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投稿日:2021年02月23日




 ルーフェンの家から、真っ暗な山道を登って森を抜けると、眼下に、月光に照らされたシュベルテの街並みが広がっていた。
足元では、夜風に靡いた草花が、さわさわと揺れて、膝を擦っている。

 上を見れば、満天の星空が近くに見えて、ファフリは、自然と両手を広げた。

 全身を包む、ひんやりとした空気が心地よい。
水気を含んだ湿った土の匂いは、懐かしいミストリアのものに、どこか似ているような気がした。

「良いところだね……」

 ため息混じりに呟くと、後ろに立っていたルーフェンが、くすりと笑った。

「そうだね。この山なら、ほとんど人が近寄らないし、なかなかの穴場だと思うよ。女の子は、こういうところが好きでしょ?」

「もう、ルーフェンさん、すぐそういうこと言うんだから」

 呆れたように苦笑して、ファフリは、シュベルテの街並みに視線を移した。

 人々の眠る、静かな夜の街は、しかし、冴え冴えと輝く満月の光によって、幻想的に浮かび上がっているように見えた。

「サーフェリアは、綺麗な国だね」

「……そう?」

 ファフリの言葉に、ルーフェンが聞き返す。
ファフリは、ルーフェンのほうに振り返ると、小さく微笑んだ。

「うん、綺麗だよ。綺麗だし、皆優しくて……とっても良い国だと思う」

「…………」

 さあっと風が吹いて、髪を揺らす。
ファフリは、さざめく草花に視線を落として、穏やかな口調で言った。

「ミストリアもね、サーフェリアに負けないくらい、素敵な国なのよ。緑が沢山あって、暖かくて。皆、日々を一生懸命生きているの。……私、旅に出てから色々なものを見てきたけれど、やっぱり、ミストリアに生まれて良かったって、今は心からそう思うわ」

 ルーフェンは、少し間をあけてから、返事をした。

「……君を殺そうとした国なのに?」

 ファフリが、どこか寂しそうに笑う。
それから、再び街並みに目をやると、ファフリは話を続けた。

「……サーフェリアに来て、リリアナさんたちの家にお世話になったときね。カイルくんに、言われたの。俺達は獣人の追手が来ても、戦うことができない……だから、早く家から出ていってほしい、って。私、それを聞いたとき、素敵だなって思ったの」

 ファフリの言いたいことが分からず、ルーフェンが微かに眉を寄せる。
それでもファフリは、言葉を止めずに、静かに言った。

「他にもね。ミストリアで、トルアノっていう宿場町に立ち寄った時。奇病にかかった男の子を、殺してしまったのだけど……その子のお母様が、息子を殺されたと知って、私達に斬りかかってきたの。きっと、剣なんて握ったこともないはずなのに……」

 ファフリは目を閉じて、胸に手を当てた。

「皆、自分にとって大切なものを守るために、懸命に生きているのね。種族の違いとか、戦えるとか戦えないとか、そんなの関係なく……。たとえ、抗いようのない残酷な運命を突きつけられて、敵わないって分かっていてたとしても、大切なものを守るために、必死になって、それに逆らおうとする。……きっと、国のこともそう。自分の生まれた国を──ミストリアを、守りたいって思う気持ちは、皆同じ。だから、奇病の脅威に曝されつつある、今のミストリアには、その恐怖と戦いながら、一生懸命生きようとしている獣人たちが、沢山いるはずだわ」

 ファフリは振り返り、ルーフェンを見つめた。

「私、そんな獣人たちの気持ちを、ないがしろにしたくない。その手を掴んで、守ってあげたい。一人一人の民の力では、どんなに強く願っても、叶わないことってあると思う。だけど、今の私には……ミストリアの運命を覆せる、確かな力があるから」

 強い意思を瞳に秘めて、ファフリが告げる。
ルーフェンは何も答えず、その目をじっと見ていた。

「もちろん、怖くないわけじゃないよ。戦って、誰かの命を奪ってしまうのは嫌だし、召喚術だって、また発動に失敗しちゃったらどうしようって考えると、不安になる。でもね、ユーリッドが、言ってくれたの。一緒に悩んで、一緒にミストリアを守ろうって。……だから私、もう大丈夫」

「…………」

「ユーリッドは、本当にかっこいいよ。真っ直ぐで、心が強くて、いつも私のこと助けてくれるの。小さな時から、ずっとそうだった……。召喚師一族でもないのに、悪魔の幻までぶち破っちゃうんだもの。私、ユーリッドが応援してくれるなら……ユーリッドと、ユーリッドが守りたいって思ってるミストリアのためなら、なんだってできる気がする」

 言い切ったファフリに、ルーフェンは、小さくため息を溢した。

「……君は、綺麗事が好きだね」

 どこか冷たい響きを含んだ声に、ファフリは、首を傾げた。

「そう、かな? あまり、綺麗事だっていう自覚はないんだけど……。ルーフェンさんから見たら、やっぱり私の考えは甘いのかな」

 審議会の前日に、言い合った時のことを思い出したのだろう。
ファフリは、少し不安げに返した。

「……どうだろうね。ただ、理解は出来ないな。召喚師の能力なんて、結局、人殺しの力に過ぎない。それに、俺も君も、別に望んで召喚師一族として生まれた訳じゃないだろう。それなのに、どうして無責任に助けを乞うてくる馬鹿共や、窮屈な人生を強いてくる奴等を、好きになれるって?」

 ルーフェンは、自嘲気味に笑って、肩をすくめた。

「懸命に生きていると言えば、聞こえはいいけど、俺達にすがってくるような奴の大半は、他力本願で、貪欲で、意地汚く生き残ろうとしてる奴等だ。俺は、自分を犠牲にしてまで、そんな奴等の国を守りたいとは思わないね」

 思いがけず、ルーフェンの口から飛び出した毒に、ファフリは、少し驚いたように瞬いた。
しかし、すぐに表情を柔らかくすると、首を横に振った。

「……犠牲だなんて、思ってないよ。私は、自ら望んで、ミストリアを守りたくなったの」

 そう言って、ファフリは目を伏せた。

「……私も、自分が召喚師一族として生まれたことが、嫌で嫌で仕方なかったよ。苦しいことばっかりで、なんで私なんだろうって。……でも今は、良かったって思ってる。だって召喚術は、何かを護る、大きな力になるもの。私はこの旅で、ミストリアがもっと好きになれたから、自分の意思で、護りたいって思うんだよ」

 ファフリは、ふわりと笑った。

「ルーフェンさんも、いつか絶対に、サーフェリアを好きになれるよ。悪い面だけじゃなくて、良い面も見れば、必ず。この国には、優しくて暖かい人たちが沢山いて、素敵なところもいっぱいあるんだから」

「…………」

 ファフリの屈託のない笑顔に、ルーフェンは、拍子抜けして黙りこんだ。
そして、微かに息を吐くと、小さく苦笑した。

「……俺には、そんなこと考えられないわ」

「え?」

 声が聞き取りづらかったのか、ファフリが聞き返す。
だが、いつもの軽薄な声音に戻ると、ルーフェンはファフリに尋ねた。

「いや、なーんでもない。それで、さっき言ってたお願い事ってのは? ファフリちゃんのお願いだし、俺にできることなら、聞いてあげる」

 一瞬だけ、ファフリの表情に、影がよぎる。
ファフリは、満月を見上げてから、真剣な顔つきでルーフェンを見つめると、ゆっくりと口を開いた。

「──……」

 ざわっと通り抜けた風に、草花が踊る。
背後では、夜明けの薄い夜闇の中で、木立が不安げにざわめいていた。

 強い口調で告げられた、ファフリの願いに、ルーフェンは目を見開いた。
しばらくの間は、何も返さず、ファフリの言葉を頭の中で反芻していたが、やがて、首を左右に振ると、顔をしかめた。

「賛成は、できない。……召喚術が扱えるようになっているのだとしても、それは、あまりにも無謀すぎる」

 予想通りの反応だったのか、ファフリは、表情を変えなかった。
穏やかな顔つきのまま、ルーフェンの傍まで歩いてくると、言った。

「ルーフェンさんにしか、お願いできないことなの。ユーリッドやトワリスのことは、もちろん信じてるわ。でも、二人がこれ以上傷つくのは、私、耐えられない」

「…………」

「ルーフェンさんなら、この気持ち、分かってくれると思う。私ね、ミストリア城から旅に出て、もう沢山守ってもらったの。だから……今度は私が守る番。ね、ルーフェンさん、お願い……」

 静かな、しかし、はっきりとした強い意思が感じられる声で、ファフリは言った。
ルーフェンは、しばらく言葉を詰まらせていたが、ふうっとため息をつくと、分かったと呟いた。

「……以前、君を無能な召喚師だと言ったことを、詫びるよ」

 ルーフェンの返答に、ファフリが笑みを浮かべる。
ルーフェンも、微かに笑みを返すと、ファフリに手を差し出した。

「仰せのままに。ミストリアの、新女王陛下」

 ファフリは、その上に手を重ねて、泣きそうな顔で笑って、頷いた。

「ありがとう……ルーフェンさん」


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