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投稿日:2021年02月23日






 イタチの獣人に連れられてやって来たのは、兵士たちの防具や武器が保管してある、城内の倉庫の一つだった。
入った瞬間、むっと香ってくる汗臭さと錆び臭さに、思わずむせそうになる。
だが今は、そんなことで文句を言っている場合ではない。

 獣人は、倉庫に入るや否や、扉と換気のために開けていた窓を、完全に締め切った。
そして、周りに誰もいないことを確認してから、ほっと息を吐いた。

「……今日は見習い兵も訓練兵も休暇ですし、ここには誰も近づかないはずですから、ひとまず大丈夫ですよ」

「あ、ありがとう……」

 お礼を言って、借りていた兜と外套をを脱ぐ。
この兜と外套を着用していたお陰で、ここに来るまで、侍従や兵士たちに特別怪しまれることはなかったが、正直、暑くて限界であった。
兜など着けること自体、ファフリは初めてだったのだが、その上、そのまま走ったのだ。
日頃この装備で戦っている兵士たちの苦労が、身に染みて分かった。

 そんなファフリの疲労に気づいたのか、イタチの獣人は、少し頬を赤らめた。

「も、申し訳ありません……状況が状況だったとはいえ、こんなものを次期召喚師様に被せてしまって……」

 ファフリは微笑んで、首を振った。

「ううん。助けてくれて、ありがとう。貴方が来てくれてなかったら、危なかったわ」

 イタチの獣人は、更に顔を赤くすると、僅かに俯いた。

「い、いえ……本当に偶然、通りすがったものですから……。でも、運が良かった。今日は、御前会議の日なのです。それが終わるまでは、謁見の間に警備が集中していますから、比較的城内には獣人が少ないはずです。先程の警備兵たちが目を覚ましたら、騒ぎにはなるでしょうが……」

「…………」

 そう話すイタチの獣人の顔をじっと見ながら、ファフリは尋ねた。

「御前会議のことを知ってるってことは、貴方、やっぱりミストリア兵団の兵士なのよね? どうして私を助けてくれたの……? 私が追われている身なのは、知ってるでしょう?」

 獣人の表情が、はっと強張る。
獣人は、それから悔しそうに顔を歪めると、ファフリに向かって土下座をした。

「私は……私は、イーサと申します。仰る通り、ミストリア兵団の新兵です。次期召喚師様のお命が狙われていることは、もちろん存じ上げております……」

「イーサ……?」

 そのどこか聞き覚えのある名前に、ファフリは、目を細めた。
そして、はっと目を見開くと、言った。

「イーサって、もしかして、ユーリッドのお友達の?」

「…………」

 刹那、イーサが顔をあげて、唇を震わした。
何かこらえるように口を閉じ、そして、再び額を地面に擦り付けると、イーサは涙声で言った。

「友達……。ユーリッドは、まだ俺のことを、友だと言っているのですか……」

「え……?」

 イーサが泣き出した意味が分からず、ファフリは首をかしげた。

 イーサは、ユーリッドが見習い兵だった時からの親友である。
ファフリが実際に会ったのは初めてだったが、ユーリッドからは、そのように聞いていた。

 旅に出てからは、そんな親友の話を聞くこともなくなっていたが、昔は、よくイーサのことをユーリッドが話題に出していたのだ。
お調子者で騒がしい奴だが、入団したとき、最初に話しかけてきてくれた、気さくで良い奴なのだと。
ユーリッドは、イーサをそんな風に言っていた。
元々、周囲に馴染むのが上手いユーリッドだったが、イーサはその中でも、特別な友達なんだなと思っていた記憶がある。

 イーサは、涙を拭いながら、ぽつぽつと語り始めた。

「……私は、ユーリッドとアドラ前団長が、貴女様を守るために兵団を脱退したことを、知っていたのです……。陛下が、正式に次期召喚師様を殺せと命令を下す前から、貴女様の命が狙われていることを、ユーリッドから内密に聞いていました……」

 ファフリが、微かに瞠目する。
イーサは、震える声で話を続けた。

「私の気持ちは、ユーリッドと同じでした。直接お会いしたことはありませんでしたが、次期召喚様のことは、ユーリッドから聞いていましたし、いくら軍事力発展のためとはいえ、貴女様が殺されるのはおかしいと、本当にそう思っていたんです。でも、私には、勇気がなかった……。正義を翳す兵士でありながら、ユーリッドたちのように追われる身となる覚悟が、私にはなかったのです……」

 少し躊躇ったあと、イーサは、嗚咽を殺しながら言った。

「アドラ前団長が亡くなったという知らせを受けた後も、私はやはり命令に背くことができず、あの渓流での戦いで、貴女様に剣を向けました。ユーリッドが命をかけて戦っているのを見ても、それでも、兵団に逆らう勇気が出なかった……。私は、次期召喚師様やユーリッドから見れば、臆病で脆弱な裏切り者なのです。このように、言葉を交わすのもおこがましい。まして、友を名乗るなど許されない、卑怯者なのです……」

 身を縮めながら、何度も何度も顔を拭って、イーサは言い募った。

「その、報いなのでしょうか。ミストリアが、こんな風になってしまって……。国をお守りするために兵士になったというのに、私は何も果たせていない。ですから先程、貴女様をお見かけしたとき、これは私に与えられた償いの機会だと確信したのです……! もう、自分の命惜しさに、逃げたりはしません。ですからどうか、貴女様の護衛をさせてください……!」

「…………」

 ファフリは、何かを考え込むように、しばらくイーサを見つめて黙っていた。
しかし、やがてイーサに合わせて屈み込むと、穏やかな声で告げた。

「……ユーリッドは、今、サーフェリアにいるよ」

「え……」

 擦りすぎて真っ赤になった顔で、イーサが顔をあげる。
ユーリッドがそばにいないことから、ユーリッドは死んだと思っていたのかもしれない。

 ファフリは、これまでの経緯を軽く話してから、頷いて微笑んだ。

「……イーサ、その気持ちはとても嬉しいけど、そんな簡単に、命をかけるだなんて言っちゃ駄目だよ。ユーリッドはきっと、私と過ごしてきた時間があったから、私に着いてきてくれたんだと思う。でもイーサは、そうじゃないでしょう? 一度も会ったことのなかった私より、これまで一緒に頑張ってきた兵団の仲間を選ぶのは、当然のことだよ」

 ファフリは、イーサの肩に手を置いた。

「私は、ユーリッドやアドラさん、他にも色んな人たちのおかげで生き延びて、今、自分の意思でここにいるの。私を生かすために、亡くなった獣人(ひと)がいると思うと、胸が締め付けられるけど……私は、自分を不幸だなんて思ってないよ。ミストリア兵団のことを、憎んでもいない。だから大丈夫、貴方を裏切り者だなんて、私、思ってないから。もちろんユーリッドだって、そんなこと思ってないはずだわ」

 イーサは、大きく目を見開いて、再び俯いた。
そして、繰り返し繰り返し、呟くように言った。

「……ああ、良かった、本当に……生きていて……。次期召喚師様も、ユーリッドも……」

 イーサは、そうして長い間、静かにむせび泣いていた。
ファフリは、しばらく黙って、その背を擦っていたが、やがて、イーサの呼吸が落ち着いてくると、口を開いた。

「……ねえ、イーサ。私を、お父様のところに連れていってくれない? ううん、居場所を教えてくれるだけでもいいの。私、お父様とお話がしたい」

 真剣な口調で言うと、イーサは驚いたように、ファフリを見つめ返した。

「リークス王と、ですか……? あの……次期召喚師様は、ご存知ないのでしょうか?」

「え……?」

 イーサの言葉に、ファフリが眉を寄せる。
何のことを言っているのか、さっぱり分からなかった。

 イーサは、何かを言おうとして、しかし、躊躇ったように口を閉じると、辛そうに表情を歪めた。

「いえ……失礼しました。そうですよね、サーフェリアにいらっしゃったのなら、今ミストリアがどのような状況下なのか、ご存知ないのも当然です」

「どういうこと……? 何かあったの?」

 イーサは、言いづらそうに口ごもっていたが、何か決心したように拳を握ると、ファフリに視線を戻した。

「……お父上の……リークス国王様の元に、お連れします。そこで、ミストリアの現状についてもご説明致しましょう」


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