トップページへ
目次選択へ
投稿日:2021年02月24日





 シルヴィアの、あんな表情は見たことがなかった。
普段浮かべている、冷たく余所余所しい笑顔ではなく、本当に心の底から安心したような、穏やかな微笑。

 体調不良のせいで、いつも以上に顔に血色はないのに、エルディオに対するシルヴィアの先程の顔は、これまで見た中で最も生き生きとしているように見えた。

(あんな顔、できるのか……)

 ルーフェンは、リュートに殴られた頬を擦りながら、よろよろと立ち上がった。

 ずっと、感情の欠如した人形のような女なのかと思っていた。
誰に対しても笑顔を浮かべて、何を考えているのかも分からない、気味の悪い女だと。

 けれど、もしかしたらそう見えていたのは、自分だけだったのかもしれない。
シルヴィアは、嫌っている相手に冷たく接しているだけで、本当はちゃんと感情を持っているのだ。

(あいつ、陛下のこと愛してるんだ……。きっと、その子供であるリュートのことも、他の息子達のことも……。だから、あんな顔するんだ)

 そう考えると、これまでの出来事を、冷静に整理することができた。
ルイスやリュート、アレイド達にとって、道理でシルヴィアは優しい母親でしかないわけだ。

 穏やかな笑顔のシルヴィアは、美しく優しい母であり、そして国の誇る召喚師だ。
そんな彼女と並べられれば、ヘンリ村を焼きつくした挙げ句、のうのうとシルヴィアの息子という肩書きで王宮入りしたルーフェンのほうが、悪者になるのは当然である。

 これまで理不尽な仕打ちを受けていると思っていた自分が、ひどく馬鹿馬鹿しく感じられた。

(なんだ、結局……邪魔なのは俺か)

 全てのことに納得がいったのと同時に、ルーフェンの胸に、深い虚しさが広がった。

 自分はこんなにも邪険にされているのに、それに耐えてまで王宮にいる必要は、あるのだろうか。
別に、ルーフェン自身ここにいたいわけではない。
他にいく場所がないから、とりあえず次期召喚師として居座っているだけだ。

(……このまま、王宮を出たら……)

 出たら、どうなるだろう。
シルヴィアの目覚めを喜ぶ面々を見ながら、ふと思った。

 きっとこの銀の髪と瞳では、シュベルテでは暮らせないから、どこか遠くに行くことになるだろう。
遠くに行って、そこで仕事を探して金を稼ぎ、暮らす。
また雨風すら凌げないような小屋で、毎日貧しさに苦しむことになる可能性もあるが、ここでこのまま召喚師になるよりは、いいかもしれない。

 飢えと渇きの恐怖は、八歳までの生活で身に沁みて分かっている。
しかし、その生活に戻るという選択肢が浮上するくらいに、王宮での暮らしには嫌気が差していた。

 ルーフェンは、こっそりと扉を開けると、シルヴィアの部屋を抜け出した。
長い螺旋階段を降り、離宮から廊下に出て、本殿の自室に向かう。

 途中、自分を追って同じように螺旋階段を降りてくる足音がしたが、ルーフェンはそれを無視して歩き続けた。
むしゃくしゃして、とにかく動いていないと頭がおかしくなりそうだったのだ。

 なぜ、こんなにも選択権のない人生を歩まねばならないのだろう。
どうせなら、六年前、ヘンリ村で自分も焼け死んでしまえばよかったのに。

 そう、そう思っていたのだ。
六年前も。
それなのに、あの時『生きたい』と願ったのは、紛れもない自分自身で──。

 己の中に抱える稚拙な矛盾に、目眩がするほどの吐き気がした。

「じっ、次期召喚師様!」

 その時、背後から勢いよくルーフェンの腕にすがり付いたのは、アンナだった。
追ってきていたのは、彼女だったのだろう。

 アンナは、はあはあと息を整え、やがて自分がルーフェンの腕を掴んでいることに気づくと、顔を真っ赤にして後退し、かしこまった。

「次期召喚師様、何故急に出ていってしまわれたのですか? 戻りましょう」

「……嫌だ」

 聞いたこともないような怒気を含んだ低い声に、アンナは驚いて顔を上げた。

「で、ですが……」

「さっき分かっただろ、俺はお呼びじゃない」

 それだけ言って、身を翻す。

 アンナは、おろおろと困ったように、ルーフェンの後ろ姿を見つめた。
引き留めなければと分かってはいるのだが、今の彼は、とても恐ろしかった。

 それでも、なんとかして振り向かせなければと思い、声を出そうとしたとき。
ふと、先にルーフェンが振り返って、アンナの背後を見て目を丸くした。
ルーフェンにつられて背後に視線を移すと、そこには、こちらに歩いてくるエルディオの姿がある。
どうやら、エルディオも先程部屋を出ていたようだ。

 アンナは慌ててひざまずき、頭を下げたが、ルーフェンは立ったままであった。
その様を横目で見て、アンナは冷やっとしたが、エルディオにルーフェンの態度を気にする様子はなく、彼は、ひざまずくアンナの横を抜けると、ルーフェンの元に歩み寄った。

「そなた、どうしたというのだ。突然出ていきおって」

 ルーフェンは、ばつの悪そうな表情で、地面に視線を落とした。

「……少々、気分が悪くなりまして。お許しください」

「…………」

 エルディオは、無愛想なルーフェンの返事に僅かに眉をしかめた。
しかし、問い質しても仕方がないと思ったのか、小さく肩をすくめると、再び口を開いた。

「まあ、良い。本題はそこではない。ルーフェンよ、そなた、今年十四であったな。既に召喚術は使えるのか」

 エルディオの突然の言葉に、さっとルーフェンの顔がこわばった。
目の前に、ずっと越えたくなかった一線を、ついに突きつけられてしまったと思った。

「……分かりません。王宮に来てからは、使ったことがありません故」

「……そうか。だが、そなた、幼き頃に一度成功させているのだろう。ならば、使える可能性は高いと言えような」

 ルーフェンは顔を伏せたまま、エルディオの方を見なかった。
しかし、エルディオはそのまま太い声で続けた。

「ルーフェン、サンレードを知っておろう。奴等の暴挙、今は騎士団の力で鎮圧しておるが、最終的には召喚術にて圧するのが最も有効だ」

「…………」

 ルーフェンはうつむいて、床の一点を見つめていた。

 サンレードは、シュベルテの北西に位置する、イシュカル教徒たちの集落である。

 近年勢力を伸ばし始めているイシュカル教徒の活動は、王宮では基本的に黙認している状態であったが、過激な信者達によって起こされた暴動は、制圧の対象となっていた。
半月ほど前、シュベルテで騒擾そうじょうを起こしたサンレードは、その対象となっている集落の一つなのである。

 また、こうしたイシュカル教徒たちの暴動の鎮圧は、必ず召喚師の役目となっていた。
召喚師一族を良しとしないイシュカル教徒たちだからこそ、召喚師の圧倒的な力で捩じ伏せる。
彼らにとっては想像を絶するような屈辱であろうが、実際その方法が最も手っ取り早く、他のイシュカル教徒たちへの見せしめにもなるのだ。

 ルーフェンは、気がつくと強く唇を噛み締めていた。
身体が内から冷たくなって、額には汗が滲んだ。

 エルディオが何を言おうとしているのか、予想できていることが、とても辛かった。
 
「サンレードとの小競り合い、明日終結させるつもりだったのだが、見た通りシルヴィアはあの調子だ。そなた、代わりに我らの軍に同行し、サンレードを鎮圧せよ。そして、もしシルヴィアの力を借りず、良い働きをしたなら、ルーフェン。そなたに正式な召喚師としての位を授けよう」

 どくん、と心臓が痛いほど収縮した。
全身に冷水をかけられたように、身体が冷たくなった。

 一度動き出した歯車は止まらず、むしろ加速したようで、色々な出来事が一気に訪れてしまった。
ついに、召喚師になれと、告げられたのである。

 ルーフェンは、深く息を吸って、エルディオを見上げた。

「わ、私は……」

 声が、震えた。
しかし、再び深呼吸すると、ルーフェンははっきりとした声で言った。

「……私は、召喚師の位など、いりません。もし、それで王宮から追放されることになったとしても……それでも私は、召喚師になりたくありません……」

 言い終わった途端、エルディオの眼が、すっと細まった。
先程までの静かな表情が、一変して厳しいものになる。

「……そなた、自分の発言の意味を分かっていて申したのか。今の言葉、サーフェリアの守護を拒んだとしか、余には聞こえなんだ」

 厳格な光を宿して、こちらをきつく睨むエルディオの瞳を、ルーフェンは見つめ返した。

「……意味は、分かっています。ですが、召喚師の地位に就くのは、私の本意ではありません」

 しん、と辺りが静寂に包まれる。

 エルディオが、息を吸った音が聞こえた。
強い怒りが込められたその音に、ルーフェンは、それ以上なにも言えなかった。

「……召喚師一族の子は、たとえシルヴィアが何を言おうとも、そなたしかおらぬ。そのそなたが守護を拒むということが、どういうことなのか。……考えてみよ」

「…………」

「王宮を追放されるだけで、済むはずもない。もしそなたが本気ならば、斬首に値する重罪に問われようぞ」

 エルディオは、静かに言った。

「……召喚師としての生が与えられながら、それを拒むような者に、存在理由などない」

 呼吸が、うまくできなかった。
全身の血液が凝り固まって、身体中が麻痺してしまったように、動かなくなった。

 エルディオは、ルーフェンの悲痛に歪んだ表情を見つめた。

「……先程の言葉、聞かなかったことにしよう。今一度言う。明日、我らと共に来い。勘違いするでないぞ、これは命令である」

 エルディオは、そう言い終えると、しっかりとした足取りで本殿に続く廊下を歩いていく。
そんな彼の後ろ姿を見送って、アンナは慌てて立ち上がると、ルーフェンの元に駆け寄った。

 ルーフェンは、苦しそうに息を吸って、つかの間、目を閉じていた。
そして、ゆっくり目を開けると、不安げにこちらを覗きこむアンナを見据えた。

「次期召喚師様……何故、あのようなことを……」

 恐る恐る尋ねると、ルーフェンは冷ややかな笑みを浮かべた。

「何故って……。俺の意思関係なく王宮入りさせられて、人形みたいな母親に存在否定されて……挙げ句、化け物使いの召喚師になれだなんて、納得できるわけないじゃないか」

「そんな……」

 アンナは首を振って、ルーフェンに向き直った。

「そんなこと、仰らないで下さい……。次期召喚師様は、間違えなく召喚師様の御子ですし、それに、召喚師は化け物使いなどではありませんわ。国の、偉大なる守護者様です。……私ごときが、このようなことを申し上げるのは僭越ですが、私は、どんなときも次期召喚師様のお側におります。ですから、そんな悲しいこと仰らないで……」

 硝子のような澄んだ眼が、ルーフェンを見つめる。
アンナは、小さく微笑んだ。

「きっと、貴方様なら、最高の召喚師になれますわ。だって、とても素晴らしい魔術の才をお持ちなんですもの」

「…………」

「ね、どうか、私たち国民を──サーフェリアを守ってくださいまし。次期召喚師様」

 その瞬間、ルーフェンの表情が微かにくすんだことに、アンナは気づかなかった。
ルーフェンの視線は確かにアンナに向けられていたが、その眼に、アンナは映っていない。

 ルーフェンは、ぽつりと呟いた。

「……守れ守れって、皆、そればっかりだな……」

 突然、背を向けて本殿の方に歩き出したルーフェンを、アンナは急いで追いかけた。
しかしルーフェンは、彼女の行動を拒否するように立ち止まると、アンナの肩を軽くとん、と押し返した。

「……放っておいて。傍にいなくていいから」

 冷淡な一言に、アンナは目を見開いて、動かなくなった。
彼女のひどく傷ついたような表情に、ルーフェンは一瞬、戸惑ったように口を開いた。
だが、結局何かを言うことはなく、口を引き結ぶと、そのまま身を翻し、アンナを残してその場から去った。

 アンナは、しばらくそのままでいたが、やがてルーフェンの後ろ姿が見えなくなると、胸元で手をぎゅっと握りしめた。
そして、震えながら深呼吸すると、目から零れ落ち始めた雫を拭いながら、再び離宮の方へと向かったのだった。
 

To be continued....


- 9 -


🔖しおりを挟む

 👏拍手を送る

前ページへ  次ページへ

目次選択へ


(総ページ数82)