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投稿日:2021年02月23日




 

 イーサの言う通り城内には、不自然なほど兵士の数が少なかった。
時折、侍従などとすれ違うこともあったが、倉庫から持ち出した兵士用の装備を身に付けていれば、素性を聞かれるようなこともなかった。

 なるべく人目につかないよう、イーサに先導されて、城の階段を次々と上がっていく。
リークスは、国王の寝殿とされる、城の最上階の一室にいるとのことであった。

「ここです。このお部屋に、リークス王が……」

 言いづらそうに告げて、イーサが、大きな観音開きの扉を示す。
ファフリは、目を閉じ、そして開くと、意を決して、扉を押し開いた。

 磨き抜かれた石造りの部屋の奥には、光沢のある絹の寝台が置いてあり、そこに、リークスが深々と身を沈めて眠っていた。

 リークスと会いまみえるのは、ロージアン鉱山で争ったとき以来である。
一言目は、なんと言おうか。
自分の言葉を、聞いてくれるだろうか。
そんなことを考えていたファフリだったが、寝台に近づき、横たわるリークスを目に映したとき、言葉を失った。

 父王リークスは、すっかり変わり果てた姿をしていたのだ。

「お父、様……?」

 兜を脱ぎ去り、か細く呼び掛けてみるも、異様な姿のリークスが、答えることはない。

 寝台の上で力なく倒れ、骨と皮だけになったリークスは、もう呼吸をしていなかったのだ。

 強い意思を秘めていた瞳は光を失い、ファフリと同じ鳶色だった髪の毛は、細く、真っ白になっている。
また、その腹には、黒光りする剣──ハイドットの剣が、深々と突き立てられていた。

「そ、そんな……なんで、こんなことに……」

 動揺を隠せない様子で呟くと、ファフリは、そっと父の手に触れた。
乾いたその手は、まるで木の枝のように固く、氷のように冷たい。
目の前で息絶えている今のリークスに、国王たる威厳は、もうなくなっていた。

「……リークス王は、殺害されました。しかし、殺されて尚、弔われてはおりません。次期召喚師様が不在でしたから、陛下がその身に宿す魔力は、大変貴重なものです。そのため、ハイドットの剣を突き立てられた状態で、日々魔力を吸い上げられているのです」

 ファフリの背後で、イーサが言った。
ファフリは、ハイドットの剣に視線をやって、消え入りそうな声で返した。

「魔力を、って……どうして、そんなことをする必要があるの……?」

 イーサは、顔をしかめた。

「それは……。奇病にかかった獣人たちを、生物兵器として利用するためです」

 ファフリが、絶望したような目で、イーサを見る。
イーサは、目を伏せた。

「次期召喚師様、地下牢にいらっしゃったのなら、牢に閉じ込められたあの獣人たちを、ご覧になったのではありませんか? あれらは全て、南大陸から連れてきた、奇病にかかった獣人たちです。彼らは、刺しても斬っても、動ける限りは魔力に反応して、手近にいる者を襲い続けます。ですから、リークス王の亡骸から吸い上げた魔力を利用し、彼らを凶暴化させ、戦に駆り出そうとしているのです」

「…………」

 ファフリは、緩慢な動きで、リークスに突き刺さったハイドットの剣に触れた。
魔力を吸収するというハイドットの性質上、近くにいても魔力は感じないが、こうして触れてみると、確かに、リークスの魔力を感じる。
長い間ずっと、吸収され蓄えられた魔力は、ハイドットでも、完全に消化するには時間がかかっているようだ。

 イーサは、言葉を選びながら、ゆっくりと説明した。

「私も、詳しいことは分かりません。ですがリークス王は、ハイドットの廃液の流出を止めようとしておられた。しかし、ミストリア城内の重鎮には、奇病の蔓延というリスクを払ってでも、ハイドットの武具を生産し続けることに意味があると唱える者が多い。故に、リークス王は殺されたのです」

「…………」

「……兵士たちの中でも、今、内部分裂が生じています。ハイドットの廃液の流出を止めるべきだと主張する派閥と、人間や精霊族の魔術に対抗するため、ハイドットの武具を造り続けるべきだという、二つの派閥があるのです。奇病の対策として、貯蔵された清潔な水を用意してはいますが、そんなもの、城下にしか配給されていませんし、いつ尽きてしまうかも分かりません。城下外で生活する民衆たちは、徐々に北上してくる奇病の脅威にさらされ、今も脅えながら暮らしています。奇形生物が出たという報告も、日に日に増えています。このままでは……ミストリアは、いずれ破滅してしまう」

 苦しそうに話すイーサの言葉を、ファフリは、ただ黙って聞いていた。
そのうち、ぽろぽろと涙が出てきたが、それを拭う気にもなれなかった。

 やはりリークスは、ハイドットの廃液の流出を食い止めようとしていたのだ。
その安堵と、悲しみ、怒り、そして絶望──。
色々な感情がごちゃまぜになって、何かを思考することもできなかった。

 イーサは、膝をついて頭を下げると、すがるように言った。

「次期召喚師様……貴女様を追い詰め、殺そうとしたにも拘わらず、こんなことをお願いするのは身勝手極まりないことだと、重々承知の上です。ですが、どうか……もし、ミストリアを想って戻ってきて下さったのなら、どうか、この国を救って下さらないでしょうか……。もう、貴女様しかいないのです。もちろん、私も戦います! 先程の言葉に偽りはありません。微力ながら、私も全力で戦います故、ですからどうか……!」

「…………」

 ファフリは、つかの間なにも言わなかった。
だが、涙を拭うと、一つ深呼吸した。

「……誰?」

「え……?」

 聞き返したイーサに、ファフリは、落ち着いた声音で聞いた。

「誰が、お父様を殺し、ミストリアをこんな風にしたの?」

 イーサは、立ち上がると、一瞬言葉を濁らせた。
しかし、すぐに表情を引き締めると、口を開いた。

「それは──」

「──私ですよ。次期召喚師様」

 その時、不意に扉の方から、声がした。
同時に扉が蹴破られ、室内に沢山の兵士たちがなだれ込んでくる。

 イーサは、すぐに剣を抜いたが、流石に何人もの兵士たちに囲まれては対抗できない。
ファフリも、抵抗する間もなく捕捉されて、喉元に剣を突きつけられてしまった。

「やはり、ここにいらっしゃったのですね。兵を引かせ、わざわざこの部屋に呼び寄せた甲斐があったというもの」

 そう言って、兵士たちに続き部屋に入ってきたのは、ミストリアの宰相、キリスであった。
キリスは、自らの猫の髭を撫で付けながら、まじまじとファフリを見た。

「いやはや、まさか本当に次期召喚師様がお姿を現すとは。一体どのようにして城に入り込んだのかは分かりませんが、再び会えて光栄ですよ」

「キリス……」

 ファフリは、驚いたようにキリスを見つめていたが、ぐっと眉を寄せると、強い口調で言った。

「キリス、どういうこと? さっきの発言は本当なの? 貴方がお父様を殺したの?」

 キリスは、眠るリークスを一瞥して、にやりと笑った。

「ええ、その通りですよ。私が貴女のお父上、リークス前国王を殺害し、このミストリアの新王となったのです。ハイドットの武具を、今後も生産し続けるために」

「そんな……」

 信じられない、といった様子で、ファフリが瞠目する。
確かにキリスは、ロージアン鉱山で、リークスの命令を無視し、奇病にかかった獣人たちをサーフェリアに送りつけたと言っていた。
だが、まさかその後に、リークスの殺害まで謀ったのだろうか。

 キリスは、ファフリが幼い頃からリークスに仕え、宰相としてずっとミストリアを支えてきた獣人である。
どこか気弱な印象はあったが、穏やかで優しい性格に加え、仕事熱心で頭が切れるため、国を動かしていく上で心強い存在だった。
決してリークスを裏切るような、そんな獣人には思えなかった。

 ファフリは、強く唇を噛むと、弱々しい声で言った。

「どうして……どうしてなの、キリス。貴方は長年、ミストリアに尽くしてくれていたじゃない。何故こんなひどいことをするの? 貴方がハイドットなんかに執着するせいで、奇病が蔓延して、沢山の犠牲が出てるのよ? これ以上ミストリアの獣人たちを苦しめて、何になるっていうの」

 キリスは、はっと嘲笑した。

「何故ですって? お父上同様、貴女も何も分かっていらっしゃいませんね。我々獣人族は、何百年何千年もの間、ミストリアという土地一つで甘んじてきたのですよ。この現状に、どうして貴女たち召喚師一族は、何の疑念も抱かないのですか? 世界に存在する四種族の内、獣人族が最も優れた種族だと……そのことを他国に知らしめるためには、この魔力封じのハイドットの武具が、絶対的に必要なのです……! ろくな力も持たぬ獣人共が、多少死んだところで、我々の地位は揺らがない。少しの犠牲を払いさえすれば、我ら獣人族に栄華がもたらされる! そう確信できるほどに、このハイドットという鉱石には、可能性が秘められているのです」

 まくし立てながら、そう告げてくるキリスの目を見て、ファフリの胸に、深い悲しみが広がった。

 今のキリスの目には、優しかった昔の面影が、一切感じられない。
何が彼を変えてしまったのだろうか。

 笑みを浮かべてはいるが、キリスのその瞳には、ファフリに対する明らかな侮蔑と、狂気の色しか浮かんでいなかった。

 ファフリは、歯を食い縛ると、キリスを睨み付けた。

「分かっていないのは、キリスの方よ。ミストリアの民は、貴方の玩具じゃない……!」

 ファフリの強気な態度が気に入らなかったのか、キリスは、小さく舌打ちすると、兵士に向けて合図をした。
すると、ファフリを背後から押さえていた兵士が、懐から手錠を取り出し、ファフリの両手に取り付ける。

 キリスは、満足そうに頷いてから、ファフリの顎を掴んで持ち上げた。

「今、取り付けたのは、ハイドットで作った特製の手錠です。これで貴女は、召喚術はもちろん、魔術は一切使えない。非力な小娘同然だ」

「……!」

 しまった、と目線を動かして、手錠で拘束された自らの手を見る。
しかし、首筋に刃を当てられているこの状況では、動きようがなかった。

 キリスは、唇の端を上げて、話を続けた。

「なに、そう敵視なさらないで下さい。私は別に、リークス前国王とは違い、必ずしも貴女を殺そうとは思っていません。どうです、私と貴女、二人でミストリアを築き上げていくというのは。ハイドットの前にすれば無力とはいえ、確かに召喚師の能力というのは、魅力的ですからね。貴女が、ミストリアの現国王である私に従い、協力してくれるというなら、貴女の帰還を歓迎しますよ。もちろん、相応の地位と権力も差し上げます。悪くない話でしょう」

 ぐっと顔を近づけてきたキリスに対し、ファフリも負けじと睨み返すと、即座に返した。

「絶対に嫌よ。貴方に協力なんて、考えただけでもぞっとする」

 はっきりとした拒絶に、キリスは、目を細めた。
そして、イーサを取り押さえている兵士に目配せした。
途端、兵士がイーサの腕を後ろに捻り上げ、その瞬間、肩の関節がごきりと嫌な音をあげる。

 呻いたイーサを見ながら、キリスは、げらげらと大笑いした。

「ははっ、交渉決裂ですね、次期召喚師様。協力して下さらないというのなら、貴女の侵入を手引きしたあの兵士は罪人。貴女も立派な反逆者だ!」

 再びキリスの合図を受けて、兵士が、イーサのもう片方の腕にも手をかける。

「イーサ!」

 ファフリは、思わず声を上げたが、イーサは、苦悶の表情を浮かべながらも、首を横に振った。

「いけません、次期召喚師様! 俺のことは気になさらず。キリスの要求を飲んでは駄目です!」

「黙れ! この生意気な小僧が!」

 キリスが怒鳴り散らして、忌々しげにイーサを見る。
ファフリは、咄嗟にキリスの脛を蹴りあげると、早口で言い放った。

「この卑怯者! 弱虫なところは、昔とちっとも変わらないのね! どうせ私に手を出すのが怖くて、イーサを痛め付けることしか思い付かないんでしょう! そんな小さい器で国王を名乗ろうっていうんだから、ちゃんちゃら可笑しいわ! 主犯は私なんだから、やるなら先に私をやってみなさいよ!」

「なっ……!」

 突然蹴られて、罵声を浴びせられるとは思っていなかったのか、キリスの猫の毛が、怒りで逆立つ。
一瞬、挑発に乗るなと自分をなだめようとしているようだったが、それも馬鹿馬鹿しくなったらしい。
すぐに瞳に怒りを灯すと、自らの腰のハイドットの剣を抜き、兵士の手からファフリを奪った。


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