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投稿日:2021年02月24日




†第一章†—— 索漠さくばくたる時々
第二話『再会』


「次期召喚師様、陛下がお呼びです」

 天幕の外から声をかけられて、ルーフェンは、兵の一人によって捲られた戸布をくぐり、外に出た。

 濡れた草と岩の匂いが、強烈な風雨と共に頬を叩く。

 シュベルテからこの丘陵に来る途中──馬車に揺られていた時から、凄まじい風の唸りが聞こえていたが、外は想像以上の悪天候だった。

 稲妻が、腹に響くような轟音を立てて、雲中を暴れまわっている。
どこまでも広がる分厚い雲は、強風に煽られてどんどんと流されていたが、それが途絶えるようには思えなかった。

「……彼処の、見えるであろう。あれがサンレードの陣営、その奥に見えるのが集落よ」

 脇に立っていたエルディオが、眼下の開けた風景を見下ろして、言った。

「既に騎士団は撤退させておる。いずれ、サンレードの者共もそのことに気づくであろう」

 ルーフェンは、風に嬲られる髪を押さえながら、茫洋とした眼差しで、丘陵の裾野を見つめた。
点々と連なる、小さな天幕。
そこには、サンレードの者であろう簡素な武装をした人々が、ちらほらと見受けられる。
だが、彼らはまだ、こちらの存在には気づいていないようだ。

 ルーフェンは、暗い瞳でエルディオを見上げると、口を開いた。

「……私は、何をすれば?」

 エルディオの唇に、満足げな笑みが浮かぶ。

「奴等を消せ」

 低い声音が響いて、サンレードの陣に向かって手を翳す。
その時初めて、ルーフェンは自分の手が震えていることを知った。

 しかし、こうする道しか、もうルーフェンには残っていない。
サンレードの軍はどちらにせよ必ず殲滅させられるだろうし、今ここで昨日のように拒否をすれば、次に飛ぶのはルーフェン自身の首だ。

 嫌悪すら胸の奥底にしまいこんで、ルーフェンは目をつぶった。

 召喚術を初めて使ったのは、六年前のことだ。
それ以来一度も使っていないが、それでもルーフェンは、どうすれば召喚術を発動させることができるのか、分かっていた。

 ヘンリ村を出てから、時折聴こえてくる悪魔の声──すなわち、殺戮を望むその囁きに、耳を貸せば良いのだ。

 耳を澄まし、闇に語りかける。
すると、途端に身体中に水が染み渡るような、不思議な寒気が襲ってきた。

──殺せ……殺せ……。

──いらえ、我が主……。

 恐ろしい、血を寄越せという声がわき上がってくる。
同時に、ルーフェンの中に、今まで感じたことのないような胸の高まりが昇ってきた。

 ルーフェンは、目を見開くと、すっと息を吸い込んで、叫んだ。

「──汝、支配と復讐を司る地獄の王よ。従順として求めに応じ、我が身に宿れ。──バアル!」

 暗い、漆黒の底からかけ上がってきたものが、ルーフェンの身の内に流れ込んでくる。
その瞬間、米粒ほどにしか見えなかったサンレードの陣営の光景が、すさまじい速さで脳内を巡った。

 流れる雲が厚さを増し、不気味な光を孕む。
突然の天候の変化に、サンレードの人々は、狼狽えたように、辺りを見回し始めた。

 刹那、大気に巨大な輝く亀裂が走り、落ちた。

 その場にいた全員の視界が、一瞬青白く染まり、轟音が耳を貫いたのと同時に、熱線がサンレードの人々に降りかかった。

 雲間から走る光の帯が、いくつもいくつもサンレードの陣営を包む。
人々は、呆然と空を見上げた姿のまま、まばゆい光に目を閉じた次の瞬間には、地面に影となって貼り付いた。

 熱線を浴びた建築物、天幕、人。
その全ての表面に一瞬で気泡が生じ、あっという間に蒸発した。
熱線に続いて巻き起こった衝撃波は、溶かされた物々を更に破壊し、吹き飛ばす。

 これらの出来事が瞬く間に起こり、騎士団側の人間が、チカチカとした視界の違和感から解放された時には、既にサンレードの陣営は跡形もなかった。

 陣営に起こった突然の惨劇に、集落の人々が恐怖で騒ぎ始める。

 ルーフェンは、頭に流れてくるそれらの光景を見て、笑った。
急に笑いが込み上げてきて、止まらなくなった。

 燻り、煙を上げる陣営と、それを見て怯え、震える人々の姿が、ひどく愉快に見えた。

 肉の焼ける臭いと、濃い体液、そして血臭。
それらが鼻孔をくすぐる度に、耐えがたいほどの喉の渇きに襲われる。

 血がほしい。もっとほしい。
血が、こんなにも甘美な臭いのするものだったとは、知らなかった。

 雷光に撃たれ、人々の身体から一瞬にして血が蒸発した瞬間、感受しきれないほどの快感が這い上がってくる。
それがたまらなく心地よく、ルーフェンは更なる快感を求めて、集落の方へと目を向けた。

 人々が泣き叫んで、逃げ惑っている。
その様子を見た途端、脳天が痺れるほどの快楽を感じた。
しかし、同時に、誰かが自分の手を止めた。

(これ以上は、やめろ……!)

 己の中から、制止の声が聴こえてくる。

──なぜ? こんなにも、気持ちが良いのに。

(やめろ……! 集落には、無力な人間ばかりだろう……!)

 誰かが、盛んに邪魔をしてくる。
苦しそうに身悶えしながら、これ以上はいけないと、何かを思い出せと語りかけてくる。

 ルーフェンは、その煩わしい声を無理矢理頭の中で消し去ると、欲望のまま、集落にむけて手をかざした。

 確かに、サンレードの暴動の主力となっている男たちは、ほとんどが陣営にいたようだ。
集落にいるのは、女と子供ばかりである。
だが、そんなことは、今のルーフェンにとってはどうでもよいことだった。

 とにかく殺して、殺して、殺したい。
その殺戮の欲望だけが、ルーフェンの頭を支配していた。

 悪魔の圧倒的な力を前に、恐怖する人々の顔。
それを見たときの優越感、そして快感は、六年前にも感じたことがあった。

 成す術もなく震えていた自分を、鉈で引き裂こうとした、血の繋がっていない父親。
そいつを──強者を、それ以上の絶対的な力で捩じ伏せ、屠(ほふ)る快感。

 悪魔の力を借りてしまえば、向けられた鉈など、ただの枝きれのように見えた。
恐ろしくて仕方がなかった父親も、ちっぽけで柔らかい、ただの肉塊になる。

 嗚呼、なんて素晴らしい力なのだろう。
何故自分は、これまで召喚師になることを拒んでいたのか。

(やめろ……! こんなこと、したくない……っ!)

 最後の力を振り絞って、己を引き留めてくる手を振り払って、ルーフェンは、口元に弧を描いた。

──殺せ……!

 その時だった。
ぱんっ、と乾いた音が響いて、ルーフェンの身体は地面に叩きつけられた。

 頬がじんじんと痛む。
殴られたのだと気づいて、ゆっくりと顔をあげると、そこにはシルヴィアが立っていた。

「……止めずとも、よい。集落の奴等も殺せ」

 抑揚のない、エルディオの声が聞こえる。
シルヴィアは、ルーフェンを一瞥して、エルディオに向き直った。

「いけませんわ、陛下。この子にはできません」

 怪訝そうな顔をするエルディオに、シルヴィアは微笑むと、眼下の集落に視線を移し、唱えた。

「──灼熱の炎よ、猛り、集い、全てを焼き尽くせ……」

 詠唱が終わるのと同時に、集落が炎に包まれた。
炎は、みるみる勢いを増して、集落の人々を飲み込み、食らい尽くす。
そして、やがてシルヴィアが、ふっと手を握り込むと、一気に収束した。

 完全に瓦礫の山と化した陣営に比べ、集落には、いくつか煤けた建物が残っていた。
それでも、サンレードの土地に、もはや人の気配はない。

 頭の中に見える、ぽっかりと口を開いた焼死体を眺めていると、ルーフェンの興奮しきった脳天に、冷たい何かが刺さった。
むくむくと膨れ上がっていた悦びが、嘘だったかのように消えていく。

 大勢の人々が、こちらを見ている気がした。
稲妻に撃たれ、一瞬で蒸発した人々の、怨みを孕んだ目。
炎に焼かれ、もがき苦しんでいた人々の目。
呆然と、しかし微かに恐怖の混じった、騎士団の者達の目。
それらが全て、自分に向けられている。
お前が憎い、怨めしいと言いながら、ルーフェンを見ている。

 そんな思いに襲われて、浮かれていた快感が一気に冷めると、どっと身体中に感覚が戻ってきた。

 闇の底から、声が聴こえてくる。
サンレードの人々が、憎悪に染まった目でこちらを睨み、糾弾した。

——お前が憎い、お前が憎い、お前が憎い……!

 恐怖で見開かれた目が、はっきりとルーフェンを映している。
それを自覚した瞬間、甘美に感じていた濃い血臭が、生臭いものに変わった。

 エルディオが、口を開いた。

「……双方よくやった。ルーフェン、そなたもな。もう、昨日のようなことは言うでないぞ」

 最後に、夕刻まで休め、とだけ淡白に言って、エルディオは天幕へと戻った。
騎士団の兵たちも、それぞれ馬の様子を見に行ったりと、仕事をするために散らばる。

 まるで日常だとでも言うような周囲の様子に、ルーフェンはその時、ごぷりと吐いた。

 鼻の奥に残る血臭が、死体の焦げる臭いが、気持ち悪い。
人々が恐怖する様子を、笑いながら見ていた己の姿も、気持ち悪い。

 次いで、先程のエルディオの言葉を思い出しながら、ルーフェンは、声にならない声で、呻いた。
そして、シルヴィアを強く睨み付けると、掠れた声で言った。

「なんで……! どうしてあんなことしたんだ! 集落には、戦う術も持たないような女子供しかいなかった……!」

「……あら、正気に戻ったのね」

 シルヴィアは、涼しげな様子で、ルーフェンに笑いかけた。

「私がやっていなかったら、貴方がやっていたわ。ねえ、そうでしょう?」

「違う! お、俺は……!」

 言いかけて、ルーフェンは言葉を詰まらせた。
何が、違うと言うのだろうか。

 心の奥底で、これ以上はやめろと、もう一人の自分が言っていたのに。
それでも、殺したいという欲望にまみれて、殺戮を続けた自分がいたのは、紛れもない事実である。

(お、俺は……人を殺したいと思っていた……!)

 全身に震えが走って、腹から腕にかけて、身を食われるような激痛が走った。
ふと見てみれば、腕の皮膚が、まるで黒い鱗が貼り付いているかのように、変色している。

 震える指先を見つめて、ルーフェンは叫んだ。
絶叫して、皮膚の変色した部分をかきむしり、身体の奥に留まる死の臭いを体外に出すかの如く、再び吐いた。

 シルヴィアは、そんなルーフェンの様子を見ながら、くすくすと笑った。

「ああ、哀れで無力なルーフェン。貴方はまだ幼く、何もできないのね」

 屈んで、ざらりとした黒い皮膚を撫でる。

「欲望がなく、力も求めない主人に、悪魔は従わないわ。従わず、代わりに取り込んでしまおうとするのよ。この皮膚の疾患は、その証……」

 シルヴィアは、恍惚とした表情で、ルーフェンを見た。

「ねえ、ルーフェン。貴方は確かに、私にそっくりよ。けれど、私には悪魔が使役できて、貴方にはできないの。なぜなら、貴方は悪魔を欲していないから」

 ルーフェンは、恐怖が頂点に達したまま、目を見開いてシルヴィアを見つめた。

「六年前、必死に生にしがみついていた貴方のほうが、ずっと優れた召喚師だったわ。何もかもを拒否している今の貴方じゃ、いつまで経っても召喚師になんてなれない。そうして、身の内から悪魔に食われて、死んでしまうのよ。イシュカル教の犬共を殺すことすら躊躇うようじゃ、貴方は永遠に無力だわ……!」

 シルヴィアは立ち上がり、雲が薄くなった空を見て、楽しげに笑った。
ルーフェンはつかの間、彼女の様子をただ黙って見ていたが、やがて腰をあげると、ぐっと拳を握りしめて、言った。

「人殺し……!」

 低く強い声に、シルヴィアがぴたりと動きを止める。
ルーフェンは、そのまま続けた。

「イシュカル教徒が、なんで召喚師一族を嫌うのか、分かった……! 嫌われて当然だ……! こんな、いかれた人殺しの、化け物使いが──!」

 ふと、目を細めてこちらをみたシルヴィアを、ルーフェンは睨み返した。

「なにが……っ、なにが召喚師だ、国の絶対的守護者だ! 守るどころか、人を殺してるだけじゃないか!」

 言い終えた時、シルヴィアは表情から笑みを消して、黙りこんでいた。
しかし、ふと俯くと、くつくつと喉を鳴らして、冷笑し始めた。

「人殺し? 何を今更……」

 はあっと息を吐いて、ルーフェンを見る。

「サーフェリアの召喚師は、命令通りに人を殺すしかないのよ。それ以上を望むなら、自分でもがいて、地位を手に入れなければ……。貴方のいう通り、守護者だなんてとんだ戯れ言だわ。知らなかった? 人殺しなの、私も、貴方も」

 シルヴィアの発言に、ルーフェンの心中は、恐怖を通り越して静かになった。

「それなら、召喚師なんて、いらない……!」

 苦しげな声で言い返すと、シルヴィアは、冷笑を浮かべたまま、嘆息した。

「……ああ、本当に、本当に何も分かっていないのね。愚かなルーフェン。無知で、無能で、無意味で……そう思うのなら、そのままいなくなってしまえばいいのよ」

 シルヴィアの言葉は、ルーフェンの胸をえぐった。
この女に、どう思われようが構わないと思っていたのに、それでも、彼女が発した存在否定の言葉は、ルーフェンの心に残酷に響いた。

「…………」

 何も、言えなかった。
考えることすら嫌になって、立ち尽くしたまま、ルーフェンはただ黙っていた。

 シルヴィアの、虚ろな銀色の瞳が、ひどく恐ろしい。
目を合わせれば、あっという間に吸い込まれて、空虚などこかへ押し込まれてしまいそうだった。

 シルヴィアの視線から逃れたくて、全身に力を込めると、ルーフェンは天幕の方へと歩いた。
横を過ぎるとき、シルヴィアが何かを言うことはなかったが、その視線はずっと、こちらに向けられているようだった。

 天幕に戻り、一人になっても、全身を蝕む鈍い痛みは、一向に治まらなかった。

──足りぬ、足りぬ……。

──血を、贄を捧げよ……。

 再び響き始める、声。
それは、際限なく血を要求する悪魔の声と、己に贖罪を求めるサンレードの人々の声だった。

 まるで脳が沸騰してしまったかのように、頭がぐらぐらと痛んで、ルーフェンは思わずしゃがみこんだ。

 すると、次の瞬間。
地面から無数の手が生えてきて、ルーフェンに掴みかかった。

──許さない、許さない……!

──よくも、私達を……!

──返せ! この、醜い人殺し……!

 手が、ルーフェンの腕や脚に絡み付き、闇の底に引きずりこもうと蠢く。

「あっ……!」

 慌てて逃げようとするが、襲いかかるその手はあまりにも多く──。
ルーフェンは、自分を責め立てる多くの声を聴きながら、そのまま伸びてきた手に飲み込まれて、気を失った。


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