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投稿日:2021年02月23日





†第五章†──回帰せし運命
第二話『決意』


 微かに聞こえてきた物音で、ファフリは穏やかに目を覚ました。
濃い夜闇の中、ファフリは、しばらくぼんやりと天井を見つめていたが、少しして、目が暗がりに慣れてくると、隣で眠っているユーリッドを見た。

 悪魔と接したことなどなく、魔力への耐性も一切持たないユーリッドは、今回フェニクスの夢に取り込まれて、相当な負荷が身体にかかったはずである。
感謝と、申し訳ない気持ちで一杯になりながら、ファフリは毛布を退けて起き上がった。

 寝台のすぐ隣にある机では、トワリスが、突っ伏して眠っていた。
ちゃんと自分の寝室に行った方が良いと、声をかけようとも思ったが、起こすのも忍びないので、ファフリは何も言わなかった。

 二人を起こさぬよう、そっと寝室を出て、隣の居間へと向かう。
外気を浴びたくて、窓を開けると、ひんやりとした夜風が頬を撫でた。

 こうしていると、先程まで、フェニクスの幻に囚われて死にかけていたなんて、嘘のようだ。
しかし、これまでは時折、自分の中に別の誰かが潜んでいるような──。
油断をすれば、身体から意識が押し出されてしまうような、不安定な恐怖を常に抱えていたのだが、今は、自分が自分であるという意識がはっきりしている。

 拒絶していた悪魔の力が、すんなりと身体の芯に馴染んで。
胸の奥に、熱い力がみなぎってくるのを感じていた。

「…………」

 ファフリは小さく息を吐くと、わき上がってくる強い思いを押し込めて、窓を閉めた。
そして、椀で水甕から水を掬うと、それを一口飲んだ。
特別喉が渇いたようには感じていなかったのだが、冷たい水を飲んでみると、とても美味しかった。

(……まだ深夜だし、もう少し寝よう)

 そう思い、椀を片付けようとしたファフリだったが、振り返って食卓につまずいた拍子に、うっかり椀を取り落とした。
耳が良いユーリッドとトワリスを、起こしてしまったかと思わず身構えたが、幸い、寝室の方で二人が身動ぐ気配はない。

 ほっとして、落ちた椀を拾おうとしたとき。
ファフリは、食卓の下の床が、一部だけ色が違うことに気がついた。

(なんだろう……)

 不思議に思って触れてみると、床の部分に、ぼんやりと青白い文字が浮かぶ。
その文字にびっくりして、ファフリは、大きく目を見開いた。

(これ……王族文字だ……)

 王族文字とは、悪魔召喚の呪文が記された魔導書に使用されている、特殊な言語のことである。
ミストリアでは、一部の学者と召喚師一族、すなわち王族しか読解できないため、王族文字と呼ばれている。
サーフェリアでも、王族文字という名称で呼ばれているのかは分からないが、悪魔召喚に関する文字であることは確かなので、ルーフェンが書いたものなのだろう。

「禁じられし、咎人の書……凍てつく時の砂、生命の環を、狂わせる……?」

 文字を指でなぞりながら、読み上げてみる。
さっぱり訳が分からなかったが、その瞬間、色の違う床部分が微かに光って、ぱたんと扉のように開いた。
よく見ると、開いた床の入り口には縄梯子がかかっており、地下へと続いている。
地下には、光源などないはずなのに、覗いてみると、床の底がぼんやりと光っているようだった。

(この奥は……地下倉庫か何かかな?)

 勝手に探るのはまずいだろうかと思う傍ら、好奇心には勝てず、ファフリは、ゆっくりと縄梯子を降りていった。

 元々、ルーフェンの家には興味があったのだ。
この山荘には、ファフリの知らない魔導書や魔法具が、多く存在しているからだ。
サーフェリアは、召喚師一族しか魔力を持たないミストリアよりも、ずっと魔術に関しては発展しているのだろう。

 泊まらせてもらっている身の上で、家を探るのは気が引けるし、日頃放置されているせいで、寝室と居間以外の部屋は整理されておらず入りづらい。
そのため、探索などはしたことがなかったが、こんな風にいざ目の前にすると、少しなら大丈夫だろうという気持ちがもたげてしまう。

 縄梯子を下り、地面に降り立つと、そこは、やはり地下倉庫のような場所だった。
狭い室内の両脇には、古い本棚が並んでおり、いかにも怪しげな魔導書がぎっしりと詰まっている。
また、石壁には、見たこともない銀白色の石が等間隔で設置されており、ほんのりと光っていた。
窓もないのに、この部屋が明るいのは、この石が光源になっているためのようだ。

 地下特有の冷え込む空気に、腕をさすりながら、ファフリは、本棚に詰められた魔導書を見た。
どれも古い書物なのか、表紙が煤けたものばかりである。
その中には、鎖や錠で開かないように封印された、異様な魔導書もちらほらと見受けられた。

 よほど強力な魔術について、記されているのだろうか。
ファフリは、書が放つその奇妙な雰囲気に吸い込まれるように、魔導書から目が離せなくなった。

 しかし、手に取ろうとして、鎖の冷たさに触れた瞬間、はっと我に返った。

(……やっぱり、勝手に触るのはまずいよね)

 よく考えれば、鎖で縛られたり、錠で鍵をかけられている魔導書なんて、軽い気持ちで手を出してよいものではないのかもしれない。
そもそも、この地下室は、王族文字を読み上げなければ、入れないような仕組みが施されていたのだ。
つまりルーフェンが、自分しか出入りできないように作った空間である可能性が高い。

(戻ろう……)

 ファフリは、本棚から目をそらすと、再び縄梯子のほうに歩いていった。
だが、その時ふと、壁にかかった肖像画に気づいて、足を止めた。

(すごい、綺麗な女(ひと)……)

 思わず見とれてしまうような、美しい女の肖像画。
保存状態が悪いため、錆びて汚れてしまっているが、絵は、見るからに高級で、精巧な金の額縁に入れられている。
絵自体も、表面の埃を払うと、その繊細で華やかな色味がはっきりと分かった。

(この人、もしかして……)

 絵をじっと見ながら、ファフリは、頭の中にルーフェンを思い浮かべた。

 透き通るような、銀色の髪と瞳。
血の気の薄い白い肌に、どこか神秘的な雰囲気。
普段のルーフェンは、ふざけた言動が目立つが、作り物めいた綺麗な微笑みも含めて、全体的に、この絵に描かれた女は、ルーフェンによく似ていた。

(ルーフェンさんの、お母様かな……?)

 そんなことを考えていると、不意に、すぐ近くで声がした。

「なーにしてるの?」

「!?」

 飛び上がるほど驚いて、ファフリが声のした方に振り返る。
すると、鼻先が触れてしまいそうなくらい近くに、ルーフェンの顔があって、ファフリは思わず悲鳴をあげそうになった。

「あっ、る、ルーフェンさん……!」

 咄嗟に悲鳴を飲み込んで、後ずさる。
ルーフェンは、周囲をゆっくりと見回してから、肩をすくめた。

「ファフリちゃんとユーリッドくんが大変だから、戻ってこいって言われて、帰ってきたんだけど。トワとユーリッドくんは爆睡してるし、ファフリちゃんはこんなところにいるし、なんか皆、元気そうだね?」

「えっ、と……その……」

 顔はいつも通り笑顔なのに、なんとなくルーフェンが怒っているような気がして、ファフリは、慌ててこれまでの経緯を話した。

 最近体調が悪かったことや、ユーリッドと共にフェニクスの夢に囚われた話など。
かなり長い間説明したが、ルーフェンの態度は全く変わらず。
話を終える頃には、ファフリの声は、申し訳なさから小さくなっていた。

「それで、その……床に浮かんだ王族文字を読んだら、床が開いたから、つい……。ご、ごめんなさい! 勝手に入っちゃって……」

「王族文字? ああ、魔語のことか」

 ルーフェンは、淡白に答えると、にこりと笑い、ファフリを見下ろした。

「それで? 何か面白そうなものは見つかった?」

「う、ううん!」

 ファフリが、勢いよくぶんぶんと首を振る。

「興味があって、ちょっと部屋を覗いてみただけなの。でも、勝手に見るのは良くないって思ったから、何もしてないわ。早く地下から出ようとして……そしたら、この肖像画が目に止まって、綺麗な絵だなって、見てただけよ。本当に」

 必死に捲し立てるファフリを見つめて、ルーフェンは、しばらく黙りこんでいた。
やはり、興味本意で勝手に人の部屋に入るのはまずかったのだろう。
完全に自分が悪いと反省しながら、ファフリは身を縮めた。

 沈黙が恐ろしく、もう一度謝ろうとしたファフリだったが、その時、ルーフェンがぶっと吹き出して、けらけらと笑いだした。

「そーんな怯えなくても、別に怒ってないって。ファフリちゃんかーわいいー」

「…………」

 ぽかんとした顔で、ファフリが固まる。
ルーフェンが怒っていないと分かって、ほっとしたのと同時に、いつも彼に絡まれているトワリスの気持ちが、少しだけ分かったような気がした。

 ルーフェンは、一頻り笑うと、はぁっと息を吐いて、肖像画を見上げた。

「まあ、でもそうか……ファフリちゃんなら、魔語が読めるんだもんな。ここにも入れて当然か。この地下室は長く締め切ってたから、俺も久々に入ったよ」

 どこか懐かしそうに目を細めて、ルーフェンが言う。
ファフリは、ルーフェンの様子を伺いつつ、同じように肖像画に目をやった。

「……この女の人、もしかして、ルーフェンさんのお母様?」

 ルーフェンは、ファフリの方を見ずに、静かに答えた。

「……そう。俺の母親で、先代の召喚師だよ」

 ファフリは、表情を明るくすると、ルーフェンを見た。

「やっぱり、そうだったのね。ルーフェンさんにそっくりだから、そうかなって思ってたの。とっても綺麗で、優しそうに笑う方ね」

 本心から褒めたつもりだったが、ルーフェンから、返事はなかった。
黙ったまま、少し困ったように笑って、ルーフェンは肩をすくめただけであった。

「……もし、魔導書とかに興味があるなら、他の部屋も好きに見て回っていいよ。ろくに管理してないから、どうなってるか分からないけど。でも、この地下室だけは、もう入るの禁止ね」

 話を変え、ファフリに向き直ると、ルーフェンは言った。

「うん、わかった。もう絶対入らないわ。ごめんなさい……」

 再度謝罪の言葉を述べると、ルーフェンは笑顔になって、人差し指を唇にあてた。

「トワやユーリッドくんに、この地下室のことを話すのも駄目。いい?」

 ルーフェンの目をしっかりと見て、こくりと頷く。
やはり、怒っていないとは言いつつも、この地下室はあまり入って良いものではなかったらしい。

 ルーフェンは、ファフリが頷いたのを確認すると、縄梯子のほうに顔を向けた。

「じゃあ、この話はもう終わりね。ファフリちゃんとユーリッドくんに、特に問題がないなら、俺は王宮に戻るけど──」

 そこまで言ったとき、ファフリが、あっと声をあげて、ルーフェンの手を掴んだ。

「ちょっと待って。私、ルーフェンさんに会えたら、お願いしたいと思ってたことがあって……」

 ルーフェンが振り返って、首をかしげる。
ファフリは、少し戸惑ったように手を離したが、やがて表情を引き締めると、決心したように言った。

「……私のこと、誰も近づかないような場所に、連れていってほしいの。ここじゃなくて、ユーリッドやトワリスがいないところで、お話したいわ」


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