トップページへ
目次選択へ
投稿日:2021年02月23日







「今すぐ地下牢の奴らを解放しろ! 処刑場に放て!」

 崩れたバルコニーの近く、大窓から処刑場を覗きこんで、キリスは命令した。

 城の最上階にあるこの部屋から、地下の高さにある処刑場まで落下したのだ。
到底ファフリが無事でいるとも思えないが、処刑場に敷いてあるのが砂であることを考えると、死んでいるとも限らない。

 兵士の数人が、処刑場と地下牢をつなぐ大扉を開くため、内郭の石壁に向かう。
それを確認すると、キリスは、再び兵士たちに拘束されたイーサを見た。

「次はお前だ! 直に、お前もここから突き落としてやるからなっ!」

 興奮した様子で、そう言ったキリスを睨み、イーサは、強く歯を食い縛った。
兵士を振り切り、キリスを大窓から突き落としてやろうかとも思ったが、自分は既に、利き腕の肩の関節を外されている。
抵抗したところで、他の兵士たちに勝てるとも思えなかった。



 朦朧とした意識で、ファフリが目を開けると、不自然な方向に曲がっている、自分の脚が見えた。
視線を上げれば、先程までいたミストリア城の最上階、崩れたバルコニーの残骸が、ぼんやりと目に映る。

 次いで、周りに散らばっている石畳の破片と、処刑場の砂、そして、霞んだ自分の掌を、ファフリはぼうっと見つめた。

(私、生きてる……?)

 ずきずきと傷むこめかみに触れると、べっとりと生暖かい血液が、手に付着する。
ハイドットの手錠を破壊するため、一気に魔力を放出しすぎたのだろう。
激しいめまいがして、息をすれば、軋むように胸部が痛んだ。

 立つこともできず、激痛に身をよじりながら、ファフリは、必死になって顔だけを動かした。
すると、ふと、重々しい大扉が開く音がして、その奥から、獣のように駆けてくる、数百の奇病にかかった獣人たちの姿が見えた。

(……私、殺されるの……?)

 キリスの言葉を思い出しながら、迫ってくる獣人たちを、呆然と見つめる。
自我を失い、ただ身体を動かしているだけの、哀れな操り人形たち。
先程召喚術を使ってしまったから、魔力の発生源である自分目掛けて、彼らは、迷いなくこちらに襲いかかってくるだろう。

 そう思うと、言葉にできない虚しさが、心の底から込み上げてきた。

(……やっぱり、ユーリッドに、何か伝えてから来れば良かったな)

 サーフェリアを出る前、ユーリッドに会えば、折角の決心が揺らぐと分かっていた。
ユーリッドだって、一人で行くなと怒ったに違いない。
だから誰にも会わずに、何も言わず、ファフリは一人で移動陣に飛び込んだ。

(…………)

 ミストリアに一人で来たことは、後悔していない。
これ以上、ユーリッドやトワリスが傷つくことは、自分が死ぬよりも辛いから。
それでも一言──いや、一言では伝えきれないのだろうけど、何かしら、自分の想いを、ユーリッドたちに伝えて来れば良かったという気持ちが、突き上げてきた。

 これまで、生き残るために、一生懸命走ってきた。
旅の途中で、生きようと運命に逆らい、もがいている者達も沢山見てきた。
しかし、いざ死ぬときになると、案外命とは呆気ないものなのだなと思う。

 己を危機にさらしてまで、自分を守ってくれたユーリッドやアドラ。
城から逃がしてくれた母、レンファ。
そして、トワリスやルーフェン、これまで出会ってきた者達の顔が、次々と頭に浮かんだ。

 そうして、立ち煙る砂埃を眺めながら、瞼を閉じようとしたとき。
どこからか、クィックィッと鳥の鳴き声が聞こえてきた。

(カイム……?)

 カイムが、どこかで呼んでいる。
唯一、最初からそばにいて、導いてくれた悪魔──。

 その鳴き声を耳元で感じたとき、ファフリの意識が、はっきりと戻った。
自分は、今から奇病にかかった獣人たちに襲われ、死ぬのだという現実を突き付けられた途端、とてつもない悔しさが、全身に広がった。

(まだ、死ねない……!)

 自分の命は、自分だけのものではない。
これまで助け、守ってくれた者達が繋いでくれた、大切な命だ。
ミストリアの命運を揺さぶる力を持っているのに、今ここで、死ぬわけにはいかない。
まだ、死にたくない。

 目を開けて、向かってくる獣人たちを見て、ファフリは肘をついて顔を上げた。

 彼らはもう、生きているとは言えない。
このまま、キリスの思い通りに動かし、殺戮を続けさせてはいけない。

 ファフリは、叫んだ。

「汝、窃盗と、悪行を司る、地獄の総統よ……!
従順として、求めに応じ、可視の、姿となれ……っ」

 ごぷっと喉の奥から、血が流れ出てくる。
それにも構わず、ファフリは、絶叫した。

「カイム……っ!」

 身体の芯が熱くなって、すぐ横を、巨大な人影が通りすぎた。
風に乗り、まるで羽ばたくように現れた人影──カイムは、手に持った光の刃を閃かせて、空気に溶けるようにして消える。

 瞬間、無数の光の刃が大気中に噴き出し、荒れ狂う獣人たちを切り裂いた。

 岩を削る激流の如く、空を割く稲妻の如く。
そして、大地を駆け巡る疾風の如く、光の刃が、全てを刻んでいく。

 石壁を土泥のように削り、獣人たちは、血肉を撒き散らしながら倒れていく。

 その凄絶な光景に、キリスは、声をあげることもできず、ただただ大窓から処刑場を見下ろしていた。

「だ……っ、誰か! 獣人を増やせ! 地下牢にいる奴ら、全員を引きずり出せ……!」

 錯乱した様子で、キリスは怒鳴り散らしたが、兵士たちは、目をそらすばかりで、誰も動こうとはしなかった。

 処刑場と地下牢をつなぐ大扉は、安全な内郭の上から、鎖で釣って開けることができる。
故に、処刑場に獣人を出したい場合は、事前に数ヶ所、地下牢を開いておくのだ。
そうして、処刑場で魔力をちらつかせれば、それに反応した獣人たちが、勝手に飛び出していく。

 だが、その獣人を増やせということは、今から地下牢に行って、新しく牢を開けなければならないということだ。
普段の、死体同然の獣人が入っている牢を開けるだけなら、こちらに危険はないが、今、魔力に反応して荒れ狂っているだろう獣人たちの牢を開けるだなんて、自ら死にに行くようなものだ。
そんな命令に、従おうとする者などいなかった。

 キリスは、動かない兵士たちを見て、歯軋りをした。
それからわめき散らすと、そのままリークスの腹から抜いた剣を持って、部屋から出ていった。

 突然のキリスの行動に、司令塔を失った兵士たちが、混乱する。
イーサは、その混乱に乗じて、自分の上に乗っている兵士を蹴り飛ばすと、そのまま転がるように部屋を出て、キリスの後を追った。

 兵士たちも、慌ててその後を追いかけようとしたが、その時、横たわるリークスの死体に、異変が起きた。
ハイドットの剣が突き刺さっていた傷口を中心に、ぼこぼこっと、皮膚が膨れ上がり始めたのだ。

 沸騰した水面のように皮膚を泡立たせながら、リークスの死体が、どんどんと肥大化していく。
風船のように頭部がふくらみ、目や口まで不規則に巨大化して、やがて、手足の生えた大きな肉塊へと変貌していく。

 もはや、獣人の面影もない。
異様な昆虫のような姿になると、リークスは、その巨大な目をぎょろりと動かして、兵士たちを睨んだ。

 ハイドットの剣の影響で、奇形が起きたのか。
そんなことを考える余裕もなく、兵士の一人が、悲鳴をあげる。
それを皮切りに、次々と恐怖で発狂し始めると、兵士たちは、それぞれの剣を拾って、必死になって逃げる術を探した。


- 94 -


🔖しおりを挟む

 👏拍手を送る

前ページへ  次ページへ

目次選択へ


(総ページ数100)