストリアを助けたい……」

 涙をこらえたような目で、ファフリは顔を上げた。

「でも、そう思っても、何もできないんだもの……。私には、召喚術を扱える力が、ないんだよ……」

 ファフリは、微かに震えながら、目を伏せた。

「だったらまずは、ファフリが召喚術を使えるようになるにはどうすればいいか、一緒に考えよう」

 ユーリッドは、微笑んだ。

「長い間、一人で悩ませてごめんな。召喚師の辛さなんて、きっと考えても理解できないだろうからって、俺はずっと、自分達が生き残ることしか頭になかったんだ。でも、そうやってファフリに押し付けるの、もうやめるよ。召喚術のことも、ミストリアのことも、これから俺たちがどうするかも、ファフリが思い悩んでること全部、俺もちゃんと一緒に考えるから。……だから、とりあえず一つ目の課題が、召喚術のことなら、まずは、ファフリがどうしたら召喚術を使えるようになるか、俺なりに考える」
 
「ユーリッド……」

 ファフリは、ユーリッドを見つめた。


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