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投稿日:2021年02月23日





「……だけど私、また、悪魔に乗っ取られたりして、迷惑かけるよ。もしかしたら、見境いがなくなって、ユーリッドを殺そうとすることだってあるかもしれない……。そんなの、私、怖いよ」

 ユーリッドは、首を横に振った。

「そんなことないさ。だって、初めてカイムを召喚して狼を殺したときも、渓流で兵団に襲われたときも……リークス王に出くわしたときや、サーフェリアの審議会で殺されそうになったときだって。ファフリは、俺やトワリスを護るために、悪魔を召喚したんだろう」

「…………」

「実際に俺たちは、それで何度も命拾いしてるんだ。だからきっと、ファフリに素質がないなんてことは、ないんじゃないかな。俺も詳しくは分からないけど、あとは、悪魔の力に飲み込まれないように、制御できるようになるだけ。才能云々の問題じゃなくて、ファフリの、気持ちの問題なんじゃないか」

「私の、気持ち……」

 呟いてから、ファフリの脳裏に、ふとルーフェンの言葉が甦った。

──君はさっき、召喚師として才能がないと言っていたけれど、召喚術を使うのって、本当はとても簡単なんだよ。君は召喚術が使えないんじゃない。使わないんだ。

 ぴしっ、と音がして、この空間に、ひびが入る。
まるで硝子のように砕け始めた、塔の部屋の中を見回しながら、ユーリッドは言い募った。

「城を出た頃は、何もできなかったのに、今じゃ、カイムもハルファスも、ファフリに力を貸してくれてる。この幻を作っている悪魔だって、いつか、ファフリの呼び掛けに答えてくれるようになるよ」

 ユーリッドは、もう一度、ファフリの前に手を差し出した。

「それにもし、また悪魔の力に飲み込まれるようなことがあっても、何度だって、俺が助けに来るよ。俺は、ファフリが乗っ取られたって、どうなったって、逃げないよ。沢山名前を呼んで、必ず元のファフリに戻してみせる」

 ユーリッドは、笑った。

「だから、大丈夫、怖くない。絶対に俺が受け止めるから……信じて」

 見開かれたファフリの目から、涙が零れ落ちる。
ファフリは、ぐっと口を引き結ぶと、間をおいてから、頷いた。

 ファフリの伸ばした手が、ゆっくりとユーリッドの手を掴む。

──その瞬間。
周囲の景色が、粉々に砕け散って、二人は、暗闇の中に放り出された。

 同時に、周囲が業火に包まれ、目の前に、全身が燃え盛る鳥が姿を現した。

(フェニクス……!)

 カイム、ハルファスに続く、三体目の悪魔──。
歌声で相手を魅了し、その魔力に打ち勝った者のみに付き従う、ミストリアの召喚師が扱える最後の悪魔だ。

 耳をつんざくような、フェニクスの甲高い咆哮が、二人の鼓膜に突き刺さる。
身を焦がす灼熱の炎が、視界を焼き、聴覚を炙り、思惟(しい)を奪い去った。

 ファフリは、ユーリッドの身体に掴まりながらも、フェニクスの姿を、はっきりとその目に映した。

(力を貸して、フェニクス……!)

 熱で全身の感覚が失われていくのを感じながら、ファフリは、フェニクスに向かって手を伸ばした。

 恐ろしかった。
心臓を鷲掴まれ、がくがくと揺さぶられているような──。
そんな、強い恐怖を感じる。

 しかし、それでもファフリは、目を閉じなかった。

(もう、貴方たちの力を怖がったりしない……!)

 全身が爆発するような苦しみが襲ってきて、伸ばした手が、震える。

(だから──……!)

 それでも、ぐっと精一杯伸ばした指先が、フェニクスに届いた。

──刹那。
力を振り絞って、身をよじったユーリッドが、フェニクス目掛けて斬りかかる。
元が幻でしかなかった剣は、燃え尽きて消えたが、その斬撃で一瞬炎が掻き消えた隙に、ユーリッドは、ファフリの手を引いて駆け出した。

 言葉を交わすこともできず、先の見えない暗闇の中を、ひたすらに走る。
渦巻いていた炎は、ぐんぐんと遠くなり、あっという間に背後で消えた。

 そうして、夢中で足を動かしている内に、後ろの方から声が聞こえてきた。

「ファフリ……!」

 母である、ミストリアの王妃レンファの声であった。

(お母様……!)

 母は、自分を城から出して、どうなったのだろう。
次期召喚師を逃がした罪を、一人で背負い、リークスに罰せられてしまったのだろうか。

 思わず振り返ろうとして、しかし、すんでのところで、ファフリは留まった。
ここは、フェニクスが作り出した夢の中だ。
レンファがこんなところにいるはずはない。

 聞こえてくる声などには耳を貸さず、一心不乱に走り続けていると、今度は、これまでの旅での記憶が、次々と目の前に現れてきた。

 降り下ろされた剣に、ざくりと頭を真っ二つに割られ、刺客と共に崩れ落ちたアドラ。
彼も、刺客たちも、狼たちも、皆、真っ赤に染まった川の中に沈んでいった。

 宿場町トルアノで、ユーリッドに刃を向けてきた、カガリの母親。
奇病にかかった息子を殺されたとき、彼女は、どんな気持ちだったのだろうか。
今も、ユーリッドたちに深い憎悪を抱きながら、暮らしているのだろうか。

 国王リークスは、実の娘であるファフリを、何の躊躇いもなく、殺そうとしてきた。
冷たい視線を向けて、まるで、害虫でも見るかのように。

 だんだんと、走る足が鉛のように重くなってきた。

 自分達は、どれだけの犠牲を払って、旅を続けてきたのだろう。
これから先、どれほどの困難が待ち受けているのだろう。
今ここで目覚めたら、また辛く苦しい生活が待っている。
そう思った瞬間、ユーリッドとファフリの身体を、とてつもない疲労が襲った。

 このまま現実に戻らなくたって、何の問題もないのかもしれない。
トワリスやルーフェン、サーフェリアの人間たちに迷惑をかけることもなくなるし、国王リークスは、予定通りファフリが死んだと歓喜して、新たに産まれた次期召喚師が、ミストリアを統率していくのだろう。

 現実に戻ってもがいたところで、更なる犠牲を生み出すだけではないのか。
もし、力を貸してくれたトワリスやリリアナ、カイルたちまで、アドラのように死んでしまったら──。

 先程、あれだけ強く目覚めると決心したのに、どんどんと心が闇の底に沈んでいく。
ユーリッドは、必死になってファフリの腕を引こうとしたが、その手すら、ひどい倦怠感に襲われて動かなくなっていた。

 その時、背後から、微かに風が吹いてきた。
同時に、ユーリッドの耳に、懐かしい声が聞こえてくる。

──我々兵士のすべきことは、召喚師様の手となり足となり、ミストリアのために戦うことだ。

 父マリオスが死んだとき、墓標の前で佇むユーリッドに、アドラが言った言葉だった。

──我々には、いつまでも死者を思い、悲しみに浸っている暇はないのだ。その悲しみが、己の剣を鈍らせるというのなら尚更な。

 落ち着き払った様子で、しかし、どこか寂しそうに言っていたアドラの姿が、ぼんやりと目に浮かぶ。
あの言葉は、死者の命を軽く考えても良いとか、犠牲を払っても良いとか、そういう言葉ではない。

 過ぎ去った物事には囚われず、前に進め──。
そういう言葉なんだと、当時十歳であったユーリッドにも、はっきりと分かった。

(進め……!)

 全身に、熱い力が込み上げてきた。

(進め──!)

 動かせば、身体がちぎれてしまうのではないかと思うほどの、重い足を引きずって。
ユーリッドは、ぎりぎりと歯を食い縛る。

 その瞬間──。
誰かが、ユーリッドとファフリの腕を、強く掴んだ。

 その大きくて暖かい手に、はっと顔を上げると、腕を掴んでいたのは、先程ユーリッドと剣を交わした、黒い影だった。

「あんた、一体……」

 思わず声に出して、ユーリッドが問いかける。

 最初は悪魔かと思っていたが、この幻を作ったのがフェニクスだとすれば、この黒い影は、何者なのだろう。
思えば、この黒い影がマリオスや兵士たち、民衆の幻を斬り殺してくれなければ、ユーリッドが、夢の中から抜け出すことはできなかった。

 どくん、どくんと、心臓の脈打つ音が聞こえる。

 見覚えのある、巧みな剣さばき。
掴まれた腕から伝わってくる、懐かしい温もりと匂い。
そして、それらを感じ取った時、徐々に形として見え始めた黒い影の姿を見て、ユーリッドとファフリは、目を見開いた。

「──……アドラ、団……!」

 力強く腕を引っ張られ、まるで泥沼から足が抜け出したかのように、身体が軽くなる。
そのまま前のめりになったユーリッドとファフリの背中に、大きな手が触れて、二人は、どんっと前に押し出された。

──行け……!

 頭の中に、アドラの声が響いた気がした。
その瞬間、目前に眩い光が迫ってきたかと思うと、二人は、その光にあっという間に飲まれてしまう。

「──……っ!」

 ユーリッドとファフリは、夢から弾き出されるようにして、はっと目を覚ました。
お互い汗だくで、激しく呼吸しながら、自分達が今、ルーフェンの家にいることを確認する。

 それから最後に、驚いたようにこちらを見つめるトワリスと目が合うと、ふと、ファフリが声をあげて泣き出した。
泣きながら、何度も何度もユーリッドに謝り、そして、アドラの名前を呼びながら、ありがとうと告げた。

 自分達が、丸一日も眠りについていたのだと知ったのは、ファフリが泣き疲れて、寝てしまってからだった。
ずっと見守ってくれていたのだろうトワリスに、ユーリッドは、夢で見た内容を、ぽつぽつと話して聞かせた。

 負ったはずの傷や、火傷が消えている辺り、自分達が体験したことは全て、やはり夢だったのだろう。
だがあれは、ただの夢ではない。
悪魔フェニクスが、ファフリを闇へと誘うために作った、幻の世界だったのだ、と。

 話し終えた後は、ユーリッドも疲れ果て、気を失うように眠ってしまった。
怪我などは負っていなかったが、歩くのも億劫なほど、身体が疲弊していることには変わらなかった。

 薄れ行く意識の中、もう記憶の中で朧気になっていたはずの、マリオスやアドラの顔をはっきりと思い浮かべる。
ユーリッドは、最後にファフリを見てから、深い眠りの中に落ちていったのだった。


To be continued....



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